第四話
「これ、見てくれ。今行方不明になってる落伍した学園生のリストだ」
程なくして戻ってきた彼は食事を載せたトレーだけでなく、何枚か綴じられた紙の資料も抱えてきた。テーブルに着いて久しぶりの温かい食事を味わうのもそこそこに、そのうちの一枚を食い入るように見つめる。
リーゼロッテ・エヴァンズ。七人の名前と横に書かれた特徴書きの中には、確かに自分のものが含まれていた。
「今朝、狩人協会宛にアスニアからの捜索依頼で届いたんだ。ああ、名前は勝手に徽章を確認させてもらった」
そういって部屋の隅を指差す。上着掛けに法衣がそのまま掛けてあり、襟元に付いた魔導士の徽章がその身分を示している。
しかしどちらかというと、このリストには入っていない名前の方が重要だった。そこには霧の中ではぐれた友人たちの名前は書かれていない。という事は、全員なんとか学園までは戻れているのだろう。仲間皆の安否という一つの懸念は解けて、心の中でほっと胸を撫で下ろした。
「それと、後ろの紙は医者と、癒術士の診断記録。大した怪我はしてないし、気絶したのは過労と魔力切れだろうとさ」
「癒術士まで呼んでくれたの?」
「魔導士の事だから一応な」
言われて表の紙を捲る。実の所、魔獣に付けられた傷は脚を掠めたものだけ。後は視界の悪い森の中を片っ端から魔獣の相手をしながら走り回ったせいだ。どの道全身あちこち擦り傷だらけになっても、霧の中ではその程度の傷を気にする余裕も、手当する時間もなかった。それが最初はかすり傷だったのを多少悪化させる原因にもなっていたらしいけれど。
癒術士は平たく言えば治療系の魔法を扱える魔導士を指す。時には医者の手に負えない重症であっても癒やす事ができる。普通なら癒術士を呼ぶほどの深刻な傷ではない気もする……でも、そのおかげか起き上がった時に鈍く痛む程度で、傷跡も残らず消え、普通に歩けるくらいには治っている。
「ただ、高熱が一向に下がらないのは原因が分からなかったらしいんだが」
「それは平気よ。元々、そういう体質だから」
「体質?」
不意に頭に手を当てられ、すぐに離れる。一瞬でもその手が冷たいと感じるのはこちらの熱がやけに高いせいだ。
「ただの体質にしては高すぎるんじゃないのか?」
「私もそう思う……けど、本当に平気だから」
「……平気だって言うならまあいいか」
熱さにか手をひらひらと振る様子は、どう見ても納得はしていなさそうだ。
人より異常に体温が高いのは体調の良し悪しに関係なくいつもの事。人には辛い朦朧とするような高熱でも、自分にとってはただの平熱であり、何の苦でもない。肝心のその理由は全く分からず、初めて知った人に説明するのも難しい。幸い早々に考えるのを諦めたのか、それ以上言及される事はなくなった。
つい途中で手が止まったものの、お腹が空いている事には変わりない。一旦それらの資料を脇に置き、席に着き直してスープに浸かり込んだパンを齧る。スープは少し塩気が強いけれど、その分添えられた硬めの黒パンに吸わせて食べると、その温かさがじんわりと身に染みる。
ひとしきり食べ終えて。空腹が満たされて強張っていた気が少し緩み、今更ながらに話すべき事を思い出す。
「あの、名前を聞いてもいい?」
「……そういえば言ってなかったか」
「まだ助けてくれたお礼もしてないから。私は、リーゼロッテ・エヴァンズ。アスニア魔法学園の学園生よ」
「セナ。セナ・ヴァイゼル。ノルド狩人協会所属の魔狩人だ」
「ありがとうセナ、助けてくれて」
「礼なら、アスニアに送り届けた時にでも言ってくれ。たまたま道の途中で拾っただけだからな」
ここまでしてくれていて、拾っただけ。
せっかく言い出せた礼をあっけらかんとした調子で躱されてしまう。それでもようやく感謝は伝える事ができた。
「まあ、今日はまだ疲れてるだろうから一つだけ聞かせてくれないか? あの霧の中で一人、魔獣に襲われてた理由について」
「……ええ。ちゃんと説明するから」
魔導士は魔法を扱い、魔獣の脅威を退ける都市の守護者。それが数名霧の中で落伍した理由は、少しばかり長い話になってしまう。
──────
魔導士の存在を語ろうとすれば、その前提として、ここ『ノーティネン大陸』に纏わる魔獣の歴史をある程度知っておく必要がある。
歴史と言っても、正確な年月が残っているわけではない。少なくとも、かつて大陸各地に存在していた国家がどれも滅び去る、数百年以上も前の出来事。遥かな昔から、人々は輝く霧を纏って現れる魔獣に抗う方法を模索し続けていた。
神出鬼没で何処からでも湧いて出てくる魔獣たちは、そのどれもが剣も弓もまともな武器は何一つ通じない文字通りの怪物。大陸中が霧に覆われ、人間の安寧が蹂躙し尽くされるまでそう時は掛からず、今となってはその頃の痕跡は辺境各地に残されるのみ。人間の生存圏は身を寄せ合い出来るだけ一つ所に密集する形で築かれた『都市』に限定されていく。
そんなある時、人々は魔力を制御し超常現象を引き起こす奇跡のような技、『魔術』を発見した。そしてそれは、同じく魔力を生命の根源とする魔獣に対し、唯一通用し打ち倒す事ができる手段だったのだ。
それまで魔獣に一切抗うすべを持たなかった人間にとって、初めて見えた光明。しかし魔術は才能に著しく左右され、万人に扱える代物ではなかったため、やがて魔法陣を利用し擬似的に魔術を再現する、人間の誰にでも使える技術とした『法術』が編み出される。
魔術と法術、それら二つを合わせて魔法と呼び習わし、すぐにそれを教育して、使い手を訓練する機関が各地の都市に生まれる。それが自分の所属する『魔法学園』と魔導士の成り立ちになる。
そう、本来は魔導士としての訓練のはずだった。
「学年も実力もまちまちだけど、魔法学園の生徒が確か五十数人。そこに教師と、アスニア正規の魔導士が付いて、比較的小規模な霧に討伐の演習に行って……失敗したのよ。最初はせいぜい煙の魔獣、あなたが倒してくれたあいつが群れてたくらいで、討伐は順調に進んでいたはずなのに……」
魔導士の徽章は魔獣を討伐し得るだけの能力を備えていると認められた印。けれど、それはあくまで試験で測られた目安に過ぎなかった事を、痛感させられた。
何か想定外の出来事が起こると、時に人の結束や判断力はあっけなく崩壊する。たった一つ歯車が狂っただけで、散り散りに砕け散ってしまったのだ。
「霧を生み出していた魔獣、霧の主が突然現れたのだけど……同時に、その……」
「……撃たれたのか、魔狩人に」
「し、知ってたの!?」
「いや。そんな所だと思っただけだ。それにしても、また野良犬の仕業か」
呆れたように派手に溜め息をついたセナ。
ずっと抱き続けていた彼との距離感の原因が、それだった。
魔導士が大陸各地で活躍を始めた頃、時同じくして出現し始めた職業があった。本来は都市を守護する魔導士の為に整備された、都市から支払われる魔獣の討伐報奨制度。それを目当てとして、魔法に頼る事なく己の身一つで魔獣を狩る事に命を賭ける賞金稼ぎこそが、魔狩人だ。
狩りの証明は、魔獣の核とも言える魔石を届ける事。魔石は法術を補助する道具、魔導具の素材としての利用価値もあり、その大きさや蓄えられる魔力の量に応じてその魔獣の強さも推し量る事ができるからだ。
……だが、必然的に起こるのは同業者同士での賞金首の奪い合いだった。理由は単純、魔獣を相手にするより、賞金首を持つ人間を殺して奪った方が遥かに楽だから。人の命すらも自らの金の為なら容赦なく奪い取る貪欲さが、魔狩人が霧の殺し屋と呼ばれる所以だ。
──目の前にいる彼もまた、そんな友人を撃った輩と同業者なのだ。
それを思うとあまりにも言い出しづらかった……ただ、どこかでそれを勘付かれてしまっていたらしい。
「わかった。今日はもういい、ゆっくり休んでてくれ」
「その、ごめんなさい……」
「馬鹿な野良犬共の不始末も、俺の仕事なんだ。それに……慣れてる、気にしなくていい」
明らかに怒気を含ませた声につい萎縮してしまう。
例えば、もし自分を助けてくれた命の恩人の手が、別の人の血に塗れているとしたら。迷いなくその手を取れるのかと、尋ねられたとしたら。
私には、難しかった。気まずさと、恩人に対して中途半端でとても情けない態度を取ってしまった事に、ぎゅっと手を握りしめる。
ランプの灯が消され、部屋は再び月明かりに照らされた暗がりに戻る。自分も席を離れベッドの縁に座り込む。
そのまま彼は静かに部屋から出て行こうとするが、その後ろ姿が一度立ち止まり、先と同じような鋭い声を掛けてきて。
「できるだけこの部屋から出るなよ。お前は今、ある意味賞金首なんだからな」
その忠告の真意を図りかねている間に、彼はもう、居なくなっていた。