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前世は悪女だった私

 ラティスラの第二王子ユリウスとの結婚。それが私の考えうる最大の幸せであり、公爵令嬢として与えられた唯一の生きる道であった。


 王族に嫁がせるために、両親は幼いうちから私を厳しく教育した。平手打ちされることなど日常茶飯事であり、怒声に怯えながらも私は必死に努力を続けた。


 しかし、その努力が実を結ぶことはついぞ訪れなかった。ユリウスは舞踏会で出会った下級貴族の娘に恋をしたのである。


 身分に縛られない真実の愛の物語だとばかりに、周囲は二人を祝福した。しかしその祝福の輪に入れるほど、私は素直でも従順でもなかった。


 嗚呼、ユリウス様。貴方と結ばれるため、私は血を流しながら茨の道を歩いて来たというのに、貴方はなぜ私を選んではくれなかったのですか?


 しかし、そんな心の叫びが彼に届くことはなかった。


 厳しい教育に耐えてきたのは、義務感からだけではない。私はユリウスに、ずっと片思いをしていたのだ。


 暖かな春の日差しを浴びたような美しい金髪に、聡明さを映し出す、透き通るような碧眼。初めて会ったその日から、私の幼い恋は始まっていたのだ。二つ年上の彼は私にとって、太陽のように高い場所にいる、憧れの存在であった。


 しかし。たった一度きりの偶然の出会いが、長年の思いをすべて無に帰したのである。


 令嬢のことが、ただただ疎ましくて仕方がなかった。そして私は、令嬢からユリウスを奪い返すことを決めたのである。


 彼女には病弱な妹がおり、貴族であるにも関わらず、生活は酷く困窮していたという。ユリウスとの結婚は、妹の治療費を得るためであることに他ならなかった。そして、ユリウスと会った夜会に参加するためのドレスや靴も借金をして買ったことを、私は突き止めたのである。


 そんな令嬢のことを、王室に財産目当てで近づいた浪費家の女だと私は告発した。


 ユリウスの父親ーーー時のラティスラ国王は、身分を重視する人間だったため、元々下級貴族である令嬢を良く思ってはいなかった。そして公爵令嬢でありユリウスの幼なじみであった私の言い分を、すんなり受け入れたのだった。


 令嬢とユリウスは婚約破棄となり、その代わり私は、彼と結婚することになった。


 しかし、当然ながらユリウスが私を妻として愛することはないままに、私は若くして病に倒れたのだった。


(……悪いことをした、罰かしらね)


 もう助からないと分かっても、私は自らの死を粛々と受け止めていた。


 死ぬ間際。流れ星のように頭をよぎったのは、ユリウスの顔ではなかった。裏切りを重ねた上に生まれた、一人娘の顔……そして。


 私が人生最大の裏切りを犯した、彼の顔であった。


+


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます、メイベル様」


「ふふっ、どういたしまして」


 老婆にスープを差し出すと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 ここは、教会の敷地内にある貧窮院。そして私は、定期的にここで奉仕活動に励んでいた。何度も訪れていることもあり、今では顔見知りばかりである。そして皆優しくて、私を慕ってくれていた。周囲から嫌われていた前世の自分とは、全くもって大違いである。


 今日は週に一度の‘‘野菜スープの日’’であり、私も手伝いに来ていた。具だくさんのスープを作り、貧窮院に身を寄せる人々や地域住民に振る舞う日のため、教会周辺は賑わいを見せていた。


 そして作業が一段落したところで、参加者の令嬢が声をかけてきたのだった。


「いつもとっても熱心ですわね、メイベル様。私も見習わないといけませんわ。でも……奉仕活動だけでなく、自分のご趣味を楽しむ時間も大切になさってはいかが?」


「ふふ、褒めすぎよ。それに、誰かのために働くのは、好きでやってることだから、これが楽しみなのよ」


「あら、メイベル様。今日は、楽しい素敵なイベントがあるじゃないですか」


 二人で話していると、また別の令嬢が話に参加してきたのだった。


「今宵が初めてなのでしょう? 夜会にご参加されるのは」


「まあ、そうですの?」


 その一言を聞いて、二人以外の周りにいた人々の目が一斉に私に向けられる。そして皆、手を叩いて喜んでくれたのだった。


「おや、メイベル様ももうそんなお年頃でしたか」


「素敵な出会いがあることを願っております」


「ふふ、みんな、ありがとう。じゃあ、夜会の準備があるから、そろそろお暇させていただきますわ」


「ええ。ぜひ、楽しんできてくださいな」


 こうして皆に別れを告げて、私は馬車に乗り込んだのだった。


(……夜会も舞踏会も、大好きだったわね。……前の人生では)


 馬車の窓の外の景色を眺めながら、私は心の中で呟いた。


 不思議なことに、私は前世の記憶を持って生まれてきた。


 前世の私の名は、アルビナ。ラティスラという国の公爵令嬢であった。アルビナの性格を一言で表すならば、嫉妬深い悪女である。きっと、死ぬ時も皆が喜んだに違いない。


 だが幸運なことに、今の私……メイベルとなってからの私は、他人に対する嫉妬心をまるで持ち合わせていなかった。素直な気持ちで相手を褒めたり、尊敬することができる。それもあって、今は至極平和に過ごしていた。


 しかし、自分が一度目の人生で悪女であったことに変わりはないことだ。そのため、アルビナとしての自我が目覚めることを恐れ、私はお茶会など貴族の社交の場を避けて過ごしてきたのである。


 ……とはいえ。私はもうすぐ成人を迎える。そうなると、夜会や舞踏会も避けては通れないものとなる。正直、気が進まないのが本音であった。


 馬車の窓を開くと、暖かな春の風と若草の匂いが鼻をかすめた。


「貴女は寝てて結構よ。アルビナ」


 かつての自分に言い聞かせるように、私は小さな声で呟いた。


+


「メイベル、本当にそのドレスで良かったのかい?」


 夜会の会場であるハリースト王宮の広間に着くと、そこは既に招待客で賑わっていた。王室主催の会ということもあり、女性客は全員華やかな装いである。そんな光景を見て、父上が心配そうに私に声をかけたのだった。


「どうしても今日はこの色が着たかったのよ。お父様」


 飾りの少ない、シンプルな濃紺のドレス。清楚な装いとも言えるが、やや地味な装いでもある。しかし、自己顕示欲の強い過去の自分から距離を取りたくて、私はあえてこれを選んだのだった。


「それに、初めて参加する小娘が誰よりも派手に着飾っていたら、他の方々に失礼ですもの」


「少し華やかでも、この国ならば目くじらを立てる人はいないと思うが?」


「皆様お優しいですものね。じゃあ、次回はもう少し可愛らしい格好にしようかしら」


 そんなことを話していると、広間の扉が開いた。国王陛下のお出ましかと思ったものの、入ってきたのは別の人物であった。


 肌荒れの無い白い肌に、透き通るような薄い色の金髪。彼の姿は、人と言うよりも美しい芸術作品のようにも見えた。


 品のある出で立ちから、彼が高貴な身分であることはすぐに分かった。


 不意に、私と彼の目が合う。その瞬間、胸を矢で射抜かれたかのような衝撃が私を襲ったのだった。


 彼はなぜか、私たちの方へと向かってきた。切れ長な目に見つめられ、私は無意識に後ずさっていた。


 それは、彼に気圧されたからではない。この人生で会ったことがないはずなのに、彼が誰だかがすぐに分かってしまったからである。


「……イヴァン、様?」


 前世で幾度となく呼んだ名前を、私は今世で初めて口にしたのだった。

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