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龍の花  作者: ぴえろ
第四章 龍の不滅
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「龍の不滅」【前編】

第四章『龍の不滅』


 


初めて会った時、あぁなんて可哀想なやつなんだろう、とリックは思った。


 昨年ブラナ=メルタ領内に設立された『moon』の士官学校には第一期入学生発表の為、世界中から沢山の若者が集った。一斉に張り出された番号を見て一喜一憂する人間がいる中、その人物はリックから見ても一際浮いていた。

 身体的に優れた人間が比較的集まる中その人物は他の人間より頭1つ飛び抜け、体格は明らかに筋骨隆々としておりとても自分と同じ18歳とは思えず、鋭い眼光を放つ金色の瞳は彫りの深い顔の中にまるで宝石のように収まっていた。

 まさに、戦場で活躍する為に産まれてきた人間。リックにはそう見え、あとせめて10年いや5年でも産まれて来るのが早ければきっとこの人は英雄になれたのだろうな、と思った。


 終戦宣言が出された翌年の2516年。リックとマルスはここで初めて出会った。



*



「おい邪魔だぞオルガ民!小さい奴らはもっとそれ相応の小さいテーブルで十分だろ!」

「黙れアルドメリア民が!体の大きさと脳の大きさは比例しないようだな」

「何だと?!」


(まーた始まったよ)


 広い食堂内に男同士の喧嘩の声が響く。それを遠目で観察していたリックは呆れたようにため息を吐いてランチのガーリックライスを一口、口へ運んだ。

 長年続いてきた戦争は昨年ようやく終戦宣言が出されたが、昨日まで戦っていたもの同士が『じゃあ今日から仲良くしましょう』となる訳がなく、まして幼い頃から敵は即刻殺すように教育された人間たちが一ヶ所に集められれば衝突が起こるのは必然というものであった。本来であれば教官などがこういう場を止めるのであろうが、誰1人止める者はいない。何故なら教官同士もそれぞれ出身国同士で衝突しあっており、中には喧嘩をあえて煽るような者もいるぐらいこの『moon』士官学校の中は教育の場と言えど殺伐としていたからである。


 現在この世界には5大大国と呼ばれる大きな国が5つある。


 1つ目はセレスディア王国。約400年という長きにわたる戦争時代の中で唯一不敗伝説を持つ強大な国。国としての歴史も長く、力を持つ貴族が多い土地。


 2つ目はアルドメリア公国。最も多くの小国が同盟関係を重ねて出来上がった国であり、多様な文化が各地に存在。世界的に有力な貴族ブラナ=メルタ家がその中でも大きな領地を占めており『moon』や『moon』士官学校もこの国の領土内に存在する。


 3つ目はレダー王国。5大大国唯一の内陸国であり広大な砂漠地域がある。また信仰深い地域としても有名であり軍事力は高いものの戦いを好まない人間が多いのが特徴。


 4つ目は紫天(シテン)皇国。セレスディア王室の次に長い歴史を持つ血筋が治める国であり、人口はセレスディア王国よりも多い。やや排他的な国民性があり、国から出ることをあまり好まない。


 5つ目はオルガ公国。元々は島国が多く、またその半分以上は寒冷地である。その影響で第一次産業は発達しなかったものの第二次産業が非常に発展。5大大国1の技術大国。


 昔は数多の国が存在していたが戦争を繰り返すうちに合併や消滅し、この大きな国が最終的に5つ残ったのだった。

そして『moon』士官学校にはこの5大大国全てから貴族の子息令嬢が集まっており、今まで他国と交流を重ねて来なかった人間たちにとってまさしくここは第二の新たなる戦場、そう言っても過言ではなかったのだ。


 リックはそんな中ガーリックライスの米粒一つまで残さず完食すると食器をカウンターに戻し、ゆっくりと喧騒が響く中央へ歩いて行った。


「はーいはい!も〜やめろよ〜!ここ食堂だぜ?何も飯食う時まで体力使うことないだろ〜」

「あ?!誰だお前!」

「俺?俺はリック。リック・ニコルズ。お前アルドメリアのどこ出身?俺ラーム山脈の下の方なんだけどマジなんもないところでさ〜!もうこっち来たからにはパーッと楽しいことしたいな〜って気分なんだよな〜!」

「……は?」


 リックはそう言って喧嘩を最初に吹っ掛けた男の肩に馴れ馴れしく腕を回すと彼の返答も待たないままただ楽しそうに話し続けた。それに男は最初は怪訝そうな顔をしていたものの次第に毒気が抜かれたのか肩の力を抜いていった。


「あー俺もそんな都会じゃねぇよ。ロッカ町って辺り」

「そこ知ってるわ!中学の時校外学習で行った!あれだろ、変なポーズの銅像の噴水があるとこ!!」

「そうそう!よく知ってんな!」


 そのまま2人は談笑し出す。それを喧嘩を吹っ掛けられた相手側の方はポカンと見ていたが不意にリックがそちらを振り返り、肩を組んでいる男が話に夢中になっている隙にニヤッと笑って口をパクパクと動かした。


『に・げ・ろ』


 そう言って手をひらひらと振る。それに相手は何度か驚いて目をパチクリと瞬きさせた後に小さくリックに頭を下げるとそそくさとその場を後にした。

 別にリックは向こうの人間が可哀想だと思ってこの行動を取った訳ではない。リックはとにかく争いごとというものが嫌いなのだ。

 殴り合いの喧嘩はもちろん、小さな口喧嘩も受け付けず、戦争なんてもっての外だった。理由は”幼少期のトラウマ”によるものだが、歳を重ねるほどにその嫌悪感は”争い”という行為そのものだけではなくそれを何度も繰り返す人間にも向けられるようになった。

 何度も争ってその痛みを分かっているはずなのに同じことを繰り返す人間がリックには理解出来ず、次第に彼は人間嫌いになっていった。


(……ホント、一体喧嘩の何がたのしーんだか)


 リックはそんなことを思いながら教室の窓から青い空を見た。現在は座学の時間で、教室の前では教官が教科書を読み上げておりリックはそれをボーッと聞き流していた。


「……リック・ニコルズ!」

「えっ、あ、はい!」


 教官に突然リックが当てられる。それに彼はやや肩を跳ね上げながら返事をした。


「ちゃんと聞いていたのか?!私が読んだところの続きから読んでみろ」

「はい」


 教官はいかにも不機嫌そうな顔で腕を組むとリックを睨んだ。それにリックは心の中で(はいはい)と思いながら笑顔を浮かべるとゆっくり立ち上がって教科書を手に取った。


「2512年に初めて確認された″龍″から発見された『プラント・エネルギー』によって約400年続いた戦争は終結。昨年発足された″龍″対策国際統合軍通称『moon』入隊を目指す我々は確固たる信念の下、次世代の平和を導く光とならねばならない……もう少し先まで読みますかブラウン教官」

「……いや、いい」


 リックが教科書のどこを読んでいるのか把握していないだろうと思った教官は、難なくスラスラと教科書を読み上げたリックに小さく舌打ちし、リックはそれに気づいていないフリをしてニッコリと笑うと再び椅子に座った。ちなみにリックの座学の成績は非常に良い。軽薄そうな見た目に反していると失礼な驚き方をされることもままあるが、彼はしっかりと寮で予習・復習をしているタイプの優等生であった。

 そしてリックは次に当てられた同級生が教科書を読み上げるのをまた聞き流しながらもう一度空を見上げた。


(……あーめんどくさ)


 その5日後。彼は後の″相棒″と邂逅することとなる。



*



「あの教官マジありえねぇわ。対人訓練にかこつけてバカスカ殴りやがって」

「コウ教官だろ。あの人紫天出身だから誰関係なく嫌いなんだよ。ホント勘弁してほしいよな」

「お〜いこんな誰が聞いてるか分かんねぇところでそんな話しない方がいいぜ」


 ランチタイムの食堂にて気だるそうに話していた4人ほどの男子グループに、リックは苦笑いしながら口を挟んだ。この男子たちとは過去の喧嘩の仲裁で仲良くなった者たちであり、全員リックと同じアルドメリア国民であった。リックはそんなグループが座るテーブルにお邪魔するとスプーンをくるくると回しながら外向き用の笑顔を作った。


「さっき向こうにゴールドマン教官も座ってたしさ。ここでは無難な話にしとこうぜ」

「げ。マジ?あの人話し出すと長いんだよな」

「リックは本当に良く周りを見てるよな。やっぱ優等生は違うな〜」

「ハハ〜褒めても何もでねぇぞ〜」


 リックが友人たちとそんな会話で盛り上がっていると、突然食堂の入り口の方でざわめきが起こった。何かと思い振り返るとそこには遠くからでもハッキリ分かるほど体の大きい黒髪の人物がいた。

 リックは一目で、入学発表の時に見かけた″あいつ″だと分かった。


「うわでた。″軍神″だ」

「″軍神″?」


 友人の1人が呟いた言葉を不思議そうに聞き返したリックに、別の友人が「そうそう」と頷いて答えた。


「あいつの名前、″マルス″・ラルゴーって言うんだと。すげぇよな。自分の子供に神話の神と同じ名前をつけるとか」

「まあでもあいつの″家″ならあり得そうだろ」


 また更に別の友人が口を開く。彼は曰くあの″軍神″と同じクラスらしく遠くに見える黒髪を嘲笑うかのように見つめた。


「あいつの家、ラルゴー公爵家と言えば”あの”不敗セレスディア王国の超名門家系だろ。確か戦争で最も多くの敵を討ち取り、その功績に王室のお姫様を貰って、その後生まれたのがあの″軍神″なんだとさ。まさに間違いなく″軍神″だよ」

「マジ?じゃああいつセレスディア王室の血縁?うわぁヤベェ奴と同期になっちまったな」

「ふーん……」


 リックは噂話に盛り上がる友人たちの中で1人頬杖をついて生返事をした。

 ″軍神″。本来であればそう呼ばれることは軍人にとって非常に誉れ高いことだろう。しかし今は戦無き世。この時代でそう呼ばれると言うことはつまり″お前は必要とされていない″、そう言っているのと同じことだろうとリックは思った。その証拠に噂話で盛り上がる友人たちは「すげぇ」などと口にはするものの誰1人としてあの黒髪の人物を尊敬している素振りは無く、むしろ憐れな人物だとして蔑んで遊んでいるようだった。


「ナメてんじゃねぇぞテメェ!!」


 突如怒号が響き、リックたちが再び食堂入り口の方を振り返るとあの″軍神″が誰かに喧嘩を売られているようであった。友人グループの1人が「あ」と声を上げる。


「あの怒鳴ってるやつ、同じクラスだわ。ヤベェぞ、あいつ紫天出身のソンって奴なんだけどとにかく喧嘩っ早くて乱暴で、この前も肩ぶつかっただけのクラスメイトをタコ殴りにして病院送りにしたって」

「はぁ?流石にそれはアウトだろ。なんで退学になんねぇんだよ」


 リックの非難めいた言葉に友人の1人はやや顔を青くしながら少しだけ声を潜めて言った。


「あいつコウ教官の親戚らしいんだよ。だから何やってもお咎め無いんだと」

「……腐りきってやがるな」


 リックはそう吐き捨てながら尚も食堂入り口の方を見続ける。詳細は遠いのでよく分からなかったが、どうやら″軍神″がソンってやつにぶつかってしまったらしくそれで揉めているようだった。


「どこ見て歩いてやがる!!この俺を誰だと思ってるんだ!!」

「……」

「はあ?!何だと?!!」


 ソンの怒鳴り声が大きく、″軍神″が何を言っているのかまではリックのところには届かなかったが、どうやらうまく収まりそうな気配は見受けられなかった。それにリックは覚悟を決めるように息を吐くとスッと立ち上がった。


「お、おい!リックまさかあれも止める気か?!」

「やめとけって!確実に大怪我するって!」

「いやいや流石に止められるとは思ってないって。ただこれ以上騒いで大きな被害が出るのは学校側も嫌だろうからそれを伝えに行くだけ」


 リックはそう言うとヒラヒラと手を振って友人グループのテーブルを離れた。その顔はヘラヘラとしており、いかにも″お気楽″と言った表情を作ったが、内心は逆で彼であっても今の状況は緊張していた。

 もちろんクラスメイトをタコ殴りにしてもお咎めなしのソンってやつも怖い。しかしそれ以上に自分達よりも圧倒的体が大きく、鋭い眼光を放つあの″軍神″の方が何をしてくるか分からずよっぽど怖かった。だがそれでもリックは歩みを止めず″軍神″の背中の真後ろまで迫り、ソンの怒鳴り声に負けないように声を上げた。


「何だよラルゴー!こんなところにいたのか?」

「……?」

「あ?!何だよお前!!」


 突然現れたリックにソンは更に怒りを強めていたがリックはそれを聞こえていないふりをして″軍神″に話し続けた。


「ブラウン教官がお前のこと探してたぞ!早く行かないと怒られるって!ほら一緒に行こう!」

「……」

「は?!おい!!待て!どこに行く?!」


 リックは″軍神″の服を掴むとぐいぐいと引っ張って食堂から連れ出そうとする。しかしそれをソンが真っ赤な顔でリックの腕を掴み阻止した。リックはギクリと悪寒をさせつつ、多少の怪我なら致し方ないかと腹を括ってソンの方を向いたその瞬間。


「離せ!!」


 まるで雷のような鋭い声が辺りに響いた。その声の主である″軍神″はリックの腕を掴んでいたソンの手首を握るとギリギリと力を込め、怒りを露わにして彼を睨んだ。

 あまりの迫力にソン含め周囲が一瞬息を呑む中、リックはその隙をついて″軍神″を食堂から連れ出した。そこから出た後はとにかく必死にあいつが追って来られないよう何度も角を曲がり、最終的に人気の無い静かな中庭に辿り着いたのだった。


「……はぁーっ。マジ危なかった〜。流石にあの瞬間は殴られると思ったわ〜」


 リックは後ろから誰も追って来ていないことを確認すると中庭の芝生に脱力するように身を投げ出した。ふと見上げるとゴロンと横になるリックを、ここまで黙ってついて来ていた″軍神″は怪訝そうな顔で上から見つめており、リックは(気を抜きすぎたか)と上体だけ起こした。


「あー、えっとごめん。流石に公爵子息の前で今のはみっともないか。俺は、」

「何の用だ?」


 ″軍神″はただ低い声で短くそう言った。リックはその緊張感を生む声に少しだけ怯む。相手は眉間の皺を深めながらこちらを凝視しておりまるで獲物を狙う猛獣のように見えたのだ。

 リックは相手に気づかれないように唾を飲み込むとまたいつものヘラヘラとした外面用の笑顔を作って彼を見上げた。


「いやその、何って訳じゃないんだけどあんなところで喧嘩してると教官に怒られるぜ、って思ったから、」

「椅子の件か?」

「は?」


 リックは思わずすっときょうな声で聞き返した。″軍神″がこちらの話を無視して突然よく分からないことを言い出したからだ。しかし彼は尚も真剣な表情でリックを見つめた。


「それとも机か?いや窓の方か?」

「えっ……と、ごめん、何のこと?」

「だからブラウン教官が呼んでるんだろ。何の件だ」


 彼の言葉にリックはポカンと口を開けたまま固まった。どうやら彼はリックが食堂で咄嗟についた嘘を今も信じているようだった。しかもどうやら心当たりがあるらしくその顔は徐々に青くなっていった。


「あの、実はさっきの″呼んでいる″って言うのは、」

「いや言わなくていい。分かった。教卓の件だな。分かってる。だが別に悪気があってした訳じゃないんだ」

「……え?一体何したの?」


 リックの言葉に″軍神″は分かりやすくギクっと肩を跳ね上げた後、気まずそうに視線を彼から逸らして答えた。


「……教卓に蚊がいたから潰そうと思って叩いたら教卓ごとぶっ壊れた……」


 その言葉をリックはたっぷり5秒程使って理解し、そして理解した瞬間堪えていたものが抑えきれず吹き出した。


「……ッブ、アッハハハッハッッハハッハ!!マジ?!教卓ぶっ壊したの?!どういうこと?!」

「なっ!わ、笑うな!!つーかお前知ってて声を掛けたんじゃないのか?!」

「いや知らねーよ!つーかもしかして椅子も机も窓もぶっ壊したってこと?!」

「椅子と机は俺が座ったら勝手に壊れたんだ!窓は椅子が壊れた拍子にバランスを崩して近くの窓に激突して……粉砕した」

「何だそれアハハハハハハッハッハッハ!!」

「腹を抱えて笑うな!!」


 その日、リックは何年かぶりに心の底から大笑いした。″軍神″と呼ばれ、嘲られ、畏怖され、自分とは全く違う生き物だと思っていた人物のあまりにもドジで人間臭いエピソードが偶々リックの笑いのツボにハマってしまったらしく、彼は″軍神″に怒鳴られながらも腹を抱え、涙を流して笑い転げた。

 これがマルスとリックの最初の出会いであった。



*



 それからマルスとリックは度々行動を共にするようになった。


「はい俺の勝ちー!はい俺の方が早かったー!はい大人しく食券買って来て下さいー俺今日はパスタの気分ー」

「はあ?!ふざけんなお前が途中でねこだましなんかしてこなければ俺の方が早く食堂に着いてた!ずるだろ!!」

「あれも戦略ですー。つーかねこだましに引っ掛かるお前もどうなの」


 ランチタイムはもちろん休憩時間や放課後の自主練習の時も彼らは共にいた。そしてその光景は他の人間から見ると異様だったようで彼らはすぐに第一期生の中で有名人になった。

 それもそうだ。見た目や血筋から完全に周囲から孤立しているマルスと、気さくで誰とでも仲良くなれる人気者のリックが、出身国さえも違う2人が仲良く談笑しているのである。未だに戦争の影響でいがみ合う者たちにとってそれはにわかには信じられない、まさしく″異様″な光景だったのだ。

 しかしそんなことは2人には関係ない。特にリックは何故かマルスの前では外面用の笑顔を貼り付けることなく素でいられ、国とかそういうのは関係なくただ彼の隣は気楽で居心地が良いと感じていた。


「なぁラルゴー」

「ん」

「なんでこの士官学校は女子と学舎まで別なんだと思う?」


 リックの問いにマルスは分かりやすく「何言ってんだこいつ」といった表情を作った。

 現在彼らがいるのは『moon』士官学校の対人訓練場で放課後2人で組み手を行った直後、椅子に座ってクールダウンしている最中に突然リックはそんなことを言い出した。ちなみにその表情は真剣そのものである。


「お前何言ってんだ」

「いやだってどう考えてもおかしいだろ?!他の士官学校は女子と一緒に学べるところもあるのにここは寮はもちろん学舎も訓練場も別!こんな状況でどうやってラブイベントが起こるんだ?!」

「なんだラブイベントって」


 マルスはタオルを頭から被り汗を拭きながら引いた表情で、隣に座るリックを見る。リックは逆に冷めた表情のマルスが信じられないといったような表情を作った。


「そりゃ気になるあの子と席替えで隣同士とか、放課後に偶々一緒に帰るとか、思わぬタイミングで呼び出されて告白とか!!」

「座学の席は自由だし、放課後帰るのは寮だし、思わぬタイミングで呼び出されるのは大体教官だろ」

「はぁー!夢も希望もねぇ!!つーか俺はお前と違って教官には呼び出されないですー!」


 マルスの冷たい言葉にリック大袈裟に声を上げてそのまま固いベンチに倒れ込んだ。そんな友人の姿にマルスは呆れるようにため息を吐く。


「そっちの国がどうだったか知らねぇが貴族が通う学校に共学は大抵ねぇんじゃねぇか?俺も中学・高校は男子校だったぞ」

「だからじゃねぇーかー。俺だって今までずっと男子校だったからこそ、ここではパーリィーナイト出来ると思ったんですー」

「お前ここに何しに来てんだ」


「今日も仲良しごっこか?外れ者共」


 突然、対人訓練場に第三者の声が響く。2人がハッとしてそちらを見ると入り口付近に数日前にマルスに喧嘩を売ってきたソンが立っており、以前同様どこか凶暴さが見え隠れする笑顔をたたえていた。


「……確かコン」

「それはキツネ」

「じゃあサン」

「それは太陽」


「ソンだ!!紫天皇国のムーイン・コウ・ソンだ!ふざけてるのか?!」


 マルスが名前を思い出せず苦戦していると向こうの方から名乗ってきて、それに彼は「そうだった」と手を打つ。リックも数日過ごしてみて気づいたがマルスは実は中々に天然なところがあった。本人曰くそれで人を怒らせてしまう時もあるとのことだったが、リックとしては彼が打算や策略なく純粋に話をしてくれている証拠でもあったので特に気にしないと本人にも伝えていた。


(確か紫天皇国は苗字が前。そしてコウ教官と同じ苗字……。やっぱりこいつがコウ教官の親戚っていうのは間違った情報じゃなかったんだな)


 リックはそんな中、ソンが言った言葉を反芻していた。以前友人グループの1人の言葉を完全に疑っていたわけではないが、所詮学生の情報網。信憑性にいまいち欠けるところがあり完全には信じていなかったのだが、たった今本人の口から思いがけずフルネームを聞けてなるほどな、と1人納得した。


「で、そのソンが何の用だよ」

「何だよ俺の対人訓練の相手はしてくれないのか″軍神″」


 その言葉にマルスはピクリと眉を吊り上げた。この″軍神″というあだ名、どうやら本人も気に入っていないらしくこの言葉を聞くとマルスは途端に不機嫌になるのをリックはここ数日の間で何度も見ていた。


「……して欲しいならいつでも相手になるぞ」

「……いや、今お前を叩きのめしてしまってもつまらない。″本番″に備えておくよ」

「本番?」


 ソンの言葉をマルスが眉を顰めて聞き返した。それにソンは馬鹿にしたように鼻で笑って腕を組んだ。


「なんだ″軍神″頭の出来がさほど良くないってのは本当だったようだな。学校のイベントくらい把握しておけよ。それともそういうのは全部そこの″優等生くん″に任せっきりか?」

「ああ?!」


 ソンの分かりやすい挑発にマルスがベンチから腰を上げそうになったので、リックはそれを無言で彼の服を掴んで制止した。リックは視線をソンに向けたまま少しだけ笑顔を浮かべる。


「なるほど。今日は″宣戦布告″に来たって訳か」

「流石″優等生くん″は察しがいいな」


 ソンはやたら″優等生″という言葉を誇張して話した。その顔には嘲笑が浮かんでおり、身体的に優れるマルスに対して細身のリックを″勉強しかできない奴″と言いたいようだった。それにマルスは更に眉間の皺を深くしたがリックは特に表情を変えぬまま彼を見つめ言葉の続きを促した。


「いいか。次の大規模演習で1位を取るのは俺だ。特にラルゴー、次の演習で絶対お前に吠え面をかかせてやるからな」

「……当日は楽しみにしてるよソン」


 マルスを挑発したソンだったがその言葉に、にこやかに返したのはリックであった。それにソンは不機嫌そうに小さく舌打ちをしたがすぐに踵を返すと対人訓練場を去って行った。

 リックは彼の姿が完全に見えなくなり、足音も聞こえなくなったところで脱力するように力を抜いてまたベンチにだらしなく背を預けた。


「はぁ〜あいつのあのいかにも″喧嘩上等!″みたいなところ苦手だわ〜。なんか変な薬物とかやってないよな??」

「そんな風だったか?」

「どう見たってそうだろー。大体ラルゴーお前、何であんなにあいつに目ぇつけられてんだ?あの食堂の時何やったんだよ」


 リックが不満そうにため息を漏らしながら言うとマルスは少しだけ考えるように右上に視線を向けた。


「あの時は、食堂のメニュー見ている時に不意にぶつかってしまったんだ。ただその後ちゃんと謝ったし一応理由だって伝えたんだぞ」

「なんて?」

「『悪い。小さくて見えなかった』」

「アッハハッハッハッハハッッハ!!!」


 マルスがあまりにも真剣な顔で言うのでリックは思わず吹き出してしまった。ちなみにソンの身長は176㎝で大体士官生の平均ぐらいなので決して低い訳ではない。ただ身長が2m近いマルスの方がこの場合異常なのだ。

 また、紫天皇国とオルガ公国は他の国に比べ身長がやや低い傾向にあるが、プライドの高い紫天皇国の貴族に限ってはこのことに関して非常強いコンプレックスを抱いている。ソンからしてみるととんでもない暴言を吐かれたのと一緒であった。

 ただマルスはというと何に笑われているのか分からず、何となくリックが自分のことを馬鹿にしているようなことだけは理解出来、顔をかーっと真っ赤にした。


「わ、笑うな!大体、お前たちが言ってた″演習″って何だよ!説明しろよ!」

「え?何?マジで知らなかったの?」

「自慢じゃないが俺は演技とか出来るタイプじゃない」

「本当に自慢じゃねぇな」


 そう言ってリックはまた脱力して半分呆れたように笑った。


 『moon』士官学校野外大規模演習通称『survive』(サバイブ)

 4月に入学し、士官学生がようやく学校に馴染んできた7月に開催される野外演習である。参加する学生は『moon』士官学校全科。

マルスたちも所属する一番人数の多い『陸上科』

主に海上や沿岸での任務が主な『海上科』

『moon』1の花形エリートコース『航空科』

そしてIT技術などに長ける少数精鋭『情報科』

 以上4科合計140名程度である。彼らは同じ条件の元、今は人が住まなくなった無人島へ上陸し各地に点在する司令書を探し出しそれを遂行するのが今回この演習での任務である。

 評価は各所設置された監視カメラから観察する教官たちが行い、スピードや適応力またコミュニケーション力などを見て成績を決定する。これは士官学校の成績に大きく影響し、彼らの今後『moon』入隊後の出世をも左右する一番最初の大きなイベントでもあった。

 そしてこの『survive』で重要になってくるのが事前準備。参加者には全員一斉に1週間前に演習場所や条件などが提示され、それに合わせて所持品も選定や現地の気候・気温、生息生物調査まで独自で行う必要があった。

 だがこの事前準備で最も大事になってくるのは実は″人選″。演習は必ず2人1組で行い、最初に組んだメンバーと帰還するのが絶対条件なのだ。 つまりどれだけ優秀な人間でもこの人選で失敗すれば任務遂行することすら出来ない可能性は大いにあった。

 それ故にこの大規模演習の情報をいち早くキャッチしていた人物たちは事前情報開示よりずっと前から一緒に共に行動することとなる″相棒″探しを必死に行っていた。


 ちなみに非常に多くのアンテナを張っているリックがこれを知っていて、情報に疎いマルスが知らないのは当然と言えば当然なのだが、これを聞いた時の彼は『何故自分だけ知らないのか』と非常に不服そうでありそれをリックがなんとか宥めた。



「あれが今回の無人島か?!」

「そうだ!あれがオルガ公国最東端トウワ領のミカヅキ島だ!」


 リックとマルスは揺れが激しい小型ボートの上で前方に見える大きな島を見つめた。それは高さはさほど無さそうだが無人島にしては非常に規模が大きく見つめる2人の視線も自然と厳しいものになった。


 リックがマルスを″相棒″に選んだ時、友人たちからは必死に止められた。皆、情報通で知識量も多く器用なリックを相棒に選びたがっていたのだ。彼らはそんなリックと組みたいが為に対しこれでもかとマルスを貶す言葉を口にした。


『あんな図体だけデカい奴何の役にも立たねぇって』

『結局公爵家ってことは温室育ちみたいなもんだろ?リックの足を引っ張るだけだ』

『調べたところ今回の島に凶暴な生物はいないんだろ。じゃあ必要なのは戦闘力じゃなくて適応力だろ。なぁ俺と組もうぜリック』


 口には出さなかったがくだらない、とリックは思った。確かに友人たちの言うことも一理あったが、それでも彼はマルスを相棒に選んだ。理由は2つ。1つ目は単純に運動神経が良く体力のある奴は、自分の体力が尽きた時に助けになるし怪我や病気になりにくい。2つ目は一緒にいて気楽だから、ただそれだけであった。

 そんなことをふと思い出したリックはボートを操縦しながら、まっすぐに島を見つめるマルスの横顔に視線を向けた。その顔は彫りが深く海の光を反射した金色の瞳が幻想的な色を作り出しており、そこそこ女性にモテるリックから見ても彼は男前だと思った。


「なぁラルゴー」

「なんだ?」

「俺『moon』に入ったら初任給でキャバクラ行ってみたいんだけど一緒に行かない?」

「それ今する話か?!」


 1つの大きな島に数多のボートが一斉に向かう中、青い空と青い海の真ん中にマルスの大きな声が響く。

 『survive』がいよいよ始まった。



*



「なるほど『survive』、ですか」

「そうなんです。つい先ほど始まりました」


 男性にしては長い黒髪を独特な金細工の留め具で一つに束ねた人物は静かな部屋の中で1人、片方のモニターで次々と無人島に着陸する士官学生を見つめ、片方のモニターでブロンドの髪をオールバックにし白衣を羽織った男とテレビ通話をしていた。


「それにしても『moon』とは。やはりどこの国も戦力を完全に手放すのは恐ろしいようですね。その証拠がそこにいる数多くの士官学生たちだ」

「ええまさに仰る通りです」


 ブロンドの男は両手を組んだ上に自分の顎を乗せ、少しだけ哀れみを含めた声色で呟く。それに長髪の男が口元を指で隠しながらふふっと笑い同意した。


「戦無き世を望んでおきながら、実際になってみれば逆に恐ろしくて武力を欲してしまう。正に『moon』はその滑稽の象徴でしょう。……まあ私が言うのもなんですが」

「そちらも大変ですね。突然の教官任命でしょう」

「こればかりは致し方ありませんね。なんせ発足1年目ですから」


 長髪の男は少し顔にかかる髪を耳にかけながらコーヒーを一口飲んだ。その動作は非常に優雅である。


「それに嫌なことばかりでもないですよ。ここにいれば可愛い甥っ子のサポートもしやすい」

「おや、そんな年齢でしたか」


 ブロンドの男の言葉に長髪の男はチラリと視線をテレビ電話からたくさんの監視カメラの映像が流れるモニターに映す。男はそれを見てスッと目を細めた。


「子供の成長は本当に早いものです。この前赤ん坊だと思っていた子がいよいよ成人とは」

「ハハッ。きっと貴方の家系の男子なら非常に優秀なのでしょうね」

「ええそうですね。まだ荒削りのところもありますが、非常に有能な子です。いずれは陸上部隊の幹部になり忠実な私の部下になってくれるでしょう」


 その言葉に今度はブロンドの男がまるで蛇のように目を細めて笑う。そして白い眼鏡のフチをクイっと指で押し上げた。


「期待してますよ。今″我々″にはとにかく優秀な人材が必要なのですから」

「ええもちろんです。それではそろそろ失礼いたしますね」

「ええ。ご連絡ありがとうございました。コウ中佐」


 そう言ってテレビ電話の画面はパッと暗くなった。それを長髪の男性は静かに見つめた後フッと小さく笑いを零す。


(″優秀な人材″?果たして自分はどうなのか。あの『プラント・エネルギー』の発見者だと言うが話すと妙に薄っぺらい……まぁ別にこちらに悪影響をもたらさなければどうでもいい。むしろ操りやすい傀儡が重役にいてくれて助かるか)


 長髪の男は視線を真っ暗な画面から今度は数多の監視カメラの映像が流れるモニターに移す。そしてその中の1人、自分と似た背格好で同じく頭の後ろを独特な金細工の留め具で短く髪を結う甥っ子を視界に捉えると口元に笑みを浮かべた。


(さて、一族の為に貴方には優秀な成績を残してもらわなければ。ムーイン・コウ・ソン)



*



「なあ、司令書ってこれか?」

「……は??」


 無人島に上陸してまず、拠点の確保として海岸に簡易テントを張っていたリックは「トイレに行ってくる」と言って森に消えたと思ったマルスの言葉に思わずポカンと口を開けて聞き返した。その手には少し細めの銀色の筒が握られており、正面には『moon』のマークが描かれていた。


「え?それどこで見つけたの?」

「……向こうの木の下に埋めてあった」


 そんなことある?、とリックは心の中だけでツッコんだ。どうやらマルスは強運の持ち主でもあるようで、本来であれば拠点確保の後に島中探し回る必要のあった筈の司令書を上陸10分で見つけ出してきたのだった。そのあっけなさに気を張っていたリックの緊張はいい意味で解けた。


「まー多分司令書かな。『moon』のマーク書いてあるし。とりあえず開けてみるか」

「……」


 リックが立ち上がって手を伸ばしその筒を取ろうとすると、何故かマルスはそれをサッと上に上げてリックが届かないようにする。それにリックは眉を顰めた。


「え?何?」

「……いや、その……一回洗った方がいいと思う」

「何で?別に土に埋まってたぐらいで俺何も言わねぇーけど」

「……」


 リックがマルスを見上げると彼は何故か若干気まずそうで、よく見ると筒を人差し指と親指で摘むように持っている。その不自然さに何となくリックは嫌な予感がした。


「……念の為聞くけどお前小便どこでした?」

「……向こうの木の近く」


 マルスのボソボソとしたその回答にリックは一気に顔を顰めると筒を取ろうとしていた手を引っ込め大きく後ずさった。


「マジかよお前もしかしてそれに小便引っ掛けた?!」

「なっ!ちょっ!大きな声で言うなよ!!」

「何でそれを平然と俺の前持ってくるんだよ!一回洗ってこいよ!!取っちゃうところだったろ?!」

「洗おうと海岸に行く途中にお前がいたから一応報告したんだろ!!」


 大きな声で喚くリックにマルスは顔を真っ赤にしながら抗議する。どうやら狙ってやったわけでは無いらしいが、クラスメイトの小便がかかった物体を目の前に差し出されれば誰だって嫌だろうとリックは思った。そんなリックに対しマルスも申し訳ないと思っているのか真っ赤になりながら「悪かったと思ってる!」と謝ってるのか怒鳴っているのか分からない口調で叫んでおり、足速に波打ち際まで移動してそれを洗おうとした。


「……あ!ちょ、ちょっと待った!」

「?!」


 唐突にリックは声を上げた。それにマルスは「洗えと言ったり待てと言ったり何だんだ」と不服を露わにした表情を浮かべたが、リックは手を前に突き出して所謂「待て」のポーズのまま言葉を続けた。


「一応聞くけどそれ金属製じゃないか?」

「あーそうだな、軽いが多分何かの金属っぽい」

「じゃあ海水じゃダメだ!」


 リックのその言葉にマルスもハッとして間近に迫る波に浸そうとしていた筒を直前で上に持ち上げた。リックはゆっくりとマルスに近づいていった。


「金属は物によるけど大体海水で錆びる。何で出来てるか分からないなら余計違うので洗ったほうがいいだろ」

「……じゃあなんだ?早速持ってきた飲み水をここで使うのか?」

「お前が小便引っ掛けなきゃ良かったんだろーが!!」


 そう言ってリックはマルスを怒りのまま蹴飛ばした。それにマルスは筒を死守しながらも倒れ込みキッと怒りの表情をリックに向けたが、それよりもずっと彼の方が怒っていたのでマルスはすぐに眉尻を下げるとゆっくり立ち上がってそそくさと自分の荷物に入れた水筒を取りにいった。

 それをリックは仁王立ちで見送った後に、彼に気づかれぬようにため息を吐く。強運の持ち主に救われ他の参加者たちより一歩前進したと思ったが、飲み水を早速失うという痛手を負った。これはもうプラマイゼロだな、と1人思ったリックはもう一度深いため息を吐いたのだった。


「……なぁニコルズ」

「今度は何だよー」

「なんか水で洗ったら文字が出てきたぞ」


 その言葉にリックは慌ててマルスに駆け寄り彼の脇からその手元を除いた。見ると水筒に水をかけられたところから次々と何かの文字が浮き出していた。それに思わずリックは息を呑む。


「これもしかしてレダー語か?」


 現在の世界ではどの国でも1つの世界共通語を話す。遥か昔はそれぞれの国にそれぞれの国の言葉が存在したが戦争で合併などを繰り返す際にそれぞれの国の言葉だけしか話せないと不便になり、自然と世界中で同じ言語を話すようになっていった。

 ただだからと言って各国の言語の文化が消えた訳ではなく、その国の出身の者なら大体は各国特有の言語を話すことは出来た。しかし逆を言うとその国の出身の者でなければそこ特有の言語を読むのは、戦争がようやく終結した直後の今の時代では些か難しかった。


「おいマジかよ。レダー語なんて知らねえよ。ニコルズ、誰か読める奴知ってるか?」

「……いや、読めるから大丈夫。ちょっとかしてくれるか?」


 リックはそう言うと静かにその銀色の筒をマルスから受け取り文字をじっくりと見た。マルスはそれを何か考えるように眉を顰めながらただ無言で彼の横顔を見つめていた。


「なるほど、大体分かった。これは次の目的地の場所を示しているらしい。やったなラルゴー!一歩前進だ!」

「……お前レダー語読めたのか」

「あー、昔勉強したことがあるんだよ。俺の両親歴史好きで」


 リックはそういうと銀の筒をもう一度マルスに戻し、自分は中途半端だったテント作業に戻った。彼はマルスに背を向けながら話を続けた。


「それにしてもこの演習、同じ国同士で相棒組んだ奴はちょっとヤバいかもな。全部違う仕様の可能性もあるが、もし全ての司令書が各国の言語で書かれていた時、1つの国の言葉だけしか知らない奴らだとそれだけで不利だ。多分″国際統合軍″仕様の演習なんだ。こりゃ結構厄介かもな」

「……そうだな」


 マルスは何か言いたそうにしたが、結局何も言うことはなく明るく話すリックの言葉に短く同意した。そしてリックはと言うとテントの設置を完了し拠点が出来たことを確認してスッと立ち上がった。


「よしじゃあ行くか」

「あ、ああ、それでどこに?」



*



「おい本当にこっちで合ってるんだろうな?!」

「だからこっちだって言ってるだろ!疑うならお前が司令書読めよ!!」


 マルスとリックは拠点を張った海岸から西側に1㎞程深い森の中を進んでいた。先頭はマルスでその後ろをリックが何やら一枚の紙を持って進んでいた。これはあの銀色の筒の中に入っていたもので、表面の文字に記されているように開けるとそこには一枚の白い方眼紙と鉛筆が入っていた。マルスはそれの意図が分からなかったがリックは直ぐに″地図を書くための物″だと気がついた。


「いいか?ここが俺らがいた海岸。んでこっち、西側のこの島の先っちょが司令書に記されていた場所。俺たちはここを目指してるから今森を進んでるわけ。分かったか?」

「何でお前初めて来た無人島の地図なんか書けるんだよ」

「船で接近する前に見えた範囲を記憶してただけだ。だからほら、島の反対側は空白だろ」


 リックの言葉にマルスは「へぇ」と感心したような声を漏らした。そんなことをしながらもマルスは木々に遮られている森の中をバキバキと音を鳴らしながらガンガン進みリックに道を作る。全く抜けているんだか、頼もしいんだか分からない奴だなとリックは改めて思った。

 そんな時、急にマルスが進むのをピタリとやめた。


「うぉっと。おい何だよどうしたラルゴー?」

「……この先は進まない方がいい」


 リックがマルスの肩にぶつかりそうになりながら聞くと、彼は低い声でそう言った。その背中はどこか緊張感を孕んでおり、マルスの急な変化にリックも真剣な表情で彼を見た。


「何だ?この先に何がある?」

「……いや、何もない。ここまでと変わらない獣道なんだが……足跡が無いんだ」

「足跡?」


 そう言ってマルスが地面に屈む。それによってリックも前方を見ることが出来たが、確かにそこは今までと特に何も変わらないように見えるただの森の中であった。しかしマルスは気になるところがあるようで地面をじっと見てある一点を指差した。


「ここだ」

「……これは、ウサギの足跡?」


 マルスが指差した先を覗くとそこには小さい足跡が何個か点在していた。


「何匹かここを通りかかったが、この地点で急に引き返している。……野生動物、特に狙われやすい小さい小動物は危機察知能力が非常に高いんだ。念の為こっから先には進まない方がいい」

「なんかお前って意外と細かいとこ見てるんだな」

「″意外″って何だ」


 マルスはリックの言葉にムッとしながら聞き返したが、彼は白い地図に×印だけつけるとそこを迂回して先に進むことを決定した。それに対しマルスはまだ少しムッとした顔はしてたものの特に異論は言わず、ずんずんと先頭に歩き出す。ふとリックがそんな前を行く大きな背中を見ながら口を開いた。


「なんか本当に意外だな」

「あ?」

「お前ってもっと頑固で傲慢で『俺様について来い!』みたいなタイプかと思ってた」

「はあ?」


 リックの突然の言葉にマルスは顔を顰めながら後ろを振り返った。しかしリックはと言うとどこか楽しそうな顔で笑う。


「いや連むようになる前の話な。だって名門公爵家の出で、名前は神様で、体格はそんなんだろ。正直第一印象はそんな感じだった。でも実際はちょっと天然でアホで純粋で素直だろ?なんかそれが意外だなって」

「一応聞くがお前俺のこと褒めてるんだよな?」


 マルスはリックの言葉にため息を吐きながらも前に向き直るとまた木々をかき分けながら進み出した。


「別に生まれとか名前とか体型も関係ないだろ。俺はただ自分自身が無力なことを知っているだけだ」


 そう言ってマルスは道を塞ぐ大きな木の枝をいとも簡単に折るとそれをそっと木の根元に置いた。マルスはその長い足で折った木の枝を跨ぐとまた進み始める。


「周りがどう思っているのかは知らないが、俺は″神″でも何でもない。小さな命だって守れないただの人間だ。……そんな自分を変えれる道を選んだ」

「え?お前の家って軍人一家だろ?親に言われて『moon』を志望したんじゃないのか?」


 驚くリックの言葉にマルスは後ろを振り返らないまま変わらぬ声のトーンで答えた。


「上に兄がいるんだ。俺はほとんど期待されてないから自由にしてる。だから高校を出たらまず自分の力で自分の夢を叶えにいこうとずっと思ってたんだ」

「夢?」

「″龍″に会いたいんだ」


 その言葉にリックは目を丸くした。後ろから少しだけ見えるマルスの横顔がほんの少しだけ、どこかワクワクが抑えられない無邪気な少年のようであったからだ。


「その、ニコルズは″龍″に会ったことがあるか?」

「いや……、まだ映像で見たぐらいだな」

「そっか……そうだよな」


 ″龍″とはほんの数年前に確認された″空飛ぶ植物″のことで、それを研究するために作られたのが『sun』。そして″龍″に対抗する為に作られたのが″龍″対策国際統合軍、通称『moon』である。だがこれには公にされていない設立の裏事情があった。

 昨年出された終戦宣言により5大大国共同声明の下、各国の軍の解散が同意された。しかしどの国も武力を完全に0にするのは難しかった。何故なら各国の有力な貴族たちは武力でここまでのし上がってきたこともあり、それが急に無くなるのは困ると反発する者も多かったことと、他国が″本当″に武力を0にしたのか、信じることが出来なかった為である。

 そこで注目されたのが″龍″。この未知の生物に対抗する為と称して国は直ぐに新たな軍を設立。そこに行く宛のなくなっていた多くの軍人たちを送り込んだ。国際統合軍である『moon』で自国の軍人が幹部にでもなれば他の国より強く出られる、そんな考えがあったのだ。

 しかし予想外だったのが″龍″による被害である。国同士の策略などに利用された″龍″だったが、彼らは時に民家を潰し、公共施設を壊し、橋の崩落や土砂災害など甚大な被害を巻き起こすこともあった。よって今世間的には″龍″とはいつ起こるか分からない″自然災害″のように認識されており、『moon』はその対応に毎日目まぐるしく追われ、引退気分を味わうつもりだった貴族の幹部たちはこんなはずでは無かったと嘆いたと言う。


 そんな中、まるで少年のような顔で『″龍″に会いたい』というマルスはリックから見ても少し異様であったのだ。


「……気分を悪くするつもりはないんだけど、何で″龍″に会いたいんだ?そりゃ『moon』に入隊するからにはいつかは会えるんだろうけどさ。一度起これば問題を引き起こすやつに会いたいって言えるのは相当なことだと思うけど」

「母との約束なんだ」


 リックはその言葉にドキッとして一瞬息を呑む。彼はマルスの家のことは一応ネットで軽く調べていたのだが、そこに彼の母親は彼が5歳の時に亡くなったという当時のニュースが載っていた。セレスディア王室の当時唯一のプリンセスのあまりにも早すぎる死は一時期話題になったようで多くの人がその死を悼んだと記載されていた。

 リックはまずいことを聞いてしまったと反省した。


「……悪いラルゴー、余計なことを、」

「いやいい。普通の疑問だ。……母は変わった人だったんだ。王室出身だが色んな人と仲良くなるのが得意で、新しいことが好きで、発売されたばかりの『龍の花』を当時5歳の俺に読み聞かせた」

「え?あれ流石に5歳の子供には難しすぎるんじゃない?」

「当時周りのメイドたちもそう言ったらしい」


 リックの言葉にマルスも若干苦笑いを零しながら言葉を紡ぐ。リックも一応あの有名な『龍の花』を読んだことはあったが、植物の仕組みや生物の基礎生態などが書かれており、昔はファンタジー小説として捉えられたらしいがどう考えても子供向きな本ではないと思っていた。


「俺も当時は多分ほとんど意味を理解はしてなかったと思うが、母の好きな本、と言うことは理解していた。そんな母と晩年に約束したんだ。『いつか″龍″を見に行こう』と。だから『moon』に入れば直接見たり、はたまた一緒に空を飛ぶような機会もあるんじゃないかと思った。……不純かもしれないが、俺がここにきた理由はそれだ」


 そうやって正面を見ながら笑うマルスの笑顔は非常に晴れやかであった。リックはそんな彼を見て何となく彼を″相棒″に選んで良かったと、何故かこのタイミングで改めて思ったのだった。


「それに近年の″龍″を厄災のように捉える考え方もあんまり好きじゃない。俺に出来ることがあるかは知らんが、もっと人間と″龍″が共生できるようにしてやりたいんだ」

「なるほど。つまりお前は″龍″ファンってことだな」


 リックがそう言うとマルスはふとこちらを振り返った。その表情は少しキョトンとしていた。


「……笑わないのか」

「何で?人の夢を一丁前に笑えるほど俺もご立派な人間じゃねーよ」


 リックはそう言ってマルスの肩を強めに叩く。それにマルスは若干痛かったのかさすりながらも、少しだけ笑みを浮かべた。


「なあお前が『moon』を目指した理由も聞かせてくれよ」

「……いや俺はお前ほど立派な、」


「わああああ!!」


 その時、突如森の中に人間の悲鳴が響き渡った。マルスもリックもその声のした方をハッとして見た。


「さっき迂回した場所からだ!」

「クソッ!行くぞ!」


 リックの言葉が言い終わると同時にマルスが走り出し、それに一歩遅れてリックも走り出した。2人が全速力で悲鳴の下方へ行くとそこには少し遠目からでも分かる大きな落とし穴があった。


「何だあれ?!さっきはあんなのなかったぞ?!」

「……!トラップだ!伏せろ!」


 リックがその落とし穴に近づこうとした瞬間、マルスは何かに気づきリックを抱えるように地面に伏せた。リックがハッとしてたった今自分が立っていた場所を見ると、そこには木に何本かの矢が刺さっていた。ちなみにそれは丁度彼の胸あたりの高さにあたる場所だ。


「冗談だろ?!ただの演習だろ?!こんなの間違ったら死ぬぞ!」

「これは、オルガ公国ベリト領で古い時代に使われてたトラップだ。木の葉に紛れてスイッチが仕掛けられ、それを踏むとトラップが自動で発動する。昔、家の戦績記録に書いてあったのを見た気がする」

「何でそんなのがここに仕掛けられてるんだよ?!」


 リックの抗議めいた声にマルスはゆっくり身を起こしながら視線は前から逸らさずに答えた。


「俺が知るか。だがとっくの昔に無人島になってるこの島に、こんなしっかりした矢が残っているとは思えない。多分教官たちが演習の為に仕掛けたんだ」


 マルスはチラリと後ろの木に刺さった矢を見た。リックも身を起こしながらそれを見ると確かに鏃の部分はしっかりと銀色に光っており、まるで新品のようであった。


「冗談じゃないぞ。教官たちは俺たちを殺す気か?」

「真意は分からん。だが今やらなきゃいけないのはそれをハッキリさせることより、あそこにいる奴らを助けることだ」


 マルスはそう言ってスッと立ち上がる。その視線の先には大きな落とし穴があり、中からはおそらく落ちたのだろう、「助けてくれ」と言う声が響いていた。だがリックは厳しい顔をしてそんなマルスを止めた。


「ちょっと待て。助けるってこのどこにトラップがあるか分からない中を進むってことか?お前解除方法とかまで分かるのかよ」

「いや全く分からん」

「ダメじゃねーか!」


 リックのツッコミにマルスは真剣な表情のまま「だが、」と続けた。


「仲間が困ってるんだ。助けない訳にはいかないだろ」

「それはそうだけど……、」


「なあ!もしかしてそこにいるのリックか?!」


 突然穴の中から自身の名前を呼ばれリックがハッとしてそちらを見る。流石に穴の中までは見えなかったが、そこにいる人物はこちらに聞こえるように大きな声を上げた。


「俺だよ!ベンだ!頼む助けてくれ!森の中を進んでたらいきなり落ちたんだ!」

「ベン?!」


 その声の主はリックの友人グループの1人であった。リックは驚きながら彼の声に耳を傾ける。


「サムも一緒だ!だが落ちる時に頭を打ったみたいで意識が無いんだ!頼む手を貸してくれ!」

「何……?!」


 リックはその情報に焦った。頭を打って意識を失っているのであれば、確かにここは手を貸した方がいいだろう。しかしそれにはトラップがどこに仕掛けられているか分からない場所を数mは進まなくてはならない。もし自分達も落とし穴などに落ちてしまえば共倒れの可能性もあった。それに、とリックはチラリと横目でマルスを見る。

 この友人たちはリックがマルスと相棒を組むと決めた時、マルスの悪口を言っていた者たちであった。もちろんマルスはそんなこと知らないのだが、リックとしては何となく助けることに抵抗があったのだ。


「よしじゃあ行くか。お前はそこで待ってろ」

「はあ?!」


 しかしマルスはそんな考え込むリックをよそにブーツの靴紐を結び直すと気合を入れたように息を吐いた。今にも飛び出していきそうな彼の肩をリックは掴み無理矢理こちらを向かせる。


「お前ここを突破出来る何か考えがあるのか?!」

「いや無い。とりあえず発動したトラップを回避し続けて向こうに行く。1回道を作ってしまえば戻る時も同じ道を通ればトラップにはかからないだろ」

「なっ、ちょっ、待て!!」


 マルスは肩に置かれたリックの手を振り払うと彼の制止も聞かず飛び出した。リックがそれに驚愕したのも束の間、マルスが数歩踏み出したところで急に地面の中から太い縄が現れ、地面を踏んだマルスの足首を捉えるとそのまま彼の巨体を木の上に吊り上げた。


「マルス!」


 言わんこっちゃない、とリックは思ったが、マルスはその足首の太い縄をグッと両手で掴むと腕の力だけでそれを引き千切った。そして地面に音もなく降り立つとましても走り出す。足を踏み出す度に様々なトラップが発動したが、マルスはそれを時には寸前で躱し、時には圧倒的な力で破壊した。

 リックから見てその勇敢で勇ましい背中はまさしく″軍神″の様だと思った。


「おい!大丈夫か!」

「えっ!″軍し、……ラルゴー!た、助かった……!」


 リックの友人は穴を覗き込んだマルスの顔を見ると、まさか彼が来ると思っていなかったらしく一瞬戸惑った様に″マルスが嫌いな方のニックネーム″を呼ぼうとし、ギリギリで踏みとどまった。一方マルスはそんなことには気づかず、素早く地面に腹這いになると穴の中へ手を伸ばした。


「まずはそっちの気ぃ失ってる奴からだ!持ち上げられるか?」

「あ、ああ!」


 マルスは手際良く1人目の人間を穴から持ち上げると2人目の方にも手を伸ばす。しかしベンと名乗った方は身長がやや小さく、そして思ったより落とし穴が大きかった為マルスの腕はほんの少しだけ彼に届かなかった。


「クソッ!……?!」


 しかし直後マルスの横をすり抜けてリックが穴に飛び降りる。リックは戸惑うベンに自らの手で足場を作って彼の体を持ち上げた。


「ニコルズ……?!」

「早くこいつを腕を掴め!」


 リックは短くそう指示をした。そして彼がマルスによって引き上げられたのを見届けると自分は2m以上ある穴をジャンプでよじ登り、最後にマルスの手によって引き上げられた。そして4人はマルスが通ってきた道を全く同じように歩いて安全なエリアへ移動した。


「はぁー!助かった……!本当にありがとうリック!お前がいなければどうなっていたか……!」

「……別に俺は手伝っただけだって」


 リックはそう言って横目で、気を失っている方の人間をここまで担ぎ、そしてゆっくりと地面に降ろしているマルスを見た。友人はそんなリックには気づかず、安堵したのか大きな声で礼を言い続けた。


「いや本当に助かったよ!マジで落とし穴に落ちた時はここでリタイヤかとも覚悟した!本当にありがとうなリック!もちろんラルゴーも!」

「あ、ああ。気にするな」


 突然礼を言われたマルスは礼を言われるとは思わなかったのか戸惑いながらも短く答えた。そして友人はニコニコとした笑顔のままもう一度リックに視線を戻すとその肩を軽く叩いた。


「今は何も礼出来るものは持ってなくて悪いんだけど、俺はお前たちのこと応援してるぜ!お前たちなら絶対成績1位取れるよ!」

「……ありがとなベン。さぁ、サムを安全なところに連れてった方がいいぞ。拠点は近いのか?」

「ああ大丈夫だ!本当にありがとう!」


 そう言ってリックの友人は地面に寝られている友人の肩に腕を回すと体を持ち上げてその場から去っていった。その間に何度もこちらを振り返り笑顔で大きく手を降り、それにマルスとリックも小さく手を振って答えたのだった。


「……よし。なんとか行ったな。俺たちも元の道に戻るか」

「……」


 マルスは彼らの姿が完全に消えたことを確認するとスッと降っていた手を下げ地面に投げ出していた己の荷物を担ぎ直す。しかしリックはと言うと難しい顔でぎゅっと先程まで降っていた手を握りしめていた。


(『助かった』?『リタイヤを考えた』?じゃあ何故ラルゴーに礼を一番に言わない?こいつが無茶な行動をしなければあいつらずっとあの穴の中だったと言うのに……!)


 リックの友人たちはこの『survive』が行われる前までマルスの事を散々影で馬鹿にした。時には″軍神″と呼んで嘲笑い、時には自分が有利になりたいが為に陰口を言っていた。それなのにいざ自分が助けられれば「ありがとう」等と簡単に口にする。リックにはその言動がどうしても生理的に受け付けられなかった。


(本人が知らなければそれでいいのか?散々あんなに扱き下ろしといて無かったことにするのか?!違うだろ!!)


「ニコルズ?」


 リックはマルスの声にハッとして俯いていた顔をあげる。そこには心配そうにこちらを覗き込むマルスがいた。


「大丈夫か?どこか怪我したのか?」


 マルスはこんな時でもこちらの心配をした。その目にはあの友人たちのような卑屈な感情は見当たらずただただ純粋な目をしていた。


「……いや、大丈夫。ちょっとぼーっとしてただけだ。さぁ行くか」


 そう言ってリックも地面に無造作に投げ捨てた荷物を拾い上げ、自分の背に背負い直した。そして地図を取り出すと元いた道へ歩き出す。


「えーと、太陽がこっちだから、こうか。とりあえずこのままあっちの方向へ進めば……ラルゴー?」


 リックは後ろから聞こえるはずの足音が聞こえずふと振り返る。そこにはなぜか眉間の皺を深くしてこちらを睨むマルスがいた。


「何か言いたいことがあるんじゃないか?」

「え?」


 マルスの言葉にリックはドキッとした。普段外面用の顔を貼り付けているリックにとってあまり表情からその本心を探られることは滅多に無かったのだが、マルスの前ではほとんどその顔を貼り付けてこなかったのでどうやら彼にはリックの若干の心の機微が見えてしまっているようであった。


「さっきお前の制止を振り切ってトラップに突っ込んだことか?」


 だがマルスはリックが考えていたこととは違うことを口にした。それにリックは表情に出さぬまま少しだけホッとする。今のリックの考えていることを知られると言うことは、つまりマルスが影で陰口を叩かれていたことを暴露してしまうようなものだった。リックはこれ以上純粋な彼を傷つけたくはないと思い、咄嗟にいつも他の友人たちに向ける、外面用の笑顔を貼り付けた。


「そーそー!わかってるじゃんかー!ああいう行動はトラブルの元だ。今後はしっかり話し合って決めていこうぜ。まぁでもさっきのお前はめちゃくちゃカッコ良かったけどな!」


 リックはそう言って笑った。しかしマルスはそんなリックに急に目を見開いたかと思うとみるみるうちに今度は先程よりも深く眉間に皺を刻みまたしても彼を睨んだ。そんなマルスの金色の瞳は急に狼の様に鋭く光った気がしてリックは思わず身震いする。そして直後マルスの怒号が響いた。


「……なんだよそれ……なんだよそれ!俺とは話したくないってことか?!!」

「!」


 マルスはそう言うと悔しそうな顔を浮かべながらずんずんとこちらに向かって歩き始めた。それにリックは咄嗟に身構えたが、マルスはそんな彼の横を素通りするとそのままスピードを緩めずもと来た道を歩みはじめた。リックはそんなマルスの背中に一瞬何かを言いかけたが直ぐに口を噤む。これ以上話すと彼と″喧嘩″になると思ったのだ。

 リックは周囲に何も忘れ物がないかどうかだけ確認すると静かに彼のあとをついて行った。その後彼らが目的地に着くまでの3時間、2人は終始無言だった。



*



 辺りがすっかり暗くなった頃、マルスとリックは目的地である島の西側に到着した。本来であれば周囲が暗くなる前に1度拠点に戻って夜を明かすつもりだったのだが、ここまで無言を貫いた2人にそんなコミュニケーションは無く、結局夜になっても森の中を歩き続けたのだった。

 そこは少し開けた場所で先に見える崖の上には古びた教会のようなものが建っていた。周囲からは波が岩に当たる音が聞こえ、ここら辺は潮の流れが早いのだとリックは思った。


ギィ……


 2人はその教会の両開きの扉をゆっくり開ける。扉は恐らく海風で侵食されて大分古びており、軽い扉であるのに妙に重い音を周囲に響かせた。ただ中は思ったよりしっかりしており、椅子や装飾品はボロボロであったが、正面にある十字架とステンドグラスは比較的綺麗な状態を保っていた。

 ふとその十字架の下、祭壇あたりに何か黒い物体があるのをリックが発見しそれに近寄る。それはリックもよく見る最新式のホログラム装置だった。


『よくぞここまで辿り着いたな若者よ!!』

「!」

「?!」


 その装置はリックが目の前まで行くと遠隔操作なのか何の前触れも無く突然電源が入り立体映像が映し出される。そこには2人もよく知る教官が上半身だけ写っていた。


『ん?なんだリックとマルスか。お前たちこんな夜更けまで行動してたのか?夜の森は危険だとあれほど教えただろう』

「……ゴールドマン教官?」

『おうリックよく見えてるぞ。……ん?カメラはどれだ?え?これか?』


 そこにいたのはワグナーだった。彼は主にリックら『陸上科』の戦法を担当しており、同級生からは『為にはなるが大体話が長くて眠くなる』と若干不評な教官であった。それにリックは思わず肩を落とし、後ろでそれを見ていたマルスもやや面倒臭そうな顔をした。


『何だお前たちその顔は!よく見えてると言っただろう!!』

「えーと、俺たち司令書に従ってここまで来たんですけど、これは何ですかゴールドマン教官」


 リックの問いにワグナーは若干憤慨しつつも背後の椅子に座り直し腕を組んだ。


『さっきも言ったが、まずは2人ともよくここまで辿り着いた。ご苦労だった。これは様々なトラップやギミックが仕掛けられた戦場を如何に素早く、またダメージを負わずに抜けられるか。そして如何に正確に司令を全う出来るかの訓練であった。最後に私からの問いに答えれば演習は終了となりお前たちは帰宅出来るぞ。心して挑め』

「え?ここに来て最後にクイズってこと?」


 ワグナーの言葉にリックは若干呆れたような言葉を漏らしたが、ワグナーはそれを無視して一枚のフリップを取り出した。そこには2人の人間のイラストが書いてあり、1人はボロボロの服、1人はしっかりと礼服を着込んでいて、怪我をしているのか苦しそうな顔で床に倒れ込んでいた。


『お前たちの目の前には貴族と一般市民がそれぞれ怪我をして倒れている。怪我の具合は2人とも一緒だが早急に措置をしないと助からない可能性がある。しかし持っている救急キットは1名分のみ。周囲には誰もおらず病院も遠い。さあ、どちらを助ける?制限時間は5分だ。その間に2人で話し合って意見を決めろ。時間内に意見がまとまらなかった場合は司令書を探すところからやり直しだ』


 正直ダルいな、とリックは思った。こういった倫理観を試す問題は小・中・高校と散々されてきていた。正確に言えば正答というものはない。要するにどういう考えでその答えを導き出したのか、回答者の思考を見るテストであった。

 リックは重いため息を吐きながらチラリと後ろにいるマルスを振り返る。彼は一瞬リックを視線を合わせるものの、まだ先程のことを怒っているようで直ぐに視線を逸らした。それにリックは再び、今度は誰にもバレないようにため息を吐いた。


「決まった」

『ん?早いな?今本当に話し合ったか?』


リックの言葉にワグナーは不思議そうに首を傾げたがそっちが言うのであれば、と回答を促した。それにリックとマルスは2人同時に口を開いた。


「一般市民を助ける」

「両方助ける」


 2人は全く別の回答をした。それにワグナーはもちろん、回答者である2人とも驚きの表情を浮かべてようやくお互いの顔を見た。


「はあ?!何だよ″両方助ける″って!」

「お前だって何だよ″一般市民を助ける″って!」


 双方が信じられない、と言うように声を上げる。それにまずリックが答えた。


「どう考えてもこの状況なら一般市民を優先だろ。いいかまず第一として俺たち貴族には爵位を持たない人間たちを助ける役目がある。それを放棄して貴族の方を助ければ、いずれ助けられなかった一般市民の遺族たちから大批判を喰らう。そうなれば自分の爵位を剥奪される可能性だってあるんだ。後々のことまで考えるなら絶対一般市民だ」


 リックは未来のことまで想定し、なるべく喧嘩にはならないようにゆっくりと彼を刺激しないように話した。しかしマルスはそんな配慮も関係なく既に眉間に皺を寄せており、また輝く金色の瞳でリックを睨んでいた。


「言いたいことは分かるし、貴族の責務も分かる。だがそれは人を1人見殺しにするってことだぞ?!そんな命の選択をするような権利は俺たちには無い!」


 マルスの言葉にリックは人知れず奥歯をギリッと噛み締めた。リックはマルスの貴族なのに飾らないところや、やや天然なところが面白くて気に入っていたがそれと同時に、時折見せる聖人君主のような、はたまた違う人間から見れば子供のような、まるでこちらの暗い部分を浮立たせるそんな彼の真っ直ぐすぎる言動が苦手でもあった。


「そんなのは言われなくても分かってる!だが軍人になる以上、俺たちにもそんな選択をしなければいけない日が来るかも知れないのはお前だって分かっているんじゃないのか……!」


 リックは少しずつ語尾が強くなっていくことに気付かぬまま、両手をきつく握り締めて言葉を続けた。


「それに両方助けるってどうやるんだ?救急キットは1名分、周囲に人もいなければ病院も無い。そんな状態で一体どうするってんだよ!」

「お前がいるだろ!!」


 マルスの雷のような怒号が古い教会にビリビリと響く。それにリックは目を見開き固まった。


「俺たち″2人″の前に怪我人は倒れているんだろ?!じゃあお前が怪我人を治療して俺が救助を呼びに行く!それすらも間に合わないようなら体の小さい方の怪我人を俺が担いで走る!2人いれば、俺たちがいれば、どうとでも手の施しようがあるだろ?!そうじゃないのか?!」


 マルスの怒っているような、しかしどこか苦しんでいるようなそんな声にリックは言葉を失い呆然と立ち尽くした。

 ワグナーは先ほど問題提示の際に『お前″たち″の前に』と言葉でしっかりと状況を説明していたのだが、リックは中身に気を取られてしまい″1人だけ″いる状況の問題だと勝手に思い込んでしまっていたのだ。

 リックは頭にのぼっていた血が急に引いていくのを感じながら、目の前の金色の光をただ凝視することしか出来なかった。


「……相棒だと……友達だと、思っていたのは、俺だけかっ……!」


 マルスは少し震える声でそう言うと顔を背けて教会の入り口の方へ歩き出してしまった。それに対してリックは咄嗟に一歩踏み出し彼の背中に声をかけた。


「ラルゴー、」

「″軍神″って呼べばいいだろ」


 マルスはリックの言葉を遮るように、彼に背を向けたまま短くそう言った。そしてその言葉にリックが一瞬息を呑むのをマルスは背中で感じながらほんの少しだけ後ろを振り返って言った。


「お前が、俺のことを″軍神″だと言って笑うグループの1人だと言うことは以前から知っていた。……だから話しかけてきた時少しは警戒したんだ。どうせ馬鹿にしに来たんだろうって。でもお前は違った」


 リックの視線の先でマルスが己の手を力の限り握りしめるのが見えた。最初その表情は彼からは暗がりの影響で見えなかったが、リックの後ろにあるステンドグラスから漏れる月明かりが雲をかき分けて少しずつその表情を照らしていった。


「お前は俺を助けようとしてくれて、ずっと1人だった俺と一緒にいてくれた……!いい奴だと思ったんだ!だが結局はお前もあいつらと一緒で俺をずっと馬鹿にしてたんだろ!だから言いたいことがあっても口を噤んでた、そうじゃないのか!!」


 月明かりに照らされたマルスの金色の瞳には何か光るものがあった。リックはそれが涙だと認識するのにいつもより何倍も時間を要した。


「お前なんか、相棒じゃねぇ!!」


 マルスはそう言うと教会の入り口を乱暴に開けてそのままどこかへ走り去った。リックはただマルスがいなくなった暗い空間を見続け、今までとても口を出せる雰囲気では無く無言を貫いていたワグナーが恐る恐るそんなリックの背中に声をかけた。


『……そ、その、タイムアップだ。演習の規則上、お前たちはもう一度司令書を探すところから始めることになる……が、えー、場合によってもリタイヤももちろん有りだぞ。どうする?』


 ワグナーはやや言葉を詰まらせながら言った。しかしリックはワグナーの言葉には答えず、しばらく呆然と立ち尽くすとゆっくりと歩き始めた。


『リ、リック!言っとくがどの司令書も2人でゴールしなければ任務として認められな、』

「お疲れ様でした」


 ワグナーは覇気なく歩くリックに慌てて声をかけたがリックはそれを力なき声で遮り、静かに教会を出て行ったのだった。


 その10日後。マルスとリックは強制リタイヤとしてそれぞれ無人島の別の場所で教官に保護された。強制リタイヤしたものは彼らのみであった。

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