第80話 勉強会
試験対策の勉強会が発足されたのは二か月半ぶりとなる。前回は二学期の期末試験前であった。その時と比べると規模は少し大きくなった。
図書室の片隅を一年一組の生徒たちが占拠している。不法ではない。テスト期間の一週間、図書室には似たような集団が散見されるのだ。
生徒たちの自主性と相互に教え合うことを尊重する学校側のスタンスにより多少の私語も許されているから、常よりむしろ活気づいている。とはいえ勉学に励むことが大前提だからして、大袈裟に声を上げるものはいない。
「幕張」
クラスの男子に呼ばれた琴樹は音を立てずに椅子から立ち上がると、呼ばわった男子の背後に回る。隣のもう一人も加えた二人が突き当たった数式の不可解を平易な言い回しに薄める。頭の中に参考すべき姿があるから試験範囲内のことくらいならば言い換え様はあるものだ。
勉強会とはいっても授業ではないから基本的には各人で問題集や教科書と睨めっこである。席に戻った琴樹も参考書の続きに目を落とした。
数学に頭を捻る男子たちがいる。歴史を覚えようとする女子がいる。化学の資料集は勉強嫌いでも読むだけなら楽しかったりする。早々に飽いてどこぞの本棚から文庫本を持ってきた者だっている。
みんなで同じ空間で勉強している、という事実こそが大事なのだった。
そうして十人からがたまに「幕張」と「涼」を呼ぶ勉強会だが、内容同様に抜けていくのもバラバラであり、各々好き勝手に都合と用事と気分に従って徐々に人数は少なくなっていく。放課の開始から二時間も経てば、当初の三分の二ほどまで減る。
「そろそろ解散にするか」
仁が全員の気配を見計らって提案した。誰も彼もいい具合に集中が保てなくなってきていることをきっちりと読み切っていた。
「そうだな。もしどうしても気になるとこがあるならいつもみたいに送ってくれ」
「よっ、幕張さま。頼りになるぅ」
「おあ……くあぁ。じーん。飯食って帰んねー?」
男子陣が肩の力を抜くのと同時、女子だって凝った体をほぐしがてら小声に雑談はしたくなる。
「今日もありがとね涼。いつも助かってる」
「いいえー。よい点を取ってくれればそれでいいですよ」
「でたー、涼のプレッシャー」
「だって、希美、がんばりな」
「そっちがじゃい。……はいすいません二人共ですね、わかってます涼殿、そんな見詰めないでっ」
確実に大きくなる声量を仁が「しーっ、ですぜーみんな」と注意して、それからは雑談も一旦は中止して揃って図書室を後にするのだった。
そういう平日の勉強会。
「さてじゃ、明日はうち集合で。じゃなー」
「おい仁、飯は?」
「今日はパス。おつかればいちゃ」
休日は誰かの家に集まったり、集まらなかったりする。
「忙しねぇなぁ仁のやつ。ところで、どうすか女子の皆さんは、このあと軽く軽食でもご一緒に」
クラスメイトの誘いに優芽は悩む。それはもちろん視線を送る相手が参加するか否かで自分がどうするか決めたいわけで。しかし訊かれているのは自分を含めた女子たちである。琴樹が口を開く様子がないから優芽は大いに悩ましい。
「どうする?」
「わたしは行くぜ」
希美は参加。昨夜のアニメの感動を共有するのに、女子の輪は適当でなかったからである。
結局この日は男女二人ずつ計四人でお疲れ会をすることになったのだった。
校門でそれぞれの進路を取り、三人になった場に優芽は訊ねた。
「琴樹と涼は、なんの用事なの?」
「家の用事。あんま他人に言うようなもんでもないからまぁ、勘弁してくれ」
「私は秘密です」
「……実は二人で、とか、ないよね?」
「ド直球に疑ってくるな。ないない。俺と涼でどんな用事があるんだよ」
「あら、そうまで言われるのは心外ですね。私と琴樹君の仲ではないですか」
「しれっと名前で呼ぶな名前で」
「駄目でしょうか?」
「駄目ってことは……いややっぱ駄目ってことで」
「ふふ。そのようですね」
「なぁんか腹立つー。ほら行こっ。途中までは一緒でいいでしょ!?」
足取りに憤懣を滲ませる優芽の短い後ろ髪を見ながら、琴樹は思う。
最早疑う余地はなく。
あとは自分が。
変えられるかどうか。
〇
「ようこそ我が城へ!」
「なにを言うとるか。オレの城だ。いらっしゃい。さ、上がんな」
歓迎されていることはわかったが、琴樹ら男子陣が思ったのは、痛そう、という感想だった。
父親の拳骨に悶絶する仁に対して同情は二割程度だった。
浦部家にお邪魔したのは男子ばかり四人である。大所帯になった結果、男女が分かれたのだ。それに関して当然、真っ先に話題に上る。というか愚痴と嘆きが仁の部屋に木霊する。
「あー、なんでこんな男ばっかでよぉ、勉強とかやってられねぇ!」
「オレはっ、オレは女子と一緒に勉強(意味深)出来るって聞いたから来たというのにっ」
「仁と琴樹を生贄に白木と涼と……ええい、女子をいっぱい召喚っ! してくれ誰か!」
「いいや生贄はおまえだねっ」
「釣り合い取れなくね?」
「コストが足りません」
「融合してぇなぁおれもなぁ」
「それな」
「ったくどいつもこいつもやれやれ」
欲望に忠実かつ他力本願だから彼女が出来ねぇんだ、というようなことを仁が言えば仁以外の全員によるブーイングの嵐が巻き起こる。
楽しい勉強会になりそうだった。
勉強会改め、ゲーム大会に。
一応は筆記用具を広げはしたし三十分ほどは踏み止まったが、そこはやはり男子高校生たるもの集まったなら真面目に勉強してばかりではいけない。ということになったのは自然な流れだった。
コントローラーを持ち回ればあっという間に日が暮れる。
琴樹たちは「お邪魔しました」と頭を下げて門扉をくぐった。それぞれの都合があるから全体としてはこれで解散となる。
琴樹は向かう先が他の人と大きく違うから、早めに集団と別れて一人になった。
勉強会があるから、自分一人での勉強は少なくしている。代わりに増えたのが、バイトだ。
ギリギリになりそうだな、と琴樹は足を速めた。




