第132話 楽しくいこう!
はじまりは落ち着いた声だった。放送部の女生徒の抑揚を抑えた耳に優しい声音だ。
『まもなく開演の時間になります。生徒各位は身の回りの確認をしてください。まもなく開演の時間になります。最終チェックを行ってください』
業務的な内容の注意喚起で、琴樹も校門脇で周囲を見回した。特にゴミも落ちていないし何か危なそうなものもない。周りには数人の生徒と警備員さん。共に校内開放の瞬間に目を光らせるべく待機している。
『実行委員長から学生全員に! ま多くは言わねぇわ!』
放送を代わった声がうるさい。それでいい。琴樹は入場を待つ数十人のためだけではない笑顔を浮かべる。
『怪我なく! 体調に気を付けて! 楽しくいこう!』
午前10時。
『そんじゃ第21回『正桜祭』……開幕じゃぁああああ!』
三角コーンを撤去する。
はじまりは落ち着いていた。
10時きっかりからの入場者はたかが知れていて『正桜祭』の開始は活気充分にはならない。一つ方針としてあまり入り口付近で来校者を溜めずにまずは奥に流そうという取り決めもあるからだ。
そうしないと30分後には渋滞する。
かなり力を入れての文化祭は毎年のことだから『正桜祭』の評判は近隣住民や二年生、三年生の親類縁者には広がりきっている。ここ数年はネットでの広報までしだしたからわざわざ足を運ぶような人もいるくらいだ。
そんなわけで琴樹も優芽も、他の生徒たちも、店番時には非常に忙しい。
注文を受けたり会計をしたり、案内、相談、迷子がいたりなんてことも。
時には厄介事もあるものだ。
琴樹はクラスメイトと客との間に割って入った。
「やめとけよ。うちは容赦なく警察呼ぶぞ」
少し強引なナンパくらいは国家権力頼りで追い払う。他校の生徒、つまり同じ高校生であると名乗っていたから強気に出るのもラクなものだった。どうせ大した連中ではない。
舌打ちして引き下がっていく三人組は、残念ながら実行委員には通報させてもらう。もし別の場所でも今のようなことを繰り返すようなら、生徒会も介入して、正式に警備を依頼している会社から派遣されている警備員が監視してくれる手筈になっている。
「あんがと! やっぱ頼りになるね琴樹君はっ。いやぁマジてんきゅー!」
「任せろ。こんくらいしかやれないからな。と、すみません、お客様方にはご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます」
「お詫び申し上げますっ」
琴樹に続いて軽く頭を下げたメイドが愛想よく「ごめんなさい」を投げかけて場を和ませた。そういうところ、気さくな女子ほど適性の高い人種はそういない。
表の緊張を解くのは任せて裏方に引っ込んだ後、琴樹は一番小さなクッキーを適当に盆に乗せて戻った。明るく気さくでかわいいメイドさんの助力くらいはしたいものだ。
優芽の方はそういった面倒には当たらなかった。クラスの方は受付するだけだし、部活の方は校門から校舎までの道に並ぶ屋台の一つだから、教室内よりずっと風通しがいい。巡回する人間の目の抑止力はしっかり働いていた。
優芽が部活の出し物で担当するのは主に呼び込みと売り歩き。草臥れたシャトルを分解再利用したアクセサリーなんかを売って部費の足しにする。それと小学生以下限定で記念撮影。
女の子たちがシンプルにかわいいと言って写真をお願いしてきてくれるのには優芽も満面の笑みで応えた。ませた男の子にも。まったくもう男の子は男の子なんだから、と思い浮かべた男の子がとばっちりでくしゃみをしたことを知る由はない。
「幕張くん、風邪?」
「ではないと思う」
チーズケーキをメイドの一人に渡すタイミングだったから、琴樹はくしゃみを自分の肩口に逸らしたのだった。
「無理しちゃ駄目だよ?」
「わかってるって」
「ほんとかなぁ。幕張くんは信用できないからなぁ」
「そんなことはないぞ。心清く、品行方正に生きてるよ」
「それはほんとに嘘だと思う……」
「あれ? ほら、お客さん待ってるぞ」
「はぁーい」
忙しく働いて、汗もかいて、失敗だってして。誰も彼も。
楽しそうにしている。
仁は最後に大きく伸びをして、実行本部に戻った。ぐるっと一周、校内を歩いてきたところである。
「異常なし。いいねぇ、青春だねぇ」
「浦部のおかげだな」
「先に言わないで? 自分で言うのはいいけど他人に言われるのはむず痒いぜ」
軽口を交わすくらい弛緩した雰囲気だった。仁が言う通りにさほどの異常、問題もないから、実行本部はいい意味で暇している。
であるなら、青春の一ページをこんなところで浪費させているのは忍びない。待機する人員を実行本部長権限で減らして、仁は水分補給に清涼飲料水を手に取ろうとした。
「はい」
声と一緒に頬に冷たいものが当たる。ペットボトル。
「さんきゅ」
と受け取って喉を潤す。
「仁のおかげなの……半分は本気だよ、みんな」
「今日はデレる日?」
「そういうのも、緊張がなくなるからありがたかったし」
「みんな大変だ! 副委員長がご乱心であるっ」
仁は残った者を巻き込んでふざけ合う空気にしてしまう。
「ばーか」
誰かが小声で呟いても、聞こえないくらいの騒々しさに。