第69話 フォールド
手札を睨む琴樹は真剣そのものである。
(♡3,4,5,6 と ♠9)
希美が二枚、手札を交換し、琴樹は一枚を場に捨て、同じだけ山札からカードを。
引く前に、呼び鈴に手を止められた。
幕張家の狭いリビングに寄り集まった三人のうち、二人は住人たる人物に目を向ける。
「なんだろ。ちょっと行ってくる」
チラ見した時計が示すのは18時で、来客にも訪問にも配達にも心当たりはなかった。
琴樹がクラスメイトの男女を連れて帰宅してからそう時間は経っていない。なんとなくではじめたトランプゲームは、まだババ抜きで希美が一勝を挙げたのみである。
二戦目の簡易版ポーカーは、いまのところは仁の勝ち星が先行している。三回勝てば『ポーカーでの勝者』となるが、王手の状態だ。
覗き穴から玄関先の人物を確認した琴樹はすぐにドアを開けた。
その様子が、リビングからちょっと首を出せば見えるのが琴樹の住む家の狭さで、仁と希美は好奇心から顔を並べる。
声だってよく通るもので、随分とそう、気安い声色が届いていたから気になったのだ。
「同じくらいの年齢、っぽいよな」
「そだね。男の子だ」
年代と性別、それぞれ気になるところを見て取って小声に話し合う。
「見たことないな。うちの学校のやつじゃないよなたぶん」
「うん、わたしも見たことない」
顔を見合わせて、揃って引っ込む。あまり盗み見してははしたない。今更ではある。
気を抜いたからか、希美はうっかりと持ち札を表に広げてしまった。
「手札見えてんぞ」
「あ、ごめん。あちゃちゃ~。この試合はなしってことで」
「ま、しゃーない。てかフォーカードかよ、もったいね。こっちとしちゃありがたいけど」
仁がぽいと放り出すのはワンペア。チップも賭け引きも何もない純粋な役勝負だから、一つ負けがお流れとなって助かった形となる。
仁はそのまま手頃な本棚に目線を移す。希美は、勝手と思いつつも琴樹の手札に手を伸ばしてみる。
「なぁにやってんだよ」
戻った琴樹が希美の行為を咎め、自分以外の手の内がテーブルの上に明らかなことを目にする。
「あぁ、この勝負は無効な感じか?」
「あ、おかえり。うん、ごめん、わたしがうっかり手札バラしちゃったから」
「そか。ん?」
極論、どんな役が揃うかの運一本だから手札がバレようが問題ないと言えばない。が、それを言ってしまうのは野暮かと思い直して触れないことにした。
「もうちょい待っててくれ。なんつーか、忘れものみたいなもんでな。モノ渡してくるから」
仁が気の抜けた「おー」に続けて問う。
「ぜんぜん知らない奴だったけど、バイトかなんかの知り合いか?」
「いや、中学の部活の仲間。ちょっと待っててな」
言い残して琴樹はリビングを後にして自室の扉を開ける。
用向きとしては、先週土曜に行ったスキーの時に、相手の充電器が琴樹の荷物に紛れてしまったからそれを取りに来たということだった。なんてことない用事だ。
今週末にもまた小旅行に行くという中学の友人が、たまたま近くを通り掛けになんの気なしに寄ってみたという、それだけ。
机の上に置いておいた充電器を手に取ってすぐに玄関で待たせている相手のところに戻る。
部屋のドアは閉め忘れた。
〇
「じゃ、オレはここで。また明日学校でな」
駅前ロータリーの一角で仁が手を上げる。あっちだから、とバス停を指差す。
結局ただ遊び倒して二時間、すっかり夜の時刻に別れるところである。
仁と希美、それに琴樹も。
三人そろって琴樹の家を出て駅まで来たのだった。二人は帰るため、琴樹はバイトに行くためだ。
「ごめんね急にお邪魔して」
「気にすんなって。一人も二人も変わらないからな」
琴樹も希美も駅を使うが、乗る電車は違う。改札を潜ればすぐに別の階段を上ることになるはずで、この時間はほんの僅かなもの。
事の経緯は既に琴樹から聞いている。『大事な用』とやらが何かは希美にはわからないが、それが今日の約束より、琴樹との約束より優先するものだというなら。
なら。なんだというのだろう?
思い切り頭を振って、琴樹に訝しられて、希美はさっさと改札に定期を通した。
「ばいばい、またね! また学校で! バイト、がんばって」
それと。
「優芽に、連絡してあげるんだぞ!」
数歩後ろの朴念仁に念を押す。「わかってる」って、わかってる? 「ほんとうに?」
「ほんとだって。とりあえず、バイト先に着く前にメッセージは送っとく」
「よろしい」
そうして一人で階段を上がって、ホームはやたらと広々と感じられた。
「よぉし、明日からまたがんばるぞー」
言葉通りの決意ではなかったが、希美にはそれが必要だった。なんでもいい、心の向き先が。
電車に乗り込んで、座席に座って、中吊り広告に苦笑する。
ハート型のチョコはとてもとても甘そうで。ほんとはどんな味なのか、知りたかった気も、やっぱり少しくらいはしてしまうのだ。




