第五話
「さて……ここからどうすっかな」
死ぬほど面倒臭い。
最初は多少ゴタつくだろうとは思っていたのに、蓋を開けてみれば事態は想像していたより遥かにややこしい方に転んでいる。しかし今日はもう夜更け、目が覚めたばかりの当の本人、リーゼロッテに一から説明をしていたら夜が明けてしまう。
というより、恐らく説明したところでもう本人にもどうにもならないだろう。それならこちらで対応を考えるしかない。
「まずは協会に報告するとして。銃の修理も急いでもらわないとだなあ」
二日も目を覚まさないものだから昨日今日と何も仕事を与えられず、ただただ御守り。身体も訛って仕方がない。一人溜め息を付きながら、空になった食器の片付けついでに今後の動きを考えつつ階段を降りていく。
ここ、狩人協会本部の建物は柄の悪い連中ばかりが出入りする溜まり場になる。これ幸いと売られ始めた酒が回れば、一階の広間は夜中でも騒ぎ放題のちょっとした酒場のような有様になる。
というか魔狩人以外も酒を飲みに来てるのだから逆に酒場に窓口があるようなものだ。今日もすっかりアルコールに染まった空気と酔っ払い共を避けるように、端の方を歩いていた姿を見咎められたのか、声を掛けられた。
「話は聞けたのかい」
「もう真夜中だったし軽くだけ。野良が介入したらしいってのと、主を見たって」
「勘が当たっちまったかね……全くあの子も運がいいんだか悪いんだか」
「俺が探した時もどこにも見当たらなかったのにな」
喧騒の中で涼しい顔して老獪な女性が一人、窓口の席に着いている。外の騒ぎから避難するようにこちらも奥へ入るよう促され、ついていく。
一見なんという事のない老婆にも見えるこの人が、往来都市と呼ばれるここノルドで狩人協会長を担っている女傑。婆さん、もといマリオン・バロン会長。大陸のほぼ中央、都市と都市とを繋ぐ地で魔狩人をまとめ上げる首領だ。
一言で言えば、この婆さんは飼い主。ここの魔狩人たちは首に縄を繋がれた『猟犬』という所になる。まあ、自分もそのうちの一匹にあたるのだが。
「うちで保護できたのが不幸中の幸いだね」
「で、なんで俺が全部面倒見なきゃいけないんだよ」
「何言ってんだい、客人を招いたのなら最後まで責任持ちな」
「一応遠征帰りなんだけど……?」
「もう二日も休んだだろうが。キリキリ働けクソガキ」
明らかに最後のクソガキだけ力の籠もった言い方だった。勘弁して欲しい。
わざわざ狩人協会本部の部屋を融通し、監視役だからと言って俺もその隣に押し込まれたのは会長に強制されたせいだ。最初はその理由は分からなかったが、たかだか学生が一人と思っていたリーゼロッテは、それくらいの困った状況に立たされている。
今彼女が置かれている状況とは、野良犬に付け狙われる可能性が高い賞金首であると同時に、現在アスニア方面を覆い続けている霧からの生き残りで、貴重な魔獣の目撃者。
ならず者共に間違いなく標的とされている中、アスニアへ護送しなければならないという恐ろしく面倒な荷物だった。
アスニア魔法学園からの捜索依頼。都市アスニアへの護送を条件として提示された報酬金額は相当羽振りが良かった。それ自体はおかしな事でもないし、学生の命と引き換えなら安いものだろう。
問題は、本来は秘匿されるべきその情報が狩人協会だけでなく広く一般に公表されてしまった事だ。どこからか漏れた噂が拡散したのか、あるいは元々秘匿するつもりがなかったのか。可能性は低いが狩人協会から漏洩した可能性もあるか。情報の経路はともかく、彼女の存在とその報酬が野良犬共にバレてしまっているのがとてもマズい。
人間、誰もが無償で迷子を届けてくれるような善人ばかりではない。魔狩人は、賞金稼ぎと呼べばまだ聞こえはいい方かもしれないが、ほとんどの輩は賊と大差がない。早い話が、「金さえ手に入れば手段は何だっていい」連中ばかりだ。そうした素行の悪い無法者たちを統括し御するために、『狩人協会』が発足するが、当然そんなものに所属したがらない奴らは野良で好き勝手に動く。それらはまとめて『野良犬』と評されている。
そんな奴らが、隣の都市まで娘一人運び出すだけで魔獣討伐並みのデカい報酬が貰えるという好条件に食いつかない訳がない。
今すぐに運ぼうとすれば当然道中で魔獣に襲われるリスクが高いが、無理に急ぐ必要はない。しばらくはどこかに閉じ込めておいて、霧が晴れた時期を見計らって運び出しても依頼人の学園側は文句なく金を支払うだろう。
もし道半ばで放り出されれば死ぬだけなので、多少手荒く扱った所で荷物は逃げないし、途中運び手がすげ変わっていても何もできない。どちらにしたって一応アスニアへと帰れる事には変わりないのだ。
下衆な奴には魔獣の相手なんかよりも実に都合のいい仕事だろう。言ってしまえば絶対に足の付かない身代金目的の誘拐みたいなものだ。流石に人の目がある都市の中では手出しはされないだろうが、警戒は必要と見越して手の届きにくい狩人協会本部の中に匿っておいたうちの会長の判断は正解だったと言える。
それに、魔獣の話を聞けないうちにリーゼロッテを持っていかれるととても困る。何しろ、彼女を拾った魔法学園の演習地……ファーランデ森林地帯という名前だったらしいが、その霧の主が未だに彼女を除いて誰一人確認できていないからだ。
今いるこの都市、ノルドはちょうど大陸の中央あたり。アスニアはそこから北西に位置する。そしてファーランデ森林地帯はその中間ほど、ややノルド寄りの所だ。たまたま北方の都市へ遠征した帰り道が、この森に面した街道を通っていたからリーゼロッテを拾い上げる事ができた。
霧の範囲はその森林地帯を覆ったまま動いていないので、霧の主もそこから移動をしていないはず。ところがいつまで経ってもその姿を発見できず、実際に現れるのは煙の魔獣、雑魚ばかりだ。近寄らなければ追っても来ないのなら、放っておいてもいいと考える者もいる。しかしさっさと始末しないと街道も同じ方面の鉄道も使えないし、それだけの隠密能力を持つであろう魔獣が急に動き始めて近くの都市を襲わないとも限らない。そしてそうなった場合、目標となるのは最寄りのここノルドか、向こうのアスニアのどちらかだ。魔導士もその危険を考えて第一に守るべき都市から離れられないのだという。
普通だったら魔獣は突然現れて、突然襲ってきて、被害が出れば出るほど情報がすぐ出回るので、今回のように魔獣についてまともな情報がほとんどない事は稀だ。大体、姿形さえ分からなければ、せっかく魔獣を狩っても標的とは別個体なんて事もあり得る。そんな状況で無策で霧に突っ込むほど協会所属の魔狩人は馬鹿ではない。現在は霧の範囲外を大きく迂回したルートを使ってアスニアとの連絡や、生き残りと魔獣の捜索をしているらしい。生存者に関してはそろそろ望み薄だろうが。
今一番欲しいその魔獣の目撃情報を彼女は持っている。ずっと姿をくらまし続けているその外見や特性など、何か少しでもわかる事があれば対策の取りようもあるのだから。
長引けば長引くほどリスクは増える。魔獣の情報を聞き取り、ルートの安全が確保でき次第、出来る限り早くアスニアまで送り届けてしまいたいというのが、こちらの内情だ。
「あまりのんびりもしてられないね。明日でルート調査が片付くし、ラプターの奴も戻ってくる。明後日の朝には送り出すよ」
「銃と弾は」
「明日には間に合うとさ。ただし、直接取りに来なかったらぶん殴る、だそうだ」
「それ、直接顔出しても結局ぶん殴られる奴じゃねえか……」
愛銃を壊した上、予備に積み込んでいた猟銃まで弾切れを理由に捨ててきてしまった。それらの銃を作り上げた銃職人に告げたらどう考えても雷を落とされる未来しか見えない。それが嫌だからこっそりと協会経由で工房に修理依頼を出したというのに……今から頭が痛い。
とはいえ霧の中の強行軍になるのを考えたら、手慣れた銃もなしでは困る。今日何度目かもわからない溜め息をつきながら辟易する。
「いやはやしかし、あのクソガキが女連れて帰るなんて最初は笑いもんだと思ってたけどねえ」
「たまたま拾っただけだって言ってるだろ」
「さてね。きっちり終わらせたらちゃんと休暇はやるつもりだよ」
くつくつと笑ってからかう会長は放っておくとして、さっさと休んでおくために自分も部屋へと戻る事にする。二日間の御守りは確かに暇で暇で仕方がなかったが、それを霞ませるくらいには忙しくなるだろうから。
彼女には感謝されてしまったが、礼が欲しくて助けた訳ではない、魔狩人としての打算ありきだ。だから厄介な荷物を拾い上げた事を一瞬でも悔やんだのは、ただの身勝手に過ぎない。
「最後まで責任を持て、か」
命を狩る事が生業の自分にとって、人を助け、守るのは……随分と久しぶりの仕事だ。