第21話 猜疑:擬態
分かれて行動をした地点、そこで手を挙げる少女。
「よ!遅かったじゃん」
赤毛の男は声を絞り出した。
"にっと笑みで細まる目。その目尻、斜めに並ぶかわいいほくろがそれぞれふたつ"
「………ああ」
"ナーシェと言う名前が、かわいい少女から半分剥がれ落ちそうになっている"
「あれ?なんかあった?つんつん」
"今ではない"
「おーい。つんつんつーん」
"心の中、その剥がれかけたものをゆっくりと優しく張り直した"
「もういいだろ」
次の区域へ向かって歩き始めた赤毛の男。
「へへ。んん………?」
少女の注意を促す声。
住宅路、その細い道、死角から吹き飛ぶように転がり出た人影。その恰好は流浪の民のものだ。短剣を緩く握っている。
「あ〜れ〜?」
駆け寄るふたり。通路の入り口で盾のように立つ赤毛の男。薄緑の目が人影を覗き込む。倒れる人影を、同じく覗き込む少女。
「だいじょぶ?」
左胸には拳ほどの赤い血染みがある。それに目が留まった少女。
「ん?」
枯葉色の目が周囲を見渡す。
その瞳に映り込んだもの。
「あ!」
通路から見える屋根にひとつの人影。
少女の大声に振り返る赤毛の男。その薄緑の目に映った人影、それは弓を構えるような姿勢で力の矢を引き絞っている。
そして横たわっていた紛い者は、握っている短剣に力を貯め込んでいた。その刃は少女の喉を狙っている。
赤毛の男が動き出す瞬間。刃も動き出す。
少女は屋根の人影を見ていた。
「くくく」
少女は意地悪な笑みを浮かべる。
「ばればれ!」
振り向いた少女は紛い者の手首を地面へ押さえ込む。短剣を払いのけ、流浪の民の恰好したその紛い者の胸倉を掴む。力の矢に対する盾としてそれを構えた。
屋根の人影は力の矢を赤毛の男へ向け直し、それを捉えた少女は、紛い者の頭を路地の壁に叩きつける。
男は腰の道具を鎚と成した。
放たれた力の矢。それは赤毛の男を避けて通り過ぎる。
「そっちかよ!」
少女の横腹へ向かって放たれた力の矢。少女は人影を突き飛ばす反動を活かし、薄革一枚で避ける。
その威力に突風が吹く。よろける少女は紛い者に腹を蹴られ、背中を壁にぶつける。
屋根の人影は素早く構えて赤毛の男へ矢を放つ。
避けるには速すぎる。赤毛の男は、鎚の頭に矢を合わせた。
衝突。力の、強烈に振動する音。鎚に傷はなし。
だが威力によって鎚の頭は打ち上げられ、その柄を握る手も上へ、腕も持ち上げられる。
がらあきの胴。人影は次の矢を放っている。だが男はすでに身を捻っていた。通り過ぎる矢。矢の突風をものともせず、赤毛の男は人影へ地に沿って走る。
赤毛の男は少女へ叫ぶ。
「追っかけんな!」
にやりと笑みを作った少女は、肩にかけた鞄へ手を突っ込む。
走って離れる紛いの者。少女は、その背中へ向かって、縄でつながった鉤爪を鞄から取り出して投げた。
服の背中部分に食い込む爪。引っ張られた紛い者は後ろへ倒れ込む。
赤毛の男は壁の小さな突起を蹴って屋根上へ。
すでに人影は去っていた。
「んだよ」
男が唾をはくように悪態をついた。
"ちょうどその時、少女のかわいらしい声が聞こえてくる"
「暴れるなー」
流浪の民に扮した者は立ち上がろうとしているが、少女に引っ張られ、足で押さえられている。
「あーばーれーるな!」
背中を足で押さえつける少女。しかしまだもがいている。
「おら静まれい!」
どかん。
少女はつま先で股間を蹴りぬく。
"静かになったが、伝播した痛みで股間がうずいた。"
赤毛の男は少女のもとへ。
「なんだこいつ」
「あいつだよ、えとね、返納祭邪魔するやつはだいたい共和派って感じの」
赤毛の男は心の中で首をかしげる。
"なぜそんなことをこのかわいい少女は知っているのだろうか。ナーシェという名前を何度も張り直すが、そのたび、接着力が弱くなっていく。
稲穂のようにもたげているそれを、何度もゆっくりと押し上げて張り直す。
「わかんないわけ?ばーか」
「るせぇ」
赤毛の男の、心の内を誤魔化した空返事。ただ声が出る。
「ん!あれ!」
少女は遠い屋根を指さす。
しかし赤毛の男はじっと少女を見つめた。
人の出身を知る手掛かりに、髪の色と目の色などがある。しかしすべての地域で差異があるほどでもなく、同じ色に見えるものもある。ゆえに同じ色だが異なる地域の特徴には、茄子色とぶどう色のように区別する。
少女の目の色と今まで見てきた者の目の色が、瞳の中、回るさいころのように目まぐるしく切り替わる。
「ノアーム!」
少女は路地から出ていた。
赤毛の男はしゃがみ込み、気を失っている人間のまぶたを持ち上げる。瞳は枯葉色にきらめいた。
"少女を観察する"
まばたきをするその目は同じようにきらめく。
「よおナーシェ。で………ロスは何してる」
はっと息を思い出す赤毛の男。
素早く立ち上がり、路地から出る。
「ノアーム……なにしに来た」
義手の男は苦い笑みを浮かべる。
「合流しに来た。今から………え~っとな」
義手の男は肘を曲げ、甲冑状のその隙間から帳簿の地図を取り出す。
「こことここ」
少女は目をへの字に歪ませる。
「……うぇ?」
義手の隙間、肘関節の隙間へすぐに地図が押し込まれる。
「長引いてる。日の押し出しまでかかるかもしれん」
人々は、夜によって太陽が押し返されているように見えている。ゆえに“日の入り”という月と夜に押し出された夕暮れ。
「川沿い……と……魔術協会?はぁ~ねえ間に合うの?」
少女は白目を剝くように目を細める。
「間に合わせてぎり夕方」
赤毛の男はため息を吐いた。
「まあノアームがいる」
しかしその唇はごく僅かに吊り上がっていた。
「(とりあえず区間が大きい川沿いから)いこうか」
「うい!」
三人の進む、屋根屋根の向こうには、なだらかにうねった川があった。




