第121話 あと一年
優芽には一つ、どうしても許し難い不満がある。学校運営に関してだ。
「なぁんで三年になる時にはクラス替えないの? おかしくない?」
「なんだいわたしと同じクラスってだけじゃ不満かこの」
優芽は頬を突いてくる希美の指を握る。
「や、やめてくだせぇ、わたしが悪かったです」
希美は指一本を他人の手にしっかり握られることの恐怖を知った。解放された人差し指を撫でながら次は貫手でいくことを決意する。
「クラスって変えてもらえないのかなぁ」
今日からお世話になる新しい机に早速伏せながら優芽は唇を尖らせた。クラス、自分だけ別クラスにしてくれればいいから、なんとか交渉できないものだろうか。
「馬鹿なこと言ってねぇで。どうするクラス会、来るのか来ないのか」
「土曜だっけ」
「そう。土曜の午後から予定」
クラスの男子からの催促に優芽は悩む。
新学年の始業式後のわいがやの中、進級祝いのクラス会をしようということになった。今日は早帰りで、担任はすぐに戻って来て連絡事項と解散を告げるはずだ。
「返事、明日でいい?」
「明日ならな。言っとくけどみんな優芽には来て欲しいと思ってるからな」
「わぁい、うれしい」
希美が横から手を挙げる。
「はいはい、わたしは? 誰かわたしを求めてくれん?」
「希美もな、来てくれればてか、来るっつってたじゃねぇか。来て欲しいとも思ってるよ、もちろん」
それから誰か個人的に大歓迎してくれてる男子はいないかと希美が悪ノリするが、彼女持ちには「馬鹿なこと言うなっつの」とあしらわれた。
たびたび優芽が恋愛相談する相手のお相手がこの目の前の男子だ。彼女の方が琴樹と同じクラスだから丁度、男女入れ替わりの状況にある。
優芽が知る限り、そういう男女はそれなりにいる。入れ替わりとまでではなく、違うクラス同士で恋仲という例が。
つまり優芽も全然、特別でも特殊でもないということだがそれはそれとして。
「琴樹と一緒にしたかったなぁ、文化祭とか」
「隠してんだか隠してねぇんだか」
これもうわかんねぇな。と男子と希美が同時に肩を竦めたことを優芽は知らない。
「それなら土曜日、夜に少し散歩でもしないか。クラス会が終わった後に」
その日の内のこと、カラオケの一室で琴樹は優芽に提案した。
優芽からクラス会、それとクラス替えがないのが残念だと聞かされて考えついたのがそれだった。
「俺だって優芽と違うクラスなのは残念だと思ってる。本気で。いやマジ本気で」
想いは同じだ。結局、琴樹と優芽は学校行事のほとんどを共に出来ない。琴樹からすると負い目でもある。
「それは、どうしようもないから……文化祭とか、休憩は絶対に合わせよう」
そんな約束もする。
「そんでクラス会の日にはさ、少しでもいいから一緒に過ごそう。クラスには、入っていけないから、けど、俺も優芽の学校生活のさ、一部だからちゃんと」
「夜だけ?」
「夜だけな。……クラス会は、都合が合うなら出て……欲しいってほどじゃねぇけど……わざと被せたりはしねぇよ」
「まぁ……なら別にいっかな」
希美としてはブッキングするならするで構わない。上書きしてくれるなら嬉しくないわけでもない。クラスのみんなと仲良くするのに、こんなイベント一つ参加しなくたって支障は生じない。
けど、自分のことを考えてそう言ってくれるなら、それも全然、悪くはない気分だった。
「出て欲しくはないんだ?」
「……いや、別に」
優芽はにやける頬をなんとか微笑みに差し替える。
琴樹は本音じゃあまり出席して欲しいとも言えない。優芽と同じクラスの男子たちへの羨ましさは払拭しがたい。だから同じ日に会おうなんていうのは言い訳として優芽を想いつつ、自分のわがままをねじ込んだ妥協案だ。
「歌うわ」
「どうぞどうぞ」
短い沈黙の後に琴樹が宣言し、優芽はギリギリ微笑みで応じた。
始業式の後のカラオケデートは長引いた。
春の夜はまだ肌寒い日もある。琴樹と優芽はいつものように優芽の自宅に向かいながら冷えるねと笑い合った。
「温かくして寝ろよ?」
「んー……だいじょぶ」
この瞬間に左手に感じる熱があるから。優芽は心に呟いて握る手にも大丈夫を伝える。
「ちゃんと温かくもするけどね。琴樹こそ、一人なんだから気を付けてね」
「重々。俺ほど気を付けてる奴もそうはいないよ」
「カップ麺が積んである人の言うことじゃないなぁ。信用できませんよ?」
「あれは非常食だから。たまには入れ替えもしないとな」
言う通り一応、琴樹基準でたまに、ではある。
「頻度高くない?」
「新作のチェックも兼ねてるから仕方ない」
うん、と琴樹は深く頷いた。これは本当に仕方ない。
新しく発売されたカップ麺のどれがどうと品評をして、会話はひとまず落ち着きをみせた。
話すことなどいくらでもあるが、夜の空気の中で互いの存在を感じ合うだけの時間も心安らぐ。
信号を二つ超えていよいよ終着が近づいた頃に優芽は口を開いた。
「芽衣には、いつ伝えよっか」
それはこのところの一番大きな悩みだった。
芽衣にまだ、言えていない。二人が付き合いだしたこと。恋人というものになったこと。
機会は何度もあった。けれどその度、どうしてか一言が出てこなかった。琴樹も優芽も。
「そう、だな。ちゃんと言わなきゃな」
と何度繰り返しただろうか。
今に至って言い出せない理由はわからない。
本当はわかっている。
わかっていて「わからない」を合言葉にしてしまっていた。
「芽衣と言えば、新しくはじまったドラマをね、すごく気に入ってるみたい」
「もうなんかはじまってたっけ」
「あ、ごめん、ドラマの専門チャンネルのやつ。新しくだけど、再放送だね」
名前を言っても琴樹は知らなかったから優芽があらすじを紹介する。
そうして「わからない」はなし崩しに夜に消えた。