第63話 煌々たる
煌びやかなんかじゃないとわかっている。
でもかといって、くすんでいるわけでもない。
宇津木小夜という人間と生き方が、敷き詰められた歯車のただの一枚なのだと、わかっていたはずなのに。
平凡な容姿と凡庸な中身、語るべきところのない全て。こんな浅い自虐すら、特別なものじゃないんだろう。
そう思うことすらありふれているはずだと小夜は思う。
億もいる内の一人でしかない自分。
ならこの痛みも億回も繰り返されているのだろうか。
「俺、告白してみるわ」
中学の時の『先輩』だ。小夜の一学年上で、同じバレー部、だった。
今は違う。今はバドミントン部、『先輩』が。小夜自身はバレーを続けている。
いつか「なんでバドなんです?」なんて訊いたら「なんとなく」と言っていた。ならば自分も、なんとなく、バドミントン部に入ればよかっただろうか。
そんなことはないと今はつくづく感じる。
追って学校を選んで、そのくせ半端に追いきれなくて、よかった。
「白木さんに、告白してみる」
『先輩』からすれば同じ部活の、小夜からすれば同じクラスの。
煌びやかな人。
〇
「びっくりするだろ。急に顔近づけるなって」
小声で文句を言う琴樹に小夜は「ごめんごめん」と返した。そのくらいで大抵のことを許してくれると経験則があった。
「まぁ、悪い気はしないからいいけど……ニヤつかれるのは違うけどな」
「ごめんってば」
「あんま揶揄ってくれるなよ」
琴樹はゆっくりコップを傾ける。
「あとこことかもわかんないんだけど」
「ほんとにわかんないのかぁ?」
眉間に皺を寄せる琴樹は小夜の小さな舌打ちを見逃さなかった。皺が薄くなる。
琴樹の知る小夜は、テンション低めに何事もほどほどに取り組む姿勢だ。今日ほど楽し気な姿ははじめて見る。もっと親しい仲や同性になら別として、琴樹にははじめてなのだった。
相談事はどこかへ吹き飛んだが、とりあえずは了承された食事をいただく。といっても奢りは一品だけで、サイドメニューは自腹だ。
「ごはん食べられなくなるよ?」
「チビどもと一緒にしないでもらおうか。てかこれが晩御飯だからいいんだよ」
冗句の類ではあろうが、小夜の弟妹や親戚の子たちと一緒にされるのは流石に釈然としないものがある琴樹だった。
シンプルなリゾットを掻き込む男子を見ていてもつまらない。小夜はまた優芽の様子を窺おうとして、三人が腰を浮かせるところだった。
「あ」
声が漏れて、それで気付いたのは琴樹だけだ。
「じゃ、お先~。……こほん。いちお訊いとくけど、アレな関係じゃぁ、ないよね?」
希美の質問に小夜は返答を少し迷った。その間に横目に確認した琴樹が見せる目に、これ以上の戯れは断念する。
「まさか」
「だよね~。でもなんで二人でごはん?」
「最近、勉強教えて貰ってるし、そのお礼、かな」
「あ~なるなる。ええ、じゃあ優芽もお礼とかした方がいいんじゃない?」
「私? でも、それはもうしたし」
二学期の期末試験に対策として立ち上げられた会は、主に面倒を見る側に回った琴樹と涼を慰労して締め括られている。その時にはカラオケだった。
「そっか。じゃあ小夜、また明日ね。幕張も~。明日がっこで噂立ててやるからな~」
「やめろ。面倒を増やすな」
「およ?」
席を立っているから、通路に料理を運ぶ店員の邪魔になりそうにもなる。他にもドリンクバーに向かう他のお客さんとか。
話し込むタイミングではないと言外に示されたような気分で希美は口を噤んで、代わりに文が改めて別れを切り出した。それで話は終わり。
三人を見送った後で琴樹は気を取り直して切り出してみる。
「相談、しとくか?」
「ううん。やっぱまた今度」
言われて琴樹は一瞬考える。予想が当たっているとすると、猶予は少ないはずだった。
「いいけど……いつにするんだ?」
「月曜日に、時間ある?」
「学校で? 放課後だと、バイトあるからそんなに時間取れないぞ」
「学校でいいかな。適当に声掛けるね」
琴樹が承知すると、小夜は一言付け加えた。
「バレンタインの、相談だから」
「了解です」
それは来週火曜日のイベントだ。
一日前にどんな相談をされて何をすることになるのか、琴樹にはわからない。
目の前の暗い瞳をした少女が、『先輩』に対しどうアプローチする気かなど。
あるいは、クラスメイトに対して。
「さっきのことだけど、本気じゃないのにあんなこと言うもんじゃないぞ」
「本気にしてくれてもいいよ」
「だからそういうところが」
良くないのではないかと指摘しようとして、琴樹はもう一度思い返す。
ついさっきのこと。
近づいた顔、耳元に寄せられた口元から囁かれた、全くつまらない台詞が、本心からのものでないのはわかりきっている。
気軽にではないが、小夜の口からよく聞く存在のことを問えばそう固くなく教えてくれたのだから。
琴樹はリゾットの最後の一口をよく味わってから内心にだけ続けた。
(まぁ、いいや)
どうせ彼女以外はどうでもいい。
〇
店を出てすぐ優芽は、パン、と頬を張った。自分で自分の頬をだ。友人二人が驚くのも気にせずもう一度。
「うん。よし」
駅へ向かうために歩き出して、慌てて横に並んできた希美から突っ込まれる。
「いや何が! 勝手に納得すなー! なに、なにがよしなん?」
「気合入った」
「それはどういう意味で?」
文に訊ねられて、優芽は空を見上げて、どう言ったものかしばし黙考した。
「はっきりさせなきゃって思ったんだ。ちゃんと」
上ばかり見ていたら足元が疎かになる。地に足ついていない自分では駄目だと思った。
「希美なんかは、何回も言ってくれてたけど……私、やっぱり琴樹のこと……こと……」
「こと?」
「こと……」
「こと?」
「こ……こ、こと……」
希美が急かしても文が促しても歯切れの悪い優芽の背中を強めの衝撃が襲った。打ったのは希美の右手だ。
「んぁあーじれったい! 好きってことね? そういうことなんですかんな?」
「「なんですかんな?」」
「そこはスルーしといて! とにかく優芽は幕張のことが好きだと、それをお認めになられる所存なわけでしょ?」
「す、好きっていうか、好きかどうか、ちゃんと確かめてみようかなってだけで。……別に! 好きと決まったわけじゃ、ないし? みたいな? 感じの? と、とりあえず友チョコでこう、お試しをという」
「んぁあーじれったい! わかったわかった! はっきりさせんのね? 幕張のこと好きかどうか、自分の気持ちをはっきりさせると、そういうことな!? チョコを渡してみて、その時の、のぉ……感情的なアレで」
「う、うん、まぁ、そんな感じ……」
「いいじゃんいいじゃん! てかわたしに言わせれば好きだから、はっきりきっぱり大好きってレベルだから! かぁー、いまさらそこからかぁー」
「ちょ、ちょっと希美、声、声大きいって」
広めの歩道に人通りは少ない。視線を走らせても見知った顔はない。だからといって自分の感情をひけらかされたくはない。
優芽が希美の口を塞ぎにかかるのを、文は一歩下がって見守る。そうして広く視野を持とうとすると、空だってよく見えるのだ。
二人と空と。
煌めくものがある。雲に隠れるものも。煌めきに、霞む星も。




