第25話 だからどうか線を引かせて
幕張琴樹が小学五年生の夏だった。
「よく、聞こえなかった……」
「琴樹……。いい? よく聞いてね」
母の瘦せ衰えた手が自分の両の肩を掴む。背丈はもう、同じくらいだ。
「舞ちゃんは―――」
幕張琴樹が小学五年生の夏だった。
幕張舞が死んだのは。
〇
従姉だった。
年齢は七つも離れていて、会うのは一か月に一度か二度。
もっと以前にはもっと頻繁に会っていたが、舞の中学入学から目に見えて会う頻度は減っていた。高校生になってからは更にだ。
琴樹がまだランドセルを背負う前に、記憶にあるはじめては正月の集まり。集まりといって、その時からもうとっくに寂しい有様だったという記憶が琴樹にはある。
「舞おねえちゃんって呼んでね!」
胸を反らし言い放った人に、琴樹はすぐ手を伸ばした。服の裾を引いて「おねえちゃん」と。
そうしたことを琴樹自身は覚えていないが、舞お姉ちゃんが頭を撫でてくれたことは覚えている。
よく笑い、よくしゃべる人だった。
「琴樹はいい子だね」
何をした時に言われたのだったか。
「忘れないでね」
何をだったか。
「またね」
何が、またね、だ。
はじめて半年近くも顔を合わせない日々。そのはじまりの日に聞いた『またね』が果たされなかったことだけが真実だ。
癌だったという。それ以上を、聞かされた以上を、琴樹は恐ろしくて聞けていない。
たった数か月間の、それだけの闘病が、どんなものだったのか。何も聞けていない。
「なんで教えてくれなかったんだよっ!!!」
通夜を逃げだす時に叫んだのは、そう、何を教えて欲しかったのか。
それを琴樹は今もわからずにいる。
よく笑う人だった。
笑ってくれることが嬉しかった。
本当に小さな、児童の頃には何をしても笑ってくれて、琴樹が小学生になったあたりからは、誕生日になけなしのお小遣いで贈ったプレゼントや、真剣に机に向かった成果とか、運動会の競走で一位になった時に、どこまでも晴れやかに笑ってくれた。
よくしゃべる人だった。
なんでもいい、話すことが楽しかった。
本を読むことを教えてくれたし、街に出てあの店がどうのとか、彼女が中学校も三年生になったあたりからは「いい男っていうのはねぇ」なんてことも、それは少し、琴樹には不愉快だったが。
間違いなく、幕張琴樹は幕張舞に恋をしていたのだ。
淡いものではなく、ただ憧れるのではなく、身の程知らずに年上のお姉さんに本気の初恋をしていた。
その結末を、琴樹はずっと乗り越えられずにいる。
舞が死んで、あまりに突然のことに冷静ではいられず。
長く悲しむ余裕はなかった。
五年経った今、琴樹の親族は母と祖父だけだ。
その母もこの一年ほどは自宅で静かに暮らしている。昨年、祖父を施設に預けなければならなくなった時、人が壊れるということも知った。
それでようやく幕張琴樹は理解した。
人間は、呆気ない。
いつ潰えるともわからない自分ならば、その時に、巻き込んでしまうものは少ない方がいいに決まっている。




