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第129話 肝心なところを間違わない男

 翌日に早速、優芽は自身の得た答えを琴樹に話した。

 土曜日、琴樹の家でのことだ。早めの夕食も済ませてローテーブルに向かい合って、宿題は早々に片付けて、各自に勉強をする合間の休憩時間に優芽は昨夜のことを掻い摘んで伝えたのだった。

「そんな感じ。いろんな感情が……最近少し慌ただしかったから。だから変に意識しちゃったんだと思う」

 優芽の微笑みに陰りは全くない。日中のデート、映画の時にもぶらりと回った買い物の時にも、優芽にはもう憂いがない。

 それを琴樹は眩しく見詰めるしか出来ない。

「そうか。……飲み物、おかわり持ってくるよ」

 出来るだけ軽妙な調子で言って立ち上がる。優芽の前のコップも自分のコップも残りはほんの僅か、いいタイミングだった。

「俺もそう思うよ」

 それは軽く言えただろうか。

 一口分ほどの紅茶とお茶とをそれぞれ飲み干して空になったコップ二つを手に琴樹は台所に向かった。

 羨ましいのだ、結局。琴樹は優芽が羨ましい。きっと同じくらいの動揺を、こんなにもあっさりと乗り越えてしまえる、その関係が。

 そういう関係を、優芽が全部持っていることが。

 家族について彼女に嫉妬するなど、なるほどそんな人間に結婚をどうこう考える資格すらない。自嘲の笑みは冷蔵庫の扉が隠してくれる。琴樹は庫内を見回すことで時間を稼いでから、ヨーグルトも手に取った。

「優芽もなにかいるか?」

 そう問う表情に陰はもうない。


 琴樹の家ですることといえばゲームが一割で雑談が一割、八割方が勉強。

 答えを出さなくていいものとは別に、答えをださなければいけないことがある。つまり進路だが。琴樹には明確な目標があり、優芽も大学に行くことだけは決めているから、とりあえず学力はあればあるほどいい。

「琴樹ぃ、これ」

 そこそこ長時間、参考書と向かい合っていた疲労が優芽に縋る声を出させた。

「そこは」

 と頼りになる彼氏にすぐに気分が上がるから現金なものだ。

「そういうことか。助かるー。理解、理解」

 そのあとは鼻歌混じりの勉強会となって、優芽の門限前にはお開きだ。

「明日は日曜日だよ? 部活だって午後からだし」

「そうだな」

「お母さんは、いいって言うよ?」

「そうかもな」

「お父さんはまた夜勤で家に居ないし」

「んじゃ、なおさら心配はかけらんねぇな」

「むぅ」

「ほら、立った立った」

「でもでも」

 まで続くのははじめてだった。

「ほら、見て、紅茶まだ残ってる」

「残してっていいぞ、別に」

「そんなこと出来ないよぉ。あーでも今は喉渇いてないしなー」

「優芽」

 琴樹の声音に母が時々するような響きがあるから、優芽は渋々、渋々立ち上がった。

「はーい、帰りますー。別にさ、泊まってくわけでもないし、家だって近いんだから全然、いいじゃん、ケチ。五分だけだもん」

 琴樹はふっと笑って応えはしなかった。

「あぁ! 笑うなぁ!」

 まぁなんだかんだじゃれ合いなので、靴を履いたら霧散するような不機嫌のポーズだ。

 暗い夜道を並んで歩きながら明日はどうするなんて話をする。

 ただし今日は別れ際にも優芽が蒸し返した。

「もうちょっと歩こうよ」

 琴樹の服の裾を掴んで訴えもする。

「いやもう着いたし」

「ばかばかっ、そこはもっと彼女の希望に応えてあげるとこっ」

「ドラマの見過ぎなんだよなぁ」

「あー、ひどいんだ。こんなに彼女がアピールしてるのにそんなこと言うんだ、ふーん」

 『彼女』を強調して自分を薄める優芽に琴樹は苦笑いを浮かべる。かわいいなぁ、が99%。1%くらいは、自分でそれわかってんのか、と。

「わかったわかった」

「わかってない」

「絡んでくるなぁ」

 今度はほんとに苦笑して、それから琴樹は優芽の首の後ろに右手を回して添える。ぐっと、力を込めて手繰り寄せるのは未来までの約束だ。

「んっ!?」

 事態を呑み込めずに硬直する優芽が可愛すぎるのがいけない。ので、二回目も済ませておいた。

「なぁ優芽……答えはなくても、不安にはさせねぇから」

 果たして言葉が届いているのか、琴樹の方こそ少し不安になる。優芽はちっとも機能回復しない。

 琴樹としてもあまり待ってやる余裕はない。カッコつけてはみたものの、相応に羞恥が腹の底で爆発の時を今か今かと待ち侘びている。

「ほら、冷えるとよくないから。家入った方がいいぞ」

「はぇ……家……そ、そそそうだね、家に帰ってぇ……? ???」

 大丈夫、だよな? 割と本気で不安、心配になった琴樹は、ふらふらと玄関に向かう優芽を見送るではなく見守った。

 いつもの別れ際の笑みと挨拶もなくドアに消えた背中にほっと息吐く。

「急ぎすぎた……か? ……まいっか」

 大丈夫だろう。琴樹は踵を返して自宅とは別の道に踏み出した。頭を冷やす時間は欲しかった。

 余韻に浸る時間が。

「あぁあ……やべぇなぁ……」

 なにが、かは琴樹にもわからないが。顔はにやけて仕方なかった。


 可哀想なのは優芽である。

 ぽーっとのぼせたまま玄関のたたきに突っ立つこと五分。

「えっ!? うわっ、わ、えぇぇええええええ!?」

 意味のないダンスを披露してから、優芽は自分の唇に指を当てかけ、咄嗟に止めた。それじゃ余韻が消えてしまいかねない。

「えぇぇぇぇぇ」

 少しずつ冷静になる。思い出す。理解する。比例して熱と赤が顔に広がるから、優芽は両方の頬っぺたを手で冷やそうと試みた。

 ちっとも冷えるわけがないわけだけれど。

「……もっとムード考えろばかぁ」

 優芽がリビングに顔を出したのは更に五分後だった。

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