第20話 幼女は早起きした
「こうえん~、ぶあんこ~、おすなば~」
朝の陽ざしが差し込むリビングに、機嫌のいい調子が響いている。
テレビ前に座り込んで左右に揺れる芽衣、それとそんな妹を斜め後ろで見守るのが優芽だった。
「おねえちゃん! はえです!」
「晴れ、ね。芽衣……は、れ」
「はえ!」
「うん、いい子」
(ま、そのうち言えるようになるでしょ)
焦らずゆっくり成長してくれればいい。それは家族全員の願いだから、優芽も無理に何度も繰り返させたりはせず、小さな頭を撫でてやる。言えたり、言えなかったり、そこのところの法則性は優芽も母の早智子も見つけられていない。ないのかもしれない。
「もういく!? もういく!? めい、めいねっ、めい、こうえん、ひとりでいけうよ!?」
「まだだからねー。10時、わかる? 約束の時間は10時だからね? それまではおうちにいようねー」
「いまじゅーじ! いまじゅーじがいい!」
「そうだね。でも今10時になっちゃうと、朝ごはんがなくなっちゃうよ?」
「それはこまいますっ」
優芽の膝に手を置いて跳ねるやら、両手を一杯に広げてみるやら、忙しかった芽衣はだだーっと台所に走っていく。
「ママ! めいのごはん! ごはん、なくなっちゃう!?」
休日にしてはいつもより早く起きだした芽衣は、まだ何の支度もしていなかった。朝食もまだなら着替えもまだ、キラキラした細い黒髪だって寝ぐせでくしゃくしゃだ。
「なくなんないわよー。もうちょっと待っててねー。優芽ー、危ないからこっち来させないでねー」
「はーい。……ほら芽衣、おねえちゃんと待ってようね」
「めいはいつまでもまってます!」
「はいはい。いつまでもは待たせないさ」
(てね)
明らかに自分が観ている恋愛ドラマの影響が出ている。芽衣から時々飛び出してくる語彙は、優芽の娯楽の影響だった。
(妙なとこで使うからなぁ芽衣ってば。でも今更、観させないってのも)
小さな背中に手を添えてリビングに戻しながら考える。
(ふくれそうだし……まいっか)
「おねえちゃん、あとなんじかんん?」
「あとまだ三時間あるからね」
「ながいい」
芽衣がくしゃりと顔に皺を寄せて唇を尖らせる
「そうだね。でも芽衣が早起きするからだぞー?」
「めいのせいじゃないもん!」
「あはは。それはそうだね。ほら、ご飯できるまでお姉ちゃんと一緒にクマちゃんと遊んでよっか」
「はぁおきはいい子! ってママゆってたもん!」
「うんうん。芽衣はいい子だよ。いい子いい子」
そんな風に、いつもよりずっと早い時間帯に姉妹で戯れながら。
「そういうことなら、あんたもいい子ね」
なんていう母親の零した言葉には気が付かない優芽だった。
ご飯を食べて、お気に入りのお洋服を着て、姉に可愛く髪を結んでもらって。
芽衣は玄関前の大きな鏡に映る自分ににっこりと満足した。
「めい、このおかばんすき~」
ピンクの、熊をモチーフにしたポシェットは芽衣が大事に大事に使い続けている相棒だ。
小さな靴を一所懸命に自分で履いて、準備万端整ってから、ようやく姉の姿をしっかりと見上げる。
「おねえちゃん……いつもよいきえい?」
「そ、そんなことないからっ」
そんなことある、と芽衣は思うのだが、そんなことより早く公園に行きたかったから、玄関ドアを開けた姉に付いて出て、それから見送る母に振り返った。
「いってきますっ!」
「いってらっしゃい、優芽、芽衣」