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第52話 幼女のお願い

 目が覚めて、好きな人がそこにいるということ。それは間違いなく、最大級に嬉しいことの一つだ。

 芽衣は嬉しいという気持ちを目一杯に、目の前の人に飛びついた。

「こときおにいちゃん!」

 それから「んー!」と抱き着いて全身に温もりを分けてもらう。体温なんてものは芽衣の方が高いくらいだが、温かさを分けてもらって、分けてあげる。

 頭の真上から笑い声が髪を撫でたから、芽衣は顔を上げた。そのくらい意識がはっきりとしてくると、疑念も湧いてくるものだ。

「なんでぇ? ですかぁ? なんでこときおにいちゃんいるの?」

 それに、ここはどこだろう? 芽衣は首を傾げて周囲を見回す。

「こーえんだぁ」

「はは、そうだね。芽衣ちゃん、自分がなんでここにいるかわかる?」

「なんでぇ?」

 訊き返したのではなく、なんでを考えなくっちゃいけないことを自分の腑に落とすための復唱だった。

 芽衣の頭の中に一気に色んなことが押し寄せてくる。

 お花のこと、園を出てきたこと、公園のこと。

「んー!」

 嬉しさとは別の理由で、さっきよりも強く琴樹の体に腕を回す。いやだー、と頭を思い切り擦りつける。そうすれば芽衣は何も見ないで済む。

 そんな幼子の頭をゆっくりと撫で、琴樹は少しの間目を瞑って、改めてこの小さな温もりと感触とを確かめる。心の深くに記憶させる。たぶんきっと、何よりも大切な何かが今、自分の胸の中にあるのだと感じていた。

「おにいちゃん?」

 芽衣の声には少量の不安、恐れがある。

「怒らないよ」

 大切で、愛おしく、けれど自分には怒る資格はないのだろうと琴樹は思っている。他にも幾つかの資格を、自分は持っていないのだと。

「芽衣ちゃん、ゆっくり後ろ見てみよっか」

 持っている人がいるのなら猶更だ。


「うしろ」

 琴樹の言葉を繰り返して、芽衣は首を回す。

 そして、ビャッ、と体を震わせた。

「お、おねえちゃん……」

 笑っているのに怒っている。いつもの優しい怒り顔じゃなくって、本気で怒っている。でも、笑顔ではある。そんなのは芽衣ははじめて見る。

 どうしていいかわからなくて固まる芽衣に、優芽は怒鳴ることはなかった。静かに話しかける。

「芽衣、あんた、わかってる? 自分がしたこと、わかってる? お姉ちゃんに言ってみて」

「うぅ……め、めい……でも」

「芽衣」

 びくり。芽衣はおにいちゃんに助けを求める。

「芽衣ちゃん」

 おにいちゃんも、自分の名前を呼ぶばかりだった。

 それからぎゅっと強く琴樹のシャツを握り締め、芽衣は精一杯の勇気で口を開いたのだった。



 琴樹の前でも優芽に容赦はなかった。

 芽衣に自分の行いを口にさせ、一片の誤魔化しも許さない。

 一人で全部やって園を抜け出した、という嘘を許さない。

 お姉ちゃんが喜ぶと思ったから、を言い訳にさせない。

 でも大丈夫だったよ、なんて言えば、柔らかい頬を張った。

「こんなもんじゃ済まなかったかもしれないんだからね」

 姉に明確で一方的な暴力を振るわれたのははじめてで、芽衣は涙が浮かぶのを堪えられない。でも、泣くのは堪えた。

 それはずっと背中に感じている人のおかげでもあり、お姉ちゃんが真に自分を案じているというのを幼いながらに、幼いが故に、感じ取っていたからだった。

 怒られてはいても、心が寒々と凍えることはなかった。



 優芽の糾弾はそう長くはなかった。ほんの五分ほど。

 なぜなら。

「あ、やば。てか、やっば、連絡しなきゃっ」

 なぜなら、芽衣が黙した僅かな間隙に、思い出したことがあったから。それも非常に大事な用件というか本来は真っ先にしなければいけなかったこと。

 優芽が大いに慌ててスマホを操作しだしたから、芽衣は少し面食らってぽーっとそれを眺めた。

 お姉ちゃんなにしてるんだろ、お説教は終わったのかな? 終わってたらいいな。

 反省をしてはいても、詰問されるのを嬉しいとは思えない。当たり前だが芽衣は姉の意識が自分から逸れることを大歓迎した。

「めいもうおこらえない?」

 琴樹を見上げて問いかける。

「んー、それは……どうだろうな」

 まぁまず間違いなく続き、それにたぶん他の人からのお叱りも待っている。琴樹は苦笑して受け流すより他ない。

「おこあえうんだ……」

 察して落ち込む芽衣の髪を指で流して、大丈夫だよの言葉に代えた。

「あ、お母さん! 芽衣、見つかった! ……うん、うん。うん! 大丈夫! 全然元気! 怪我も」

 優芽は芽衣の全身を今一度見る。

「してない。少なくともなんか目に見えるようなのは。本人も痛がったりしてないし、大丈夫だと思う。……そうだね。うん。あ、うん、よろしく。私たちもすぐ向かうから……うん。じゃあ。また。あとでね」

「なんて言ってた?」

「……園にはお母さんが連絡するって。それで、今から向かうから、私たちも戻るようにって」

「ん。そうか」

 優芽が立ち上がり、芽衣に手を差し出す。

「帰るよ、芽衣」

「……うん。……おはな……」

 はっきりとした我儘は言えない。それでも諦めきれない芽衣が呟く。

 それを聞いて琴樹は優芽を見た。

「俺は……俺がスーパーと、花屋に話しに行くよ。見つかりましたって」

「え……」

 優芽としては一緒に、三人で園に向かうつもりだったから驚いてしまう。

 琴樹はそれには構わず、芽衣に問いかける。

「お花……もし、もしよかったらだけど、俺が買っていこうか? どうしても今日欲しいなら、俺でよければ、買っていくけど……どうかな?」

「おはな! ……あ!」

 芽衣が口を押えるのは、それが秘密だったからだ。内緒で作った押し花を、あげるつもりでいたから、バレてしまったと思ってショックを受ける。

「ああ……まぁ、ごめんな、聞いちゃってたから……」

「んん! でもだいじょうぶなんだよ! めい、めい……うーんと」

 芽衣は琴樹と姉とを何度も見てから言った。

「じゃあね、じゃあね、おにいちゃんはひとっつ! おはなひとっつかってきてくあさい!」

「ありがとう。どんなのがいいかな?」

「あおいの! あおいおはなひとっつ、おねがいしますっ!」

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