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龍の花  作者: ぴえろ
第一章 龍の生命力
2/8

「龍の生命力」【後編】



「リック大尉!何もあなたが向かわなくても!」

「そう言っても他に行ける人間もいないだろ!それに俺が1番馬に乗り慣れてるから早く戻ってこれる!」

「しかし!」


ミトカ町の町長邸の裏にてリックは馬に跨っていた。町に到着してもう1時間は経とうとしているが現状は変わらず、むしろ強風による被害が増えつづけているような状況だった。いよいよ打つ手が無くなったリックは子供の証言ではあったが、彼らのいう″魔女先生″に話を聞きに行こうとしていた。

しかしリック直属の部下は現場の責任者がその場を離れることに反対する。


「マルス中尉もいなくなり、あなたまでも現場を離れてしまわれては誰がこの場を仕切るのです!」

「そりゃー大尉補佐のお前が臨時で大将になるんじゃない?よっ!大出世!」

「ふざけないでください!」


全く笑えない冗談に部下が怒りをむき出しにする。するとそんな言い争う2人の元に、町の救援活動に向かっていた隊員の1人が駆け込んできた。


「お話中失礼致しますリック大尉!」

「おーそういうのいいから。どうした?ついに牛でも飛んだか?」


リックの軽い冗談にピクリと笑いもしない隊員は、何故か興奮状態のまま自身の通信機をこちらに差し出してきた。


「それが、その、自分の通信機に急にグリオ隊員から電話が来まして、でもグリオはその時私の目の前で民家から木をどかしていまして、それに本人は通信機は風ですっ飛んだと言っていて……!」

「え?何何?ちょっと落ち着いて。結論だけでいいから」

「マルス中尉からお電話です!!」


自ら「結論だけ」と促しておいてなんだが、予想外の出来事すぎてリックも隣にいた部下も一瞬ポカンと固まった。しかしその言葉の意味を理解するとリックはバッと馬から降りて通信機を取った。


「マルス?!」

『?!リックか?お前今外か?随分後ろがうるさいぞ』


通信機をONにするとそこからははっきりと先ほど別れた相棒の声がした。それに安堵したリックに部下たちに見せるのとはまた違う子供のような笑顔が戻る。


「もーこっちは大変なんだぜ?お前はやっぱり無事だったんだな〜!さすが熊だな〜」

『無……事、まあ、無事だ、一応……』


珍しく何故か歯切れの悪い返事にリックは不思議に思いつつ、彼にあまり笑えない現状を伝えた。


「まぁ無事で何より。だがこっちはちっとも無事じゃないんだぜ。例の″龍″だが、何故かミトカ町上空から降りてこないんだ。今は町の真上で旋回を続けて町中台風並みの強風が吹き続けている。今部隊全員で町の救援活動に向かってもらっているが収まる気配も″龍″が降りてくる気配もない!」

『″龍″が降りてこない……?』


電話の向こうでマルスが息を呑んだのが分かった。マルスは少し考え込むように黙り込むと決意したようにまた口を開いた。


『リック・ニコルズ大尉!』

「?!」


マルスの階級は中尉。対してリックは昇進したばかりだが大尉。一応彼より階級は高く、正確に言えばマルスはリックの部下に近い立ち位置なのだが長い付き合いからマルスもリックもお互いを階級で読んだことは無かった。たった今この瞬間までは。


『関係者以外に『moon』の任務を口外する許可を頂きたく思います!』

「え、……え?」


一瞬ふざけているのかと思ったが、通信機から聞こえる彼の声は真剣そのもので、そもそもマルスはこんな非常事態でふざけるような人間ではなかった。

それだけで何かあったんだと察したリックは1人頷いていつもよりも低い声で返事をした。


「マルス・ラルゴー中尉。願い出を許可する」

『感謝致します。−−おい!許可が出たぞ!』

「え?マルス誰かと一緒なのか?」


許可が出た途端、マルスは通信機ではなく恐らく同じ空間にいるのであろう誰かに声をかけた。こちらから一応問いかけたが向こうで話し合っているのかこちらへの返答は無かった。

しばらく待っていると、ガサガサという音と共にマルスの声が再び聞こえた。


『−−ちょっと待て。おいリック!″龍″が発生した住宅庭の植物は分かるか?』

「あ?ああ、ちょっと待て」


マルスの問いにリックは指だけで部下を呼ぶと該当の資料を探した。


「えーと、あったぞ!ドクダミ・タンポポ・エノコログサ・オオバコ……この家ほとんど庭の手入れはしてなかったな。雑草だらけだ」

『何か特別に植えられているものは無かったか?』

「あー、これかな。ここ数年実はつけてなかったらしいがキウイフルーツの木を植えていた!」

『−−やっぱりな』


一瞬、マルスのものではない女の声が微かにした。こちらにも聞こえたことには気づいていないのかまたしばらく何か向こうで話し合うと、先ほど同様ガサガサと音を立てながらマルスは話す。


『分かった助かったリック!今から俺もそっちへ向かうから今から言うことをやっててくれ!』

「え?お、おう分かった。つーかさ、お前誰といんの?あとさっきからガサガサ雑音入るんだけど何してんの??」

『あー、悪い服着てたんだ』


″服を着てた″つまりその前までマルスは服を着ていなかったことになる。そして通信の向こうには微かに女の声。その瞬間リックの中で何かが爆発した。


「はぁーーーーー!こっちは!必死に!町の救援と!クソうざい町長の相手してる時に!お前は何してんだよ!えぇ?!」

『はぁ?お前突然何い言い出すんだ』

「女の声!聞こえてんだよ!今までお楽しみでしたってか?!一通り満足したから電話しましたってか?!しかも俺直接じゃなく部下の方!はぁーーーーなぁにが任務口外の許可だ自分は口外どころか中にも外にも出しましたってかぁ!!」

『は、おま、何言ってんだこっちがどんな目にあったかも知らないくせに!!』

「あー知らねーわ!知りたくねーわお前の女事情なんか!もーお前のこと合コンに誘わねーしキャバにも部下連れて行くから!」


自分は行きませんけど、と無理やり肩を組まされた部下は小さく答えたが怒るリックには届かなかったようでまるで中学生のような言い合いを通信機向こうのマルスと続けていた。

部下ははぁーとため息をつくと「失礼致します」と言ってリックから電話を奪った。


「あ、こら!まだ話は終わってない!!」

「マルス中尉、お話中申し訳ございません。それで、やっていてほしいこととは何でしょうか?」



*



「″龍″が降りてこない……?」


通信機を通して向こうの人間と話すマルスが怪訝そうな顔をした。それを聞いた女も眉を微かにピクリと動かしキッチンを片付けていた手を止めて彼を方を見た。

つい先ほどようやく全身拘束を解かれたマルスはとりあえずパンツだけ履いた状態のまま、偶々落ちてきた通信機でミトカ町にいるであろう仲間と連絡が取れないかと試みた。通信機はやや破損があり、データの大半が飛んでしまっていたものの着信履歴等は残っていたのでリダイヤルしてリックに繋いでもらった。

これで通常任務に戻れると安心したのも束の間、リックから聞かされた向こうの現状に再びマルスは頭を悩ませた。


(どういうことだ……?″龍″は本来目的地に着いたらすぐに着陸するはずだろ。ミトカ町が目的地じゃないのか?いやしかし、何故旋回を……)


眉間に深いしわを刻みながら考えていると、女が同じく不審に思いながらこちら見ているのに気がつく。そして何か決意したかのように唾を飲むと先ほどよりやや緊張した声で言った。


「リック・ニコルズ大尉!関係者以外に『moon』の任務を口外する許可を頂きたく思います!」

「!」


マルスの言葉に今度は女の方が驚いて目を少し見開く。マルスはそれに気づかないまま通信機に向かって何度か頷いた後もう一度女の方に視線を向けた。


「おい!許可が出たぞ!」


そう言って近くのテーブルに通信機を一旦置くとマルスは女の方へずんずんと近づいていった。改めて女の前に立ってみると女はマルスより50㎝程低く、平均よりも低めの身長だった。必然的に上から見下ろす形になったマルスは己がパンツ姿なのも忘れて彼女の目の前に立つ。


「お前を有力な″龍″学者の1人だと見込んで頼みがある。さっき任務内容を問うただろう。あれの口外許可が正式に降りた今なら話す。ただ聞くからには今回の任務に協力してほしい」

「……分かった言ってみろ」


マルスは今回国内の住宅地で発生した″龍″を追ってきたこと。″龍″発生の際に家の飼い猫が巻き込まれていること。そして現在″龍″がいるミトカ町では″龍″が旋回したまま一向に降りてこないことを事細かに話した。

それに対して女は腕を踏みながら、時折何か考えるように口元に手を当てて何かを小さく呟いていた。


「″龍″が降りてこない……か。事例としては聞いたことがない。だが原因として考えられるのはやはりその飼い猫の可能性が高いな」

「猫が、か?」

「知ってるか。着陸直後の″龍″の体っていうのはほぼ無菌状態なんだ」


女はすぐ近くに置いてあった小さな植木鉢を手に取った。葉の上に何かゴミが乗っていたようでフッと息を吹きかけてそれを取る。


「植物とは常に数多くの微生物と共生して生きているが、飛来してきた″龍″にはこの微生物がほとんど存在していない」

「そんなんで生きていけるのか」

「ほう?ここは″勉強済み″か?」


先ほどマルスが言った言葉を揶揄うように女が無表情で言う。それに対しマルスはやや顔を赤くしながらも「早く続けろ」と彼女を急かした。


「お前もご存じの通り、微生物なしでは植物は生きていけない。しかし″龍″になるには恐らくあってはいけないものなのだと私は推測している」

「どういうことだ?」

「人間で置き換えてみろ。全く別の環境で育った人間が検疫なしに違う国に入国したらどうなる」

「!」


女の問いにマルスはハッとした。


「そうか、新天地に未知の菌をばら撒いて生態系を壊すわけにはいかないのか……!」

「そういうことだ。まあその無菌状態になっているのが″龍″になる前なのか飛来中なのかはたまた別のタイミングなのかはまだ分からんが、″龍″が新しい土地に植物以外の生物を持ち込むのを忌諱していることは分かる」


そこでようやく女が言わんとしていることがマルスにも理解できたようで合点が言ったように大きく頷いた。


「つまりミトカ町の″龍″は降りたくても、猫が乗っているから降りられない、そういうことか!」

「恐らくな」

「だがそうなるとどうすればいい。″龍″は地上約30mで、強い風の影響で航空隊は使えない。このまま猫が死ぬのを待てというのか」

「その件だが、元々″龍″が発生した庭に何が植えられていたか分かるか?」

「ちょっと待て」


そう言ってまた通信機を取りに戻ると通信機向こうのリックに向かって話しかける。女も向こうの声を聞こうと彼に近づいて通信機の声に耳を傾けた。

幸いなことに情報は揃っていたようですぐに返答がきた。


『えーと、あったぞ!ドクダミ・タンポポ・エノコログサ・オオバコ……この家ほとんど庭の手入れはしてなかったな。雑草だらけだ』

「何か特別に植えられているものは無かったか?」

『あー、これかな。ここ数年実はつけてなかったらしいがキウイフルーツの木を植えていた!』

「−−やっぱりな」


女は納得したように呟いた。それにマルスが通信機から顔を離して彼女の方を見る。


「どういうことだ?」

「お前は家に帰ったらもっと植物の勉強をしろ。キウイはマタタビと同じ科の植物だ」

「なっ……!じゃあこの猫は泥酔して″龍″に巻き込まれたということか!?」


マルスの言葉に一瞬だけ女が間を置いて話す。


「……多分な。そして″龍″の発生から3時間以上経っている今ならもう猫の泥酔状態は解けている。あとは吹き荒れている風にマタタビ科の植物を焚いた煙でも乗せてやれば猫の方から降りてくるんじゃないか」


彼女の言葉にマルスは一つの希望を見出すと「分かった!」と勢いよく返事をして通信機の向こうと再び話し出した。ついでにずっとパンツ一丁だったので急いで服を着る。

その最中に何やら向こうの相手と言い争っていたが女は特に気にせず、引き続き床が抜けてさらに天井にも穴が空いてしまったキッチンの片付けを再開した。

しばらくするとマルスはようやく言いたいことを言い切ったようで通信を切り、機器を履いた軍服のズボンのポケットに入れた。


「くだらない会話は終わったのか」

「くだらないとか言うな!」


実際には死ぬほどくだらないのだが、マルスは意地と反射でそう答えてしまった。しかし急に咳払いをしたかと思うとYシャツのボタンを上まで留めてから改めて女の方に向き直る。


「その、今回は、家に勝手に入り、床に穴の開け、その……事故ではあるが浴室に入ってしまいすまなかった。この補償は『moon』に請求してもらえれば全額、」

「必要ない」


とても言いにくそうではあったが一応謝罪の言葉を述べたマルスを女は一蹴した。そのままマルスの方を見ずに続ける。


「どうせ近いうちにここも引っ越す。勝手に借りていただけだから別に弁償の必要もない」

「は?引っ越すのか?どこに?」


特に他意無くそう言ったマルスだったが直ぐに後悔した。バッとこちらを見た女の目が先ほどのように殺意と圧のあるものに変わったからだ。


「お前は本当に何も分かっていないようだから特別に丁寧に教えてやろう。いいか、今回は私の″気まぐれ″でお前を解放する。だがもし、またどこかで会うようなことがあればその時は迷いなくお前を消す。分かったか」

「分かった。もう詮索しない。悪かった」


マルスはそう言って冷や汗をかきながら両手を即座に上に上げた。今まで「殺す」や「消す」など数えきれないほど言われてきたがこの女の言葉だけは心底怖いと、そう思ってしまった。ついでに己の息子がまた縮み上がるのも感じた。

女はマルスが本心で言っていることを表情をじっくりと観察して確認するとフイッと視線を逸らしてまた掃除を再開した。


「任務の報告書にも私の存在は書くな。適当な別の人物でもでっち上げておけ」

「分かった。なんとかする。……ただ一つだけ聞かせててくれないか」


マルスは恐る恐るそう言って生唾を飲み込む。そしてテーブルの上で、先ほどマルスが浴槽に落ちたせいで濡れてしまい乾かしている真っ最中の一冊の本に視線を移した。


「その『龍の花』もしかしてお前のものか?それエドガー・フロワ直筆のサインだろ。本人に会ったことがあるのか?」


女は動きを止めるとほんの少しだけマルスを振り返る。しかしその表情まではマルスからは見えなかった。


「それがどうした?」

「俺は、その、その人のファンなんだ。小さい頃、初めてその人の『龍の花』を読んで本気で″こんな生物がいればいいのに″とも思ったし、一緒に飛んでみたいと思った。夢を現実にしてくれた人なんだ。俺にとってエドガー・フロワは!」


少しだけ照れながら本心を話した。それに対して女はじっと動かず黙ったままだった。

シン…とした時間が続き、いくら待っても返答は貰えないのだろうと思ったマルスはずっと上げていた手を下ろして軍服のジャケットを手に取る。


「エドガーは」

「!」


女の小さな声に反応してバッとそちらを見る。すると女も長い髪の隙間からほんの少しだけこちらを見ていた。


「少なくともお前よりは背が低い」

「……そ、そうか」


だろうな、と思いつつ返答が返ってくると思わなかったのでほんの少しだけ心が浮く。

そんなマルスに女の方も問いかけた。


「私からも一つ聞きたい」

「?なんだ?」

「お前『moon』向いてないんじゃないか」

「なんだとコラ!」


今まで恐らく周囲から思われながらも誰も口にしなかったことを女はストレートに言った。マルスは怒りながらその自覚はあるので若干傷つく。

そんな彼を知ってか知らずか相変わらず無表情のまま女が続けた。


「お前、動物と接する仕事の方が向いてただろ」


その言葉にマルスは意表をつかれたように目を瞬いて、そしてすぐに気まずそうに目線を逸らすと耳の後ろを掻いた。


「いや、……動物は苦手なんだ。流石にそれは無い」

「そうか。少なくとも植物よりは詳しそうに見えたがな」


女の言葉にマルスの手が止まる。


「知ってるか分からんが、猫がマタタビに弱いと言うことを知っている人間は多いが、具体的にどうなるのかまで知っている人間は飼っていた人間じゃ無い限り実はあまり知られていない」


女が床に落ちていた本を一冊拾いあげ、表紙の上に乗った木屑を手で軽く払い除けた。


「少なくとも私は、そういう学術書を読むまで猫が泥酔状態に近くなると言うことは知らなかった」


そう言うとスタスタとマルスの方へ歩いて行き、彼の後ろの本棚へ拾い上げた本をスッと静かにしまった。そしてパッと彼の方を向く。


「お前早く部隊に合流しなくていいのか?」

「あ…、あ!!いやもう出る!その、世話になった!!」


果たして「世話になった」という言葉は拷問を受けた相手に使う言葉で合っているのかは甚だ疑問ではあったが、マルスはジャケットを掴むとバタバタと山小屋を飛び出して女に教えてもらったミトカ町方面へ走っていった。

女はそんな慌ただしい彼の背中を見送るとはぁ、ため息をつき部屋の掃除を続けた。

しかし、先ほどマルスを拘束していた部屋の隅に彼の軍人手帳が落ちたままになっているのを発見してしまった。


(……別にこんなものいくらでも再発行出来るだろ)


一瞬追いかけようかと思ったが、上背が2mを超えており明らかに運動神経だけは良さそうな彼の後を自分が追いかけたところで絶対追いつけないだろうと察した女はその場にしゃがみ込むと彼の軍人手帳をゆっくり拾い上げた。


「……マルス・ラルゴー中尉、か」



*



「はぁ?!マタタビ?!そんなものどうするんだ!」

「とりあえず説明は後です町長!一刻も早くあの″龍″を下ろすためにはマタタビが必要なんです!」


1人安全な部屋で酒を飲んでいた町長のところにバタバタとリックたちが入ってきたのが今から5分前。先ほどマルスからの電話を受けてリックはマタタビを焚く準備を始めていた。


「もしなければキウイフルーツの木でもいいらしんですが、恐らく結構な量が必要なんです。あとなるべく多くの人手と獣医、もしいなければ医者でもいいので呼んでください」

「そ、そんなこと急に言われても……!」

「私知ってるよ!」


リックの要望にしどろもどろになる町長の後ろから先ほども聞いた明るい声が飛び出す。その声の主はどうやらまた部屋から抜け出してきたらしいあの女の子だった。何故か町長の大きな椅子の後ろにいた。


「そんなところでかくれんぼか?またママに怒られるぞ」

「えーだって学校もお休みになってつまんないんだもん……」

「そうかじゃあお兄さんとゲームをするか」


そう言ってリックは町長そっちのけで椅子の後ろに回ると女の子の目の前にしゃがみ込んだ。


「君はマタタビのありかを知ってる?」

「うん!向こうのね、公園の方に生えてるんだよ!猫がたくさん寄ってくるの!」

「そうかじゃあ今から俺の後ろのお兄さんたちをそこまで連れてってほしい。そしてそこまでいったら今度は友達の家に回ってこう言うんだ『空から猫が降ってくるからそれを拾った人が1等賞だよ!』ってな」

「猫?お空から猫が降ってくるの?!」


リックの話に女の子は目をキラキラとさせて今にも走り出したくてたまらない、と言った感じで食いついてきた。女の子の言葉にリックは頷くと笑顔でさらに言い聞かせる。


「そうだ。でも猫が地面に落ちちゃうと失格だからみんなでベットのシーツを剥がして広げるんだ。どこに落ちてくるかは分からないからとにかく沢山の人に協力してもらうんだよ。分かっ」

「分かった!!」

「……」


リックの言葉を待たずに女の子は元気よく返事をして部屋を駆け出す。部下たちはそれに慌ててついていった。

全員出ていく前にリックは直属の部下を呼び止める。


「なるべく沢山の人に猫を受け止める準備をするよう伝えてくれ。あと獣医もいたら声をかけておいてほしい」

「分かりました」


部下は短く返事をすると直ぐに女の子の跡を追った。残されたリックはと言うとチラリと未だ椅子に座ったまま呆けたようにワイングラスを置けずにいる町長を見た。


「どうやら娘さんの方がこの町に詳しいようだ」

「な、なんだと?!」

「じゃあ俺は忙しいので失礼いたします〜。町長はどうぞそのままごゆるりと〜!」


リックはそう言いながら笑顔で手を振って町長の部屋を出た。そして廊下を歩いている途中で年配のベテランっぽいメイドに声をかける。


「失礼。今から町内で大量に木を燃やすことになるんですが、病院と、あと老人がいる宅にマスクをつけるように指示できないでしょうか?」

「それでしたら町内放送が最適かと」


バタバタと右往左往歩く他のメイドとは異なり、ベテランメイドは静かにクイっとメガネを上げると冷静にリックに助言した。


「なるほど。ちなみにそれを使える人間はどこにいるか分かります?」

「恐らくまだ寝室にいるかと」

「え?寝室?どこの?」

「私の」


「奥様には内緒ね」とベテランメイドはもう一度メガネをクイっとあげて今度は妖しげに微笑む。リックは数秒固まったあとその人を起こしてもらうように深く頭を下げて頼んだ。



*



「ハァ、ハァ、……!あれがミトカ町か」


女の山小屋を飛び出し、全力失速を続けて15分ほど経ったところでマルスはミトカ町の端に到着した。そして森を抜けた瞬間にリックの言っていた風の強さを思い知る。


(これは、本当に台風並みだな!やわな家屋だと倒壊する。……あれが今回の元凶か)


そう思いながら腕で影を落としてミトカ町上空を見る。そこには遠くにいるマルスの目にもはっきりと″龍″が天を舞っているのが確認出来た。

″龍″。『moon』として勤めている以上何度もその姿を見てきたが、″龍″の形態は千差万別だ。今回のように鯨や鯱など海洋生物に近い時もあれば蛇のように蛇行して飛ぶ″龍″もいる。その時々によって大きさや乗せている植物も異なり、一つとして同じ″龍″は発生しないのだ。だからこそマルスはそれがとても美しいと感じていた。

すると町の方から大きなサイレンが響いてくる。


『ミトカ町の皆様にお知らせいたします。只今より『moon』の方々が木を焚きます。煙が発生いたしますので病人・ご老人はマスクをつけていただきますようお願いいたします。繰り返します−−…』


よく耳を澄ますと町内放送のようで、町中に木を焚くことを知らせていた。恐らくリックが早急に対応してくれたんだと分かったマルスはミトカ町までの足を早める。


(さすがリックだな。こう言う仕事は早い。……しかし本当にこれで猫が″龍″から降りるだろうか。そもそも猫が降りたとしても″龍″が降りてこなければ事態収拾にはならない。

……いややめよう。考えたところでやってみないと分からんものは分からん。今はあの女の言葉を信じよう)


ふと、最後に女の言った言葉が気になった。


『お前、動物と接する仕事の方が向いてただろ』


(まさかマタタビの話だけであんなふうに言われるとは思ってなかった。……リックにだって気づかれてないんだぞ)


マルスはその観察眼に半分感心しながらも半分狂気を感じていた。もちろん学者である以上人並み外れた観察眼が必要なのかも知れないが、それでも会って数十分の人間にまさかそんなところを見抜かれるとは思わないだろう。そもそもあの女が学者かどうかも分からなかったが。

そんなことを思っていると前方に馬に乗る人物が見えた。


「え、あ?!マルス中尉?!」

「お前か!みんな無事か?」


近づいてみると、今回町に行くにあたって馬を用意してくれたあの小柄な部下だった。結果的にこの道の狭い町の中を移動するには馬が最適だったようで他にも乗っている隊員がいるのか各地から馬の蹄の音が聞こえてきた。

そんな部下が馬を降りてマルスに駆け寄る。


「マルス中尉!無事だったんですね!安心いたしました!もしマルス中尉が斜面から落ちた後たとえば木にぶつかったり、川に落ちたりして命を落としていたらと、ずっと心配しておりました……!」

「あ、ああ、もう大丈夫だ……」


実は部下の予想はあたっているし実際もっと酷い目にもあっているのだが、結局は無事だったのでよしとすることにした。

部下はやや涙ぐんでいる目をグッと拭うとマルスに現状を報告した。


「現在リック大尉の元、町の各所でマタタビを焚く用意をしております。既に準備は90%以上完了しており、準備が完了した班から着火している状態です」

「そうか。リックはどこだ?」

「あの1番上の、立派な町長の屋敷におられます」


部下の報告を聞いてマルスはすぐに走り出そうとする。しかしその直前で2人がいる位置よりも少し離れたところで人の声が上がった。


「猫だ!猫が顔を出したぞー!」


「!」


恐らく誰か隊員の声が上がり、あたりに緊張が走る。部下は双眼鏡を素早く鞄から取り出すと空を見上げた。


「マ、マルス中尉!猫が反応しているようです!」

「ああ。″龍″の腹あたりから顔を出しているな」


部下がギョッとして彼の方をみるとマルスは手で影を作りながら双眼鏡も使わずに上を見ていた。


「え?!見えるんですかこの距離で?!」

「このくらい普通だ。それより相手はまだ若い雄猫だ。マタタビで興奮状態になるから受け止める時も注意しろと他の人間にも伝えてくれ!」


マルスは素早くそう指示を出すと今度こそ町の1番上にある屋敷に走って行った。ちなみにその背中はあっという間に遠くなりこちらも人間とは思えないスピードだった。


「……もしかして本当に神様、だったりするんでしょうか……」


部下はそんな非現実的なことを呟きながら彼の背中を見送った。



*



「何?!もう猫が顔を出した?!」


リックが驚いてもう一度部下に聞き返す。部下も慌てながらもハッキリと言い切った。


「はい!現在″龍″の腹あたりからこちらを伺っているそうです!」


その言葉を聞いてリックは手元に持っていた資料も投げ捨て屋敷の外に飛び出した。慌てて後ろからついてきた部下から双眼鏡を受け取ると空を見上げる。

そこには確かに″龍″の腹中央あたりからひょこっと顔だけ覗かせている猫の姿があった。


「想定より随分早いな。町の準備の方はどうだ?」

「あの女の子があっというまに町中に広めてくれましたので80%ほどは既に受け止める準備が出来ているものかと」

「今回のMVPはあの子だな」


リックは半分冗談、半分本気で双眼鏡から目を外しながら言った。そしてふと気づく。


「なんか、さっきより″龍″の高度が下がってないか?」

「え?あぁ、確かに言われてみると先ほどよりも若干大きく見えるような」


よく見ると先ほどまで一定の高度で旋回していた″龍″がほんの少しずつ下に近づいてきているようだった。それを部下が若干目線を険しくしながら見つめる。


「まさか猫が降りやすいように……?」

「……『san』の見解ではまだ″龍″の感情面については確証を持てていない。だが、こんなのを見せられちまうと『いや絶対あるだろ〜』って思いたくはなるな」


まだ周囲には強い風が吹き荒れており、カラカラとどこからか飛んできたジョウロや靴が音を立てながら道を転がっていく。そんな町の中で次々と各所で煙が上がる。全てマタタビの木の煙だ。

それは″龍″に巻き込まれた猫の鼻にも届いているようでヒクヒクと鼻を動かしては少しずつ″龍″の腹の中から身を乗り出してくる。

下では多くの町民がベットシーツやカーテンを持ってきて大きく広げており、いつどこに落ちてきてもいいように全員が構えていた。

その時、ズルッと猫の前足が″龍″から出てきてそのまま体もするんと抜け落ちた。


「お、落ちた!」


誰かの声が辺りに響く。その声にリックも部下も体を強ばらせた。

猫の体は風に流されながらもあっという間に下に落ち、町の広場の方でワッと声が上がった。


「行くぞ!」

「はい!」


恐らくそちらに落ちたのであろう場所に向かうと既に人だかりが出来ていた。全員が何故か下を向いたまま沈黙しており、リックは最悪の事態を一瞬想像した。すると。


「いっ……、なんであえて何もないところに落ちてくるんだこの野郎……」

「マルス?!」


人だかりの中央から聞いたことのある声がし、リックは慌てて人混みをかき分ける。そこには地面に転がり、茶色の斑が入った猫を腹に乗せているマルスの姿があった。猫は何が起こったのか分からずまん丸の黒い目をキョロキョロさせていた。

ふと人混みの中の1人の子供が興奮しながら話す。


「このお兄ちゃんすごいんだよ!猫がこっちに落ちる!って思ったらすっごい遠くから走ってきて猫が地面に当たる前にスライディングして受け止めたんだよ!」

「いや本当にすごかったよ兄ちゃん。若いのにやるなぁ」

「まるで人間じゃないみたいな動きだったな!」


子供の声に釣られて周りの大人たちも感心する。沢山の人たちから賞賛の言葉をもらったマルスだったがバッと上体を起こすと腹に乗っていた猫を優しく抱き上げた。


「そんなことはどうだっていい!獣医はいないのか!早く猫を診ろ!!」

「こ、こっちですマルス中尉!」


突然のマルスの怒号に町民は慄き、それによって声が通りやすくなったリックと部下がマルスに駆け寄った。


「リック!」

「獣医は部下が見つけてくれてる。後は彼に任せてくれ」

「失礼致します」


リック直属の部下は地面に膝をつき、マルスから猫を優しく受け取るとそのままどこかへ走っていった。とりあえずホッとするマルスに手が差し伸べられる。上を見上げるとリックがやや苦笑をしながら軍帽を軽く持ち上げた。


「″そー睨むなよ仕事だマルス″」

「ハッ、お前は本当にヤな奴だな」


マルスが彼の手を掴んで立ち上がる。そしてやや疲れた表情は見せつつお互い笑顔でグッと抱き合った。


ゴゴゴッ……!


ホッとしたのも束の間、急に空から地鳴りのような音が響く。全員が顔を上げるとずっと旋回し続けていた″龍″がこちらに猛スピードで降りてきていた。


「やったぞマルス!″龍″が降りてくる!」

「いやよくないだろこっちに向かってくるぞ……!」


全長10mの″龍″は確実にマルスたちのいる方角へ急降下していた。それに気づいた人間が徐々に逃げ出す。


「こ、こっちに来るぞ!下敷きにされる!」

「みんな逃げろ!!」


誰かは分からなぬ町民の声にみんな一斉に町の下の方へ逃げ出した。マルスとリックも隊員に指示を出す。


「全員町の下へ退避!女子供、病人や怪我人に手を貸せ!」

「荷物なんかいいから!ほら早く馬に乗って逃げろ!……!」


その時リックが″龍″を見て何かに気づく。それを見たたマルスは先ほどとは比べ物にならないくらい轟音の中で声をかけた。


「リック!どうした!」

「まずい!あの″龍″町長の屋敷に降りる!あそこにはまだ人がいる!!」

「!」


その言葉にマルスは一目散に頂上にある屋敷へ駆け出す。それに一歩遅れてリックも跡を追う。

町長の屋敷の中は大パニックに陥っていた。

先程の轟音で″龍″がこちらに向かっていることに気づいた家の人間たちは階段を転がるように降り、家の数々の調度品にぶつかろうが気にしないまま次々と家から飛び出していた。

その中に、リックはあの子供たちと母親を発見した。


「奥さん無事ですか!もっと遠くに逃げてください!」

「待って!まだ主人が家の中にいるの!」

「え?!」


驚くリックの後ろをマルスが風の如く駆け抜けて屋敷の中に入って行く。リックがそれに気づいて止めようとした瞬間屋敷に大きな影がかかった。

驚いて上を見上げるともうすでに″龍″が真上に到達してその巨体を屋敷の上に押し付けようとしていた。屋敷の屋根からミシミシと木の軋む音が響いた。


「おいおい待て待てまだダメだって!マルス戻ってこい!潰されるぞ!」

「大尉下がってください!危険です!」


マルスを呼びに行こうとリックも屋敷に入ろうとしたが部下に後ろから抱きつかれて無理やり止められた。″龍″が屋根にのしかかったことで木の破片や金属片が飛び、人が近づくには非常に危険な状態になってしまったのだ。

もちろん屋敷の中もただでは済まず、数秒おきに壁に大きな亀裂が入り廊下の絵画たちが次々と落下していった。そんな中マルスは轟音に負けない声で叫ぶ。


「おい!まだ誰かいるか!いたら返事をしろ!!」

「こ、こっちだ!こっちへ来てくれ!」


マルスが弾かれたように声のした方へ向かうとそこには豪華な装飾に囲まれた部屋で1人、大きな鞄に宝石など詰めている太った男がいた。もちろん町長である。


「あんたこんなところで何してんだ!今すぐ逃げるぞ!」

「馬鹿を言え!せめてこれだけは、いやあとそこの壺と絵画も持って……!」


町長はこんな状況でも自分の金品の方が大切なのか必死に持ち出せないかと画策していた。マルスはそんなどうしようもない男に呆れつつ大きなため息をこぼす。すると天井からもミシッと音がして豪華なシャンデリアが派手な音を立てて落下した。


「ヒィィ!」

「もう時間が無いな。おい男お前何キロだ」

「は、はあ?!え、っと80kg……」


正確に言うと87kgだったのだが、町長は何の見栄か若干サバをよんだ。それにマルスはうん、と頷くと町長の首根っこをまるで猫を掴むかのように鷲掴んだ。


「俺より軽いなじゃあいける」

「え、おい、お前、な、何を、」


戸惑う町長を他所に、マルスは彼の荷物を踏みつけ彼の首根っこを掴んだまま窓の外へ走り出す。窓は全面にヒビが入り今にも割れそうだった。


「舌噛むなよ!!」

「あああああ?!」


マルスは勢いのまま全身で窓を突き破ると町長の体を外に放り投げた。窓の外には運がいいのか悪いのかマルスたちの部下たちがいたようで彼らはいきなり2階から降ってきた巨体に一瞬青ざめたがすぐに全員で彼を受け止めた。そしてマルスもその横に難なく着地する。

それに気づいたリックが走ってきた。


「マルス無事か!」

「ああ、……!」


マルスが返事をした瞬間、ドスンッと1番大きい音が響いた。彼が振り返ると、そこには先程まであったはずの立派な屋敷が潰れ青々と繁った″龍″が完全に着地していた。″龍″は着地が完了すると瞬く間に根を伸ばし、町長邸はあっという間に見えなくなった。


「……根を下ろすのが通常より早かったな」

「″長旅″だったからな。疲れて早く眠りたかったんだろ」


マルスがそう言いながら体についたガラスの破片などを落とす。目の前の″龍″だったものは今は完全にその息吹を消し、目の前にはただ大きな小山が存在していた。

完全に静まった″龍″を眺める2人の横で部下たちに何とか受け止められた町長が起き上がった。


「あ、あああ……!そんな……!私の屋敷が……!!」

「まだ言ってんのかあのおっさん。誰だよ」

「ここの町長」

「は?マジか」


一応町長には聞こえないように話す2人。しかしそんな心配も杞憂のようで町長は誰の声も耳に入っておらずただ屋敷があった場所の前で膝をついて地面を殴りつけていた。


「くそ……!くそっ!何故私がこんな目に……!」


町長の心底悔しそうな嘆きは『moon』の部隊だけでなく野次馬で集まってきていた町民たちも静かに見ていた。ふと、その時その中の誰かがポツリと零す。


「魔女のせいじゃないか?」

「!」


その言葉が聞こえた瞬間町長の握った拳がより一層強く握られる。群衆とは恐ろしく、一度火種が飛び込むとそれはあっと言うまに燃え広がった。


「そうだあの魔女が″龍″を呼んだんじゃないのか?」

「うちの子供が言ってたの。″龍″がいずれここに来るって言ってたって」

「そうだきっとあの魔女がこの事態を招いたんだ……」


町民、屋敷から逃げ出してきた人々、全てが口々に″魔女″と言い出す。マルスは何のことか分からずにリックに尋ねた。


「おい、さっきから何だ?″魔女″だの何だのって」

「あぁ、何でも数ヶ月前にこの近くの森に引っ越してきた人がいるらしんだけどその人が子供たちに『ここにはいずれ″龍″が来る』って言ってたらしくてさ。どうも大人とは付き合いが悪かったようでみんな詳細はよく分からない人物らしいんだけど」


リックの説明を聞いてマルスは何故かすぐにあの黒髪の女を思い出す。確証はなかったが″龍″に対しての発言や人との付き合いが悪い、などの情報からほぼ確実にあの女のことだと思った。


(あの女は″龍″の行動を追っていた。……そうかそのためにこの地に越してきて、俺たち『moon』が″龍″を追ってきたことで″龍″がきたことを実証した。だからさっき『もう引っ越す』と言ったのか)


1人マルスが納得しているとダンッと町長が力強く地面を叩く。ゆっくり顔を上げるとそこには怨念の表情が浮かび上がっていた。


「そうだ……あの女だ。あの魔女がこの地に災いを振りまいたんだ……!」

「ちょっと町長落ち着きましょう。″龍″は人に操れるものでは、」

「あの魔女がやったんだ!!!」


リックが彼を落ち着けようと近づいたが、火に油だったようで彼は急に大きな声を上げると勢いよく立ち上がってリックとマルスを指差した。


「お前らに命令する!今すぐあの魔女を処刑しろ!!」

(何言ってんだこの豚)


マルスは言葉には出さなかったが、表情には出した。リックは言葉にも表情にも出さなかったが、やや呆れながら彼を落ち着けようとする。


「いやあの〜俺たち暗殺部隊でも何でも無いんで処刑とか言われても〜。というか上司じゃ無い人の命令はいくら町長でも聞けないんスよ〜」

「ふざけるな!お前らが職務怠慢だから私の屋敷が潰れたんだぞ!責任を取れ!!」

「いや俺らの仕事は″龍″のサンプル回収なんで、」

「パパやめてよ!」


リックと町長が言い争っているとマルスの後ろから10歳くらいの女の子が飛び出してきた。今回のMVPだとリックに賞賛された町長の長女だった。


「魔女先生はそんなことしないよ!ここに″龍″がいつか来るよって言っただけだよ!」

「うるさい黙れ!子供は黙ってろ!」


そう言って町長が女の子を突き飛ばす。軽い衝撃のようだったが女の子は尻餅をついた。そこに慌てて弟を抱いた母親が走ってくる。

それを見ていたマルスは、かつて大好きだった本を兄に池に捨てられた時の自分と目の前の女の子が急に重なるのを感じた。そしてそれと同時に沸々とした静かな怒りが湧いてくる。


「おいおっさん」

「何だと?!お前誰に向かって、」

「本当に″龍″は魔女のせいか?」


マルスの地鳴りのような低い声に急に辺りが静かになる。辺りだけじゃない、町長やリックまでも彼を見て息を呑んだ。明らかに常人離れしているその体格はまるで一本の剣のようにまっすぐ大地に降り立ち、その彫りの深い顔に鎮座する金色の目はまさに獣の眼のように鋭い眼光を放つ。そんな彼の表情はまるで嵐の前のように静かでかつ、その内側に激しいものを抱えていることを容易に想像させた。

″軍神″マルスが降臨した、とリックは心の中で1人思った。


「お、お前は何を言っている。あの魔女以外に誰がいる!」

「そうか。じゃあ2年前の大規模伐採について聞く」

「?!」


明らかに町長の顔が動揺したのが分かった。リックや他の隊員たちは何のことかとキョトンとしていたがマルスは気にせず続ける。


「数年前ここはまだ村だった。そこをお前は森や山を切り開き住宅地を広げて町へ昇格させた。そうだな」

「そ、そうだ!それの何が悪い!それによって町民たちの生活が安定したんだぞ!」

「そりゃ人間にとては悪くないだろう。だが他はどうだ」


マルスは人知れずゆっくりと拳を握り締め、軍の皮の手袋を軋ませた。


「俺は今回あの町外れの森の中を通ってきた。今の季節森には本来ウサギやイノシシなど動物たちがいるはずだが俺は一匹も獣には出会わなかった。分かるか?もうこの周辺に動物は住んでない」

「だからなんだ?森を切り開いたのが悪かったというのか?人間よりも獣の生活を心配をすればいいというのか?!」

「少なくとも共生の道はあっただろう。それを壊してまでも自分達の生活を優先するのか」

「だからそれの何が悪い!!」


マルスの追求に町長が激昂する。しかしマルスは静かな表情のままフイッと顎で屋敷の跡地を指した。


「じゃあ他の生物が共生の道を捨ててもお前は文句を言うな」


その言葉に町長はハッとして絶望の表情を浮かべる。「それから、」とマルスは言葉を続けた。


「大規模伐採の費用はどこからだ」


マルスの問いに今度こそ町長が怯む。マルスが見つめると彼は徐々に額から脂汗を流し始めた。


「この町はいい町だが観光名所はない。町中の道は狭く、ここに来るまでの山道も整備もされてないし、悪いがそれほど豊かな町には見えない。なのによく大規模伐採をする金はあったな。財源はどこだ」

「そ、それは……」

「まあ言いたくないのであれば言わなくていい」


彼の言葉にホッとしたのか町長は肩の力を抜く。


「代わりにエレルトニカ侯爵に聞く」

「そ、それは!それだけは待ってくれ!!」


マルスがそう言って踵を返そうとすると一変して町長が彼に擦り寄ってきた。本当にそれだけは避けたいらしく、さっきの高圧的な態度を急変させ地面に膝を突きながらマルスの服を必死に掴む。


「た、頼むそれだけは!」

「じゃあお前が言え。大規模伐採の費用は」

「その……村長じゃなく町長になれば、き、″寄付金″を多く送れるから……と、そう言われて……」

「援助されたのか」


マルスの言葉に町長は力なく頷いた。それをリックは信じられないと言った表情で見つめていた。

領地を収める貴族たちはそれぞれの税金が財源であるが、他に大きく発展している地域には国から助成金が出る場合が多かった。その為一部の悪知恵の働く貴族は無理に村や町などを発展させて、多額の助成金を国から不正に受け取っていた。


(かつて世界的に報道され少なくなったと思っていたが……まだこんなところにもそんな貴族がいたとはな)


マルスはやや呆れながらため息をつくと変わらずマルスの服の裾を掴んだままの町長に声をかけた。


「で、″寄付金″とやらを受け取ってお前は何に使ったんだ」

「え、っとその……」

「当ててやろうか。たった今そこに潰れた豪華な屋敷や中の装飾品、そしてお前の大好きな宝石たちに使ったんだろ」


その言葉に町長は身を固くしながらも何も返事をしない。マルスはそのまま続けた。


「いいか、少なくてもあの廊下にあった数々の絵画だけで学校がもう一つ建つ。お前が最後持ち出そうとした宝石たちでもう一つ病院が建つ。お前が自分の家ばっかりに金をかけずに、他の家をもっと強固な作りにしていたら今回の″龍″の被害は少なくて済んだんだ」


なおも俯いたままの町長の首根っこをマルスは先ほどのようにグッと掴むと彼の顔を無理やり上に向かせた。ようやく合った視線は非常に怯えており、そんな彼にマルスは侮蔑の視線を送る。


「今回の″龍″の飛来理由はお前が判断することでも、俺たちが判断することでもない。だが、今回の甚大な″龍″被害についてはお前の卑しい欲望によって必然的に招かれた結果だ!」


そう言い切ると町長の首根っこをパッと放し、彼は力なく地面に突っ伏した。そんな彼を支えに来る人間はもう妻も子供さえも誰もいなかった。

マルスはそんな彼の哀れな姿をしばらく見届け、ふいに踵を返したがすぐにピタリと動きを止めた。


「それから!!」


突然上がった大きな声にその場にいた全員が固まる。


「よく知りもしない人物を勝手に悪者に仕立て上げて罵倒する人間がいるこの町なんか、魔女だって二度と寄り付かないから安心しろ」


そう吐き捨ててマルスは町を降りていった。最後の言葉は、よく分からないが、言ってやりたくなったのだ。



*



「坊ちゃん?どこにいるんですか坊ちゃん?」


美しい庭園の中を1人の若いメイドが誰かを探してキョロキョロと視線を動かす。すると、木陰の隅の方から何やら小さな鳴き声が聞こえてきた。そこをそっと覗くと目的の人物がいて優しい笑顔を向ける。


「そこにいたんですね。マルス坊ちゃん」

「……シルビー」


マルスと呼ばれた小さい男の子は背の低い木の下で更に体を小さくするように膝を抱えていた。シルビーと呼ばれたメイドも同じ空間に体を入れるように背中を丸めた。


「あはは、私だとちょっと入り切りませんね。流石に無理でした!」

「……」


明るく笑って見せるシルビーにマルスはほんの少し視線を動かしはしたものの涙は止まらないのかぐすっと鼻を啜った。シルビーそんな彼を悲しそうに見つめると優しくその黒く艶やかな髪を撫でた。


「……坊ちゃん、旦那様にペットを飼っていいか聞いてみたらどうでしょうか?そうしたらもう少し、」

「いらない。きっとまた兄さんに殺されちゃう」


6歳の子供が放つ言葉とは思えないフレーズにシルビーは言葉を失い、そしてせめてもの慰めとして1人孤独に泣く少年を強く抱きしめた。


「マルス坊ちゃん。貴方は優しい人ですね。死んでしまった猫の為にこんなにも自分自身を傷つけて泣いてくださる。でもずっと泣いていては天国に旅立った猫も悲しいままですよ」


シルビーの言葉にマルスは少しだけ顔を上げて彼女を見た。


「ココも悲しんでる?ココも天国で泣いてるの?」

「坊ちゃんが泣いているままではきっと」

「じゃあどうすればいいの?」


マルスはそういうと更に悲しそうに顔を歪めた。シルビーはそんな彼の頭を変わらず優しく撫でる。


「強くなるのです。強く優しい人になって下さい。何かを失う怖さを知った人は、何も失ったことがない人よりずっとずっと強くなれるのです。きっと坊ちゃんもそんな人強く優しい人になれます」

「でも僕、剣術も、体術も上手くできないし、身長だって学校で前から3番目に小さいんだ……」

「でしたら私と一緒に特訓しましょう!私も全く運動は出来ませんが……でも1人でやるより2人で一緒に頑張った方がきっと上達が早いですよ!」


そう言ってガッツポーズをとるシルビーに今度はほんの少しだけマルスは笑顔をこぼした。シルビーはそれを見て更に嬉しそうに笑顔を浮かべもう一度優しく、しかし先ほどよりも強く彼を抱きしめた。


「一緒に強くなりましょう坊ちゃん。そうすればいずれ何かに怯えなくても、大切な存在を側に置いておける、そんな人物になります。だから、今は一緒にこの時を乗り越えましょうマルス坊ちゃん」







「起きろマルス!!」

「!!」


突然の大声にマルスの大きな体が跳ね、またしてもベットから床に派手に落ちた。マルスは床についた両手を握りしめながら今度こそこめかみに青筋を浮かべ怒りを露わにした。


「だから!誰がモーニングコールなんて!」

「馬鹿!遅刻だぞマルス!!」


そう言って慌てた様子のリックが部屋の時計を指す。そこにはとっくに朝礼時間を過ぎている時刻が表示されていた。

マルスは一気に青ざめると大急ぎで支度した。



*



【速報】『エレルトニカ領領主 ボーデン・エレルトニカ侯爵領地没収』

『助成金目当ての同領元ミトカ町不正大規模伐採による無謀な地域発展が原因』

『同罪容疑でアルドメリア公国フォレスター領領主 アンバー・フォレスター伯爵、紫天皇国リー領領主 シン・リー子爵についても調査決定』

『大規模伐採地に″龍″の飛来。因果関係は『san』が引き続き研究中』



「俺この歳になってまだ頭にゲンコツ食らうとは思わなかったわ……」

「……だからこうやって朝食奢ってんだろ。悪かったって」


人々が思い思いの時間を過ごす穏やかな公園のベンチにリックとマルスは2人で座っていた。リックは足を投げ出すようにだらし無く座り、空に流れる気球船の速報ニュースを眺める。その手には食べ終わった焼きそばのカップが握られており目線を空に向けたままそのカップをすぐ横のゴミ箱に投げ捨てた。

マルスは前屈みになって膝の上に肘を置き、こちらも同じ店名が入ったカップの焼きそばを食べていた。ちなみにマルスは大盛りである。

つい先ほどマルスの大寝坊で朝礼に遅刻した2人は上司から大目玉をくらい、2時間の説教及び強烈なゲンコツを入れられていた。今は反省の意味を込めて命じられた周辺地域の偵察、と言う名目の朝ごはん休憩をとっていた。


「……そーいえばさ、」

「あ?」


これ、と徐に空を仰いだままのリックが軍服の懐から一枚の封筒を取り出す。その封筒には緑の可愛らしいクローバーが描かれていた。


「……お前ついに幼女にまで手を出したのか?!」

「ちげぇーわ!!これほら!元ミトカ町町長の娘から!」


ついにとは失礼な!、と憤慨しながらもリックはマルスに手紙の差出人のところを指差す。しかしマルスはあの時の子供をうっすらとしか覚えてないし、名前だって聞いてなかったので「ほら」と言われても尚更分からない。


「……で、それがどうしたんだよ」

「お前って本当冷たい奴だなぁ〜そんなんじゃ女の子からモテないぞぉ〜」


そう言いながらリックは封筒を開けて手紙を取り出した。


「『ムーンのお兄さんたちへ』お兄さんたちだって良かったなマルス″おじさん″じゃなくて」

「うるさい。いいからさっさと読めよ」


女の子からの手紙にはミトカ町が町から村に戻ったこと。しかし新しく来た村長によって少しずつ活気付いていること。つい最近村に初めての図書館が建つことが決定したことなどが書かれていた。


「″龍″の跡地はそのまま残すことに決めたそうだ。教訓的な意味でもな」

「……『san』の介入もあったんだろ。簡単に撤去なんか出来ねーよ」


リックとマルスが行った元ミトカ町にはあの後『san』のメンバーが押し寄せたと部下から報告が上がっていた。なんでも2人が持ち帰ったサンプルでは足りず、また1時間近くも旋回し続けたというそのエネルギーを調べるためしばらく村は復興どころでは無かったと聞いた。


「つーか『san』が現場に出てくるなら俺らが行く意味なかったよな〜。本当大変な事件だったけどリターンは少ないな今回。あ、あとさ」


ずっと空を見ていたリックがマルスの方を向く。


「あの猫。獣医に診てもらったけどなんも異常は無かったって。もう今頃は家に帰ったと思うぜ」

「!……そうか、それは良かったな」


まるで他人事のように呟いたマルスだったかその横顔はほんの少しだけリックから見ても嬉しそうであった。だがすぐにまた険しい顔に戻ると口を尖らせる。


「だがもうあんなのはゴメンだ。動物が関わると事態がややこしくなる」

「まぁそーだけどさ〜ほら!」


突然マルスの首に何かかけられる。驚いて見るとそれは折り紙でできたメダルのようで、やや拙い作りのメダルの花には『1とーしょう☆』と手書きで書かれていた。それをかけてきた隣のリックはニヤニヤして端末をこちらに向けている。


「おいなんだこれ!おい!写真を撮るな!」

「これもあの女の子から。手紙に入ってて、『あの猫をキャッチしたおっきい人にあげて』だって。良かったな〜マルス似合ってるぞ〜」

「うるさい!おい連写してんじゃねぇ!!」


いい歳した大人2人が人目も憚らず騒いでいると、ふとリックの端末に通信が入った。


「あ、やべ任務だ」

「はあ、今度はどこだ」

「レダー王国のロディア領。いいねぇ今度は都会だぜ」


マルスも空になった焼きそばのカップを捨てると2人で立ち上がって歩き始めた。


「……そういえば、俺も」

「ん〜?」

「その、今回は……助かった、ありがとう」


徐々に小さくなって言ったが、なんとか聞き取れたマルスの言葉にリックは最初意味が分からずポカンとし、そしてその言葉を意味を理解すると急に後ずさった。


「えええ?!お前が俺に礼?!何?!気持ち悪いんだけど?!やっぱり朝から焼きそばって体によくなかったんじゃない?!!」

「なんだとコラ!というか焼きそばはお前も食べただろ!」


気味悪がるリックにマルスは若干顔を赤く、モゴモゴとしながらも言葉を続けた。


「だからその、今回の俺の情報源、聞かないでいてくれたろ。結局」


今回の元ミトカ町不正金問題が発覚するきっかけになった過去の大規模伐採。また同じように大規模伐採された土地。それらの情報はマルスから上層部に流したが、その情報源についてリックは特に問わなかった。

マルスにそんなことを探れる能力がないとリックは分かっているし、通信機越しではあるが第三者の存在を知ってしまっている彼には追求されても仕方がないと思っていたマルス。しかしリックはその予想に反し、事件がひと段落した今でもあのことについて聞いてくることはなかった。


「あ〜別にぃ。興味はあるけどな〜んか聞いたら面倒臭いことに巻き込まれそうな感じがしたからいいかなって。もし上から命令されてたら普通に聞いたけどな」


リックはそういうと手を頭の後ろで組んでまたマルスの横を歩き出した。マルスはそんな彼の背中をじっと見て、1人密かに心の中で今一度お礼を言った。


「ところでこれはどうすればいい」

「え?いいじゃん『1とーしょう☆』メダル。似合ってるよ」

「これつけたまま任務に行くわけないだろ」

「ロディア領か〜あそこ美人が多いんだよな〜楽しみだ〜!」

「おい聞け!これどうすればいい?!」


マルスの大きな声が長閑な公園に一段と響いた。


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