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第67話 フルハウス

 自動ドアが背後に閉まる。琴樹も仁も空を仰いだ。

「降りそうだな」

「雨って言ってたか? 朝のニュース」

「いや」

「お天気お姉さん、いいよな」

「おう」

 そういうわけで傘のない二人は足早に目的地へ向かうことにした。

 琴樹の家にである。

「つか初だよなぁ、琴樹んち行くの。どこを捜索するか……」

「たしかに……初だなぁ。てか捜索なんてすんなっつの。あいにくと全部データだわ」

 仁が「なんだつまらん」と白けるが、仁自身も同様だ。紙からの脱却の恩恵を最も享受しているのはもしかすると思春期男子という生き物なのかもしれなかった。

「小学校の……五年か六年の時よぉ。い~い本、拾ったことあんだよなぁ。家には置いとけねぇから隠しといたんだけど、三日くらいしたらなくなってたんだよなぁ。あれ誰が持ってったんだろ。泣いたぜあんときゃ」

「そりゃどんまい。俺も中学ん時に、貸した本に……本のページ貼りつかせやがった奴とガチで喧嘩したなそういや。あ、なんか思い出したら腹立ってきた」

「だはっ、それぜってぇ、出しただろそのページに」

「だろうな。くそ腹立ってきたマジで。しかもそれ俺も気に入ってたページだったんだよ」

「だはは、どんまい!」

 街の雑音に紛れる程度に下らない雑談をしながら歩く。雨はまだ降りださない。

 駅前商店街は人通りがたっぷりで、特に今日は学生の二人組をよく目にする。性別の組み合わせは琴樹と仁とは違う場合が多い。

「なんでこうなったんだか」

「……なんでじゃろなぁ」

 琴樹がぼやく。仁が乗る。とりあえず、琴樹の家でやる予定の格ゲーに対し、二人とも意味もなく沸々と闘志が湧くのは確かだった。

 とりあえず隣のこいつをボコそう。×2。


 男子共のしょうもない闘争心を、コスメショップから出てきた希美が知るはずもない。

「うわ……わぁ……ぐうぜぇん」

 本当に偶然で不本意だから希美は苦虫潰して、それはたまたま、琴樹と仁に伝わることはなかった。

「え、なんか、バチバチ?」

 引き笑いの表情は喧嘩腰の雰囲気のせいと思われたから。

「あぁいや、別になんだ、大したことじゃないというか」

「ゲームゲーム、ゲームの話。このあとゲームで勝負するから、ま、勝負は勝負だからな、負けらんねぇって、そんだけだって」

「さ、さよですかー」

 仁の説明で納得はする。それはそれとして気まずい思いの希美である。

 教室で「また明日!」と別れて、その日の内には会いたくなかった。

「じゃあわたしはこれで」

 帰るので。などと、出来るわけがなかった。

「……待って待って。優芽は? なんで……浦部と一緒なのさ。え、え、なんで?」

「なんでって」

 仁は、たまたま会っただけ、を主張するのを途中で止めた。希美が明らかに自分ではなく琴樹に問いかけていると気が付いたからだ。言葉にも、視線にも、希美の驚嘆じみた疑念は琴樹だけを見据えている。

「なんでなんだ?」

 なんとなく察しつつ、仁はひとまず希美の加勢に回ることにした。

 琴樹としては回答に悩む。悩むこともよろしくないとわかってはいても、上手い方便がすぐには浮かばない。

 右手の指で顎を擦って逃げてみる。

「のっぴきならない事情、みたいな?」

「のっ、ぴき? え!? 優芽になんかあったの!?」

「あ、わるい、いや違くてっ。それは、おまえ、そういうことならこんなとこのんびり歩いてるわけないだろ俺が!」

「じゃ、じゃあなんで。だって……だって……優芽、に……会いはしたんだよね?」

「いやその会う前に……色々あったというか何かあったというか」

「意味がっ、わから」

 希美の瞳が揺れても、映る琴樹の姿は言い淀むだけのもので。

「はっきりしてよ……」

 俯く希美に、琴樹はどう言葉を返せばいいかわからない。

「おまえら……。とりあえず、一緒に来るか? 希美もさ。これから琴樹んち行くんだけどよ」

「いや待てよ仁。そんな勝手な」

 トン、と琴樹の胸を仁が指で突く。

「てめぇで蒔いた種だろが」

 は、琴樹にしか聞こえなかったし、舞台(ステージ)上にしか見たことのない眼も、琴樹からしか窺えなかった。

 パッと琴樹の傍を離れた仁はへらりと「ところで」とクラスメイトの女子の後頭部に投げかける。

「希美って格ゲー出来るよな? いや三人だし別のにするべきか?」

 琴樹に向き直る。

「なんか希美が出来そうなゲームってあるか?」

 琴樹は一つ嘆息してから仁に答えた。

「希美なら、うちにあるゲームは一通り、俺より上手いよ」

「なんだそうか……あ?」

 思考と動作がフリーズした仁をよそに、琴樹は希美に視線を向けた。

「で、どうする? うち来る?」

「……うん」

 そういうことになった。

 琴樹と仁は同時に頭を掻き、同時に長く息を吐き出す。

 同時に希美を見遣る。

 笑うとこですよ? と。クスっと。

 一瞥もされていないからまた同時に溜息を吐き出したのだった。



 腰は落ち着けた。カフェの一角に、優芽と小夜は椅子に座って対面している。

 頭と心の方はどうか。優芽は自分に問いかけるように目を閉じた。

(うん。かんぺき。……完璧に動揺してるぅー。あはははは)

 内心に笑ってしまう程度には混乱と焦燥がいっぱいいっぱいでカップを持つ手まで震えそうだ。

 唇を湿らせながら、参ったな、と思う。

 参った。自分はいったい、どれだけ暢気だったのか。

「さっき、泣いてたよね」

「……まぁね。……誰かさんのせいで」

「うぇう」

 変な声が漏れて優芽は慌てて口元を抑えた。

「冗談だけど……半分は」

「あははぁ……」

 小夜の方が気持ちが落ち着いてきたもので、謎に両手の指先をメトロノームにする優芽に対して切り込んでいく。先に仕掛けてきたのは優芽の方だしという言い訳もある。

「もう言っちゃうけど、わたし『先輩』のこと好きだったんだ。ううん、好きなの。中学の時からずっと」

 それから一応は、『先輩』の名前を補足する。いらないとは思っていたし、実際にいらなかったらしいが。

「『先輩』が、優芽に告白したことも知ってる。ま、優芽は隠さないもんね、誰に告られたとか」

「一応……あんまこう、言いふらしたりは、してないけど」

「相手の方も大概、隠したりしなかったから?」

「うん。だから私が変に隠し立てするのも違うかなって」

「で、そこまで本気でもないみたいにも思ってた? 告ったけどダメだったー、とかさ。わかんなくもないけど……そんな普通に明るく振舞われたら、あんま気にすることじゃないのかなって優芽が思うのも、わかんなくもないけど」

 そこで視線が交わる。優芽の視線に、小夜が合わせた。

「でも、『先輩』は本気だったから。それだけは、それだけはわかってよ、覚えててよ」

「わ、わかった」

「はっ、なにがわかったの? ねぇ、さっき、わたしと会ったの、わたしがいたとこ、ねぇ、覚えてる?」

 落ち着いた、と見えたのは事実ではあったが、容易にグツグツと煮え返すのもまた事実だった。

「おぼ、えてる」

 テーブルに乗せたままの小夜の右手から、ぎゅっと音がした気さえした。

「あそこ……『先輩』が探して、見つけて……」

 小夜の脳裏には『先輩』が「なんか雰囲気あっていいだろここ」なんて照れ笑いしている。「春にはな、ほら、見えるか? あそこの桜もいい感じに見えるんだ」と。

 馬鹿な自分が「まぁ、『先輩』にしては悪くないんじゃないでしょうか」なんて言っている。

 そのすべてが、目の前の少女にとってどうでもいいことなのだと思うと。

 馬鹿な自分は、止まれなかったのだ。

 お門違いで筋違いで八つ当たりだ。

 別にそこが、『先輩』のものになるわけじゃない。『先輩』と小夜のものになるわけじゃ。

 そんなことわかっていてわかっていてわかっていて止まれなかった。

 二人で学校を散策した思い出と、『先輩』が肩を震わせて泣いていた記憶が。

 そこにあるものが。

 小夜ではない声の、「お。おそいぞー」なんて笑い声に。

 『先輩』ではない声の、「ごめん……」という謝罪に。

 塗り潰されてしまった気がしたから。

 宇津木小夜は、白木優芽を引き裂いてやりたい衝動を止められなかった。


「けど、もう、いいんだ」

 今日まで、止まれなかった。


「わたし、許せなかった。勝手だよね。優芽がさ、琴樹と……幕張君とあそこで話してるの見ちゃったんだ。二学期の時ね? 少しだけね。そしたらなんか……『先輩』の努力とかさ……なんか、否定されたみたいに思っちゃって」

 小夜の情緒の器は壊れかけている。

 容易く熱し、容易く冷め。

 自分のしたいことを見失い、感情だけが独り歩きしていた。

「別に優芽のせいじゃないのにね。……優芽が『先輩』のこと振ってくれて……う、うれし、嬉しかった、くらいで……」

 本音が罪悪感しか生まない。

 『先輩』の想いが届かないことを嬉しいと思ってごめんなさい。

 『先輩』が泣いてしまうことをよかったと思ってごめんなさい。

 ぐしぐしと制服の袖で目元を拭い、小夜は振り絞って言葉を続ける。

 それを、優芽はただ静かに聞いていた。

「それで、そ、それで……今日、さっき、わたしも、告白して……告白なんて、そんな風にさえ、思ってもらえなかったけど」

 迷走に迷走を重ねてフラフラと運んだ想いは、届くわけがなかった。

 積み重ねがない。という積み重ねだけがあるから。

 小夜の渾身は、『先輩』にとって突然以外の何ものでもなかった。

「わたしが馬鹿だから。何がしたいのかも、わかんない。わかんない。『先輩』のことが好きなのに、好きで苦しいのなんてずっと知ってるのに……。あの日から、わたし、なんで? なんでずっとこんな、苦しいのかわかんない」

 あの日、『先輩』の想いを知ったあの日から。

 あの日、『先輩』の想いが雫に変わったあの日から。

 あの日、『先輩』の想いに泥が被せられたあの日から。

 いつからなのかも小夜にはもうわからない。

 一つわかっているのは、それが優芽のせいだということだけ。

「ごめん。苦しくて。でも、優芽に、優芽が……苦しそうだったり、焦ってたりとか、してると、わたし……ごめんなさい、わたし、少しだけ苦しくなくなって」

 小夜は今この瞬間にも、苦しさが和らぐのを感じてしまった。うすら笑う。

「だから、幕張君に、近付きました。ごめんなさい」

 それきり小夜は項垂れて動かない。

 優芽はミルクティーを味わった。ちょっとした逃避だ。友達が抱えていたものの黒さに慄き、手は震えている。自分の及ぼした影響に怖気づき、手は震えている。

 たっぷり一分も時間をかけてカップをソーサーに戻して、水に手を伸ばす。


 それを、思い切り、ひっかけた。

 パシャッ、と音が弾ける。


 自失状態だった小夜もさすがに驚く。急に頭が物理的に冷えて、目を丸くして顔を上げる。ぱちぱちと瞬きを繰り返して見遣る優芽は、あどけない顔をしていた。

「ムカついたから」

 そう言って腕を組んで鼻を鳴らす。

「勝手に、なに? 私、ただ告白断っただけじゃん。小夜の考えてることとか、『先輩』が本気だったとか……知らないし。てか別に本気じゃなかったとか思ってないし。好きじゃないけど、部活の先輩だよ? 多少はどういう人かわかってるっての」

 優芽は「ということで」と小夜の手を取る。びくりとして引っ込めようとしようが許さない。

「え?」

 急に手を握られた上、その手をなぜかグラスに持っていかれて小夜はとことん意味がわからない。

「握って握って」

 わからないまま促されるままグラスを握る。水がたっぷり入ったグラスである。

「よっ」


 それを、思い切り、ひっかけさせられた。

 パシャッ、と音が弾ける。


「はぁッ!? な、な、なにやってんの!?」

「あはっ、冷たぁ。それであとは、と」

「いやいやいやいや! なんで普通に拭こうとしてるの!? 拭くのは偉いけど! じゃなくて! 当然だけど!」

 主に被った対象は違うが、どちらも優芽が自発的に振りまいた水滴だ。少なからず飛び散ってしまったものを拭うのは至極当たり前だった。

 まず水をかけるなという話ではある。

 優芽は「なにやってんの!?」を連呼する小夜にシーっと静かにするようジェスチャーするが、小夜としてはバカにされた気分ですらあった。

 とはいえ、うるさくしていいわけもなく。声にならない音だけ発して身悶えする。

「うん、まぁ、大丈夫。水だしね、うん」

「あぁ、そう。そうですか。ハァ」

 最早、呆れている。小夜は優芽の作業を少しだけ手伝った。「あそこにも飛んでるけど」と指差すだけの手伝いだった。

 それを「さすが小夜はよく気が付くなぁ」というのは、小夜の考えでは八割方バカにされている。それすらどうでもいい心持ちだが。

「どうすんの? 髪も制服も濡れたんだけど。風邪ひいたらどうしてくれんの?」

「あ。……ご、ごめん」

 そこはごめんなんだぁ……。感慨を覚えてすぐ、小夜は大きく首を振る。やはり自分は馬鹿なのかもしれない。なにを呆けているのか。

 優芽は鞄を取ると小夜に伝票を押し付けて言う。

「とりあえず、うち来ない? てか、来てよ。つか、来い」

「はぁ……わかった。行く、行きます、行かせていただきます」

 そういうことになった。

 会計時、二人でペコペコと謝り倒したのは言うまでもない。

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