第32話 ぐちゃぐちゃ
電車とバスを乗り継いで片道1時間と少し。郊外。
大きな建物は他になく、広い道路の脇に目立つ白い建物だ。
独特の気配が充満する館内で小道具を借り、花は買った。他に少しの荷物。
祝日だから暇を作れる人間は多い。祝日だから、訪れる人は少ない。
静かな石畳を迷わず歩けるようになったのは、三回目に来た時だったか。二十一回目の今日は、目を瞑っていてもそこに辿り着けそうな気がした。
掌を合わせる。そこにもう何の感慨もないことが感慨深い。
特に何の区切りでもない日でも、来たからには最低限の礼は尽くし、また掌を合わせて目を瞑る。今度は長く。
長く。
なんでもない日に、区切りをつけたくて足を運んだのは自分だ。
(いつもごめん)
心を整理したいからと、利用してしまう。
(今度もちゃんとするから)
心を定めたいからと、利用してしまう。
(ごめん)
すべて自分の都合のいい貴女にしてしまって。
「じゃあまた」
〇
優芽はともかくとして、琴樹がそのことを気にしていなかったのは油断と言っていい。
芽衣に優芽に、関わることを辞めようとするなら、その場所に訪れることはリスクであるのだと、そんな当たり前をすっかり失念していたのは、完全に自分の失策だと琴樹は苦く思う。それを一切、表には出さない。
「いたぁ! ほあねママ、おにいちゃんいたでしょー!」
公園で遊んだ日の焼き直しで、違うのは琴樹や芽衣の服装、ここが屋内であるということ、それともう一人が優芽ではないということだ。
「どうも。幕張琴樹って言います。芽衣ちゃん」
と琴樹が名前を口にすれば「めい! めい!」と琴樹に抱きかかえられた芽衣も自分の名を連呼する。
「とは、以前に少し知り合う機会がありまして。それと白木さん……優芽さんとはクラスメイトです。失礼ですが、芽衣ちゃんのお母さん、ですよね?」
「えぇ。白木早智子です。ご丁寧に。いつも優芽がお世話になっております。それと先日は芽衣がご迷惑をおかけしすみません」
「いえ、とんでもないです。全然。あの、場所も場所なんで頭を上げてもらえると……助かります」
「ごめんなさい。そうね、こんなところで」
言うように、スーパー店内でするやり取りではなかった。互いに畏まるのはほどほどにして、本来の目的の傍らに言葉を交わす。
「本当にありがとう。優芽や涼ちゃん……ともクラスメイトよね?」
「そうなりますね。一応、知らないわけじゃないです、涼のことも」
「そう……優芽や涼ちゃんから話は聞いてるわ。芽衣が」
「めい! おにいちゃん、めいねぇ、今日はハンバーグ食べたい!」
「芽衣ー、すこーしだけお口にチャック、できるかなぁ?」
「できますっ! めい、いい子だから!」
さきほどからはしゃいでいた芽衣がバッと口を手で抑える。その早さに琴樹は母親の強さをしみじみ感じ取った。
「ありがとうね、ずっと抱っこしてくれてて」
「まぁ、軽いものですので別に大丈夫です」
琴樹が自分の買い物は少量だからと後回しにしてもらって、白木家の買い出しに付き合う形になる。
この間、白木家の門前に顔を合わせた際のことも謝罪されたが、あれも琴樹が場をそういう風に作っていたからで、むしろ意を汲んでいただいてありがとうございます、と返しておいた。
(にしても……台無しだなぁこれじゃ)
あんなにカッコつけて別れたというのに、夕飯の買い出し先でばったりだなんてなんとも締まらない再会だ。琴樹の考えなど幼女には伝わらないもので、芽衣は駄菓子コーナーを見て琴樹の服の端を引っ張っている。ちゃんと無言でえらいと琴樹は思った。
「申し訳ないのだけれど、そこで少し芽衣の相手をしていてくれないかしら」
「大丈夫です。わかりました」
〇
二つだけよ、と母に言いつけられた芽衣が真剣に棚に向かう横に琴樹もまた一緒になって、二人でどれが好きと話し合う。
琴樹の好みはグミで、芽衣は中身より付属品の方が気になるお年頃だった。
自分用に幾つか見繕い、琴樹は箱をなぞに上から下から覗く芽衣の奇行を見守る。どこから見たら中身が見えるのか、芽衣が近頃取り組んでいる難題だった。
「芽衣ちゃんは、約束のこと覚えてる? このまえ……またねした時の約束」
「ふたっつまで!」
「うん。それはさっきお母さんとした約束だね。おにいちゃんとした約束のことは? 覚えてる?」
「おにいちゃんとはあそばない! めいちゃんとおぼえてます!」
「えらいね。そうそれ」
「だかぁねぇ、めいね、こんどおにいちゃんにあそんでくださいってゆーんだ。おはな、あっ! い、いまのはひみつです! めい、めいね、おはなつくってないんだよ!?」
(……なんかどうでもよくなってきたな)
諦念ではなく、投げ出すのではなく、負の感情ではなく。
幼気で希望溢れるキラキラした瞳に救われてしまうから。
「またおにいちゃんと遊んでくれるの?」
「めいはねぇ! こときおにいちゃんといっ……ぱいおあそびすぅんだよ!」




