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第81話 みんな地図のない道を歩いている

 朝練はないけれど起床時間はいつもと同じ。朝練がないから家を出るのはずっと遅く。

 一週間続いた朝の余裕もあと三日で終わる。あと三日、テスト本番の三日間を乗り越えれば終わるのだ。

 リビングのテーブルに教科書を広げていた優芽はぐっと伸びをする。

「いいわねぇ。あとはそれがテスト期間の後にも続いてくれればもっといいんだけど」

「うへぇ、そういうこと言わないでよー」

 おそらくは多くの家庭で起きているだろう親子のすれ違いを不愉快顔に流した優芽がコップを手に取る。紅茶とミルクの甘さにほっと息を吐き出す。

「それにしても」

 白木家の朝を預かる早智子は「うふふ」と笑みを零した。

「誰の影響なのかしらねぇ。幕張君には感謝だわぁ」

 何が『誰の』だ。優芽は白々しいどころかすぐに自分で答えを出す母親を目を細めて牽制する。それ以上言ったら怒るよ。

「あらあら本当に。うらやましいわ~青春ね~」

「お、か、あ、さ、ん!」

 父、つまり母にとっての夫が家に戻ってきたからか、自分の仕事を引継ぎ終えたからか、園とのあの事件の話し合いが落着したからか、早智子はこのところ娘を揶揄うのが日課になっているのだった。

 される方はたまらない。優芽は母親のちょっかいを鬱陶しく、けれどくすぐったいような嬉しさも抱いて受け止める日々を過ごしている。

「おねえちゃてすとがんばってね」

「芽衣はいい子だねー、お母さんとは大違い」

「てすとがんばったらね、きっとこときおにいちゃん、ほめてくれるからね! おねえちゃんがんばって!」

「お、おう、が、頑張るのは別にそんな、そういうやましい目的じゃないけどねっ」

「やましいことはほどほどになさいね。まだ若いんだし、お父さん泣いちゃうから」

 歯に衣着せない茶々入れに、優芽はここ最近でも一番大きく「お母さん!!!」を叫んだ。



 というようなことがあった、と、なんで聞かされなきゃいけないのかと小夜には不服しかない。しかも期末試験の初日の登校してすぐに、なんでそんな、他人の家のしょうもない雑話を聞かされなきゃいけないのか。

「だって小夜だし。愚痴担当だもんね」

「愚痴かな? それほんとに愚痴だけなのかな?」

「まぁちょっと自慢だよね」

 あっさりと認めて優芽は人の悪い笑みを浮かべる。母から受けた羞恥系ストレスはスマホケースくらい大切な友人に吐き出すに限る。

 親公認とまでは言わないまでも、認知され冗談に落とされるくらいに認められているという優越感はたしかに優芽の中にもあるのだった。

「肝心なとこ曖昧なままなくせに」

 苦虫百匹嚙み潰した小夜の反撃も、あのデートの日以降は効果が薄い。

「えへへぇ。いいもーん、テスト終わったらまたデートするしぃ」

「この浮かれポンチが。足すくわれても知らないよ。てかすくわれればいいのに、本気で」

「またまたぁ。そんなこと思ってもないくせにぃもう。あ、じゃあまた後でね」

「二度と来ないでー」

「おっけー」

 ホームルームが始まるからと離れていく優芽から視線を外し周囲をちらりと窺う。たぶん三、四人。全部かはわからないけれど、今の話を聞いていただろうなと小夜は思う。ため息を吐かずにはいられなかった。

「ほんと、浮かれすぎ。……ほんとに足、すくわれなきゃいいけど……」

 テスト期間が始まる。そこになんだか嫌な感じを覚えてしまう小夜は、それが自身の試験結果に対する不安からだけではないように思えるのだ。



 小夜が胸の内にざわめきを感じるように、文もまた違和感を覚えていた。べっとりと纏わりつく気持ち悪さが、遊んでも学んでも拭えない。

 そこに一つの回答を得たのは昼休みのことだった。

 手洗いから戻った優芽と涼を迎え入れる。既に場所は優芽の席周りに移動しているから、一人待つことを選んだものの文としては少しだけ落ち着かない時間だった。

「お待たせ。じゃあ食べよっか」

 今日は教室に弁当を広げる。人数も場所もまちまちだし、弁当じゃない時も多々あるが、今日はたまたまそういう日だった。

「あ、おいしそう」

 弁当は弁当でも文のものは母の手作りで、優芽は出来合い、涼は自作である。優芽が目を付けたのは文の手前にある箱にある煮物だった。

「いいよ、一つ……好きなの持っていっちゃって」

「わぁいありがとー。ではでは遠慮、はしてぇ……蓮根で!」

 肉は避けた優芽が「おいしー」と頬に手を当てる。

 それが自分の中でどう繋がったのかは、文本人にすら不可解ではあった。

 文は優芽の「代わりにこれあげるね」をおざなりに受け取る。都合のいいことに、文の今の居場所は教室の隅で、室内を一望することは容易かった。

 テスト期間だからかもう食事を済ませて自席に真剣な顔をしているクラスメイト。

 自分たちと同じようなグループ。

 何人かの出入り。

 幕張琴樹がその光景の中にいなくなったのはいつからだろうか。

 文には見当もつかない。


 涼にはおおざっぱな時期はわかる。



 食堂で友人たちとテーブルを囲んだ後、希美は図書室に向かうという一行と別れて中庭のベンチに腰を落ち着けていた。

 今日の空模様は半端。晴れだけど雲はあるし、雨が降りそうではない。曇りと言うには日差しは明るい。

「わたしみたいだぁ」

 言ってみて表情が消える。文みたいに情緒豊かに言葉にすることは自分には出来ない。

 涼みたいに感情を脇に置いて大人な選択をすることは。

 小夜みたいに激情を叩きつけることは。

 優芽みたいに。

「好きになってもらって……」

 優芽みたいにとろけるような笑みを浮かべることは。

「お、篠原。なにしてるんだ?」

 出来ないのだろう。

 だって例えば、声にハッとして期待しちゃって、振り向いた先にいる彼は一人じゃないから。

「なになに、急にスンってなるのやめろって!」

「うっさいぞ浦部。わたしの勝手でしょー」

 運命みたいな何かがあるとして、選ばれたのは自分ではないと希美は納得したいのだった。

「そうだ篠原、母さんから「ありがとうございます」って。俺からも改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」

 なのに神様は残酷だ。

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