第104話 衛星より坊主
目下、最大の懸念はなにはなくとも天候であった。
木曜朝の予報でも週末の空模様は変わりなく。
「雨か」
軽く鞄の中身を再確認する間に天気予報をチェックするのが琴樹の平日朝の日課である。今日は水色ワンピースのお天気お姉さんがお辞儀をする、と画面が切り替わるからリモコンの電源ボタンを押した。予報の後半は距離的に関係ない土地の話だが、琴樹がテレビを消すのはいつも同じタイミングだ。
家を出るのに丁度いいから。は対外的な言い訳。
「おはよう」
「おはようございます」
ご近所さんとは、合ったり合わなかったり。
「旅行、天気の方は残念そうですね」
「そうなんだよ。別に普通に雨くらいなら問題はないけど、やっぱ晴れて欲しかったよなぁ」
「朝から、終日。日曜日も怪しいようですし」
「露天風呂って雨の日はやってるのかな」
「さぁ、どうなんでしょう。それより聞きましたよ進路のお話。感情に流されずに選択できるのは素直に尊敬します」
「涼にそう言われると自分が正しい選択を出来たって気になるよ」
「あら、なんだか信を置いていただいているようで。嬉しいですね」
「ほんとだぞ?」
「ええ、疑ってはいませんよ?」
たまたま会ったなら雑談でもしながら登校する。週に二日か三日、琴樹と涼は並んで校門を潜るのだった。
それを、二人は何も気にしていなかった。
気象衛星がどこを飛んでいるのか、当たり前だけれど地上から肉眼で見えるわけもない。ついでに言えば天候の責任を取らせるなんていうのは意味不明かつ荒唐無稽の話だろう。
でもとりあえずということで、優芽はなんとなくあそこらへんを飛んでいる気がしないでもないような予感がありそうな気がする人工衛星に、週末は晴れにしてください、をお願いしておいた。
「白木。ぼーっとしてるな? 続き読んでみろ」
授業中に、だから、おかげで国語の教科書を手に膝を伸ばす羽目になる。
教師に見咎められたのは二回目だが、友人なんかはもう少し多く気付いている。
「優芽、外見てること多いね、最近」
「そうかな?」
「今日も名指しされてたしね。黄昏ちゃってんのぉ?」
そんなことはない、に説得力はさほどないけれど、それ以上を追及するほどの異常事態でもない。
優芽の否定だけで終わる話題は、偏に旅行の話が内々だけのものだからだった。
どうせなら最大級の思い出に、良い思い出にしてあげたいと、思う優芽が一人で気を揉むだけの休み時間は歓談に費やされてすぐ消える。
「あ、そうだ」
思い付きに声が出ても、なんでもない、で終わるだけ。
そうして訪れた週末の早朝に、駅に全員が集まったのは予定時刻の十分も前だった。
「おまえらよぉ。小学生ですか? 楽しみ過ぎて早く来ちゃったじゃないんだぞ? ちゃんと寝たか昨日」
「そう言う浦部こそ早かったじゃん」
「小夜には負けるけどな。よ、一番乗り」
「うっさい二番乗り。めちゃくちゃショック受けてたくせに」
「ショック?」
優芽の疑問に小夜が「一番乗りできなかったぁ! って」と頭を抱える真似をする。
「小学生じゃん!」
希美が声を上げて笑う。
「男はいつまでも小学生なんだよ」
「低学年? もしかして園児だったり……」
「そこまでではないけどなっ」
「文は容赦ないねぇ。てか、集まったんならホーム行かない?」
「だね。よぉしじゃあ出発しますかぁ! レッツゴー、修学旅行! はい優芽」
「え、え、なにが?」
「旅行名だよ旅行名。気を取り直してもう一回。レッツゴー、修学旅行!」
「うぃ、with幕張琴樹……はい文」
「バージョン」
「それ楽しい?」
「容赦ねぇのは小夜もだよなぁ」
少々テンション高めの五人に琴樹は「元気だなぁ」と他人事みたいな感想を漏らした。
「なんだなんだ琴樹。オレらのスピードについてこられないか?」
少々、緊張が漂ったことさえ琴樹には感じ取れなかった。なぜなら。
「いや……楽しみ過ぎて昨日、あんま寝られなかったからいますげー眠い。往きの電車寝てていいか?」
そういう事情があって、だから待ち合わせにやって来たのも最後であったし、口数も少なかったのだった。
それがまた、五人のテンションを一段押し上げる。主に仁と希美のだが。
「なんっだよ、それを早く言えってたくもう。しかし……だはは、おまえがナンバーワン小学生だ、誇れ」
「いやそれ誇っていいものなのか?」
「んーーーもうっ。幕張はお子ちゃまなんだからっ! そんなに楽しみだったかそうかそうか、好きなだけ寝るがよいぞっ!」
「もうお子ちゃまでいいから、わるいけどマジで寝るわ、電車の中で」
「一時間半くらいだったっけ?」
「そうそう! 一時間半! くらい!」
文が口にして希美が復唱した時間すら琴樹には短く思えた。本当に。楽しみ過ぎて、昨日の琴樹の睡眠時間は二時間だから。
四人から数歩遅れて、優芽は胸に手を当てた。
「よかった……」
遅れているのは四人からであって、だから小さな呟きを拾う者もいる。
「心配しすぎ。……よかったね」
「うん」
素直に過ぎる優芽の方こそ心配だよと小夜は言ってはやらない。
駅構内を歩いていく六人は、歩いている誰も彼も、傘は持っていない。
てるてる坊主だなんて、そんな小学生みたいなことをしたという姉妹の姉の方が、小走りに前を行く集団に追いつくのを見て小夜は目を細めた。
楽しい旅行。
「や、修学旅行だっけ。……with幕張琴樹バージョン……」
楽しい旅行になるといい。なって欲しいと心から思う。