第53話 動の後の静は体感凪
「おにいちゃんまたねー! またあとでねー!」
「ああ、またあとで!」
ぶんぶんと大きく手を振って去っていく芽衣は無邪気そのもので、小さく振り返す琴樹の笑みの何割かは苦笑の成分だ。
切り替えが早いというか、反省が長続きしないというか。
どちらにせよ、園に戻ればまず間違いなく再びのお説教タイムが待っているはずで、それは当然かつ必要なものだと理解しつつも心苦しい気分の琴樹だった。
「よかった。じゃ済まねぇよな」
なんとなく足元に視線を落として、なんとなく長めに息を吐き出した。
「またね、か」
遠ざかっていく背中が二つ。
小さな背中に思う。あの幼子の姿はかつての自分、よりはまぁだいぶ賢いが、とにかくそういった類似性を見ている。
次いで大きい方の背中を見て、琴樹は二度、頭を振った。
「行こう。スーパーと、花屋。青い花だったな」
独り言を多くして、琴樹は見たことのないはずの光景に背を向けた。
自転車を押しながらスマホを耳に当てる。
「今大丈夫か? ……ああ……ああ、見つかったよ。無事だ。……はは、暢気に寝てたよ。……そうだな。……助かった、ありがとう。……またあとでな」
琴樹が芽衣の無事を伝えるべきは、道中に助力を申し出てくれた人たちとそれから、一番はじめのはじめに、琴樹が後悔に沈まないようにしてくれた相手だけ。
自分と姉妹を繋いでくれた相手。
彼女の安堵の声が、なによりも琴樹の緊張を解いていた。
芽衣を見つけた時より。優芽が来た時より。
〇
用を終えて園に到着した琴樹は、花を芽衣の担任の先生だという女性に預けて、優芽と少し話しただけで帰ることとなった。
「そうか。ま、そうだよな。疲れも……心の方の疲労もあっただろうしな」
母親の膝の上でぐっすりおねんねしている芽衣の姿に微笑が漏れた。目元は多少、腫らしているが、穏やかと言っていい寝顔だった。
「うん。……ねぇ、琴樹……ありがとね」
「ああ」
優芽の手が琴樹のセーターを掴んでいて、その上に琴樹は自分の手を被せた。不安はもうないだろうけれど、心はまだ平静になりきれていないのかもしれない。
「なにもなくてよかったよ」
「うん……」
適当なところで切り上げて、琴樹は一人で園を出た。やるべきこともなく留まるには、限りなく部外者でもあり、居心地が悪すぎた。
先生方には白木家の人間から説明があったのか、説明をすると話があったのか、特に身元や関係を追及されることもなかったから、それは助かった。
「じゃあまた明日、学校で。今日は、ゆっくりした方がいい。だからまた明日な」
「そ……うかもね。またあし……明日って、校外学習じゃん」
「そういやそうだな。……無理はするなよ? こんなことがあったんだ、休んでいいと思う、個人的にはな」
「個人的には、なんだ?」
「そこまで責任は持てねぇよ」
「ううん。ちゃんと行くよ。ちゃんと行くから」
琴樹は頷いて、自転車に跨る。
帰りに何か食べて帰ろうと、そう思った。
〇
次の日に、言ったとおりに優芽は登校してきた。
学校からバスで校外学習の場所まで向かうのだが、その出発時間のギリギリに、ではあった。
何があったかは、琴樹は訊かなかった。
校外学習は特に問題もなく終了した。
山に登って、カレーを作って、山を下りて。
琴樹は仁と長く一緒に居たし、女子は女子で固まって話をしていることが多かった。漏れ聞いたところ、話題の多くはやはり昨日のことについてで、優芽はほとんどありのままを語っているようだった。
もちろん琴樹の関与などというのは面倒を呼ぶだけだから伏せていたけれど。
「仁、ほんとにいいのか? 別に、少しくらいは時間作れるけど」
「いや、いい。……んなことより、どうだった? オレの送った動画は。ん?」
「……いい演奏だったと思うぞ」
「んなのわかってんだよ。で、もう一本は?」
「……わるくなかったな」
仁が大きく笑うものだから女子陣の注目を集めてしまう。琴樹は「なんでもない。足元気を付けて」と下り坂への注意に意識を向けさせておいた。
年齢制限がつく動画の話なんてものは、女子に知られて良いことなど何一つありはしない。
そんな具合に実に真っ当で平穏な校外学習を終えて、その後の二日間も特に何事もなかった。
授業を受けて、部活をして、木曜の放課後には遊びに行き。
あんなことがあったからか、随分と穏やかな二日間だったと琴樹には感じられた。
そうして金曜日になって、琴樹は優芽に放課後の予定を訊かれた。




