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第46話 夜更かし

流浪の民は、落ちてくる肉塊を鎚で弾き、猿よりも素早く塀を登っていった。


集団を先導するように登っていた少女はどんどん追い抜かれている。


先ほど立っていた場所、その灯火があった地点へ肉塊が殺到。ぶつかり合い、飛び散った。


きりきり、きりきり。


その黒い海から塀へと手を掛けるのは、歪な四肢。


塀に脚や手、爪を掛けられるような肉塊が、かさかさ、ぎくしゃくと少女に狙いを定めたように登ってきていた。


きりきり、きりきり。


赤毛の男は顔をしかめる。


「もたもたすんなよ」


下にいた赤毛の男は速度を上げて駆け上がり、少女を左腕で抱きかかえる。


少女は声を出すようにその薄緑の目を見つめ、首を振ってすぐに閉じた。


一匹、蜘蛛擬きがかさかさと下から詰め寄って来る。登る動作の流れそのついでのように、長い爪が振り上げられた。


赤毛の男は体を捻り、鎚で叩く。


左へ折れた爪が飛んでいった。


勢い劣らせず突っ込んでくるその蜘蛛擬きを、男は足蹴にして退ける。


少女は悲鳴あげて厚い胸板を叩いた。


きりきり、きりきり。


「上上見て上!」


男は見上げもせず、横へ飛び移り、隣のくぼみに足を掛ける。


上へ跳び上がり、次のくぼみに足を掛けると、蛸足を目とへそ、右耳の部位から生やした鹿とすれ違った。


跳び上がり、次のくぼみに足を掛ける。


「わっ?!わっ?!」


少女の、はらわたを吐くような大声。


黒い脂でくぼみが汚れていた。つるりと虚を蹴った足。


落ちていく。


少女は鞄から尾のように縄が付いた金属の杭を取りだし、鎚を持つ男の右手に掴ませた。


薄緑の目は、塀のてっぺんを見上げる。大ぶりを抑えた小さな動きで、しかし力強く杭を肘で打つ。そこにいた、牛の頭を背負うかたつむりの肉塊が貫かれる。


きりきり、きりきり。


鎚を右手で握ったまま、体を打ち上げるような勢いで縄を引っ張る赤毛の男。胸元に顔を埋めて目を強くつむる琥珀の少女。


税収詰まったその背中の革鞄、すぐそこであぎとと硬い歯かたかたと閉じる音。


きりきり、きりきり。


落ちてくる肉塊と塀にしがみつく肉塊を鎚で叩いて、足元に迫る肉塊を蹴って、叩いて、蹴って、叩いて、蹴って叩く。


蹴って、叩いて、足を掛け、蹴って、叩いて、足をかけて。叩いて蹴って足掛けて。叩いて蹴って足掛けて。


きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。


塀の上へと飛び出す。


集団に追いついた。


塀の向こう側へと跳び下りている。


追い越すように、強く前へ跳躍。朝の情景が思い出され、そこにあった大農地が想起された。


しかしそこは一面黒い海。


大口が開き、赤い熱帯びた光がうねる。


きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。


その凍えに命が逆毛立った。


「任せい若造どもぉ!」


背筋伸びた、杖持ちの老人が叫ぶ。


着地点めがけて杖を振りかぶり、いかづちのように投げつけた。


直後、黒い海が弾け、串の字状に衝撃がほとばしる。


落下していた流浪の民たちは、足を付け、正面へ顔を向けた。


そこには、赤い大口を開けている、黒い肉塊の高い壁。


老人は刺さった杖を抜き、まっすぐ貫くように投げた。


「眠気覚ましぃぃぃ!」


海を開く奇跡のように、黒い肉塊の壁が退いて弾け飛んだ。杖が縦向きに戻って来る。


赤毛の男の腕から離れた少女は、まぶたを閉じ、目を逸らすような薄目で先頭を走った。


その方向は西南西


「ここからまっすぐ走ればキールリル公領障壁炉に!」


少女の前に、尾から珊瑚を生やした首のない大熊が、べとり倒れ込むように現れた。


立ち上がり、顎を外し、体の半分まで裂けた真っ赤な大口を開く。


義手の男が前へ出た。尖った歯が並ぶ下顎を義手でそのまま掴み、ひっくり返すように右方へ遠く投げ飛ばす。


少女は嫌々とするように首を振った。


「腕は?!」


「夜は使えんが直接(こいつらに)さわれる」


同じく前へ出た赤毛の男は、少女の手を豪快に掴み、風に並ぶかという速度で走った。


少女の脚はばらばらになるかのような勢いで回る。


窒息寸前のように、息は絶え絶え。


「速すぎ……」


それを、老人が追い越した。皺がぷるぷると揺れる。


「程度が低い、若造」


老人は再び杖を振りかぶり、まっすぐ投げて道を拓く。


ひとりの流浪の民が頭上をがばっと見上げた。


くらげの姿、ぶら下がった触手の先端に蛇の頭を生やした肉塊が降って来る。牙が特異に発達しており、その様に、赤毛の男は背中の古傷痛んだように顔をしかめた。


義手の男は強く蹴って跳び上がり、蛇の刃を掴む。横へ放り投げるも、緩やかに戻って来た。


牙で刺すように蛇頭が迫って来る。


流浪の民たちはそれぞれ、義手で牙を砕き、鎚で弾き、杖でいなした。


少女は頭を下げ、避ける。


その間に、新たな肉塊が津波のように押し寄せた。


走る勢いを保ち、巧みに体を動かして鎌のように右足を振るう赤毛の男。


杖を投げる老人。


肉塊を殴り、投げて、少女へ迫る刃を弾く義手の男。


鎚で叩き潰す流浪の民たち。


肉塊の海がしぶきを上げて弾けた。


それでも隙間を埋めるように黒い波が押し寄せる。


きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。


動きを一瞬でも止めれば、全てが暗く閉ざされる。


きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。


夜の凍える風は肌と乾いた唇を切り裂く。


きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。

きりきり、きりきり。


風が止まった。

次にそよ風。


赤毛の男と少女の目の前に、白金に染められた長い髪丸くまとめた女が、目を閉じて立っている。


直前まで時が止まっていたかのように、現れた。


少女は衝突を避けようとし、転ぶ。


赤毛の男は笑みをこぼした。


「誰?!」


少女を追いかけていた、後ろの集団も足がもつれるようによろめく。


女は目を開いた。


夜の黒《nuʁɑks》とは異なる、長と同じ黒《blɑχʁɑs》の目。


空を砕くような突風が吹く。


引きつぶしたように、あたり一帯の黒い海が円く弾けた。


赤毛の男より高い背である、白金のその女。


長い前髪をハの字に巻いて流し、直線的な眉の下の目は神経質に大きく開かれている。


絹のようななめらかさ持つ外套の下には薄くやわらかい布地。


頭、髪、耳、首、腕、腰、足の全身に、まとわりつく蜘蛛の巣のように身に付けているのは、硬木、骨、鉱石、金属の飾り物。


あらゆるその装飾品の中で特に目を引かれるもののうちのひとつ、それは耳に掛けられたひも状の耳飾り。


その端には、碧色と緋色の石が付いている。


最も目立つのは、胸の真ん中にこぶし大ほどの、四角い宝石の首飾り。


その石の下、しずく型に削られた硬木、骨、金属、鉱石が、逆さまになった虹の形に並び、吊りさがっていた。


女は口を開く。


風のような声。


「どこへ(向かっている)」


流浪の民たちは、太陽を見ているかのように口元をほころばせた。


女の黒い目は、蜜色の目、薄緑の目と視線を交わす。


その目の色は、久しい再会を喜ぶようであった。


それを見た少女は唇を噛み、うつむく。


「こちらです」


少女は白金の女を先導するように、その方向へ歩く。


女のわずかな身動きで、じゃらりと飾り物が揺れた。


首をわずかにかしげると、耳飾りの紐がゆらゆら。


「目印になるものは」


白金の女は目を閉じた。


「え?」


少女は目を白黒させる。


「えっと、山のふもとにキールリル公領があって、障壁炉近くには」


見えた、白金の女はそう言わんばかりに目を開く。


刃で削ったように、術陣の線が足元で走った。


流浪の民たち全員を囲むそれ。


直前の記憶を失くし、そこで立っていたかのように景色が変わった。


首や体を回して見回し、目を大きく開く。


「なにそれ……?」


目の前には、障壁炉への入り口があった。


山奥を思わせる土と岩が混ざった壁に、藻が生えた金属の扉取り付けられている。


周囲には、青い口、黄緑の口をぼんやりと開けている体の小さい肉塊が。


絡まった紐のような体の肉塊は枝にとまり、ひとでのような肉塊は幹にくっついていた。


少女は皺を作るように目を強く閉じながら息を吐く。


目が開かれたとき、その顔は従者としての色を帯びた。


「こちらへ」


少女は重い錆びた扉の、輪の取手を引っ張る。


体を後ろへ引いて引っ張るが、軋む音さえ立たない。


赤毛の男が、木の扉を引くように一息で開けた。


「……ありがとうございます」


ぞろぞろと中へ入る。


下へと続く狭い階段があり、少女は、肩に掛けた鞄から小さなたいまつを取り出した。


丸い先端にほのかな火が灯る。


それぞれが背負った大きな鞄が、狭い下り階段にさらなる圧迫感を生み出していた。


足音。


たららららららら。


たららららららら。


たららららららら。


たらららららららっ。


た。


自然と見上げる。


正方体のような広場へ出た。鉱石の断面のような、幾何学的模様のある金属箱のなかのよう。


中央には、部屋を貫くかのようなにある巨大な結晶石。たいまつの弱い光をあびて、空のような青さできらめいてほのかに透ける。


少女の先導で、流浪の民たちは中央の結晶石を囲うように立った。


「(これ)引っ張って納めてください」


足元の取手引くように持ち上げると、長い箱型の棚となって伸びた。


84のその棚。


税が納められた道具を、横にふたつはめ込むことができる。


背負い鞄を降ろし、手早く詰めていく。


「押し下げてください」


ぐっと、鈍い動きで沈んでいく棚。


がたん、と納められた時、中央の結晶石が透明な青空のように、内側から光を発する。


箱型の広場、その幾何学模様に沿って、青空色の光が中心から外へ。


真昼のようだった。


「ふう……」


ひと息つくように、肩がゆっくりと下がる。


義手の男は尻を掻き、赤毛の男は腰に片手当てながら空を仰ぎ、琥珀の少女は白金の女を盗み見た。


抜けた力を戻すように、肩をぴしりとし、胸を張るように動き始める流浪の民たち。


老人は首を振って関節を鳴らす。


棚を引っ張り上げ、道具を再び鞄へ敷き詰めた。


数十秒の間に、流浪の民たちは階段を登っていき、去っていく。








琥珀の少女は、うつむきながらその背中を見送った。


義手の男は、赤毛の男と交互に見て、笑みをこぼす。階段を登る列に溶け込んだ。


赤毛の男は、階段に足をかけ、振り返る。


まばたき。


見つめる。


まばたき。


見つめる。


口を開いた。




“ナーシェ”




唇と喉が、そう発話する前にかろうじて止まったかのようだった。




赤毛の男は、ぼりぼりと頭のてっぺんをかきむしり、後頭部まで撫でつける。




大きく息が吐き出された。




それを取り戻すように、大きく息を吸い込む。




「タフィリア」




少女タフィリアは下唇の内側を強く噛み、目を赤くさせている。





「帰ろう」





うなずく。





小さくうなずく。





大きくうなずく。





目尻を腕でこすり、小さく、大きくうなずいた。





「うん」





ハの字に下がった困り眉をする少女は、赤いぷっくりとした唇を裂き、大きな笑みを作った。




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