ナズナの贈り物
夜会の会場であるハリーストの王宮の広間に行くと、招待客が徐々に集まり始めているところであった。
開始時刻の十分前。いつもならば、エドヴァルドはもう会場に来ている時間だ。しかし公務が入ったことにより、彼は不参加と聞いた。
バザーでは、エドヴァルドが着けたことが話題となり、ブローチは見事に完売した。そのお礼を言いたかったのだが、今日は残念ながらできず終いである。そして、交換したペンダントをそのまま持って帰って来てしまったので、それも返さねばならない。
(……何だか、会えないのは寂しいわね)
「メイベル様? いかがされましたか?」
「え、!? あっ……だ、大丈夫。何でもないわ」
付き添いで一緒に来たメイドのキーテが、心配そうに声をかけてきた。どうやら、私は酷く浮かない顔をしていたようだった。
「本日はエドヴァルド王太子殿下がいらっしゃらないので、少しお寂しい会ではございますね」
「な、な、それは……っ、関係ないわ!! 今日は誰とお話ししようかと考えていただけで……っ」
「あら、左様でございましたか」
思っていたことをずばり言い当てられ、私は動揺しながら否定する。キーテは人を疑わない性格なので、それで納得してくれたようだった。
「もしご気分が悪くなりましたら、仰ってください。薬は一通りお持ちしておりますので」
「ふふ、ありがとう」
そんなやり取りをしていると、遠くからメイドが一人歩いてやってきたのだった。ハリースト王宮で働くメイドは皆若草色の服を着ているが、彼女は濃紺の服を着ていた。
(あのメイド服の色って確か……)
「恐れ入ります、ウェリトン公爵ご令嬢のメイベル様でお間違いございませんか?」
「ええ、そうよ」
「私、カルダニア王宮にお仕えしておりますメイドのミミと申します。エドヴァルド王太子殿下からこちらをお預かりしております」
バザーで交換したブローチかと思いきや、ミミがカバンから取り出したのは可愛らしいリボンと袋でラッピングされた瓶三つであった。
「これは……?」
「こちらは傷によく効く軟膏と、保湿用のオイル、そして仕上げ用のパウダーとなっております」
「え……?」
「殿下はメイベル様のお怪我をご心配されておりまして、お渡しして来るようにとのことでした」
見れば、ラッピング袋の中には手紙も入っていた。
サーカスの一件のあと。気まずくなってしまった私たちは、ほとんど話すことなく帰宅した。だから、私が最後に見たエドヴァルドは怒り悲しむ姿である。
しかし、このプレゼントから感じられるのは怒りでも悲しみでも恨みでもなく、温かな気遣いであった。
(それにしても……)
「女性が何を必要とするか、よくご存知ですのね」
ハンドケア用品を贈るなど、世間の男性ならば思いつかないと思ったのだ。贈るにしても、傷薬くらいだろう。
女性の扱い方を心得ているとなれば、私以外にも数多の令嬢たちと交流していることの裏返しとも言える。
そう思うと、エドヴァルドのことが遠い存在に感じられたのだった。
(……みんなも、イヴァンのことをこんなふうに想っていたのかしら?)
「いえ、女性に贈り物をするのは初めてということで、王女殿下に相談されながらお選びになったようです」
「そうなの?」
「はい。たくさんのお品を見て、お二人で香りや質感などを試しながら吟味していらっしゃいました」
エドヴァルドの姉は、たしか美容や化粧に詳しいと有名な人だ。そんな彼女にアドバイスを受けながら彼がハンドケア用品を選ぶ姿は、なかなか想像できなかった。なぜなら、彼は何もかもソツなくこなす性格だと思っていたからだ。
(私のために、わざわざここまでしてくれたの……?)
「ありがとう。このお礼は私から直接、殿下にお伝えさせていただくわ」
「恐れ入ります。それから……大変恐縮なのですが、殿下からもう一点だけ命じられていることがございまして」
「何かしら?」
「その……メイベル様がご無理なさらないか、見守っておくようにと言われておりまして。なので申し訳ございませんが、ご一緒させていただきたく……」
「なっ!?」
察するにエドヴァルドは、私が無茶をする性格だと判断したらしい。それは勝手にどうぞということだが、まさか監視するためだけに人を遣わすとは。カルダニア王宮の使用人たちも、暇ではないだろうに。
(これはもはや、監視というよりも……)
「過保護って言うんじゃないかしら?」
「た、大変申し訳ございません」
「いえ、こちらの話だから気にしないで。どうぞ、よろしくお願いね」
「あ、ありがとうございます!」
私が了承して、ようやくミミは安心したようだった。すると、キーラが何かに気づいたように口を開いた。
「あら。貴方の襟元の刺繍、とっても素敵ですわね」
見れば、ミミの着ているブラウスの襟には、ナズナの刺繍がされていた。
「ありがとうございます、実は、カルダニア王宮の使用人は、好きな花の刺繍を襟に施すという風習がございまして」
「へえ……とっても可愛らしいくて、お似合いよ」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
実際、ナズナの模様は愛らしい彼女の雰囲気によく合っていた。見ると、ラッピングに使われているリボンや袋にも、偶然同じナズナが描かれていたのだった。
「ちなみに、花は自らの誕生月の季節に咲くものから選ぶことになっております」
「ふふっ、面白いわね」
こういう気軽なおしゃべりも、たまには良いかもしれない。楽しげに会話に花を咲かすキーラとミミの姿を見て、そう感じたのだった。
ふと辺りを見回すと、見覚えのある顔が一人歩いて来たのだった。
「あら、メイベルじゃない。お久しぶりね!」
声をかけてきたのは、ハリーストの第一王女モニカであった。
「お久しぶりです、モニカ王女殿下」
「もう、堅苦しいのはなしにしましょうっていつも言ってるじゃない」
「ふふ、失礼しました、モニカ様」
プンプンと怒ったものの、王族としての敬称を外して呼ぶと、モニカは嬉しそうに笑った。本人が許していても、さすがに一度目から気軽に呼べないので、このやり取りが定番となっていた。
「元気だった? そう言えば、エドヴァルド王太子殿下とお友達になったんですってね、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
大国の王太子と友人になれたということは、本来は喜ばしいことだろう。しかし、素直に喜べていない自分がいた。
もしエドヴァルドに会っていなければ、これ程思い悩むこともなかったのだから。
「どうしたの? 何か元気ないわね」
「い、いえ……」
「あ、そうだ!!」
パチン、と扇子を閉じて、モニカはこう言った。
「ねえ。久しぶりに、うちに泊まりに来ない? チビたちもきっと喜ぶわ」
そう言って、彼女はニカッと笑ったのである。




