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第89話 表裏ほどの近似

 夜の公園で一人、過ごす時間は優芽には少し、懐かしくもあった。懐かしむのは去年の11月のことだから、まだ半年と経っていない。

 そう思うとおかしさがこみ上げてくる。優芽は名前もわからない星に笑みを投じた。たぶんあの日もそこにあった……。

「のかな? わかんないや」

 夏の空、冬の空。星座。星の配置がどうのというのを、結局は知らずにいる。

 今はまだ。

 そう信じたいから、ポケットの中には二つ、用意している。

 あの時と同じ公園、同じ時刻、同じ人。

 同じじゃないジュースを二つ掲げて、同じじゃない言葉を掛けた。

「じゃん! 幕張はこっちが好きだよね?」

「あぁ。さんきゅ」

 今日は冷たい、ミルクティーとカフェオレが一つずつ。



「聞いたよ。希美から」

「……そうか」

 二日前の金曜日にあったことについて、それ以上の会話はしなかった。

 ベンチに移動して最初の話題で、しないわけにはいかないけれど、長々と語るようなものではないから、それだけしか言葉はなかった。

 余韻は長い。

 琴樹も優芽も手の中のものを持て余しながら、どうしたって少なからず固い空気になってしまう。

 そんな呼吸の音さえ拾えそうな沈黙を破ったのは琴樹だった。

「ごめん」

「……なにが?」

「これから勝手な話をする。俺の身勝手の話だ」

「それが私に『伝えなきゃいけないこと』?」

 希美と話をする。と、廊下の隅で聞いた、もう一つ。「一応、伝えておこうと思ってな」と切り出された。「もう片方は、時間を貰いたい。話す時間を」の方。

「それもある。けど、先に言わなきゃいけないのは……気付いてると思うけど、俺は……俺は、優芽に……舞おねえちゃんを重ねて見てる。優芽のことを舞ねえちゃんのように見てしまっている」

 勢いのまま琴樹は大きな一口でカフェオレを半分にする。

「それだけじゃなくて、優芽を舞ねえちゃんに近づけるような、近付いてくれるようなことを……髪の色とか、髪型とか、そういうのを、舞ねえちゃんがそうだったから、金髪だとか、ショートカットだとか、そういうのが、そういう風に、そうなったらいいなって……そうなるようにって、思って、言ったり……勧めたり、した。してたんだ」

 これは当然、言うと決めていたことだ。優芽に伝えると決心してこの場に来た。それでも琴樹は顔中が脂汗まみれになる自覚があった。深呼吸を繰り返す。

 繰り返す。間。優芽が何も言わないのが本当に救いだった。

「これ」

 小さな紙片を差し出す右手は、震えてしまった。

「これって……」

「あぁ……舞おねえちゃんだ。一番……近いところの」

 茶色と金色の中間みたいな髪色。ショートボブ。癖っけはない。

 秋か、冬の始まりか。そのくらいの時期だと優芽が思うのは、ネイビーの厚手のジャケットを羽織っているから。下はロングのタックスカートで、足元はアンクルブーツ。

 髪を手で淑やかに抑えてはいるけれど、飾った気配のない自然な佇まいで写真の中で笑みを浮かべている。

「これが、舞さん」

 優芽は小さく吹き出した。

「私より全然、大人っぽく見えるけど」

「そ……や、たしかに、その写真は舞ねえちゃんが十七の時のだから……でも、その、見た目……雰囲気とかもなんだけど、その……」

「似てる、かもね」

「かもっていうか……」

 琴樹が言い淀むのは、どちらを立てればいいか思考がまとまらないからだ。

 年上だった舞を年上として考えて、似ているかもとするのか。

 いやでもやっぱり似ているのだと、優芽の大人っぽさを評するのか。

 それは見事に袋小路を、勝手に作って勝手に迷っていた。

「ふふ。うん。私ももう一年……半年くらいしたらこのくらいの雰囲気になるのかもね。わかんないけど」

「わか……あ、うん、そう……そうだと、思う」

 身長や体つき、素の顔形なら、女子はもうそれほど変わるものではない。あとは月日が熟成させる精神面がどう表れるか程度のもので、その差くらいしか、優芽と舞との違いはないのだと、琴樹にはそう思えているのだった。

「そう、だから」

 だから、だ。

「入学式の日……俺はたしかに、俺には……君だけが鮮やかに見えたんだ」

 だからこれは、はじまりを巻き戻すための夜。



 一年と少し前のこと。

 兄の葬儀を終えたばかりの虚脱感の中、琴樹は高校の入学式のために受験以来の門を潜った。

 桜はまだ辛うじて残っていて、花弁が時折はらりと、道行く生徒のおろしたての制服や、真新しい鞄、整えられた髪なんかに舞い落ちていた。

 それらが、琴樹にはすべて、灰色にしか見えない。

 髪色、制服の色。鞄。校舎。地面。看板。花びら。

 視覚的には色を捉えている、らしい。ただ、頭の中でどう処理されるのだか、色覚情報が抜け落ちて、認識のところで等しく道端の石ころ(灰色)になっている。らしい。

 自分のこともよくわからないまま、けれどそれはとっくに琴樹の日常にはなっている。

 だからその日も特に気にすることもなく校舎までの道を歩いていた。

 式に先んじて、下駄箱の前に一大イベントが用意されているわけだが、それも琴樹には至極どうでもよく、ただ与えられたクラスを確認して、靴を履き替え、期待も不安もなく階段を昇った。

 開けっ放しの教室のドアを抜けた時にも、何も感慨はなかった。

 貼り紙に自分の席を調べて、それから、そこに向かう、その途中までは。

 琴樹には、世界は全部、死んでいたのだ。


 茶色と金色の、中間みたいな色。



「それが、ほんとは……ほんとに最初の、一番はじめは、その時なんだ。なぁ、世界が色づいて見えるようになったって言ったら笑うか?」


「……笑わないよ。ううん。思いっ切り、笑ってあげる」


 琴樹は目を細めて見詰め、思う。

 やっぱり、綺麗だ。

「よかったじゃん。私に会えて」

 自意識過剰な、ただ認め、どこまでも純粋に喜びを伝える笑顔は、少し、舞とは違うと、そう思えた。

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