第26話 たまには引き出しの奥を浚ってみようか
琴樹が人生に一つの指針を見出したのは確かだが、それを他人にまで求めるつもりはない。自分の経験が特別とも思わない。思えないから、世を恨むことはなかったという側面もあった。
代わりにこうして、自他の領域を切り分けて関わりを持たないようにする考え方になってしまったわけだが。
そしてそんな事情と現状を、優芽が知る由もない。当然のこととして琴樹とは違う人生を歩んできた彼女がいま思うことは、逆だ。
(よくわかんないけど絶対、撤回させてやる)
姉として、妹が悲しんだままで終わらせてやるつもりはなかった。
この関わりを今日で最後になんてさせるつもりは。
(彼氏がとか、そんな遠慮してたんなら……関係ないんだから。私に彼氏はいないし、幕張だって……いないっていま言ってたし! いないって!)
なぜ優芽に彼氏がいるなどと勘違いしていたのかは本人曰くにわからないらしいが、それを体のいい言い訳に使おうとしていたことはわかる。
優芽と関わらないようにする理由に、芽衣を遠ざけようとする理由に、男と女だからというどうしようもない理屈で正当性を持たせようなどと、それは随分と卑怯だと優芽は憤っていた。
「私にも幕張にも、恋人とかいないんならさ、別によくない? また今日みたいに芽衣と遊んであげてよ。それでなんか勘違い……幕張みたいにっ、変な早とちりする人いても、説明すればいいだけだし。……そういうこと、気にしてたんでしょ?」
とりあえず一部の強調は無視して、琴樹は考える。
他に何か、使える言い訳はないものか。
「そぅ、れもあるっちゃあるんだけど……そもそもバイトがあるから、中々時間取れないんだよな。遊ぶには」
「じゃ、今まで以上に連絡取り合おうね。あ、そう、そうだよ、ビデオ通話しようよ! あぁ、いいこれ。これなら芽衣も一緒に話せるし。完璧じゃん!」
「待った待った。うちそんな、大声出せる環境じゃねぇって」
「別に大声出せなんて言ってないじゃーん。今までだって電話してたし、大して変わんないって」
「それは……そう、ですね……はい」
言い訳を見つけて一歩引くどころか、妙案を見つけられて一歩踏み込まれる始末だった。
「土日だって全部バイトじゃないでしょ? 幕張、友達少ないんだし、どっちかは空いてるっしょ? 大体」
友達作っておけばよかったかな、と妙な後悔をして、琴樹は隣の席を窺い見た。
そこにいるのは、楽しそうな様子の白木優芽で、だから言っておこうとそう思った。
「なぁ、ちょっと聞いて欲しいんだけどさ」
「なに? 毎週毎週休日ずっとバイトなんだーとかそういうのはダメだからね?」
「さすがにそんな嘘はつかないって。……そうだなぁ……勝手に彼氏いると思ってたのは、ごめん。涼にいるから、てのもアレだけど、白木さんに彼氏がいないって方が、やっぱちょっと、信じられないっていうかな」
改めて横に居る少女を目に確認してみれば、どう見たってお洒落で垢抜けた、いわゆるイケてる女子だ。
芽衣と左右でお揃いの側頭部で結った髪。化粧は薄く、児童を遊ばせる用事だったからだろうか。髪色に合わせた茶色基調の服は、ファッションに明るくない琴樹がここまでに見比べてみたどの女性よりセンス良く纏まっている、というのは少し、贔屓目もあったが。
「白木さんって、恋愛興味ないタイプ?」
「あるよ? 普通に。いまんとこ、縁がないってだけ」
(あれだけ告られといて縁がない、か。やっぱつくづく、住む世界が違うな)
時計の針はまだ、充分に余裕があることを示していた。
「なんていうかなぁ。芽衣ちゃんが俺に懐いてくれてるのは、よくわかってるんだよ。なんでかはわかんないけど……憧れのおにいさん、みたいなな」
「うん。あれで芽衣、おにいちゃんって呼んだの幕張だけだし」
「ん?」
「あ、わかんないって顔。幕張、学祭ん時ほとんど部活の出し物の方居たでしょ? 実は二日目に芽衣、来たんだよね、うちのクラス」
「え、そうなのか。なんだよ言ってくれよ。じゃあ結構、クラスの人たちも知ってたりするのか白木さんの……妹の芽衣ちゃん」
「たぶん……もしかしたら幕張以外はあの時に会ってるかも……」
「……なんで今日まで知らなかったのか、俺がそのこと知らなかったのか逆に不思議だよ……」
あんなに可愛い子、それも優芽の妹だ。話題に上らないはずはなく、いくら琴樹がぼっち傾向にあるとはいえ、耳に入っていてもおかしくなかった。実際、それはただのたまたまで、偶然以外の何物でもなかった。
「まぁ、いいや、それは。とにかくそういう感じで、年上の人に憧れて……好きになったりな……知ってるんだ俺、自分がそうだったから」
「はぁ? えぅ……え、ちょちょっと待って。待って? 待ってってば」
(待ってるが)
額に右手を当て左手を突き出す優芽に内心で突っ込みつつ、琴樹はコップを口元に運んだ。
「じゃ、じゃあ……幕張、そのぅ、もしかして、その人のことが今も、好き……だったり?」
「どうなんだろうなぁ……」
問われてはじめて、琴樹の中にその疑問は生じた。自分はいまも、幕張舞を好きなのかどうか。
「もう五年も前に亡くなっちゃったから。わかんねぇや」
琴樹は笑った。
優芽は思った。
(いやだ)
胸が痛いという感覚を思い出した。
(そんな笑い方は……いやだ)
それはあの時とは少し違う痛み。




