第23話 もうちょい手加減してくれと思っていた日々
とりあえず昼ご飯である。
「なにか食べたいものある? 奢ってあげる」
「奢りって……いい」
「お母さんにも言われたし。ちゃんとしなさい、って。だから奢らせてよ」
いいよ別に、とは言わせてもらえない琴樹だった。
「……それなら、コンビニで弁当でも買ってさっきの公園でいいか?」
「こんなタイミングで押してくるじゃん?」
「よし。やっぱ適当な飯屋にしよう。駅前行けばなんかしらあるだろ」
人目、特に学校の知り合いに見られなさそうな提案をした結果、琴樹はそこらの店でご飯を食べるより余程危ない橋を渡りかけた。
(公園で二人きりでメシ広げるとか……そっちのがヤバいわな、たしかに)
見つからなさそうではあるが、見つかった時のダメージを考えれば安全策とも言い難い。
(いい加減……四月五月じゃないんだから、たまたま二人で飯屋行ってても……いや俺じゃやっぱ言い訳利かない気がすんなぁ)
入学当初くらいにはなにくれと噂に上った男女二人の交遊も、二学期も半分以上過ぎた今になっては、そういう偶然もないではないものだ。
とはいえそれは放課後だとかであって、休日にそんなたまたまと気分向きは中々ないものではある。琴樹もそこには気付いて、しかしどうしようもないから思考放棄することにした。
駅前に向かう間も、優芽は会話を途切れさせない。
「ごめんね、お母さんなんも言わなくて。えと、ちゃんと感謝しててね? 今日のこともだし、この前……芽衣を助けてくれた時のことも、お母さん、自分が出る幕じゃないとは言ってたけど、その、めちゃくちゃ感謝はしてるから」
「あぁ、わかってる。むしろ助かった。あの時にしても、結局、ただ家に送っただけだし、あんま大仰にされると俺も……やりづらいからさ」
先ほど、芽衣を抱っこしていたから大きなものではなかったが、しっかりと目礼と共に辞儀を受けている。そのくらいでいいし、あの場面に言葉を差し挟ませなかったのは自分自身だと琴樹は理解していた。
(だからほんとは、白木さんと歩いてんのも……あんまよかないんだよな)
近いのだ。
距離が、距離感が。
物理的なもの。精神的なもの。
芽衣が年齢相応に表現豊かなのは仕方ない。琴樹だって幼女にとやかく思うこともない。わけのわからない慕われ方をされてしまっているとして、それを憂慮しはしない。
だが姉の方、白木優芽のここ数日の様子は、看過できなかった。
〇
体育の時間に、琴樹は足を引っ張らないようにだけ注意している。特に最近行われているバレーボールは一人のワンミスで簡単に失点になる。まぁ、その点は元バレー部でもあるから非常に楽にやり過ごせているが。
サッカーの時にもバスケの時にも、もしもミスを数えていたのなら、幕張琴樹という生徒はミスの少なさで学年トップを飾っていたはずであった。
そういう取り組み方だから「がんばれー」なんて言葉を貰うものではないと琴樹は思う。
「幕張ー、がんばれー!」
優芽が、優芽を含む根明の女子グループが、男子に向かって声援を飛ばすことはままある。あるが、優芽が自発的に名指しすることははじめてだった。そうと気付いたのは、口元に手を添える優芽の隣で、声を出すことはなく親友と親友の妹の恩人とに視線を行き交わせる黒浜涼だけだけれど。
「幕張? おぉ幕張。よぉし幕張! 優芽が応援してるぞー! 気張れぇ!」
グループの他の女子も辛うじて、幕張って誰だっけ? とまではならず、おかげでしばらくの時間、少なくない声と注目を浴びる羽目になった琴樹は、いつも通りをこなすのにいつも以上に気を使うことになった。
とある昼休みの時間に、その会話は教室に残った者全員が聞いていた。
「あれ優芽、弁当? え、マジ?」
「今日だけね。最近お母さんに料理習ってんだー。偉いでしょ」
「えぇ、ちょ、やめてよ! それ以上完璧になるのはやめろぉ!」
「なにそれ」
「優芽みたいな美少女はなぁ、料理が出来ないって相場が決まってんの!」
「ド偏見じゃん! 私だって料理くらい……頑張ってんですけど!?」
「こいつ自分が美少女だってことには突っ込まない―、うわーん」
友人が涼の胸に飛び込むのを、優芽は唖然と見ていた。
「ち……ちがうしっ!? や、び、びしょ……うじょとか! 思ってないけどぉ!?」
「涼、どう思う? この白木なんちゃらとかいうやつ」
「無自覚、ではないのでしょうけど、認めるのは気恥ずかしいものなんですよ?」
「ちっ。こいつも美少女だった。しかも自覚して武器にするタイプ」
「……あんた、そういうとこ……ほんとアレだかんね」
それで周囲の一同に笑い声が起こるのだから、アレなどではないと優芽も本心では思っている。調子のいい友人だから、言ってあげたりはしないけれど。
アレ。腹黒いというか、腹の内を見たくはないタイプというか。
(それが逆に付き合いやすいというか……気兼ねないっていうか)
「それじゃあ、今日は優芽は食堂行かない感じ?」
また別の友人の質問に頷き、そのあとに続いた言葉に、聞こえるから聞いていた琴樹は広げかけの弁当箱を危うく丸っと落とすかと思った。
「うん。教室で、幕張と一緒に食べようかなって」
(!?!?!?!?)
「幕張君……と?」
「いやめっちゃ目ぇぱちぱちさせてるけど、本人」
そりゃ琴樹的には驚天動地だった。瞼だって今年一仕事した。
「いいよね? 幕張」
「……すみません。俺、昼はなんというか、一人で食べたい派なもんで……みなさん、購買とか、たまにはいいんじゃないですか?」
「誰てか何キャラ?」
「幕張がバグった!」
琴樹としては「ははは……」なんて笑い流すしかない。
「いんじゃない? 購買、なんかレアなパンあるらしいよ? 行ってみん?」
そういうことになった。
優芽も買い出しに付き合うことになった。
琴樹は折角の弁当を死ぬ気でかき込んで、自分史上最速で「ごちそうさまでしたっ!」を叫んだのだった。
「うぉっ!? どした幕張?」
驚かせてしまったクラスメイトには「わるい!」と言い置いて、その日の昼休みの半分以上は図書室に時間を潰した。
そういうことがあったり。
それとは別に、メッセージが溜まっていったり。
週も後半の後半。夜に自宅の一室で寛いでいた琴樹は、また光ったスマホに目線だけ向ける。
そろそろ潮時か、と観念して手を伸ばす。案の定の差出人名に苦い顔を作ってアプリを起動した。
『これもいいよねー』
と、最後のメッセージはそれだけ。一つ前が、琴樹には名前のわからない花の画像。
30分ほどの間に、こうして画像とメッセージが、合わせて10近く着信していたわけである。
『お、既読』
早すぎる反応に表情の苦味を濃くさせる。
『幕張はどれが好き?』
などと訊かれても、草花に造詣の深くない琴樹は完全にインスピレーションで選ぶしかない。
『三つ目のやつ』
茶色っぽい花弁の色が、アプリの向こうの相手の髪色に似ていると気付いたのは互いの『おやすみ』に既読がついた後だった。
〇
(近いんだよなぁ……だからさぁ)
「これも美味しそうじゃない?」
がっつり腹を満たすのが目的でもないし、ということで選んだ喫茶店のカウンターで、触れそうな肩からこっそりと逃れつつ琴樹は答える。
「俺はこっちの方が目についたな」
「あー、そっちもいいね。……でもやっぱこっち!」
「じゃあ俺はこれで」
琴樹は店員を呼びつつ、メニュー表は二つ借りとけばよかったと思う。
優芽の前にサンドイッチが置かれ、琴樹の前にカレーライスが運ばれる。
少し手を付けてから、優芽は何気ない風に切り出した。内心には、意を決してといった具合だ。
「さっき、なんであんな風に言ったの?」




