第106話 到着
バスから降りてすぐ、琴樹たち宿泊客は出迎えを受けた。
「お待ちしておりました」
妙齢の女性を中心に十人ほど。年嵩の人も男性も、随分若く見える女の人もいた。大人たちに一様に頭を下げられては高校生では対応に窮する。気さくに受け応える他のお客さんがいてくれてよかったというのは六人全員の胸に去来した思いだ。
受付に全員で押し掛けても邪魔でしかなく「受付にはもちろん俺が行く」と言う仁に任せて他の面子はエントランスの一角のソファに腰を下ろして待つ。或いは展示物など見て回ったり。
「さっきもこういうのあったね」
「こっちの方が高そう」
「それはね、飾られてるほどのだし」
文が見つけたのは街でも見かけた木製品だが、優芽が言う通りに値段は少々、桁が違う。値札はなくともわかるくらいにはサイズ感も細工の精度も別物だった。
優芽は受付カウンター、天井、それからぐるっと一周、館内を見て率直な感想を述べる。
「いいのかな、なんか写真で見たよりずっと高級そうっていうか……私たち場違いじゃない?」
「そうかな? 別にそんなことないと思うけど」
そう言われると自分の気にし過ぎだろうかと思うものの、やっぱりちょっと雰囲気に慣れない気分の優芽である。
琴樹はどう思ってるかな、なんて目を向けて見れば希美と小夜の間で何か話している。手振りからではなんの話か見当もつかないが、楽し気なのだけは伝わってきた。
心には光も影も差す。どちらが自分の本心なのか、優芽自身にもさっぱり見当もつかない。
「戻ってもいいよ?」
「ううん、いい。向こうの方も見てみようよ」
ただいつまでもこんなままじゃ駄目だという感覚だけは、合っていると思うのだ。
途中、仁が一度、記名の用紙を持ってきた以外は何をすることもなく、希美の手に鍵が渡される。
「ほいこれ。失くすなよ?」
「んなことするわけないじゃーん。失くすとかありえないってぇ」
「フラグ?」
「さすがにそんなことはない……はず」
「小夜ぁ? 優芽ぇ?」
希美が手の中の鍵二つを転がしながら軽く二人を睨んで見せた。
部屋は男子と女子で分かれて二部屋で、それぞれスペアの鍵も受け取っている。場所でいうと、となり部屋。
「さてさて、と。どんな感じなんだろなぁ」
「楽しみだな。入り口もさ、写真とはやっぱちょっと印象違かったし」
「それな! 実際来てみるとこう、空間を感じるよな空間を」
「いいセンスしてるじゃん」
「お、そうか? ちなこっちで合ってるよな?」
「合ってる合ってる」
部屋が隣同士なのだから行く先は同じで、男子二人が先導する形で館内を進む。
「とりまひとっ風呂でしょー? んで卓球してー、ご飯食べてー、ゲームコーナーにも行ってー。もう一回温泉行ってー。部屋でも遊んでー。やー忙しいね」
「枕投げはやんないからね」
「なっ!? なにをバカなことを言うんだ優芽! 枕投げずして修学旅行は語れないのにっ!?」
「枕投げはわたしもやんないから」
「小夜まで!? 文っ、文はやるよね? 投げるよねっ!?」
「嫌」
お高そうな宿ではやりたくない優芽と小夜に対して、文の拒絶はまた別のところからくる。
「あ。ふふっ、そうだった、文って修学旅行、今回のじゃなくて普通の修学旅行で、枕投げして襖破いて怒られてたよねそういえば」
「待って。ほんと待って。私がやったわけじゃないから。同じ部屋の人がやっただけだから」
「一緒になって枕投げしてたんなら同罪だと思うけどぉ?」
意地悪に笑みを浮かべた小夜に、さすがに分が悪いと文は観念することにした。
そんな会話を背中に聞いていた琴樹と仁は思う。
枕投げ、やらないのか……。
残念に思うのだ。
さすがに二人でやる気は起きない。
十五分後に、と落ち合う時間を決めて違う扉を開けた後、琴樹は「おぉ」と感嘆の声を漏らした。
「いい部屋だな。広々してていいなーこいつは」
「ま、隣と同じ広さだしな」
本来は四人部屋のところを二人で使用するわけで、若干は広すぎるのレベルに達している。
荷物を部屋の隅に置く必要すらない。どこに置いても大して邪魔にはならないから男子高校生の粗雑さでもって放っておく。
「お、和菓子あんじゃん」
「お茶淹れるよ」
テーブルの上に置かれていたものに手を伸ばす。仁はそれを口に運び、琴樹は手元に導く。
琴樹がポットから二人分の湯を注いで、一旦は休憩モードだ。
「と、窓開けとくか」
近いところに居たから仁が動いて、ついでに窓際に琴樹も呼び寄せた。
なにせ景色がいいから。
山肌、木々、川。彩は乏しく、絶景とまでは呼べない。それでも。
「いいな」
「な」
旅館に来た、という実感を得るには充分だった。
似たような経緯で窓からの景色を楽しんだ女子たちだが、こちらはいくらか姦しい。
「やっほー! ……さすがに返ってこないか」
声量を抑えていたせいもある。数メートルの距離にいる琴樹と仁にも届かなかったような配慮した声では木霊も応えるに応えられない。もう少しタイミングが早く、隣の部屋の窓も開けたままであれば木霊以外からの返事はあったかもしれないが。
寒いから希美もそれだけで窓は閉じる。
「ねぇこれ、トランプにUNOに。用意されてるよ」
「あはは、なんかちょっと恥ずかしいね」
ウェブサイトには貸出と記載があったはずだった。気配りされたのだと察して優芽はなんだかこそばゆい。
部屋の隅に設けられた小さな棚からケースを二つ手に取った小夜が希美や文にも「ほらこれ」と掲げて見せる。
「あとで浦部君に言っとかないとだね」
たぶんきっとそういう準備をするだろう顔を思い浮かべて文は言った。
「だね。こっちは……お、ゲームのルール、の説明だ」
旅館の自作か引用かはわからないが、トランプの遊び方が冊子になっていた。
それを小夜がパラパラ捲り、優芽が横から覗き見る。
「おーい、そろそろ準備したほがよかないかー」
希美は自分の鞄を開きつつ優芽と小夜に声を掛けた。
「はーい了解」
は二つ重なって返ってきた。