第56話 幼女は祝われる
好きなモノがあると嬉しい。
そこにあってくれるだけで嬉しいし、手に入れて嬉しい。
食べておいしくて、見て面白くて楽しい。
そんな好きを全部集めたら人はどうなるか。こうなる、といういい例が今の白木芽衣であった。
「んへへへへ。んふー。ふふ~」
子供用の小さな椅子に座り、上下左右に揺れている。忙しない両の手がローテーブルを叩いてしまわないか、周りの人たちは少しだけ心配していた。
芽衣は大層おめかししている。外に出るわけでもなく、自宅のリビングに過ごすだけだが、漆の髪を綺麗にセットしてもらって、一番のお気に入りのピンクのお洋服を着て、どんな日よりも着飾っている。
白木家のリビングは、常の質素な趣とは異なる空間となっている。芽衣に負けないくらいに飾り付けられ、日常のスペースは特別な場に変貌していた。それは、両親の寝室で釘付けになってアニメ映画を視聴してリビングに戻った芽衣が、目を見開いて感動したほどに。
テーブルの上には芽衣の好物がいくつも、たくさん、全部並べられている。
囲むのは母と姉と、姉の友人かつ芽衣の友人でもある人、それとおにいちゃん。
お誕生日席に座った芽衣は、頬が紅潮するほどの嬉しさと喜びに包まれていた。
響くのは芽衣にとってなにより大好きな声が、それも四重で。
お誕生日おめでとう!
〇
芽衣が願いを託した押し花を三人に渡した日から、二週間が経っていた。
三人に、だ。
おねえちゃん―白木優芽、と、おにいちゃん―幕張琴樹が一緒に居てくれることが芽衣の幸福であるように、おねえちゃんとりょうちゃん―黒浜涼が一緒に居てくれることもまた、芽衣にとってとても大切なことなのだ。
「私は……」
一旦は受け取るのを断ろうと、心中にだけは思った涼だったが、無垢な眼差しを相手にそんな選択を取れるはずもない。一瞬の躊躇の後に一輪花を両手に迎えた涼を見て、芽衣は底抜けに明るく笑みを浮かべたのだった。
そういう日から、二週間たった今日、白木家では白木芽衣の四歳の誕生日会が催されている。
ハッピーバースデーを四人、主役も喜び余って途中から参加したから五人で歌って「りょうちゃんおうたおじょうず!」に涼が芝居がかって首を垂れた。
芽衣から向かって、近い順に、左手側に母と姉、右手側に琴樹と涼が座っている。
本来ならこのどこかに白木家の父親も居るはずだったが、出張が長引いて参加出来なかった。琴樹には少し助かることではある。優芽から「普通の父親って感じだけど」と聞いて、涼に確認して返ってきたのが「……頑張ってください。優芽のお父さんは愛妻家で酒豪で娘二人を溺愛していますから。そうそう、悪い虫は徹底的に駆除すると言っていましたっけ」だったから。
琴樹は、話の詳細とどんなタイミングで聞いたのかを、怖くて深追い出来なかったのだ。ちらりと窺った涼の顔に、そんな数日前の会話を思い出していた。
それを、芽衣は目をぱちくりと瞬かせながら見ていた。
誕生日会は至ってありふれた内容だ。気心知れた人を集め、母の手料理に舌鼓を打ち、誰かが語る芽衣のエピソードに頬を緩ませる。
もちろん、母―早智子を筆頭にプレゼントだって用意してある。
「えーがとお絵本だぁ!」
「いっぱい見て聞いて、たくさん学びなさい」
「うん!」
娘と女児向けアニメを視聴する内、案外と悪くないと思いだしている早智子であった。情操教育と言うと堅苦しいが、娘の心の成長に、元気と勇気と優しさの指標があるのは、悪くない。
「お母さんってばこんな時にもお勉強なんだもんなぁ」
芽衣には届かない小声で母親を突いた優芽は「あんたもアニメのキャラくらい勇気出しなさいな」と手痛い反撃を貰った。
直近数話、アニメのとある女の子キャラクターは同じクラスの男の子の一人と仲良くしようと奮闘中だ。
「だからちが」
「ほら、芽衣が待ってるわよ」
順々にプレゼントを贈る段取りで、母親からの贈り物を大事に大事にお膝の横に置いた芽衣は、ワクワクとした顔で姉、優芽を見詰めていた。
こほん、と一つ咳払いで気を取り直して優芽は白い箱を妹に差し出す。
「私からはこれね」
「あけていい!? これもあけて、いいですか!?」
「いいよ」
の、二回目の『い』のあたりで芽衣は包装を剥がしはじめている。頑張って綺麗に、でもやっぱり多少は破いてしまいながら、小さな箱の外装を取り払う。
そうして包装紙が三つ、映画のものと絵本のものと今手に持つものの三つが丁寧に畳み積まれて、芽衣はバっと、思い切りよく箱の蓋を持ち上げた。
「あー! てうくろだー!」
濃いピンクのクマをあしらった、薄いピンク色をした手袋。
「ほら、これと合わせてね」
優芽はこっそり準備していた芽衣のお気に入りの鞄も渡す。
そのまま外に出られるくらいにはめかし込んだ芽衣だから、立ち上がって鞄と手袋を装着してもおかしくはない。
「うんうん。似合ってるよ」
「えへぇ。ほんと? めい、にあってう?」
優芽にもう一度「似合ってる」を貰って、芽衣は母にも琴樹にも涼にも訊ねて回った。そのたびに「可愛いわよ」と、「よく似合ってるよ」と、「お姫様みたいですよ」と、褒められてご満悦だ。
「きょうはこれでねる~」
というのは、流石に認めがたいが、早智子も優芽もこの場はスルーしておいた。
琴樹と涼からもプレゼントを手渡す。
琴樹からは芽衣の好きなショートケーキを。それはいつか約束した一緒に食べに行く約束の代わりでもある。
「それじゃ、いったん冷蔵庫に仕舞っておこうか。あとでみんなで食べようね」
「めいね、めい、いちばんおっきないちごがいい!」
もちろん、を返して琴樹は早智子にケーキの冷蔵をお願いする。
涼からは櫛とヘアピンを。
「これでりょうちゃんみたいなかみの毛になれうますか?」
「ええ。今のままでも綺麗な髪ですけれど、ちゃんと手入れをしていればきっと将来、大きな武器になりますよ」
「ぶき?」
「みんなに褒めてもらえるということです」
芽衣は可愛らしいデザインの櫛を自分の髪に通してみて、よくわからなかったから櫛を振り回して「ぶき!」と叫ぶ。
「涼ちゃーん。ちょっともう、芽衣じゃなくって、そういうのは優芽に教えてあげてよ」
「優芽の武器はまた別ですから」
「あぁ……なんでああなったのかしらね?」
「なんででしょうね?」
母たる早智子は当然として、涼も幼い頃からの付き合いだ。二人揃って首を傾げる。遺伝の不可思議に、血を分けた当人は嫉妬はない。共に育った友人は、少しある。
近いところで漏れ聞いていた琴樹は何も聞こえなかったことにした。
楽しい時間はいつだってあっという間で、そして思いがけない疲労が蓄積しているものだ。加えてお腹いっぱい。
夕方よりは早い時間に始まった誕生日会も、日がとっぷり暮れる頃には落ち着きを見せ、その大部分は芽衣の瞼が重くなってきたからである。
「こぉ……ぃちゃん。かえうの……? りょ……ちゃんも……」
自分が母親に抱きかかえられているということさえ朧気な認識で、芽衣はくしくしと目をこする。
「めいまだ……いっ……おあそび……」
三十分ほど前にいつのまにか夢の世界に旅立っていた芽衣に、早智子が声をかけてはみたものの、半ば以上は眠ったような状態だ。
「ごめんなさい。駄目みたいね」
「いえ。寝かせておいてあげてください。今日はお邪魔しました」
「全然全然。二人とも、芽衣のためにありがとね。片付けまで手伝ってもらっちゃったし」
「簡単にだけです。先に失礼させていただくこと、申し訳ありません」
「だーかーらー。そんなことないってば」
「ふふ。ありがとうございます。楽しかったですよ、私たちも。ですよね? 幕張君?」
「ああ、もちろん。それじゃあ、名残惜しいですが、これで。お邪……ありがとうございました。失礼します」
「またあとで連絡するねっ」
琴樹と涼は玄関を出て、四人ともに頭を下げあって、小さな頭も、下がったようなこてんと傾いただけのような。
それを、白木家を後にする二人は笑みに変える。
そうして白木芽衣の四歳の誕生日は、はじめてのお誕生日会は、思い出になったのだった。




