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第54話 幼女さん、それ以上はいけない

 赤茶の屋根と白地の壁を前に、琴樹はつい立ち止まってしまった。

「ん? なにしてんの? ほら来て来て」

 玄関ドアの前に立った優芽が、付いてこない琴樹に気付いて手招きする。

 この日、幕張(まくはり)琴樹(ことき)は白木家の夕食に招待されたのだった。

 数時間前のこと。

「今度こそちゃんと持て成さないとお母さんの気が済まないらしくって」

 頬を掻きながらそう言われれば、琴樹に拒否の選択肢はない。それに一昨日あたりから優芽の態度にそれとなく滲んでいたのだ。バイトの予定を確認されたり、夜遅くなることって大丈夫か、と訊かれたり。

 だから二つ返事で承諾し、涼と二人、白木の家にお邪魔することとなったのだった。

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもないんだ」

 本当になんでもないのだと、そう思うことにして琴樹は二人の少女が待つドアに向かって足を踏み出す。

 優芽だけが首を傾げた。

 玄関が優芽の手で開かれると、そこには女性が一人と、その女性の脚にしがみつく小さな影が一つ。

「よく来てくれました。寒かったでしょう。上がってください」

 女性、白木早智子が丁寧に頭を下げる。娘の友達が来る、というのではない、今日は。娘の恩人を招いたという心持ちで、早智子は琴樹と涼を迎えた。

「ほら芽衣」

 実のところ、琴樹が芽衣に会うのは、話すのも、あの脱走の日以来になる。芽衣の方から、会わないという意思表示があった。らしい。

 優芽曰くに「ちょっとビビってるだけだから」と笑ってしまう程度のことだったらしいが。

 琴樹は「お邪魔します」と早智子に返し、涼が同じ文句を言うのを待ってから、母の後ろから顔半分だけだしている芽衣に目線の高さを合わせた。

「芽衣ちゃん、ひさしぶり。元気にしてた?」

「……おこってないですか?」

 どうやら母や姉からの叱責が相当にこたえたらしかった。

「怒ってないよ。芽衣ちゃんに会えなくて寂しかった」

 それだけで、ぱっと表情を明るくするのだから、年相応にゲンキンなものではあったが。

「めいも! めいもね! えっと……あ」

 早智子のズボンを掴みっぱなしだった芽衣が、陰から出て笑顔を更に眩しいものにする。

「どうぞっ、おあがりくださいっ」



「めいねぇ。なかなかったんだよぉ。おこらえたけどね、なかなかったの」

「おー、立派だね。俺なんか、芽衣ちゃんくらいの年齢(とし)の時にはいっぱい怒られていっぱい泣いてたよ」

「こときおにいちゃんが、いっぱい?」

「そうだよー。ほとんど毎日ね。先生に叱られてた」

「おおー。こときおにいちゃんはわういこだったんだねー」

 夕食の前に、まずはここ数日の溝を埋めようということでリビングで四人、歓談に耽る。

 早智子だけは料理の仕上げという名目で台所にいるが、裏に引っ込む前には琴樹や涼の手を取って感謝を伝えてあった。心からのだ。

 それを琴樹も涼もしかと受け取って、それで難しい話は終わり。

 リビングの床に琴樹が座り、その上に芽衣が腰を下ろし、優芽と涼はソファから少年と幼女を見守っていた。

「芽ぇ衣、あんたちゃんと反省してるー?」

「してます! めいははんせえをしています!」

「よしよし、いい子だ」

 元気一杯に右手を挙げる芽衣の頭を琴樹が強めにわしゃわしゃと撫でる。その温かさと力強さが嬉しくて、芽衣は全身で琴樹にぶつかっていった。そのまま二人でじゃれ合いだす。

「ふふ、こんなに仲良しさんというのは、想像以上でした」

「今日は特にだけどね」

 早智子が夕食の席にみんなを呼ぶ頃には、琴樹のシャツは皺くちゃだった。

「ごめんなさいね。今日もまた。お礼するために呼んだのに、シャツ、皺にしてしまって」

「いえ。嬉しい……皺? です。どうせ帰ったら洗濯するので大丈夫です」

 席に着く前には手を洗い、琴樹と早智子はそんなやり取りをすることになった。

 食事は、豪勢というほどではないものの、琴樹の好物の卵焼きだったり、涼の好物のハンバーグだったりが並んでいた。突発で、あるいは長年の付き合い上、優芽がリサーチした成果である。

「意外と子供っぽいもの好きなんだな」

「お互い様では? それに子供の頃から好きというだけです」

 言いながら、涼の前のハンバーグには食卓で一番、たっぷりソースがかけられる。やっぱ子供舌だろ、と琴樹は内心でだけ突っ込んでおいた。

「琴樹、カレーも甘いの好きだもんね」

「りょうちゃんはね、めいの好きなのが好きなんだよ。いっしょー」

 白木姉妹の発言に、琴樹は涼を見たし涼は琴樹を見た。

「言われてるぞ」

「言われてますよ」



 ご馳走様でした。の後には、芽衣のおもちゃ箱がひっくり返され、あれこれとレクチャーがはじまった。

「これはね、こえ、こうしてあわせるんだよ!」

「ほお、こうか……え、こうか?」

「違う違う、そっちのやつ」

 優芽のアドバイスが入って尚、琴樹はパズルの手順を間違えた。

「あはははは。えー、うっそぉ、琴樹そんなんも出来ないのぉ?」

「なんだと? 俺の本気、見せてやろうか?」

「ちな私それ、はじめてでも三十秒で出来たから」

「……芽衣ちゃん、お姉ちゃんが俺のこといじめるんだ」

「おねえちゃん、だめなんだよ! おねえちゃんとこときおにいちゃんはなかおくしなくちゃ、だめー!」

「ちょっと!? 芽衣を使うのは卑怯じゃん?」

「まあまあ。二人とも仲良くしてはどうですか? 芽衣ちゃんも言っていることですし」

「仲良くしようか」

 琴樹が差し出した手を優芽が握る。

「なかなおいー! おねえちゃんもおにいちゃんもえらいねー」

 多少強めに握られた感はあった。

 お絵描き、ということで互いの顔を描き合って、芽衣の絵の才能は血なんだなと琴樹は思った。

「まぁ……独創的でいいと思う」

 優芽の絵を評してだが、同レベルで誇らしそうな子が隣にいるから、琴樹は便利な言葉を大いに活用した。

 そんな風に遊んでいると時間はあっという間に過ぎるもので、20時を回った頃におおむろに優芽が立ち上がった。

「二人とも、ちょっと待っててね。芽衣、そろそろいいんじゃない?」

「あ。いきます。めいもいく」

 芽衣も姉に続いて立って、姉妹がリビングを出て行く。

「すぐ戻ってくるから」

「すぐー! こときおにいちゃんもりょうちゃんもまっててね!」

 よくわからないながらに「いってらっしゃい」と涼と共に二人を見送って、琴樹は軽く体を解す。ほとんどずっと芽衣を膝の上に乗せていたから、疲れがないと言えば噓だった。

「なんか全然、元気だな、芽衣ちゃん」

 廊下に続くドアを見ながら琴樹が呟けば、応える声がある。

「ええ。本当に良かったです。私からも、ありがとうございます。琴樹おにいちゃん」

 琴樹は少し目を丸くしてから笑った。

「やめろよ。くすぐったい。それに、涼が教えてくれたからだしな。こっちこそありがとうだよ」

「そうですか」

 涼もまた笑みを浮かべて、早くもドアが開かれて芽衣と優芽が戻ってきた。

「ただいまぁ! えへー」

 芽衣の表情はとろけきっている。よほど嬉しい何かがあったのだろう、と琴樹が思う間にととととと小走りに駆けてきた。

「こときおにいちゃん! こときおにいちゃんにね! めいね! めいかあね! ぷええんとがあります!」

「プレゼント?」

「ぷれぜんと!」

 確かに両手を後ろに隠していて、だから駆け寄ってくるのも危なっかしくて琴樹は中腰になっていたりする。

「おー、プレゼントかー。楽しみだなぁ。いまからくれるの?」

「うん! えへぇ。ちょっとまっえてね」

 芽衣がくるりと後ろを向く、と琴樹はネタバレを食らいそうになるから驚異的反射神経で目を逸らした。涼も一応は琴樹と同じようにしていた。

「こえ……うん……うん!」

 芽衣はちゃんと確かめる。おにいちゃんに渡すべきものを。渡すべき色を。

 振り返った芽衣の「こときおにいちゃん!」に琴樹が視線を戻した。

「はい! こえね、こときおにいちゃんにあげう!」

 それはピンクの押し花だった。

「これを……俺に?」

 水を掬うように差し出した琴樹の両手の上に、ピンク色をした綺麗な花がそっと置かれる。

「うん! こえね、めいがね、つくったの」

 芽衣があの日、駄目になってしまったと思った花は、駄目ではなかった。担任の先生が丁寧に、時間をかけ、蘇らせた花は、芽衣の手で美しいピンクの押し花となったのだった。

 それを芽衣は琴樹に贈りたかった。どうしてもだ。

「こえね、あのね……ずぅっといっしょにいあえますようにって、おねがいしたんだよぉ」

 芽衣は小さく体を振りながら言う。幼いながらに照れというものがあって、なんだかじっとしていられないのだった。

「ずっと一緒に……ずっと、一緒に」

「うん。ずっとね、いっしょがいいからね、ずっといっしょにいあえますようにーってね、めい、ちゃんとおねがいしたんだよ」

 芽衣の願いを聞いて、琴樹は動けないでいた。少し歯を食いしばる。そうしていないとこの場に相応しくないものが溢れる気がした。

 そんなおにいちゃんを見て芽衣が「おにいちゃん?」と声を掛ける。

「ああ……ありがとう、芽衣ちゃん……大事にする。大事にするよ、絶対に」

「えへへぇ。だいじにしてねー」

 琴樹は頷く。ゆっくり、強くだ。

「必ず。一生、大事にする」

「やうそくー!」

「約束」

 もう一度頷き返して、琴樹は掌の上のものをじっと見る。

「ふふ、よかったね、芽衣」

 優芽は妹の頭を撫でてやった。

 きっと大丈夫だと思う。

 色んなものを知っていくはずだ。色んなものが変わっていくはずだ。それでも、芽衣が願って、渡した。だからきっと、二人はずっと一緒に居られるはずなのだ。と、そう思う。

「そえとねぇ……おねえちゃん! おねえちゃんには、こえ!」

「え?」

 それは青い押し花だった。

「これ……私に?」

「うん! おねえちゃん、はい、はい!」

 芽衣が一所懸命に背伸びして渡そうとするから、優芽はわけもわからないうちに受け取った。

 青色の押し花。琴樹が選んだ花の押し花。

 芽衣が「んふー」と鼻を鳴らす。その表情(かお)はとびっきりの笑顔で、なにより誇らしげで、誰より幸福に満ちていた。


「こえでね、おねえちゃんとおにいちゃんはね、ずぅっといっしょなんだよ!」

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