第125話 想いを名付け、あなたに
風に散っていくものを視界に捉えながら、優芽はなおも口を開くことはしなかった。
自分は今、必要とされ必要とされていない。
ひどい話だ。
誘っておいて、道中に碌な会話もなく終始、彼女をほったらかしとは。
苦笑ではない笑みが薄っすらと優芽を彩る。不思議な気持ちだった。
喜びや嬉しさではない。怒ってなどいるわけがない。悲しいわけでもない。楽しいとも思わない。
喜怒哀楽が追いつかない。
はじめまして。白木優芽っていいます。
この感情は、いったいなんなのだろうか。
琴樹の隣で手を合わせ、優芽は目を伏せる。動く気配に目を開けてみたけれど、琴樹はどこか遠く近くを見たままだから。
また手を合わせてまた目を閉じて。
ありがとうございます。違う。
ごめんなさい。違う。
会いたかったです。
会ってみたかった。
話してみたかった。
会って、話して、琴樹のことを教えて貰ったり。
それとも。
それとも、貴女が居たら。
貴女が生きていたら。
優芽は小さく頭を振る。
良くない考えだ。そう思って追い出そうとして、やめた。
追い出すのは、違う。
それを考えてしまう自分は、自分こそ、自分だから。
きっと私はここにいました。どんなもしもがあっても。私は琴樹の隣に居ました。
これからもずっと。
だから安心してとは思わない。
それを許してとも思わない。
やっぱり、会ってみたかった。
貴女は琴樹の大事な一片だから。
喜怒哀楽を超えて感情を理解する。
「琴樹」
破る気のなかった沈黙を破って優芽はそれを言葉にした。
「私、琴樹のこと……愛してる」
驚きと言うには心にざわめきはない。
琴樹はその事実にこそ驚くほど、冷静にその言葉を受け止めた。
ちらりと流し目だけ寄越してまた瞑目する優芽は、どうしようもなく美しかった。
「愛してるよ」
もう一度。優芽はさらりと言ってのける。
「ありがとう」
と琴樹は返した。そこには少しだけ虚勢もあった。
その勢いに任せた嘘は吐き出さない。
俺も、と。
それを琴樹はまだ言えない。
誰かが言っていた。
恋は求めるもので、愛は与えるものだって。
そのことを実感して優芽は内心に笑みを浮かべた。
琴樹からの返答が感謝以上のものにならなくても、それがちっとも苦にならない。
白木優芽が幕張琴樹を愛しているから、それ以上はないのだ。
誰かが言っていた。
恋は途上で、愛は終着だと。
もうしばらくは祈り、琴樹が「そろそろ行こうか」と切り出して二人は標を、標を納め守る場所を後にした。
帰りのバスは行きよりも人が少なかった。
「ありがとな、付き合ってくれて。一緒に来られてよかった」
「うん。私もよかった。知らない人、ではあるけど……知りたかった人だから」
「そっか」
話すことも少ない。
バスを降り、今日のところは解散する。夜に電話をする約束もしない。
「じゃあまた月曜に。その時は、今日のことは……忘れるってんじゃないけど、なかった、ことでもねぇんだけど」
「ふふ。わかってる。いつもどおり、これまでどおりにね? 今日のこと……すごく大事なことだったけど、でも、それでギクシャクしたら……本末転倒だよね」
「ああ。今度はちゃんとデートに誘うよ」
「そうだ、なら私行きたいとこあったんだった」
「そうなのか。ならそこ行こうか。どこなんだ?」
「いっぱいあるんだよねぇ。遊園地でしょ、猫カフェでしょ、脱出ゲームでしょ、それから」
「おいそれほんとにただ行きたい場所じゃねぇか」
「え、だからそう言ったじゃん」
「いやいや、今の流れはこう……特別に、なんていうか、今というか一番、いま一番行きたい場所みたいなそんな流れだったろ」
「琴樹とならどこだって一番だよ?」
「そうじゃねぇ」
「ドキッとした?」
「しねぇよ、いつもしてんだよ」
「ドキッ」
「ぜってぇしてねぇ……また、月曜に、学校で。学校ででも、話そう」
「そうだね。ありがと、今日、連れていってくれたこと……嬉しかった」
「俺の方こそだよ……もうちょい、待ってくれ」
「なにをぉ?」
「わかってんだろ」
「あはは、うん、じゃあ、じゃあね。またね」
バスを降りて少し歩いた場所だ。なんでもない街角。琴樹と希美はそれぞれに家への路に分かれた。
分かれてすぐ琴樹は背中に呼びかけられた。
「琴樹! 愛してる!」
言うだけ言って駆けていく背中を、今はまだ見送るだけ。
全然人影がないからと叫んだ言葉に優芽自身が頬を紅潮させる。
短い距離を走って、歩くくらいにスピードを落として、でも赤は引かない。緩む頬が引き締まらない。
「どうしよ。私……琴樹……」
愛を知って、優芽は自分がちょっとだけ変わったと自覚している。
「どうしよ……好きすぎる……」
恋で求め、愛で与える。
恋で変わりゆくものに一喜一憂し、愛で変わらぬものに心を寄せる。
恋も愛も胸に抱いた優芽は、けっこう無敵で、かなり浮かれていた。
「おかえり優芽……あんた、どうしたの?」
「おねえちゃんおかえりなさい! おみやげは? めいにおみやげはっ?」
「え、なに、なんか変? えへへへへ。お土産ね、お土産あるよー。はいシュークリーム」
「しゅーくりーむ! めいのこうぶつです!」
「私と琴樹からね」
「こときおにいちゃん! しゅーくりーむ、いま食べてい?」
芽衣がおずおずと訊くのは母親である。
「いいわよ。お皿にだしてあげるから待っててね」
「はいっ! めいはいつまでも待ってます!」
「優芽も食べるでしょ?」
「食べる~」
かなり浮かれているので、母親には様子がおかしいと思われた。
「愛ねぇ。優芽あんた、キスもまだでしょうに」
隠し立てせずに語った後、優芽はご尤もな指摘を貰ったのだった。