第73話 mission2:デートにさそ
久しぶりに無心で部活に励んだ後、小夜は部員の誘いを断って急いで校門に向かった。
本当に久しぶりに、一心不乱にボールを追った。打った。拾った。楽しかった。
下校時間の少し前、活気と活気の間隙の時間は、早足の足音を校舎に響かせる。誰もいない廊下は今、小夜一人のものだった。
ローファーに履き替える。下は制服のスカート、上はこっそり横着してジャージをコートで隠してある。本当は登下校は制服着用が規則だが、特に冬場は抜け道が多くって助かっていた。
「お疲れ様です先生。さようなら」
「ああ、さようなら。気を付けて帰れよ」
すれ違った体育教師みたいに、黙認してくれるというのもある。
校門に辿り着くまで他に挨拶を交わすこともなく、小夜は待たせたことを一言詫びた。
「ごめんお待たせ」
「おつかれ。じゃあ行くか」
「わたしには、お裾分けはないのかな?」
「ねぇよ」
どこか普段よりぶっきらぼうな琴樹は小さめの缶を握っていた。
頬には絆創膏が貼ってある。昼休みが明けてからだ。訊くタイミングも聞く機会もなかったから、繋ぎも兼ねて訊いてみる。
バス停までの短い道行きに返ってきたのは「切った」と簡潔な答えと触れることを拒絶する気配だった。
「優芽に連絡~」
最後列でバスに揺られながら小夜はスマホを操作する。隣に座る琴樹から質問があったわけでもない。独り言でもない。
「なんでもないなら、隠し立てはしないよね~」
「そうかもな。てことは、話さないなら話さないなりの理由があるんだろうな。なんのことだか知らないけど」
それは「たしかに」という話だ。スマホの硬質を顎に当てて考える。
「これは……わたしの直感なんだけど」
そして、なんでもないなら、迂遠に疑るような真似もしない方がいいのだろうと考え改めた。
下校時間の、少し前。車内に琴樹と小夜と同じ服はいない。
「昨日、仕組んだのは幕張君、だよね?」
「……なんだ、名前呼びはやめた方がいいのか?」
「ううん。やめるけどやめなくていいよ。言ったでしょ? 自分の名前、気に入ってるんだ」
「気に入ってるくらい、程度なら、苗字呼びでいいか? 宇津木さん」
「さん付けまでいくのはちょっとなぁ」
「じゃ、宇津木」
「うん。これからよろしく幕張君」
琴樹がこの先に何をよろしくするんだと疑問を眉根に寄せる。
そういうことではないのだと小夜は付け加える。
「それと……今日までありがとう、琴樹」
「……あぁ。がんばれよ宇津木、これから」
本当は。
流れる景色に視線を移し、小夜は想像上の優芽に謝っておく。
本当は、優芽のためだけに琴樹との時間を貰ったのではない。決別と言うほど大袈裟じゃなくても清算はしなきゃいけない。自分のために。
そう思ってさえ、便乗と洞察に頼ってしまったから、目は合わせずにもう一度口を開く。
「ありがと。ごめん……ありがとう」
「最後に言っとくけど。バレー部、レギュラーおめでとう」
くしゃりと顔が歪んだのを自分で感じた。それは小夜が部員以外から貰った二人目だった。
バスを降りて「じゃあね。ばいばいまた明日」を口早に伝える。
「ばいばいって、いいのか映画」
「あとでまとめて送ってよ」
取って付けたレンタルショップの見学会は取り止めだ。おすすめなんて文字で教えて貰えば充分。そんなこと最初からわかっているし、わかっていただろうにここまで付き合ってくれた。
「じゃあねー。優芽には幕張君から言っといてよ。今日の用事は終わりましたって」
「優芽は俺の上司か何かか」
「それもありじゃない?」
「何一つとしてありじゃないだろ……」
「支え甲斐というか、放っとけないところがあるからなぁ」
あるいは揶揄い甲斐で、無視できない。前者はごく最近に知ったことではある。
軽く伸びをする小夜の視界には駅前の人だかりが映る。名前も知らない他人たちだ。億もいる他人たち。
「今度暇な時、バイトの話教えてよ。友達として」
「友達として。なんだ、バイトはじめるのか?」
「うーん……たぶんね」
たしか学校に申請も必要だったはずで。
ほんの束の間、目を瞑る。
いいや全部、今度教えて貰おう。
言葉の代わりに手を振れば琴樹は何も言わずに離れていった。すぐに人混みに紛れてどの背中かわからなくなる。
振り仰いだ空が果てなく深く見えた。
〇
優芽は芽衣と一緒にドラマを鑑賞していた。全力リラックス。ソファにだらしなく崩れるように凭れ、読みかけのファッション誌は床に放置だ。
「優芽あんた、シャキッとしてなさいとは言わないから、せめて真っ直ぐ座りなさい」
「ふぁーい」
10分前の母とのやり取りであるが、その時と体勢に変わりはない。
「おねえちゃん。ぐー!」
ジャンケンではなくサムズアップ。ドラマの登場人物の仕草をすぐに真似して一人で楽しそうな芽衣をなんらの思考もなくぼんやり見て、一応「ぐー」を返してテレビに視線を戻す。頭空っぽの夜の憩いであった。
「おねえちゃん、すまほー。ぶるぶるしてます」
「んー」
優芽も気付いていたから生返事と同時にテーブルに手を伸ばす。怠慢のせいでちょっとソファから落ちそうになったのは芽衣にはバレなかった。
メッセージの着信で、まずは送り主を頭に理解する。と同時、ピンと背筋が伸びたのは無意識であったし、芽衣にはバレなかった。
「わぁ、でんききれー」
劇中のイルミネーションに霧中の芽衣に「んー」と返して「んん!?」と続いた。
「おねえちゃん?」
「な、んでもないよー。テレビ見てなー」
何度読み返したってスマホに表示されている文言が変わるわけがない。
『土曜、よければ一緒に科学館に行かないか?』
例えば、芽衣と三人で遊んでいて、どこかに行く計画を立てることはある。それだって優芽か芽衣から言い出すことだ。
『芽衣も一緒に?』
たぶん過去一、短い文章だった。
『いや二人で』
たぶん過去一、変な声出た。
「どうしたの優芽……妙なダンスはじめて」
「おねえちゃんがおかしなひとになってしまった……」
たぶん過去一、不審がられたのだった。




