第61話 第二回
「ではこれより、第二回白木優芽尋問会をはじめます。司会はわたくし篠原希美が務めます、よろしくどうぞ」
「……またやるのこれ」
希美の発言に呼び起こされるのは二学期、十一月某日に教室で繰り広げられた、というには極々短い時間だけだったが、兎にも角にもしょうもない悪ふざけの記憶だ。
あの時と違ってファミレスのテーブル席であるから、変に目立つわけではないのは優芽にも文にも救いではある。希美の反省は場所と、それから声量にも表れていた。
メンバーは一人減って三人で、学校おわりに特に目的もない時間を過ごしていたところに希美が投じた一石だった。
「二人とも気付いてないかもだけど……もうすぐバレンタインだよ!?」
「いやいや知ってるし」
優芽が応じ、文はまったく別のことを内心に思う。希美がまた眼鏡を、それも第一回の時とは異なるものを付けていることに、変なとこ準備良いなと感心したりもするのだった。
「ふむふむ。なるほど。わかっていると」
希美が腕組みして何度も頷く。瞑った瞼の裏に浮かべているものがなんなのか、はたまた何を思うこともないのか、文には想像することしか出来ないことだが。
「じゃああぁ……用意しますか? しませんか? 優芽は、どっちなんだい?」
茶化すような調子に乗せた確認。それが希美の精一杯だった。
「うーーーん」
長い躊躇いと沈黙の後に優芽は「感謝の証、みたいな?」と意味もなくミルクティーを掻き混ぜる。
「友チョコ?」
言って、文はすぐに失敗だったと思うが、それすら遅かった。
「そうそう! それ!」
自分の発言に全力で賛同する優芽の声と、非難がましい希美の視線とを浴びてしまい、自分の迂闊はコーヒーの苦味に洗う。
「希美と文にもあげるね。友チョコ」
「んじゃ、わたしもあーげよっと。友チョコ」
「友チョコ」
体裁の言葉が三人を巡った後、クッキーを頬張った希美がテーブルの縁を人差し指で軽く叩いた。他の二人が気に留めないような小さな音だけ。
「クッキー一個もらってい?」
「どぞー」
機嫌良く手を伸ばす優芽がクッキー程度で顔を綻ばせるから、希美の表情にも笑みが伝染する。苦笑の成分が混じり込んではいる。
「じゃ、尋問の続きね。優芽って最近、幕張と遊んだ?」
それは少しばかり気晴らしのような八つ当たりのような。優芽が咳き込むことも希美は織り込み済みだった。
「友チョコ渡す相手かなぁって思うんだけど?」
「べ、別に幕張にもあげるとか、言ってないじゃん」
「うん、だから思ったんだけど。あげないならあげないでいいけどぉ」
「……あげるし。友達だもん」
「ですよねー。浦部とかにもあげるしねー。最近は、遊んでないよね男子と。なんか女子は女子、男子は男子みたいに集まってばっかだもんね最近」
友人らの会話を聞き流し、涼が居てくれれば楽なのに、と考えつつ、文は、男子にあげる場合は友チョコではなく義理チョコになるのではなかろうかとふと思う。
そんな疑問を口に出せば希美は同意するようにうんうんと頷くが優芽は難色を示す。
「義理は……義理じゃん、なんか……仕方ないからあげるみたいな感じしない?」
「えーわからんよ。同性には友チョコで男子には義理チョコっていうそういう、ただの呼び方の違いじゃないの?」
「男の子にも、友チョコでいいんじゃない? それなら」
「や、知らんし。うぅん……義理……はさぁ、なんていうか……まだこう、恋愛までの途中、や、違うなぁ……可能性? みたいなあれがあるじゃん。今は義理だけど、本命になることもなくはない、みたいな?」
「友達にもあると思うけど、可能性」
「友チョコ渡したらそれこそそれで……固定っぽくない? 君は友達でーす、って。可能性はそりゃゼロってこたないだろうけど、とりまそこで線引きみたいなさぁ」
優芽が友チョコと言おうが希美が義理チョコと呼ぼうが、大して違いはないのではないかと思ってしまうから、文はしばらく聞き手に徹することにした。それにこの場で唯一無関係でもある。論争が白熱くらいで収まるように見守っていた方がいいだろうと判断したのだった。
「義理の方があれじゃない? 義理チョコにも色々あるけど……あるからか。私的にはクラスの男子みんなにあげるくらいの意味の義理チョコなんだけど、希美ってもう少し近い男の子だけにあげる感じ?」
「あー、ね。幕張でしょ、浦部でしょ、あと只野とか原とか? 部活の人にはもちろんあげるけど」
希美が指折り数えて挙げる名前は、優芽から見ても特に仲がいいと感じる男子のものだ。
「義理……義理かぁ」
「優芽は義理チョコバラまく気だったんか」
「バラまくって……まぁ、そうだね、ついでだし」
「ちなみに、友チョコとしては誰にあげるわけ?」
「ん、ん」
優芽は希美と文を指差した後に続ける。
「涼、幕張。それと希美とおんなじ、部活とか」
互いに部活動における交遊は別にある。だから名前は出さなかった。他にもいる『とか』も同様だ。
「……尋問の続きなんだけど、結局どう思ってんの? 幕張のこと。や、芽衣ちゃんのあれこれとかじゃなくってね? それはもういいからさ。優芽って、どう見たって……好きじゃん、幕張のこと」
「好きとかじゃないってば。なんだろ、ちょっと他の男子と……接し方というか話し方……関わり方? 言葉にするのはちょっと難しいけど、他の男子とは違う風に見てるのは認めるよ? でもだって、それは仕方ないと思うんだよね。それを好きとかいうのは、ほら、違うじゃん? 例えばそうだよ、幕張が女子だったとしても、やっぱり特別だったもん。うん」
ミルクティーは温くなっていた。優芽は両手で包んだカップの水面に目を落とす。
「それに、幕張はやっぱ、舞さんのこと忘れてないし。たぶん……ずっと忘れないんだと思うし」
その名前は今や希美や文、一年一組の多くが知るところとなっている。事の詳細とは言わないまでも、過去の人という事実と共に琴樹自身の口から度々語られる故に。
それを、西畑文は歪だと感じる。
こんな歪の原因だとも、思うのだ。
「でも忘れて欲しいわけでも……ないでしょ? 優芽だって」
「え、当たり前じゃん。忘れて欲しいなんて、それはひどいって。思わない思わない」
文が問い、優芽が答えて、希美は唸る。「んんん」と声を上げ、希美は考える。
こんな現状を、どうすればいいのか。優芽にも自分にも荷が重いのではないだろうか。誰でも何でもいいから、この状況を打破してくれないものか。
そんな願いはすぐに叶えられることとなった。その願いだけ。
「あれ……わ、偶然」
四人目の声。
「ほんとだな」
五人目の声。
「女子会? ごめん、隣使うね」
通路を挟んで向かいの席にやって来た男女を、三人が三人とも声も出せずに見詰めた。
「えーと? いちおう言っとくけど、あんま……見せちゃいけない顔してるよ」
席に着く琴樹に聞こえないように近づいて指摘してくれる小夜に、感謝していいのかどうか迷う優芽と希美なのだった。
「そんな慌てて引っ込めるほどひどくはないけどね」
見せちゃいけないなんていうのは言葉の綾だ。半分は揶揄う意図が見事にはまったから、小夜は小気味よい気分を顔にも出しておいた。
「こんばんは、小夜さん。他にも、あとから来るの?」
「文こんばんはぁ。来ないよ。二人きり」
そう言って小さく見せたサインが、二人を表すのかピースなのかは、踵を返した本人のみぞ知る。背中や横顔に本心を窺い知るには優芽たちの経験値が足りていなかった。




