第66話 ツーペア
女子バドミントン部は理解のある顧問の下、全国大会出場を目標に掲げ日々練習に励んでいる。
たまには休みもある。理解があるから。
たまには自主練だったりもする。理解があるから。
昨日と今日の話だ。
今日の自主練。シャトルが相手陣内に落ちた瞬間に優芽は腰にガッツポーズを握った。
「うそじゃんそれは」
試合相手にしてダブルスの相方が唇を尖らせるのに屈託ない笑顔で応じる。
「運も実力って言うしぃ?」
実力以上の点差は気持ちの差だった。のびのび、と言うように、試合を終えて伸びをする優芽の精神状態が勘の冴えとして表れている。
それが優芽を至近からのスマッシュに反応させた。
近頃の優芽は事実強いが、ノッテいるだけかもしれないし確かな成長なのかもしれない。どちらなのかを顧問もペアも見極めんとしているところである。
「ま、どっちみち逆転は難しかったろうし……はぁ、わかりました、やらせていただきますよー」
「うん! じゃ、また明日ね! 片付けよろしく、ありがと」
勝って気分がいいというのもあって軽い足取りで去っていく優芽の背中に、仲間として、友人として、相棒として、幸運を祈る。
それはそれとして負けて悪い気分は都合よくやって来た「先輩」にぶつけてやろう。
「ちょぉどいいとこに来てくれました。ちょっとズタのボロに叩き潰させてくれません?」
「……いいよ、やろうか。お手柔らかに頼む」
「なんか、元気ないですね?」
「だからラケット振りにきたわけよ」
よくわからないが、『先輩』に今求めるのはサンドバッグ役だけだ。
〇
スマホを握って暇を持て余す。琴樹が下駄箱の向こうに見遣る空はよく晴れ渡っていた。無慈悲なくらい。
どこで誰が泣いていても青は青のままだ。
律儀と言うべきか不器用と呼ぶべきか。二十分ほど前のこと。メッセージが届いたのは思いがけないことだったが、記された結果は半ば予想していたものだった。
一途なだけで報われるほど、世の中は甘くないらしかった。
こんな快晴に雨に打たれる彼女に、これはどちらの切っ掛けになるのだろうか。
琴樹はほんの二分前に届いた返信を思い返す。
『ごめん。ちょっと大事な用が。どうしても。また明日お願いします』
青い空の下、校門に向かう二人の背中を琴樹は見送った。
〇
驚いたし焦った。そのくせ足は止まった。優芽は教室へ向かう途中に、聞いてはいけないものを聞いてしまった。
階段の上りがけに、どうしよう、と思考が巡る。引き返す? こっそり行く? しばらく待つ?
とにもかくにも音を出さないようにしなければと考える。
今日という日に聞こえる、押し殺した嗚咽の意味は、優芽にもわかる。それを邪魔してはいけないことも。
自分の胸に当てた手を、かろうじて握るのは留まった。そんなことをすれば制服に皺がついてしまう。綺麗じゃなくなってしまう。
弱く小さく息を吐き、声の主の動向に耳をそばだてる。そうして気付く。
知らないはずの声だった。
(え?)
知った声だった。
夏、市民体育館、蒸し暑さ。
半年も前のことなのに、鮮明に思い出せてしまったその声と、いま聞こえるものは違うもので、似てもいないのに。
(小夜?)
その声の持ち主だけはなぜかわかってしまった。
「あ」
決勝、歓声、蒸し暑さ。
そこは優芽が琴樹を知る前に、約束をした場所。
そこは優芽が『先輩』に、思いを告げられ、拒絶した場所。
手に汗握る接戦に感動しただけではなかった。
あと一歩の悔しさに感化されただけではなかった。
優芽は気が付いてしまった。
優芽はもう動けなくなってしまった。
そこから彼女が動き出すまで、動けないままでいてしまった。
「ゆ……め……」
「小夜……」
世界中の誰に訊いても正解はないことだけは、間違いなかった。
どうしよう、の意味合いも持つ意味も大きく変わってしまった状況で、優芽の決心は早かった。
もう一度、今度ははっきりとしっかりと相手の名前を呼ぶ。その強さは小夜から逃げ腰を奪うに充分だった。
「あの、その」
呼んだはいいが先が続かない優芽を見下ろしながら、小夜は痛いくらいに拳を握り込む。
「待ってよ。待って。……ねぇ、いまから時間……ある?」
頷いて「うん」と答える以外の選択が優芽にあろうはずもなかった。会いたい人に会う前に、話すべき人と話すべきだ。今までのこと、今日までのこと。
顔を洗ってくるという小夜が戻ってくるまでの間に、優芽は大事な用だと文字を起こして送る。
少しだけ、集合場所を下駄箱前から教室に変えた琴樹に、少しだけ恨み節も込めて。
〇
さて空いた放課後をどうしようか、と自分のことだから気楽に考えていた琴樹は、思いがけず友人と合流することになった。
殊更にのんびり靴を履き替えていた甲斐があったというものだ。
「そうだ。ほら」
缶を投げ渡す。
「お、なんだなんだ、気が利くねぇ」
受け取った仁に「温くなってんのは勘弁な」と一言付け加えておく。
「ま、おっけ。そんくらいは。ちなそっちのは?」
「同じだ」
琴樹が掲げて見せるカフェオレはそっくりそのまま仁の手の中にあるものと一緒だった。
「そこは違うの買っとけよ」
「いいだろ別に」
仁のために用意していたのではない。というのを仁もわかっているから追及はしない。こんな時間まで何をしていたのかも訊かなかった。
「仁……俺は映画観に行くけど、どうする?」
「今日かよ」
「今日だよ」
顎に指を添えて考えるふりをしてから仁は琴樹の誘いに応じた。
「あ、恋愛映画はなしな?」
「当たり前だろ。誰がおまえと恋愛映画観に行くかよ。しかも今日」
「おうおう言ってくれやがる。で、なに観んの?」
「あー……やっぱゲーセンでいいか?」
「早変わりすぎんだろ! ……映画よりゃいいか。今日は勝たせてもらおっかなー」
「いいや今日も俺が勝ち越させてもらう」
「いやいやオレが」
「いやいやいや俺が」
結局、この日は三勝三敗の引き分けと相成った。




