第108話 お風呂にして、ご飯にして、そ・れ・か・ら
温泉をしっかり満喫してから館内着、浴衣に着替えて琴樹と仁は暖簾を手で押しのけた。
「いやぁ、いい湯だったなぁ」
「ほんとになぁ。気分もさっぱりで、なんでも許せる気がするなぁ」
仁は小声で「下手くそめ」と呟いた。
浴場は当然に男女別であるから、待ち合わせるタイミングというのを決めてある。大体1時間で上がろうねと。集合場所は大浴場を出てすぐのベンチでいいでしょと。
そうしてそういう場合、多くは女性の方が後から出てくるものだとグループの過半数は思っていた。琴樹と仁と、希美と文は、そう思っていた。
「やぁ。そんなにいい湯だったんだぁ」
希美は笑顔だ。
「気持ちよかった?」
文も。
「気持ちよかったに決まってるよね。時間を忘れるくらい」
お決まりみたいなものを意識していないとして、優芽も笑みを浮かべずにはいられない。
「いくらなんでも待たせすぎ」
小夜だけははっきり、目を怒らせている。
「は、ははっ。ま、待たせて悪かったって、思ってる。……浴衣、似合ってるな。うん。すげー美人に見える」
巻き添え食らうに違いない仁は琴樹の発言にため息を吐き出した。意外にこいつ、ダメなのかもしれない。それからいやと思い直す。ちょいちょい失言みたいなことは思い出せてしまうから、この親友は口で厄介を引き寄せるタイプだ。出来ればその際には是非、自分のいないところで面倒なことになって欲しい。次回からは。
「あっ、そう。今は美人に見えるって? それはどーもありがとう。行こ」
優芽に冷えた声を浴びせられ、希美と文には哀れみを、小夜に至っては感情のかの字もない目で一瞥されただけ。
荷物を置きに部屋に戻る女性陣の後を、琴樹は足音を消してついて行った。
「ミスった」
「盛大にな」
仁は苦笑し琴樹の肩に手を添える。エレベーターは二回使った方がいいだろう。
さりとて本気の本気で失敗したわけでも、怒ったわけでもない。もうすぐに迫った夕食に集まって「あとでもっかい謝っとくか」程度でなかったことになることに疑いはない。
夕食の用意された大広間の前で琴樹は軽く手を挙げて四人を迎えた。
「さっきは待たせてごめん」
「ん」
「ま、いいけどね。でもちょっと暇したんだぞぉ? 男湯に突入するわけにもいかないしさぁ」
優芽の極々短い返事の後を希美が継いだ。暇は嘘じゃないけどほんとでもない。女子四人で暇だったわけはなく、けれどどこへ行くわけにもいかないから暇だった。
「ほんとわるかったって」
「ああ。つい楽しくなっちまってな。気を付けるよ」
「こっちこそ、悪ふざけが過ぎたかもね」
文はもう口端を緩く引き上げている。
「でもさぁ、30分も女の子待たせるのはないわぁ。ちなみに? どう? 浴衣?」
「似合ってる。みんな」
「ばっか」
と仁は琴樹のわき腹を肘で突いておいた。
「似合ってるてのもそうだけど、いつもと雰囲気違うのもあって大人っぽく感じる。篠原も西畑も。宇津木もな」
「……優芽も、似合ってる、ほんとに」
「見れて良かったよなぁ琴樹?」
「まぁ、な。てか行こうぜ、メシ。ここでぐだってても邪魔だろ」
「ん」
「それはそう」
希美が小さく笑い声を零し、指定の席への案内をお願いする。仁が従業員にチケットを渡せば広い空間を先導してもらえる。
「こちらです。ごゆっくりどうぞ」
六人分の膳に「おお」「わぁ」と感嘆は六つ。「うまそう」と「おいしそう」は二つと一つだった。内心を含めればこれも六つではあるが。
「おいし」
言葉にしたのは優芽だけだが思いは同じだ。おかげでしばらくは各自で味と彩を楽しむことになる。
山菜メインは郷土の特色。海の幸もある。どれも舌に鼓が鳴ってやまない。
半分ほども食べれば箸は落ち着く。あれこれ絶え間なく伸びるほどではなくなり、そのゆとりが感想で埋まった。
「それ、おいしかったよ」
「おいしかったって、どれもおいしいじゃん」
「すごくおいしくておいしいです」
「希美、語彙が死んでる」
「食レポは奥が深いんだ」
希美は誰かが新しい一品に手を伸ばすたびに「それ、おいしかったよ」を繰り返す。四度もやれば飽きる。
話題は昼間の出来事にも及び、お城でしたスタンプラリーの順番ジャンケン、誰からスタンプを押したなんてことすら笑い声を呼ぶ種だ。
「あ、琴樹おかわりいる?」
「さんきゅ」
男子二人が向かい合っており、それぞれの隣に女子二人が並ぶ三人ずつの横並び。優芽は当然、琴樹の隣に座っている。受け取った椀におかわり用のお櫃からごはんをよそう。
「はい。お米もおいしいよね」
「ありがと。な。うちの炊飯器じゃこうはならないんだよなぁ。使ってる米自体、違うんだろうけど。別にわるくないけどさ、炊飯器の米も」
「ふふ。ちゃんとしたとこのお米ってほんとにおいしいよね。そうだ、今度作りにいっていい? 琴樹の家に。お料理。私これでも料理出来るんだ」
「そういえばそんなことも言ってたな」
一年の校外学習の折、優芽が自信ありげにしていたことを思い出す。
「そのうち頼むよ。俺も自炊に関しちゃ練習中だから」
「逆に琴樹の料理も食べてみたいかも」
「練習中なんで。そのうちな」
「ちなみに、私はお魚の方が好き」
「鰤は……鰤大根しか出てこねぇ。あとは刺身か」
「煮つけでも照り焼きでもあるでしょ」
「練習中、なんで」
ということにしておく。琴樹の日々の食卓には、どうしたって魚より肉が並ぶことの方が多い。それにしたってレパートリーはお察しである。
翻って目の前の種類豊富な食事だが、とっくに空の器が目立つ。
「はー……食べたぁ」
「おぉいしかったぁー」
「ごちそうさまでした」
優芽と小夜と文が同じタイミングで手を合わせ、これで全員が食べ終えたことになる。
「食べ過ぎたかも」
優芽の反省に希美は左手を差し向けた。
ぷよぷよ、と。お腹のお肉も満足そうだ。
「やめい」
ぺっと叩かれて引っ込めて、このあとの予定を問う。
「どうする? すぐ卓球とかは辛いよね。わたしもやだし」
「さすがにすぐはなぁ。一回、部屋で落ち着かないか? 三、いや二十……十五分くらい。そのあととりまゲーセン行こうぜゲーセン」
「ゲームコーナーね」
小夜的にそこは譲れない。ゲーセンでは如何にも風情がないではないか。
とりあえずは仁の案で決定し、食後のお茶を一杯いただいた後に部屋に戻った。
「遅刻すんなよぉ」
小休憩だから各自自分の部屋に入る前、希美は一応、釘を刺しておいたのだった。