第59話 謹賀新年
早朝にして人混みと呼べそうなほどの人口密度を外から眺めつつ、琴樹はコートのポケットに手を突っ込んで歩道の隅に突っ立っていた。
早いところ手袋を買おうと決意するくらい、元旦の気温は肌身にしみる。
スマホがかつてないほど通知を鳴らしてから8時間が経っていた。
家から多少歩いて、それなりに大きめの神社に待ち合わせをしているのだ。待ち人は二人で、姉妹だ。
「おねえちゃん、いたー!」
声に琴樹は笑みを浮かべる。顔を向けなくたってそこにいる人物はわかる。
「ほんとだね。とと、あんま引っ張らないでってば」
「はやく、おねえちゃんはやくぅ」
わかっているからといって、衝撃を受けないわけではないと琴樹は思い知らされたわけだが。
「お、おはよ。えと……明けましておめでと、琴樹」
「あけましておめでとうございますっ!」
着物姿の白木姉妹に琴樹は少しの間、瞬きしか出来なかった。
「おにいちゃぁん? ん?」
芽衣が不思議そうに首を傾げる。
「あ、あぁ、ごめん。芽衣ちゃん、優芽、明けましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございますっ」
改めて芽衣の高さで二人、頭を下げ合って、抱き着いてこようとする芽衣を琴樹はどうにか押し留める。
「お着物が崩れちゃうからね。今日は抱っこは我慢しようか、できるよね? 芽衣ちゃん」
それはどちらかというと琴樹が今の芽衣を抱き上げるのを恐れてのことではあった。
「おお……うん! めい今日はだっこしない」
いい子だ、と髪を撫でることも出来ない。「似合ってるよ。可愛いね」とそんなことを言うくらいしか。
それくらい芽衣はしっかりと着付けられているし、それは姉の方も同じだった。
「優芽も、似合ってる。そんな綺麗にしてくるとは思わなかったから、わるいな、俺の方は普段着で」
「べっ……別にぃっ?」
「おねえちゃんねぇ、ずっとね、「ことき、どう思うかな」って、言ってたんだよ」
「言ってないっ! 芽衣! ちょっと何言ってんの!? 変なこと覚えてなくいいからっ」
琴樹は触れるのも遠慮したものだが、優芽はがっつり芽衣を捕まえにいく。妹の口を塞いで、しーっ、とジェスチャーするのにコクコクと首肯が返ってくるまで放さなかった。
「ふぅ、まったく? 芽衣はまだ寝ぼけてるのかなっ」
「そんな誤魔化さなくっても。特別に仕立てたら他人の目が気になるのは当然のことだと思うよ」
「……うっさい、ばーか」
「ばーか」
芽衣まで姉を真似する始末で、琴樹は優芽からの罵倒と脇腹へのチョップに文句を言う。
「教育に良くないぞ」
「どの口が言ってんの?」
「いやこの口」
琴樹としては至極真面目に返したつもりだったが、優芽がひどく冷めた目付きをしたので降参しておいた。
「ほら行こ。ね、芽衣も早く初詣したいよね」
「はつもーでー! めい、はつもーでーします! あけおめ!」
「あはは、あけおめ~」
手を繋いで歩き出す姉妹に追いついて、琴樹も芽衣の、優芽と繋いでいない側の手を取る。
楽しそうに石畳の切れ目を足でなぞる幼女を間に、姉に訊く。
「髪、染め直したんだな」
「ん……前の感じに戻してみたんだけど……ど、どうかな?」
「あぁ、すげぇいいと思う。ほんとに。好きだよ」
それは入学当初に近いもの。
「俺はその髪色、好きだよ」
金色に近いような茶色。懐かしき髪色に琴樹は目を細めた。
「あ……ありがと」
頭の上のやり取りに、芽衣は二人から視線を外して笑みを浮かべる。
もうすぐ目の前に初詣が待っている。
〇
三人が三人とも秘密の誓いを立てた後、おみくじに先一年を占う。
「きちー。おねえちゃん、めいよめない! よんで!」
「はいはい。って末吉じゃん」
「すえちー?」
「末吉。えーと……」
「いっぱい頑張ったら、いいことありますよってさ」
「がんばったあ? がんばあなかったら、だめですか?」
「駄目だぞー。頑張らなかったら……芽衣ちゃんが悲しいって思うことがあるかも」
「ひぅっ、め、めい、がんばいます! がんばいますするから、おねえちゃんとおにいちゃんがいっしょじゃないになうのは、やだ、なんだよ?」
「ごめんごめん。大丈夫だよ。俺は芽衣ちゃんたちから離れないから」
それはもちろん、勝手には、ではあるが、琴樹は芽衣の両手を取って小さく揺らした。
「おねえちゃんとも? おねえちゃんともはなえない?」
「ああ。もちろん」
「りょうちゃんとは?」
「涼? ……そうだな、涼も一緒に。ずっと一緒だ」
芽衣が頬を膨らませる。琴樹は、あれ? と内心に首を傾げる。
「むううううう」
ペシっと手を離されて早速悲しい思いの琴樹だった。
芽衣は優芽の脚にしがみついた。
「おねえちゃん。こときおにいちゃん、だめなおとこのひとかも」
「ん、よしよし。そうだね、琴樹はかんっぺき、駄目な男の人だね」
姉妹で過程は異なるものの結論は同じだった。
納得のいかない琴樹ではあったが、ひとまず抗議は飲み込んで折り曲げていた膝を伸ばす。
「とりあえず、おみくじ結びに行こうか」
〇
いくつか設営された出店を回って、境内のベンチで小腹を満たす。
「そうだ、お父さんから伝言ね。「是非、直接に顔を合わせよう。出来るだけ早く」だって」
「うーん……「わかりました」って伝えといてくれ」
優芽が暢気な調子で「わかった」と言う傍ら、琴樹は少々気が重い。
クリスマスの三日後に出張を終えて白木家に戻ってきた父親とは、通話越しに面通しはした。それだけのことでも背筋を伸ばした琴樹であり、それが直となると胃薬でも用意しとこうかと本気で思うのだ。
がっしりと筋肉質の大柄かつ貫禄たっぷりの、まさしく家長といった風貌と威厳の男性というのは、十五の少年には些か荷の重い相手だった。良い人というのは、短い会話にもわかっちゃいるのだが。
「こときおにいちゃん、つかれたの?」
「そんなことないよ。ほら、元気」
丸くなってしまっていた背中を立たせて、琴樹は芽衣に元気アピールをする。
ついでにタコ焼きの最後の一つを頬張った。
「なんならこのあとうち来る?」
「……や、はは、それは……ほら、元日に急にお邪魔するのは気が引けるし、な」
「なんでそんなビビってるのかなぁ? お父さん、別に怖くないよ?」
(そりゃ白木さんたちには、そうなんだろうけど)
芽衣と琴樹、優芽と琴樹の関係や出来事は伝えられていて、それについては丁寧に感謝の言葉を貰ってはいるが、それに続いたのは「それはそれとして」と鋭い眼光だったから、琴樹はどうしたって気乗りしない。
「せめて、そうだな……三学期入ってからで頼む」
「ま、いつでもいいよ。お父さん、いつでも空けるって言ってたし」
それがマジっぽいのが逆に怖いんです、と言いたい琴樹だった。
甘酒も飲み切って、白木姉妹がりんご飴を食べ終わるのを待つ間、琴樹はずっと優芽を見ていた。




