第79話 幼女は見た。幼女以外も見た
週が明けて月曜日の放課後に、琴樹は芽衣と共に公園の砂弄りに勤しんでいた。
本日作りますは、トンネル。手始めに砂を寄せ集めて山を形作り、そこに貫くトンネル開通工事が進行中である。両側からだ。琴樹と芽衣で素手で山を掘り進めている。
「お」
琴樹が気付き手を止める。最後の一掻きは譲る。
「おああ! ふにふにっ! これこときおにいちゃんのお手てですかぁ!?」
「そうだよ。俺の手だ。じゃあこれは芽衣ちゃんの手かな?」
砂山の中で手を握り合う。
「んへへへ、くすぐったぁい!」
芽衣のお迎えからの寄り道。なので当然、保護者役も同行している。
「繋がった?」
「うん!」
「ふふっ、そんな嬉しいか。よかったじゃん。はいじゃあ手、洗おっか。そろそろ帰らなきゃだからね」
「えぇええ!? めいはもっと遊びたい! です! よっ!?」
「わぁ、やめなさいっ。触んないで手汚れてるでしょ!」
どうにか芽衣がじゃれつくのを押し留めた優芽が「まったくもう」とため息をつく。どうしてもと言って聞かないから砂場遊びを許可したが、制服を汚されるのは許容の範囲外だ。制服を汚したならたぶん叱られるのは優芽であろうし。
「みてみておにいちゃんっ、めいの手、べちょべちょ!」
「俺の手も負けてないぞー」
「はいはい。ほらほら止まんないで進む進むー」
三人で手洗い場に行って「つめたい!」を叫ぶ芽衣に琴樹と優芽がほほ笑む。そういうことが、すっかり特別ではなくなっていた。
今日は琴樹のバイトが早入りなため早めに公園の出口へと向かう。真ん中の芽衣が右手にも左手にも温もりを握っている。
「おでーと楽しかったですか?」
まるで些末事であるかのように芽衣が訊ねる先は琴樹だ。姉の感想については二日前に十二分に聞かされていた。芽衣でもちょっと疲れるくらいに勝手かつ饒舌にである。
「あぁ。楽しかった。ありがとな、お姉ちゃんのこと貸してくれて」
「んーんー。おねえちゃんはおにいちゃんのだからいいんだよぉ」
「あっはは」
琴樹は返す言葉に窮して苦笑いで流しておいた。
優芽は何も聞いていない。聞いていないったら聞いていない。ただなんとなく意味もなくあらぬ方を見たくなっただけだ。口笛の練習をしておこうと思ったりしただけ。
「めいね、おしゃしんみたー。おしばなさんちゃんともってるのねぇ……えらいとおもいます!」
「ありがとう。よく見てるんだね。よく気が付いたね」
琴樹は芽衣と繋いでいる手を小さく振ってあげる。そんな程度のことも芽衣はきゃっきゃと喜ぶのだ。
二日前、デートの日。申し合わせることはしなかったのに、優芽も琴樹も鞄に花のチャームを付けてきていた。特段、話題に出さなかったのは、それが当たり前だと思いたかったからだった。
口にしてしまえば特別なことになってしまうような気がして、互いの鞄にそれを見付けたことを一瞬の微笑以上にはしなかったのだった。
「ちなみに何の写真を見たの?」
記念撮影のコーナーかスマホにか、どちらにせよそう多くないはずだと琴樹は記憶している。
「いっぱい!」
「撮ったのは全部見せたかな」
そんなもんかと琴樹は得心する。変な写真もないはずだったし、問題ないだろう。
「つぎはっ、つぎのおでーとはいつするぅですか!」
「そうだなぁ……とりあえずは、来週のテストが終わってから考える、ってことでいいかな? んー、つまりテストの後、三月かな」
「おー……てすと……おねえちゃんがきらいなやつだ」
「くっ、そうだな」
「笑うな」
芽衣の頭越しにひと睨み頂戴してしまった琴樹だった。
一週間後、期末試験が控えている。今日からはじまった試験期間によって部活が休みだから、こうして時間が取れているわけだった。
〇
その日の夜にも優芽はベッドの上で時計を気にする。
父の勤務が自宅からに戻って、母の仕事もだいぶ落ち着いた。優芽が自室で寛げる時間も増えたわけで、その余暇の使い道の筆頭は決まっている。
新人のぬいぐるみ君を胸に抱えた優芽がゴロンとうつ伏せになると、抱えるというよりは胸で押し潰す状態になる。
「ぎゅー」
と自分で口にしてしまうくらい油断していても自分の部屋だから問題ない。
またゴロンと、仰向けに戻って天井を見上げた。ちらっと時計を流し目に窺う。あと五分。スマホを手に持って掲げた。
何十回目かわからない待ち受けを変えるか否かの葛藤は、日に日に変えない勢力が脳内から駆逐されていっている。
「はぁ……んあぁぁぁぁぁあああ」
ジッとしていられなくて右に左に転がったかと思えばピタリと止まる。そしてまた転がりだす。
「んんんんんんんんん!」
ころころ、ごろごろ。
「おねえちゃん……めい、おのみものもってってあげてーってゆわれて……」
「んんんんんんんんん!? の、の、の、ノック……ノックしてよ! 芽衣!」
「めい、ノックしたもん」
この日、優芽は自室のドアに常に鍵をかけておくことを決心した。
〇
「はい、めい、よんさいです!」
『……えーと。……こんばんは芽衣ちゃん。夕方ぶりだね』
「こんばんは! おにいちゃんですかっ?」
『……はい、琴樹おにいちゃんです。芽衣ちゃんはぁ……いまどこにいるの?』
「ベッドのうえにすわってる! おねえちゃんのベッドふかふかなんだよー!」
『そっか。うん。じゃあ、何をお話ししようか』
「めい、めいね、ころっけたべたんだよ。おいしいねー」
『そっかそっか、おいしいのは嬉しいね。俺は……ラーメン食べたよ』
「らーめん!? らーめん、めいはね、あのあの……おねえちゃんらーめん! めいのらーめんん、なんですかぁ」
「あんたの好きなのは醤油ね醤油ラーメン」
「しょーゆ、らーめん」
「そうそう醤油ラーメン」
「おにいちゃん、めいしょーゆらーめん!」
『そうかー、芽衣ちゃんは醤油ラーメンが好きなのか。おにいちゃんと一緒だ。ところで……優芽、これ聞こえてるんだよな?』
「あ、わかっちゃった?」
『どおりで声が遠い気がしたんだよ』
スピーカーでの通話は三十分ほど続いた。
三人での歓談が終わったのはノックの後にドアを開いた母親の「芽衣、そろそろ戻ってきなさい」という声に芽衣が応じたからで、去り際に「またねぇ!」と残す娘と一緒に姉妹の母も一言残したのだった。
「優芽も、夜更かししすぎないように。夢中になって寝るの遅くなっても、寝坊は許さないわよー」
「わ、わかってるってば!」
「あ、それと幕張君。またうちにいらっしゃいね。いつでも歓迎するから、優芽が」
「お母さん!」
ひらひらと手を振る母と妹を優芽は見送る。
始終、スマホは沈黙していた。
端末の向こう、琴樹は腕組みして目を瞑っていたのだ。だって下手なこと言えないし。
「もーーー。絶対鍵かけてやる。てか今かけてやる」
今後は部屋に鍵を掛けます、は明日にでも伝えればいいだろう。寝て起きれば考え直すことになるわけだが、それは明日の朝の出来事である。ノックの度に立つのは面倒なものだ。
鍵をかけて「ん?」と首を捻る。芽衣がお盆に飲み物を乗せてやって来たわけだが、はたして一人で来たのかと疑問が浮かんだのだ。その疑問は実のところ正しかったが、優芽からすると今更確認するわけにもいかない。
「いやいや……うん、気のせい。気のせいだよねー」
母親にどんな姿を見られたのか、そんなものは気にしちゃいけないはずだ。今後気を付ければいい。
『なにが気のせいなんだ?』
「なんでもない。琴樹は気にしちゃ駄目」
『わかった』
「やだ。ちょっとは気にして」
『いやどっちなんだよ』
つい数秒前の反省を忘れて、優芽はスピーカーをオフにした。
『それでどうする? 勉強会』
本題だから、ということにして、耳元に声を聴く。
「んー……琴樹が話してー」
『話す?』
「んー……じゃあ、琴樹が勉強会やるべきかどうかどう思ってるかぁ……十分くらい話して」
『わかっ……いや十分は無理。……二、三分、話そうか。そうだな、勉強が如何に大事かって話でも』
「え、それはなんかやだ」
『随分とわがままで?』
「やだもん」
ころころ、ごろごろ。
『昔々あるところに』
琴樹としては冗談のつもりだった。
優芽としては、それでも全然、満足だった。




