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第35話 夜が輝く

 バイトの制服は、ブレザーを脱いで代わりに羽織る前掛けだけだ。だからそれを脱いでしまうのにも、一分もかからない。

「お疲れさまでした。お先に失礼します」

 更衣室を出てすぐ、バックヤード内ですれ違ったバイト仲間に挨拶して建物を後にする。

 少し早く着くだろうが、待たせるよりはずっといい。

(て、思ってたんだけどな)


 街灯やビルの明かり、公園内の照明等もあり、まだ多少離れた場所にいる琴樹の目にも彼女の姿ははっきりと捉えられた。

 早足に変えて近づけば、気付いた優芽が手を振る。

「お。おそいぞー」

「ごめん……待たせた」

 公園の入り口で、今度は琴樹も素直な詫びを口にする。約束の時刻には、間に合っている。

「ベンチの方行く?」

 優芽が入り口からほど近い四脚を目線で示すが、琴樹は一度首を横に振った。

「飲み物でも買おうか。奢るよ」

 進入防止柵に腰を乗せていた優芽は、コートに突っ込んでいた両手を出してにやりと笑む。

「じゃん! 幕張はどっちが好き?」

「……ホットレモンの方、貰おうかな」

 あの日の代替行為だとわかるから、琴樹はありがたくそれを受け取ることにした。

 寄り道の必要がなくなったからベンチに直行して、その間は互いに無言だった。琴樹が一応はと座面を手で払うのを、優芽が「ありがと。紳士じゃん」と茶化すまで。

「叩き込まれたからな。どうぞ、お嬢さん」

「失礼いたしますわ」

 優芽がお上品を気取って座り、琴樹も隣に腰を下ろす。それから僅かな時間、声を殺して笑い合った。


「幕張が……こんな感じだって、私ぜんぜん思ってなかったなぁ」

 優芽が知らなかったもの。例えば見上げる星空の線の引き方だったり、そういうものだって、知ればまた違って見えるのかもしれない。

「そうだろうな。言っちゃなんだけど、抑えてたから……ずっと」

「俺はまだ本気出してない、みたいな?」

「そうそう」

「やっぱけっこうイメージ変わった。良くも悪くも」

「悪くも」

「悪くも」

 優芽としてはそこの部分を譲る気は全くない。


「変わったのは……変えようと思ったのは、芽衣ちゃんのおかげだよ」


 見合わせていた顔を逸らし、琴樹は真っ直ぐ前を向く。その先にあるのは児童用の遊具が点在する区画だ。

「本当に、たまたまだった。はじめて会った時、レジで困ってて……助けてあげなきゃって思ったけど、別にそんな……軽い気持ちだったよ、ほんと。軽い気持ちだったんだ」

「うん。でもそれが、芽衣には大事だったし、もちろん芽衣を助けてくれたってこと、私たちもすごく感謝してる。改めてありがとね」

「そうだな。でもまぁ、そろそろ気楽に思って欲しいかな、それについては」

「いいよ。幕張が忘れないでいてくれるなら、もう言わない」

「……俺も、白木さんのイメージ、けっこう変わったんだよな」

「えっ……どんな風に!?」

「もっとずっと……直感的だと思ってた」

「……ありがと、言葉をものすーーーっごく選んでくれて」

 優芽の笑顔に気圧されて琴樹は頬を掻く。

「わるかったよ。お互いあんま話さなかったからってことで勘弁してくれ」

「許してしんぜよう。これから……もっとずっと、知っていけるしね」

 笑顔、だなんて言い方で、人の表情は言い表せられないと琴樹は思った。いまこの優芽の笑顔を、さっきまでと同じ言葉で語るだなんて、とてもとても。

 眩しいものに目を細めるのは琴樹に限らないが、少し視界が滲むのは琴樹だけなのかもしれなかった。

(あぁくそ、なんで……カッコわりぃなぁ俺)

 近すぎる少女にはバレないように、琴樹は上を向く。そんな行為こそ、優芽には奇異に映るわけだが。

(泣いてる……てことは、ない……よね?)

 一瞬見えたものに半信半疑で優芽は瞬きを繰り返した。


 視線を正面に戻した後、琴樹は両肘を膝に乗せた。

「芽衣ちゃんに連れてかれて、白木さんちにお邪魔してた時な、芽衣ちゃんと話したことがあるんだ」

「うん」

「ママが笑ってるのが、芽衣ちゃんは一番嬉しいんだってさ」

「うん」

「それと、おねえちゃんが笑ってるのも、一番嬉しいんだと」

「うん?」

「パパが笑ってるのも、だそうだ」

「まー、まだ三歳だから……一番がいっぱいっていいことだよね」

「だな。……ふぅ、でな……公園で遊んだ時に言われたんだよな。おにいちゃんが笑ってるのが、芽衣は一番嬉しいです、って」

「あはは。じゃあもう、幕張は私たちと同じなんだね、芽衣の中では。そっかそっか」

 優芽が可笑しそうに笑うように、その程度の、幼い幸福論だ。そんな論とも言えない芽衣の純真が、琴樹にはあまりに美しく思えてしまったのだ。

 自分も、誰かと笑って生きていいような気に、なってしまったのだ。


「私も、幕張が笑ってる方が嬉しいよ」

 それは優芽の何気ない本心で、細かく言うなら、誰に対してもそう思うことではある。芽衣も母も父も、友人たちも、クラスメイトだって、悪人でないのならばあまり気の合わない相手だって、笑ってくれていた方が嬉しい。

 だから間違いなく、白木優芽は幕張琴樹が笑っている方が嬉しいのだった。

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