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第30話 幼女に見るは

 それは園からの帰り道、母に手を引かれて歩きながら、芽衣は今日もあれこれとなんでも教えてあげるのだ。

 えみちゃんが、こんどーくんが。

 おやつは大好物のプリンだったと。

 先生が砂場にお城を作った。

 夕焼けにもまだ少し早い時刻のことである。育児支援ということで早くに退社した母の早智子と共に家路を辿る。それは本来ならあの日もそうだったはずのもので、急な案件と優芽の珍しい体調不良が不幸にも重なって、そのおかげで芽衣は望外の幸運を見つけられたのだった。

「おにいちゃんにもね、お花あげるんだぁ」

 押し花、というのを数時間前に知った芽衣が贈りたい相手。一番がママ、二番がおねえちゃん。

 三番目が、同率でパパとおにいちゃん。よくわからないけどお仕事を頑張っているという会えない父親と同じところに琴樹は位置づけられていた。

 おにいちゃんにももう会えないとは、そう言われたのだとは、芽衣はまだわかっていない。


 一緒に遊ぶことすら、近い未来に訪れることと認識している。理解力ではなく、子供らしい直感でもって、そこに一欠けらの疑いもない。

 だからその時に、お花をあげよう、と。

 そう思っている。


 家までの道のりをちょっとだけ遠回りして緑地公園を経由する。芽衣がせがめば母に否やはなかった。

「おにいちゃんね、こうゃってね、ぴょーんてしたんだよ」

 ボール遊びが禁止されているということと、それを破ることがよくないということは芽衣もわかる。けれどそれがどのくらいダメなのかは、まだよくわかっていない。

 木に引っ掛かったゴムボールを見上げて呆然としていた少年たちの心境だとか、それを年上の同性に取ってもらって窘められる肩身の狭さだとか、そういうものも。

 おにいちゃんのことしか見えていなかったから。

 曇り空を見やりながら母、早智子は娘の話に適当に相槌を打ちながら今晩の献立なんか考えていた。


 ぐるりと大きく迂回して園内を通り抜けがけに、二人に声を掛ける人がいた。

「すみませんが、駅はどちらでしょうかな」

 老齢の男性だった。背広の老紳士といった風情で、帽子を胸に当てて、もう癖がつききった往年の笑みは加齢の線と溶け合って紆余曲折の遍歴を感じさせる。

 そういったこともまた、芽衣にはわからない。ただ、優しそうなおじいちゃんに話しかけられたという事実だけがあった。

「えき、えきは……えきはね、あっち! です!」

 もちろんご老人が訊ねた先は母親の方であったから、随分と低い位置から届いた応えにゆったりと顔を向ける。

「おぉ……お嬢ちゃんが教えてくれるのかい?」

「めい! さんさいです! よろしくおねがいします」

「いい子だねぇ。お上手に頭を下げる」

 老体で屈むことはできないから、見下ろす目線ではある。

「えぇ。駅はたしかに向こうです。よろしければご案内しますが」

「ありがとう。大丈夫。行き向きがわかれば充分ですのでね。ありがとうございます」

 小さくお辞儀をした男性に対し、早智子も同じ礼を返すし、芽衣はずっと大きな動作で応じる。

 それを見て目を細める老紳士が呟いたものを早智子は聞き逃さなかったが、拾って広げる対面でもない。

 帽子を被り直して立ち去るのを見送って、それだけの短い会合であり、芽衣にはそこに何らの意味も見出せるはずもなかった。良いことした以上の意味を。


「めいは、めいだよね?」

 母親を見上げて小首を傾げて、芽衣は自分の名前を問いかける。

「そうね。芽衣は夜のご飯は何がいい?」

「おむらいす! めいはおむぁいすのことがだいすきですっ!」


 そう、オムライスが好きで、ドラマのセリフがたまに出てきちゃう、白木芽衣だ。

 ぽつりと響いた『まい』ではない。



 胆が冷える思いで駆け付けた琴樹が目にしたのは、見慣れた光景だった。

 つまり、窓際の椅子に腰かけ外を見詰める祖父であり、ほっとすれば張りつめていた息が長く口から吐き出されていった。

「すみません。連絡した後すぐ、見つかって。本当に申し訳ありません」

 そういうことは電話にも、施設の入り口からここに来るまでにも聞いた。

「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてすみません。あとでまた、そのあたり相談させていただければと思います」

 たまに体調と記憶の具合が良い日に、施設の人に連れられて外出することがある。その先で一時、所在不明になった祖父は、今はこうしてここに居るが。

(またこんなことあっちゃ困るけど……外出がなくなるのも嫌だろうしな)

 外に行く日にだけは数十年前の写真と同じ格好をする祖父だから、琴樹にはそんな人が施設内に閉じこもりきりになるのは避けたかった。それで負担をかけてしまう先には本当に申し訳なく、心苦しくはある。


 琴樹は何食わぬ顔で足を進め、身動ぎもしない人の隣に立つ。

「じいちゃん」

 呼びかければ顔は琴樹を向くけれど。

「ん……どちらの子かな?」

「いえ、少し祖父の見舞いに来ただけの者です。よいお召し物を着ていますね」

「おぉ。わかるかい? これはね」

 そろそろ十は数えそうな話題を繰り返して、琴樹は適当なところで祖父の傍を離れた。

 今日は全然、マシな方だ。日によってはいきなり罵声が飛んでくる。

 そのあと施設側から話を聞いて祖父の外出要件を相談して、施設を出たのは陽がすっかり落ちきってからだった。

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