第1話 返納祭開幕
強風吹き荒れる中、人々の革の服と革の外套がはためいていた。
「諸君」
千数人の人間が、定規で線を引いたかのように整然と並んでいた。彼らは流浪の民。イシュの都、巨大な塀の外、広大な大農地の上に集まっている。その千人もの人が見上げる先には、恵みの太陽と、その下で演説を行う赤く日焼けた白い肌の男がいた。その男、壮年の男は長方形のやぐらの上に立っていた。
雲流れる広大な空で、まぶたの閉じる音がした。まるで一瞬を切り取る写真を撮ったかのように。
「御天道様に日々の感謝を納めるこの日がイシュにも訪れた」
その声は風のように、整列した人々の間を吹き抜ける。
「空は青々と澄み渡り―――――」
空は曇り始める。
壮年の男はそれを見上げ、ただ視線を戻した。
「―――白再の主が我々を見守ってくださっている」
“決められた挨拶”に耳を傾ける、美しい長方形の列その中に、袖のない男がいた。両腕、肩の付け根から角ばった金属の義手。
その者、あくび噛み締めながら右の尻山を乱雑に左手で掻き、右手で黒髪の頭を掻き散らした。
「今日の徴税は法の下と尊き太陽の御許で認められ、イシュの国王陛下が認められていることである」
義手の男の右隣には、同じ齢の男、赤いくせ毛の人間がいる。
赤毛の男は列を乱さない芯の通った直立をしているが、その顔は、寝起きにあくびをする山羊のようにだらしない。
「様々な困難、多くの苦難、耐え難い受難がまるで月光のように降りかかるであろう」
義手の男の左、赤いくせ毛の男のそれとは対照的に、少女が決意に満ちた表情で枯葉色の目を光らせている。
吹き抜ける風で、その少女の肩にかからないほどに伸びた琥珀色の髪がなびいた。
彼らは流浪の民。収穫の終わった畑を踏みしめて整列させられている千数人の彼らは、多くの国家に認められ、任じられた徴税官。彼らは今日、税として力を、道の雑草から民の王まで、腰に取り付けた道具用いて、それを徴収する。
力少なき者は命を損なわない程度に、力多き者も命を損なわない程度に。
徴税を定めた書にそう記されている。
「だが決して屈してはならない。背中を向ける素振りすらもってのほか」
その時、やぐらの真上、遥か上空で圧迫感覚える巨大な力の気配が発生した。
壮年の男は首に血筋を浮き上がらせ叫ぶ。
「邪魔をさせるな」
巨大な力降り注ぐ前触れが、一筋の細い光としてやぐらを貫く。
それを見上げた義手の男は弾けるように跳躍、やぐらの屋根へ飛び乗った。突き上げた手が開き、掲げられた義手が鏡のようにきらめき始める。
「(列を)乱してはならない!」
列を見下ろす壮年の男が叫んだ時、上空からやぐらを大きく飲み込む光の柱が雲を貫き轟音とともに降り注いだ。
その降り注ぐ力の波によって生まれた、地面へ吹き下ろす風。それは列成す人々を根こそぎなぎ倒し、大地もろともやぐらを押しつぶす。
それぞれが吹き飛ばされて体勢を整えた後、いまだその光の柱は降り注いでいる。
その渦中、丸いくぼみの中、山積みとなったやぐらだった物。
そのやぐらのがれきから人間の腕が這い上がるように現れ、続いて上半身が姿を見せた。
男の独り言で唇が動く。“命拾いしたか”
壮年の男はただちに立ち上がるが、押し付けてくる風にしりもちをつく。降り注ぐ光は崩れたやぐらを飲み込まず、掲げられた義手を境に途切れていた。他の者であれば膝を砕く力の暴威の中、義手の男はその腕で上空からの光を受け止め続けている。
蜜色の瞳がまたたき、義手の男は口を開いた。
「使用許可の申請します」
その蜜色の瞳は、がれきから這い出た、足元で座り込む壮年の男をまっすぐ見ている。
ため息。
「許可する」
義手は内部を組み替えるように動き出す。
同時に降り注ぐ光は細まり、砂時計の落ちる砂のように消えた。
義手の男の足元から離れ、手を差し伸べずとも壮年の男は力強く立ち上がる。
「定められた全ての武器、定められた全ての術陣を太陽の下、法の下において使用を許可する!」
空に、魔法陣:術陣と呼ばれるものが、人々列するこの大農地を包むようハの字に何十と展開された。花のような複雑な模様を持った、その丸い巨大な術陣の中心、降り注いだ光の柱と等しい膨大な力が収束する。
「イシュ国王陛下は先立って恩赦を与えてくださった」
大農地に点として並ぶ人間らは、力で生成された半透明の鎧に包まれ、被服をすり抜けたそれは入れ墨のように皮膚へ溶け込む。
その人間らの右手の甲には5つの縦線が濃く刻まれた。
「ここに返納祭の始まりを宣言する」
空に展開された術陣のはるか上に、新たな術陣が展開され、それは地平線まで広がり、大地を覆いつくす。
瞬間、その下でハの字に展開された術陣は、収束させた力を巨大な光の柱として放った。
その柱は稲妻の如く大地を破砕。
噴火のように、土、雑草、畑に潜む虫、人々が上空へと巻き上げられる。
噴き上がる暴風にばたばたと琥珀色の髪がたなびいた。
「いやああああ………死ぬううううううまだ死んでいないおよよおおおおお!」
少女のか細い喉から出ているとは思えない、訛りのある、野太い声。
琥珀色の短髪、その少女は衝撃で大空へ打ち上げられた。噴煙でぼやけた周囲、かすかに目標のイシュの都の全貌が見える。
「おえ土がぺっぺっ。あぁぁノアームぅぅぅぅぅ!助けてえええ!」
手で舌を叩くその少女の隣、同じく吹き上げられた赤いくせ毛の男は、脇上げて後頭を手で支え、寝転がるような姿勢で口を開く。
「落ち着けいつも通りだ」
「こんなの言ってませんでしたよねー!」
落ちる琥珀の少女は、噴煙で視界のない真下へ目を見開き、顔を歪める。
「ああ~(イシュは)暇だって聞いちゃいたが、まだいつも通りの範囲内だ。想定外がいつものことなら、そりゃぁこんなこともいつも通りさ」
「いやーーーー!」
琥珀の少女は泣き叫んで落ち続け、赤毛の男は寝返りを打つ。
「(これから3人で)よろしくな」
「ぎゃあああああ!」
「馬鹿ぅるせえ」
気配がひとつ。
噴煙の中、粘土の塊に歪な歯と薄い皮の翼を生やしたような、人丈の二倍ある人外が弾丸のように現れる。
「ほら見ろ」
“うるさいからだぞ”
言葉を飲み込む赤毛の男。
肉をたやすく切るその牙は、琥珀の少女の細い首へ向けられていた。
「あぎゃあああ!」
「おーいノアーム」
琥珀の少女は腰に付いた道具を鎚へと変え、迫る人外を殴り飛ばす。
すると吹き飛んだそれの後ろ、影のように隠れたさらなる人外が牙を剝いて首を伸ばす。顎が少女の頭めがけて水平に開かれた。琥珀の少女は、はらわたを口から吐くように叫ぶ。
「おぎゃああああああ!」
吹き上がる噴煙に人影が映った。琥珀の少女を噛み殺さんとするその人外、その体が、現れた人影の拳によってくの字にへこみ、噴煙に消える。
「遅れた」
人外を殴り飛ばした義手の男は、琥珀の少女、赤毛の男へ、その蜜色の目線を投げた。
「遅えよ」
「ノアームぅぅぅぅ!」
琥珀の少女は義手の男へ縋るように手を伸ばす。義手の男はその手を掴み、少女を手繰り寄せた。
「もう死ぬかと思った」
野太い声で叫んでいた琥珀の少女は、小動物のような庇護欲煽る声をか細く出す。
「始まったばかりだぞ」
義手の男はため息を吐く。
男にしがみつく琥珀の少女の様子に、赤毛の男は顔を引きつらせた。
「ナーシェお前……」
「(約束)守って!」
琥珀の少女は細い木の枝にしがみつく蝉のような姿勢。
赤毛の男は言葉を失った。
「もうすぐだ」
義手の男は顔を下げる。
赤毛の男はくつろぐような体勢からまっすぐに整え、琥珀の少女はしがみつく力を強める。ふたりは僅かに膝を曲げて軽やかに着地した。
琥珀の少女は安堵した表情を作って義手の男から離れ、肩にかけた鞄から櫛を取り出す。手が三つに見えるほど素早くその櫛で髪をといた。その行いに厳しい顔させられた赤毛の男はその少女へ一歩寄り、口を開こうとする。
その前に義手の男が。
「伏せろ」
腹の底から声を出した。
「へ?」
「伏せろ!」
赤毛の男は琥珀の少女の頭を押さえて引っ込める。巨大で分厚い剣のような金属が、伏せた三人の頭上で風を切った。
「触んないでよ」
琥珀の少女は梳かした髪を崩されかけ、眉間の皺を深くし、赤い前髪で隠れる薄緑の目を睨む。赤毛の男は口をあんぐりとあけた。
「馬鹿か?」
「は?何が?」
義手の男は赤毛の男へ、ゆるゆると首を振る。赤毛の男は白目を剝いた。
「来い。こっちだ」
噴煙で前後左右の感覚が失われるような中、義手の男は芯の通った人差し指でさした。
琥珀の少女は足を止めて髪を指で梳いている。赤毛の男は攻撃的にため息を吐いた。
「何してる行くぞ」
「え待って髪直したい」
「走れ!」
義手の男は指した方向へ走り出し、赤毛の男は、少女の肺の空気が口から出るほど、その幅の狭く細い背中を強く叩く。
「いっ?!触んなってば!」
三人が走る中、轟音が鳴り響き、爆発の衝撃による突風が3人の背中を押す。
「びーびー泣きやがってたのになんだお前は」
「え、だってノアームいるからもう大丈夫でしょ」
赤毛の男は頭痛こらえるようなしぐさでこめかみを指で押す。
「来るぞ」
義手の男は手を叩き、金属質の音を出した。
走る3人の後方から、五体の四足人外、人丈の二倍ある、丸く大きな粘土に歯を付けただけのそれらが現れる。
赤毛の男は笑みを浮かべて鼻の下を親指でこする。
「任せろ」
赤毛の男は溜めたばねのように膝曲げて体を沈ませると、五体のうち一体へ、右足で突くような蹴りを入れる。突くと同時に左足で蹴って跳ねるようにその反動でもう一体へ突き蹴る。それを繰り返し、5秒のうちに5体の人外は体を陥没させられ、動きを止めた。
Yの字を保つように3人は走る。
赤毛の男は義手の男へ口を開いた。
「さっきの何だ」
少女が口を開く。
「えーっとね、たしか共和派の傀儡粘土だよ。あれ?傀儡の意味わかる?」
“傀儡“流浪の民の言葉にない、その粘土を創り出した国に由来を持つ、よその言葉。
琥珀の少女は赤毛の男へ小首をかしげる。
「お前に聞いてねえ」
突如噴煙は強風に吹き流され、まばゆい太陽の光に大地が照らされる。
斜めに傾いていきながら流れていく噴煙は積乱雲のように巨大であり、遠くから見れば天変地異の威容があった。
「あ!見えた!」
遠い目の前に、巨人をも阻む巨大な塀。広大な平原畑、千の流浪の民たちはそのそびえたつ塀へ向かっている。
赤毛の男はまたたき、空を仰ぐ。
「ちょっと伏せてろ。周り見渡せ」
「えなんで止まんの?」
勢いを落して歩き出した3人。
広大な平野に影が落ちる。しかし曇り模様だった空は、今現在雲一つない晴天だった。その青い空に針のような点3つ。それは大きくなっていく。
ついに3人は足を止めた。
「何あれ~?」
琥珀の少女は顎を上げて見上げ、赤毛の男はそれを見て、しりすぼみの声を出す。
「ノアーム、おれの骨あとで拾ってくれ」
男は白目を剥いて、はかなげな笑みを浮かべた。