第21話 幼女の名はしらきめい
公園、といって遊具が数種置いてある程度のものではない。のんびり一周、散歩すれば充分に歩いた気分になれるくらいには広い敷地に、児童向けの区画の他、芝地があり公衆トイレが設けられ、大人も一人で訪れることがあるような緑地公園である。
そんな一角で、琴樹は腰を屈めて両腕を広く構える。
「おにいちゃん!」
変わらない笑顔が飛び込んでくるのを受け止めるためにだ。
あの時と違って制服じゃないから、と芽衣が自分をわかるものか疑いもあった琴樹だが、杞憂だった。顔で見分けているというのもまた若干違うが、白木芽衣は幕張琴樹という人物についてよくよく覚えている。大きさとか、雰囲気とか、人の纏う気配によって、芽衣が琴樹をわからないわけもなかった。
「ははっ。元気だね芽衣ちゃん。久しぶり、一週間ぶりくらいかなぁ?」
「ここのかぶぃ! って! おねえちゃんがね、ゆってた!」
「そっかぁ。お、かわいいバッグ持ってるね」
芽衣がとたとたと足踏みして自慢の鞄を琴樹の眼前にずいと差し出す。
「こぉね! めいがね! めいのね! にゅーえんいわい、におねえちゃんがね! くれたんだよ!」
(見覚えがあるような……あぁ、じゃああのぬいぐるみもそういう感じか)
「ん、よかったね芽衣ちゃん。大事にしてるんだね」
「だいじぃ!」
優芽が零し芽衣が聞き逃さなかったように九日ぶりの再会だが、芽衣が全力で壁を壊すから二人の間に緊張感はない。
少し緊張気味なのはむしろ姉の方で、妹が失礼をしないかと内心に心配が少々。
(そういえばよく覚えてない……幕張と芽衣ってどんくらい仲良いんだろ)
言って、僅かに数時間、いや数時間と言えるほどでもない間の親交だったはずで、優芽は芽衣から聞く琴樹の話に勝手な想像をしていただけだ。かなり仲いい、くらいに。
それは目の前の光景からして間違いではないのだろうが。
(幕張はあんま話してくれなかったしなぁ。……て、いやいや、今日は芽衣のため芽衣のため。怒るのはなし)
芽衣が望んだ芽衣のための再会なのだから、姉の自分が機嫌を損ねるのは絶対にダメだと、長く吐き出す息に心中のもやもやは一緒に放り捨てる。
「白木さんは昨日ぶり。わるいな、付き合わせて」
「……芽衣も、白木なんだけどなぁ」
「そうだな? そりゃそうだろ」
「しらきめいですっ。さんさいです! よろしくおねがいします」
いつかと同じ丁寧なお辞儀に琴樹も頭を下げ返した。
芽衣が最近よくしている遊びは、指定された色を探す探索ごっこだったり。
「ぴんくぅ! ぴんくない! あはははは!」
地面に線を引く地図ごっこだったり。
「こぇがね、おやま。ここがおうち」
鉄棒にはまだぶら下がることしか出来ないが。
「じゅういーち、じゅうにー」
琴樹がギブアップする方が早かった。
「きょーそー! きょーーーそーーー!」
公園内の歩道の片側半分は走行スペースと定められているから、駆けっこして誰に咎められることもない。
おトイレ、と申告した芽衣を優芽が連れて行ったのを幸いに、琴樹は一人芝の上に腰を下ろして一息つく。
(こどもって元気だなぁ……マジで)
もう二時間近く、ノンストップで遊び回っていた。
ちょっと見遣った自分の足元、靴も、恐らくは砂場遊びが主因で汚れている。買っておいてよかった、と思いながら見上げた空は予報通りの快晴。
(なにやってんだ俺……)
一人になり、どこか現実感がないという感覚が琴樹を捉える。
小さな可愛いお姫様の相手をして、その子の姉はクラスメイトで、そこに自分が加わる絵面を自分では想像できないのに。
(かわいい妹さんに、綺麗なお姉ちゃん。と、俺。……やっぱどう考えてもおかしいよなぁ)
この前よりもおめかしした芽衣は勿論、姉の優芽も、学校で見るより、昨日見たより、更に綺麗に外行きを整えている。
(おかしいってか、よくねぇな。ちゃんと今日を最後にしないと)
いるかどうか確認したこともない優芽の彼氏に手前勝手に配慮して、琴樹はどう芽衣を言い包めるかを思案しているのだった。
そうとは知らないから、芽衣は姉と一緒に手を洗いながら、本当に『一緒に』手を洗いながら、後ろから自分を包むような姿勢の姉を頑張って見上げてにへらと笑う。
「おねえちゃんもたのしい? めいはねぇ、いっぱいたのしいんだよ」
「おねえちゃんもたのしいよー。きっと幕張も……おにいちゃんも「たのしー」って言ってくれるからね」
「うんっ。……おにいちゃんはぁ……まぁはり?」
「そうそう。ま、く、は、り」
「まぁはりは、まぁはりなのに?」
「……そっちつながっちゃったか」
芽衣が眉の間に皺を刻む理由に思い当って、優芽も似たような表情を作る。
地図を楽しく読むせいか、芽衣は地名というものも少なからず覚えている。『幕張』もそう。
芽衣の園の友達にもいる。地名が苗字の子が。そういう時は、名前の方で呼んでいるが。
(琴樹? ……いや、いやいやいやいや)
「おにいちゃんでいいんだよ?」
「まぁはりおにいちゃん……?」
「そうそう、よく出来ました」
芽衣が「まぁはり」「おにいちゃん」と繰り返す。優芽はそれで妹が納得したと思って、小さな手を引いてお手洗いを後にした。
納得など、していなかったわけだが。
「おにいちゃん、おなまえ! まぁはりじゃないからね、おなまえ」
「……琴樹、だよ芽衣ちゃん。こ、と、き」
「ことき!」
胡坐の上に小さな体を乗せた琴樹がゆっくり発音し、続いて響くのは芽衣の元気一杯の声だ。
「こときくん! ことき、おにいちゃん? おにいちゃんは、こときおにいちゃん!」
「こときおにいちゃんだぞー」
座ったまま幼い体躯を両腕で持ち上げてやれば、きゃっきゃと楽し気である。
(おにいちゃんは琴樹おにいちゃんに進化したーっつってなー)
「白木さん、結構いい時間だけど」
琴樹としてはそれで伝わると思っていたし、事実優芽にも言葉の意味は通じていた。
ただちょっと、前置きの方が気になってしまっただけで。
「白木さん? お時間大丈夫でしょうかーって、そろそろ帰る時間かなーって」
「おねえちゃん、お顔ぎゅー」
姉の本気の不機嫌とそうじゃないを見分けられる妹としては、今は「ぎゅーしてぅー」と、言って大丈夫な場面。どうしてなのかは、わからないけれど。