令嬢、流れ星を想う
「見て、イヴァン様だわ!!」
「相変わらず、素敵ですわ」
ラティスラの王宮でイヴァンを見かけると、令嬢たちはそろって歓声を上げるのが常であった。
彼は王室主催のお茶会や夜会などに参加しないものの、時折廊下を歩いていることはある。言葉を交わすことはできなくとも、遠目で構わないので一目見たいと言う者までいる程であった。それ位に、彼は女性たちの憧れの存在だったのである。
その日も、王宮で開催された舞踏会に行く途中、廊下を歩くイヴァンを見かけた。私の友人二人は黄色い声を上げ、それは彼の耳にも届いたはずだ。
しかしイヴァンは、挨拶どころか顔を向けることすらしなかった。どんな反応をされても、やや険しい目つきのまま、早足で廊下を歩くだけ。だがその素っ気なさが、余計に魅力的だとすら言われていた。
「ああ、行ってしまわれましたわ……次来た時も、お会いできるかしら?」
彼に心を射止められた二人は、そんなことを言いながら恋のため息を吐いていた。イヴァンを幼少期から知っている私からすれば、彼を身近に感じているがゆえに、手の届かない存在とみなされているのが不思議で仕方がなかった。
「そんなに会いたければ、彼のお部屋まで行けばいいじゃない」
「そ、そんなの……とてもできませんわ!!」
「私たちなんて、きっと追い返されてしまいますもの」
「そうかしら?」
さすがに客人を追い返す程に冷徹な性格ではないんだけどな、と思いながらも、イヴァンと私が幼なじみであることは知られていないので、口を噤む。根掘り葉掘り彼のことを聞かれるのが面倒なので、あえて公言していないのだ。
「とにかく、イヴァン様を見れて幸せですわ。今日は何だか、良いことがありそう!!」
「あら、流れ星でも見つけたみたいね」
あまりにも友人たちが幸せそうなので、私はついそんな言葉を口にしていた。
「……流れ星、確かに!! 言い得て妙ですわ、アルビナ様!!」
「なかなかお会いできない彼にぴったりのお名前ですわ!!」
「え? あっ……」
こうして。その日からイヴァンは、令嬢たちから密かに‘‘流れ星’’と呼ばれるようになったのである。
「……昔の夢か」
昼寝から目を覚まして、私はぽつりと呟いた。メイベルとして生まれ変わったあとも、時折アルビナだった時代のことが夢に出てくるのだった。エドヴァルドと交流するようになってからは見ることも減っていたので、だいぶ久しぶりのことである。
私が昔の夢を見たのは、恐らく机に置いた一冊の本が原因だろう。
ラティスラ王室の家系図。取り寄せていたものが、ついに届いたのである。
王室の歴史について記された書物は、各国の図書館で自由に閲覧することができる。しかし、ハリーストで読める範囲の資料では、庶子であるイヴァンの名前を見つけることはできなかった。そこで、ラティスラの王立図書館から王室の歴史すべてが記されている家系図を送ってもらったのだ。
彼が私の死後、どんな人生を送ったのか。それを知ったとしても、何の糧にもならないかもしれない。しかし、どうにも気になって仕方がなかったのだ。
私は覚悟を決めて机に座り、厚い表紙を開いた。
記憶が正しければ、今はアルビナの死後十年以上経過しているはずだ。ページを捲りながら、私はまず自分の名前を探した。
「……あったわ」
ユリウスの隣に、妻としてアルビナの名前が記されていた。紙の上では、彼と私の名前は夫婦を意味する太い直線で繋がれている。夫婦関係が初めから破綻していたことは、この書面からはまったく分からぬことだ。
二人を繋ぐ線の真ん中から細い直線が書かれ、そこにはアルビナの娘であるエリザの名が書かれている。彼女の顔を思い浮かべると、胸が苦しくなるのを感じた。
正直、このまま本を閉じて放り投げてしまいたい気分である。その欲求をグッと堪え、私はユリウスの名前の隣……兄弟の欄を目で追った。
すると、イヴァンの名前はすぐに見つかった。
……しかし。
「……え?」
彼は、私の没した年と同年に亡くなっていたのだ。奇妙な偶然に、私は背筋が寒くなるのを感じた。
(偶然……ただの偶然よね?)
恐る恐る、各人の略歴の記されたページを開くと、そこには信じられない事実が記されていた。
イヴァンは、アルビナの葬儀が執り行われた日と同日に自殺していたのだ。
「……っ!?」
反射的に、私は本を勢い良く閉じた。動悸が止まらず、身体には冷や汗が流れていた。
(どうして? アルビナが死んでようやく自由になれると、貴方は喜んでいたんじゃないの? ならば、貴方を追い込んだのは一体……)
『またお会いできて光栄です。アルビナ様』
エドヴァルドにアルビナと呼ばれた時の光景が、頭をよぎる。
彼は私に再会できて嬉しいと言った。それが本心からの言葉なのか定かではないが、アルビナを恨んでいたならば、殺すなり離れるなり、もっとやりようはあったはずだ。
(ある程度親密な仲となったあとに、手酷い仕返しを企てているのかしら? それか……彼は、恨み以外の感情を抱いていたとでも言うの?)
『メイベル様』
この人生で、エドヴァルドは私の名を何度も呼んだ。そこには冷たい響きはなく、むしろ温かさと柔らかさすら感じていた。それを思い出すたび、胸の奥に甘い感覚が広がる。
今、私はアルビナではなく、メイベルだ。だがアルビナの罪を贖うのは、他でもない私だ。
しかし、私がアルビナの罪について口にしたならば、エドヴァルドとのこの曖昧な関係は変わってしまう。いつしか私は、それを恐れていた。
(友人として彼を幸せにできれば良いと考えていたはずなのに)
「彼を幸せにしたいのに関係はこのままにしておきたいだなんて……身勝手極まりないことだわ」
私が彼にとっての‘‘悪女’’であることは、変わらない。
だから、この感情は恋心であってはならない。この心地良い関係はいつか終わる。彼と結ばれる権利など、端から私にはないのだ。
「……そろそろ、夜会に行く準備しなきゃ」
傷が治りかけた手のひらを握り込み、私は席を立った。