第57話 幼女の中では確定事項です
街灯と家々から漏れる明かりを頼りに住宅街を歩く。琴樹と涼の他に人影はなく、雲がかかった空は予報では深夜から雨に変わるはずだった。
念のために持参していた折り畳み傘の出番がなさそうなことに小さな安堵を覚え、琴樹は並ぶ肩に声を掛ける。
「今年ももうすぐ終わるな」
十二月の半ば。年の暮れに夜を散歩すると感傷的な気分になる。それは単に一年の終わりであるということもそうだし今年、今日に限っては特になのだと琴樹自身、理解していた。この時期に誰かの誕生を祝ったからだとわかっていた。
おかげでどうにも静寂に耐えられなくて話し掛けたのだ。
「そうですね。もうあと二週間。それもきっと、あっという間なのでしょう」
涼が吐く息だけは少し白くなっている。
「期末試験と芽衣ちゃんの誕生日が終わって……」
それは今月に入ってから今日までにあった大きめのイベント二つ。
期末試験の結果は週明けに返ってくるが、琴樹も涼も不安はない。
「ふふ。優芽も今回はそれなり以上の点を取れればいいのですけれど」
「取ってもらわないと困る」
涼の言うそれなりは平均を大きく上回る水準だから、もしこの会話を優芽が聞いていれば「ハードル上げないでよ!」と抗議したはずだ。実際に、期末試験に向けた勉強会で似たような文句が何度か叫ばれていた。
校外学習に班を組んだクラスメイトを中心に、共に勉強に励んだ週がある。その成果と思えば、琴樹としては小学校以来となる他人の成績も気になるテストである。
「ええ。せっかく私や幕張君が頑張ったのですしね」
涼はもう一度くすりと笑い声を落として続けた。
「来週には終業式……クリスマスパーティには、本当に来られないのですか?」
「まだ……今年はな。そんな急に色々、変えられないわ」
「そうですか」
終業式のすぐ次の日に、クラス規模でクリスマスパーティが企画されている。発案は所謂陽キャなタイプの生徒たちで、男子なら浦部仁や彼の友人たち、女子なら篠原希美を中心として、どうせならでクラスメイト全員に声が掛かったのだった。
とはいえクリスマスイブの昼~夜となると、一部には予定の合わない者もいる。琴樹もその一人、と言っても具体的な用事があるわけではないが、方便ということで適当な用向きをでっち上げてあった。
優芽や涼に語ったところで、急に過去を割り切れるようにはならない。
いなくなった人の誕生日を祝うような事はしなくても、思い出が色濃すぎる日に琴樹が笑って過ごすには、まだ少し時間がかかりそうだった。
〇
普段ならば床に就く時間の、その少し前に芽衣は目を覚ました。すぐに寝室をでてリビングに向かう。
「あらら。おはよう芽衣」
母の早智子が「起きちゃったか」と困り顔をするのに構わず、いつも通りになってしまったリビングの様相に眦を下げて唸る。
「うぅう。こときおにいちゃんとりょうちゃん、かえっちゃったのぉ?」
「そうよ。ほら泣かない泣かない」
「めい泣いてないもんんん」
ぐすりとしゃくり上げて、芽衣は抱き上げられるに任せた。母の胸にごしごしと頭を擦りつける。
「また遊びましょうねーって。おにいちゃんも涼ちゃんも言ってたわよー」
そうして少しの間あやされて、お誕生日会が終わってしまったことを受け入れた芽衣は、今度はきょろきょろと首を回す。
「おねえちゃんはぁ?」
「お風呂入ってるわよ……いま入ったところだから、芽衣も入る?」
「はいる! おねえちゃんといっしょ、おふお!」
ということになった。
自分の着替えを準備して脱衣所に向かい、曇りドアの向こうに「おねえちゃん!」と呼びかける。
「めいもいっしょにおふろはいっていいですか!?」
「いいよー。ちゃんと着替え持ってきたー?」
「あります!」
芽衣がピンクのパジャマを掲げるが、当然ながら優芽から目視はできない。
「じゃ、おいでー」
バッと服を脱ぎ散らかし、そのままにしておくと怒られるからいそいそとカゴに入れて、芽衣は姉の待つお風呂に突入したのだった。
頭と体を洗って湯船に浸かり、まずは誕生日会の話をする。
「楽しかった?」
問われるまでもない。「いちばんたのしかった!」に決まっている。
プレゼントのこと、お料理のこと、お部屋の飾りつけのこと。それに自分も綺麗にお洋服を着せてもらって髪を可愛くしてもらったこと、色んなお話をしたこと。
のぼせるからとリビングに場所を移しても芽衣の口は止まらず、興奮は冷めやらず、いつもならば「もう寝なさい」を言われる時刻を一時間も過ぎてから、芽衣はそれをおねえちゃんに問いかけた。
「おねえちゃんは、こときおにいちゃんと、いつごけっこんするんですか?」
「……はいはい、ドラマの影響ね、ドラマの。いつも何も、しないに決まってるでしょ」
優芽は冷静に返して、ミルクティー入りのコップを手掴みして「あっつ!」と手を引っ込めた。
「おねえちゃん、おてて!?」
「大丈夫大丈夫。ふー。うん、ほんと、大丈夫」
中身は零れなかったし、右手の方も変に赤くなったり腫れてもいない。
「一応冷やしときなさい」
同じテーブルを囲む母親に「ん」と返事をして優芽は台所に向かう。
となると芽衣の相手も自然、母の早智子がすることになる。
「芽衣は、優芽おねえちゃんと琴樹おにいちゃんに結婚して欲しいの?」
「んーん」
芽衣は首を横に振った。
「してほしいいんじゃなくってね、するんだよ? だってめい、おねがいしたもん」
その確信は優芽には聞こえなかったが、早智子の記憶を一つ呼び起こした。
『ずっといっしょにいられるおねがい』は、優芽が芽衣の年齢の頃に、自分と夫が受け取ったものだ。
ずっと一緒に居るママとパパが、ずっと一緒に居られるように。
なるほどそれは生涯を共にする誓いに似ている。
「……でも、りょうちゃんにもあげたわよね? お花。おねえちゃんとりょうちゃんも結婚するの?」
「おねえちゃんとりょうちゃんが? なんで? ごけっこんは一回だけっててえびで言ってたよ?」
「それは、そうね。……えーと、つまり」
早智子は水を流しながらスマホを見ている娘を一瞥した。
「おねえちゃんとおにいちゃんはご結婚して、おねえちゃんとりょうちゃんはずっとお友達ってことかしら?」
「そうだよぉ。そしたあおねえちゃんうれしいかなぁってね、めいね、おねがいしたの。おねえちゃんうれしいと、めいもうえしーかあ」
どうやら今夜はこのあたりが芽衣の限界らしかった。
うつらうつらとしはじめた芽衣が椅子から転げ落ちてしまう前に寝室に運んで、早智子がリビングに戻ると優芽もテーブルに座り直していた。
「芽衣、寝たんだ?」
「ええ。……ところであんた、実際のとこ幕張君とはどうなの?」
「またそれぇ!? だからなんでもないってば! お母さん嫌い!」
ふん、と体ごとそっぽを向いて優芽は言う。
「琴樹は……ただの芽衣の恩人なんだから……」
(それだけ、だから)
だから、気にしてしまうのは仕方のないことなのだと、優芽はそう声を大に主張したい。




