RE:Mission-6 情報交換ヲオ互イセヨ
……二匹の蝶が飛んでいた。
誰もが見ても、息を呑む程美しく……。
時を忘れて見ていたい程、まるで舞っているかのように優雅に飛んでいた……。
それは……花畑のような場所であった……。
「ような」……と、断定して言わないのは、ハッキリと分からないからだ。
まるで、その風景がテレビ番組で「見せられないよ!」……と、周囲の背景から住所等を知らせないため、”モザイク処理”が掛けられたように……ボンヤリと濃い霞か何かで”色”以外、ハッキリとした輪郭を捉える事さえ難しくあったからだ……。
そしてそれは……その「二匹の蝶」達を取り囲むように飛んでいた、たくさんの”蝶”達もそうだった……。「二匹の蝶」程ではなかったが……どれの”蝶”も目を見張る程に美しいモノであった……。
……いや、待って欲しい……失礼、やはり言い直そう。
ただ……”蝶”であった事は間違いない……。
”蝶であったモノ”……。
それは、人の大きさぐらいの大小様々な「モヤ」であった……。
時間が経つと共に「二匹の蝶」も含め、蝶達は「モヤ」へと……ジョジョに変貌して行ったのだ。
しかし……「モヤ」へと変わって行ったからと言って、先程まで容易に想像できたであろう……”可憐で美しい光景”が失われた訳ではない……。
むしろ、”幻想的”……と言って程の光景に様変わりしていたのだ。
……表現できる言葉がないが……それは……妖精のようだった。
「二匹の蝶」であったモヤ達は、蝶であった時では絶対に表現できないような……”色”と”速度”で縦横無尽に飛んでいたのだ……! ある時は、一定の距離を保ちながらクルクルと飛び……ある時は、交差するようにすれ違い……ある時は、組み合うように高く飛び上がって行く……!
……そんな、予想もつかない動きを次々としていく中……モヤ……いや、妖精達は……。
回る度、交差する度、すれ違ったりする度に、目まぐるしく……次々と、クリスマスの電飾以上の淡くも美しい光を放っているのだ。
……「二匹の蝶」達を取り囲んでいた「モヤ」も同様だ。
「二匹の蝶」程ではないが、「二匹の蝶」達の動きに敏感に感応し……踊り舞うかのように、小刻みに揺らめき様々な光を発していた……。
「二匹の蝶」と「その他のモヤ達」……その彼らが、この幻想的な光景を演出してくれていたのだ。
しかしながら、24時間……”太陽”は世界を照らし続ける事なく、その半分の12時間後には”月”にその役目をバトンタッチするかのように……。
その幻想的な光景も、永遠には続かない物であった……!
その節目は、「二匹の蝶」であったモヤ達が数十回目にも及ぶ、空中で交差した時であった……。
”青い光”を発しながら地面へと落ちてゆくモヤと……そのモヤの上に、重なるように落ちてゆく……”真っ赤に発光した”モヤ……。
地面へと墜落した二つのモヤは、”赤のモヤ”が”青のモヤ”に覆いかぶさるような形で墜落し……その後、”赤のモヤ”が馬乗りになる形で膠着する……!
……すると、少しずつ時間が経つ度に、周囲のモヤ達が忙しなく点滅を始めた……。
1から5……5から12……12から27……不規則ながらも、その数は着実に増えて行く……!
寒気のするような”青”……高慢さの感じられる”紫”……畏怖してしまいそうな”黒”……挙げればキリのない「不吉な色」ばかりを点滅させていた……。
その光を、まるで……「二匹の蝶」達に向けているかのように……!
だが、忙しなく点滅していたのは……その他のモヤ達だけじゃあなかった……。
今まで赤く発光していたモヤが……他のモヤ達の比ではない程に、点滅していたのだ……!
それも、何故か「不吉な色」に混じって……快活さのある”橙”……気恥ずかしさが伝わってきそうな”黄”……涙のような”水色”……そんな「明るい色」も加わった……。
完璧には筆舌しがたい程の、膨大な色が目紛しく点滅しまくっていたのだ……!
……一方で、馬乗りにされていた”青のモヤ”は……変わらぬまま……。
しかし……ほぼ闇のようなドス黒い”黒”に、周囲のモヤ達が変色しきった頃……目紛しく点滅していた”(元)赤いモヤ”は、再び”青いモヤ”に覆いかぶさると……再び真っ赤に発光し始める……!
10秒……30秒……60秒……時間が経つに連れて、着々と”青いモヤ”の輝きは……ジョジョに薄く希薄になって行った……。
そして……再び”赤いモヤ”が起き上がったときには……”青いモヤ”は消えていた……。
まるで最初から存在が無かったの如く……綺麗サッパリとだ……。
また、それと同時に――今までドス黒く染まっていた”その他のモヤ達”が……一瞬にして、再び色とりどりの鮮やかな「幻想的な色」にそれぞれ変わっていった……。
”青いモヤ”の居た地面に、再び覆い被さっていた”赤いモヤ”とは対照的に……明るく、”幸福”という言葉が似合いそうな色合いばかりで……周囲一帯を照らしていたものだ。
しかし……突如、世界は一変する……!
……”その他のモヤ達”に囲まれ――その中央で地に伏していた”赤いモヤ”が、決起した……。
ゆっくりと仰け反ったかのように思えば……”赤いモヤ”を中心に、噴火した火山から流れ出たマグマの如き”眞紅”と……。
周囲のモヤ達のドス黒さとは、全く比べ物にならない”漆黒”が……グチャグチャに混ざり合った”波紋状のナニカ”を放ったのだ……!
”赤いモヤ”を中心に放たれた、”波紋状のナニカ”を浴びた”その他のモヤ達”は……それまでの色鮮やかさが嘘のように、一瞬にして全てが”灰色”へと変化していた……。
まるで、中央で既に”光”ではなく……”灼熱の炎”となり、その真上に炎によって出来た……”怪物の如き恐ろしい形相”で周囲に憎悪を振りまく”(元)赤いモヤ”に対し、恐怖を覚えているかのように……ッ!
そして……一瞬であった。
姿を現したかと思えば、1体……姿を表すことなく、2体を……通り過ぎたかと思えば、3体まとめて……。
100以上は確実に居た”その他のモヤ達”は……次々と、その輝きを”赤いモヤ”……いや、”眞紅の炎”に奪われていった……。
そしてそして……既に幻想的ではなく、”眞紅”と”漆黒”にグチャグチャに塗りつぶされた……ある種の"狂気"がひしひしと伝わりそうな禍々しい光景の中、”眞紅の炎”の揺らめきだけが残った時……! ”眞紅の炎”は、ある一方を見つめた……ッ!
マダ……イタノカァァァァアァァァァァアァァァァァァッ!?
……”眞紅の炎”は飛び掛かる……ッ! ずっとこの夢を見ていた……。
〜 ガバッ! ゴンッ! 〜
「ブハアァァッ!? ハァハァハァハァ……ゆ……夢……かぁ……」
……と、呑気に納得してしまう獣人の彼女に……!
〜 ……ゴロゴロゴロ……ッ! バタバタバタ……ッ! 〜
「痛ッッッッテェェェェェェェェッ!?」
……とまぁ、夢には関係ないが……。
彼女の眠っていたベッドの対岸で、額を押えながら床の上でのたうち回る彼も……イタリシテ……。
実況、雑すぎんだろうがッ!? テメェッ!
「イタリシテ……」じゃあねぇよッ!? 居るんだよッ!?
起き上がった拍子に、頭突きされて重傷を負ったオレがなァァッ!?
「なっ、何ッ!? なんなの!? なんなのココォォ!?」
「いッ、イテテ……お……落ち着けって……。
そう、慌てふためく前に、献身的な介護をしていたオレに……頭突き咬ましたアンタがやる事と言ったら……アァッツツ……分かり切った事だろッ!?」
――丸で状況が理解できないと、壊れたロボットのように首を右往左往させ、忙しなく周囲を見渡す彼女……。
その一方で、余りの痛みに足をバタつかせていた彼は、何とか彼女を見据え、左手で頭突きされたらしい額を抑えつつ……右手で彼女を指差しながら、そう言っていた。
「えっ!? なっ……何で”ニンゲン”が……ぼ、ボクの前に……ッ!?」
――怒りの入り混じった彼の苦々しい表情に怯えたのか……後退するかのように身じろぐ彼女……。
「いや、話をスリ替えるなよ!?
その質問に答えても良いけど……その前に、オレに頭突きした事を謝れってオレは言ってんだよッ!?」
「……い……いや……」
「ん?」
「……な、なんで……ボクが……ボクに酷い事したニンゲンに謝んなくちゃいけないの……?」
――震え……絞り出されるような声で、彼に見当違いな返答をする彼女。
一方で彼は、彼女の一人称が「ボク」という事に……。
「……えぇ……マジかよ? その大人っぽい見た目で……? けど、”ギャップ萌え”? って奴で逆に”可愛い”カモ……」……なんて、脳内お花畑に呆け抜かしてやがるがそれはさておき……。
”1分”に辿り付く前に、軽く被りを振って正気を戻した彼は、何とか返答した。
「……あぁ……落ち着け。
後、勘違いするな……オレは、お前を、助けたんだぞ?
……分かるよな? あのクソ野盗共に襲われて、オレがあのクソ共を倒して……それでアンタ……いや、君が……気絶する前に、オレに対して”ありがとう”……って、言ってくれたじゃあないか? 覚えてるだろう……?」
――未だ痛む額への怒りを何とか堪えながら、彼女を襲った”野盗の一味”……と誤解されている事を優しい口調で解こうと努める彼。
しかし、彼が話しながらゆっくりと”歩み寄る”のを見ていた彼女は……。
「イヤッ! 来ないでッ!」
――突然の叫びに、思わず歩みを止めてしまう彼。
「ボクは君になんか言ってない……! 君に対して言ったんじゃあないッ!」
――唐突な……”筋の見えない鋭い一言”に、彼の怒りは再燃してしまう……!
「……じゃあ、誰に対して言ってたんだよ……! 助けたオレは何だったんだよッ!?」
――燃える怒りが、彼を突き動かし……再び彼女に彼は大きく近づく……ッ!
「ッ! イヤッ! だから来ないでッ!」
〜 ズイッ! 〜
「うおッ!?」
〜 ヒョイッ! バッ! 〜
――明確な拒絶の言葉と共に、右手を彼の顔面目掛けて突き出した彼女……!
しかし、唐突な事であったが……彼は何とかこの”突っ張り”をギリギリ回避する事が出来たのだが……。
その”突っ張り”が外れた事実を認識した瞬間、ベッドから飛び出した彼女の行動を見た彼は、顎を外さんばかりに驚愕する事になる……ッ!
「ちょ、おいッ!? 何してんだよ!?」
「ッ! イヤッ! 来ないでッ! 来ないでッ!」
〜 ダダダダダダダダダダ……ッ! 〜
……結論を言おう、彼女は走っていたのだ。
”床”は勿論、”壁”や……”天井”でさえも……ッ!
……決して立派とは言えない木製の壁に掛けられた、年季の入った燭台や蝋燭、吊り下げられたソーセージや燻製肉、野菜類らしき物、そして剣や盾……。
その他床などに置かれた諸々の物を、走る過程で蹴散らしながら……部屋の中央で呆然とし尽くす彼に対し、逃げ続けていたのだ……!
……なんで彼は止めなかったって?
そりゃあ、彼の足をフル回転さようとも……到底追いつけないと、諦めていたからだ……。
なんせ……彼女は、彼がその姿をやっと捉えられるかどうかのスピードで走り回っていたのだから、当然であろう……。
……出口となる扉に迫っても……その扉を壁として走り抜けてしまう程、”必死”なのか、只々”馬鹿”なのかは永遠の謎になりそうだが……。
だが、先程一瞬、”天井”……の部分で言い淀んでしまったのは、それが完璧に為し得なかったからだ……!
〜 バンッ! 〜
「やかましいよッ! オマエさん達ッ!
これ以上私の家を荒らすなら、今すぐにでも叩き出すワサッ!」
……と、弓を持った右手を掲げつつ、我が家の玄関で怒鳴り声を上げるベルガ。
……背中に兎や茸、野草らしき獲物を複数背負っているため、彼が彼女を看病している間……恐らく夕食か何かの材料を調達しに行っていたのであろう……。
その帰った矢先にこの騒ぎである。……そりゃあ、怒鳴りたくもなるだろう……。
〜 ……ピタッ、ヒュ〜ン……ドスンッ! 〜
「「ッ!? イタアァァァァァッ!?」」
……と、彼女の怒鳴り声に彼と同時にベルガに対し瞠目してしまうと言う、奇跡的なシンクロを”天井”の中心辺りに差し掛かった際、見せた彼女は……。
もれなく、止めた脚によって重力に逆らえなくなり……彼の真上へダイビングしてしまったというワケだ……。
潰れたカエルの様にピクピク痙攣する彼の上で、今度は自身がのたうち回る彼女という……”何だこの光景は?”……と言わんばかりな中、ベルガはゆっくりと彼らに歩み寄ると……?
「……何してんだい? オマエさん達?
そこで寝てる暇があったら、とっと部屋を片付けな!」
「いや!? そこは心配しろよッ!? クソババアッ!
ソレを、”病人”と”負傷した被害者”に言うモノかッ!?」
……とまぁ、ごもっともだが――同時に失礼な罵声を浴びせる彼……。
「ほぉ〜? オマエさん、アタしゃん家に一週間近くも居候の身で良くそんな口を聞けたワサねェ……?」
――アシカの如く仰け反り、ベルガに噛みつく様に言う彼の鼻を、右手の人差し指で押し上げながら……ネチッこい口調で反論するベルガ。
「か……介護の合間に、”薪割り”とか色々手伝ってただろ!?
宿代代わりにやってたんだから、そんなオレ達が”ニート”みたいな言いがかりで……!」
「けど、荒らしたのは事実ワサよね?
それに、オマエさんが嬢ちゃんの暴走を止められなかったのも……?」
「ウッ」
――鼻に掛かる圧が増すと共に、彼は黙ってしまう……。
「けっ、けどな!
やるにはやるが、今さっき頭打ったばかりなのに、すぐに仕事って言われちゃあ――出来る仕事も出来ないんだよ! だから……!」
「……ハァ」
――唐突にベルガはタメ息を漏らす。
「だったら、痛みが引くまでは待つワサ……。
けど……痛みが引いたら、とっととそこの嬢ちゃんと一緒に片付けるワサ! 良いワサねッ!?」
――と怒鳴ると同時に、彼の鼻にトビキリの一突きを喰らわせた後……。
ベルガは、入り口近くのあった長方形のテーブルに採って来た”戦果”を放り投げると、ドカドカと玄関から出て行ったのであった……。
少しして、獣人の彼女が寝るベッドの壁の向かい側から、”パカンッ! パコンッ!”……と、小気味良いリズムで、木が割れる音が響いて来るのであった……。
彼は「日課の薪割りか……」と鼻の頭を摩りながら、勝手に納得する。
……たった一週間ではあるが、彼女は怒鳴る度にコレに似た状況になるため、彼は”嫌な事があった際の日課”だと思っているのだった……。
「……ハァ……おい、起きろよ?」
「……」
――とまぁ、ベルガの日課(?)に付き合った彼はタメ息を漏らしつつも、背中でグッタリとしていた「獣人の彼女」に声を掛けたのだが……反応がない?
……いや、微かだがチャンと寝息のような呼吸音はしていた。
しかし――僅かに向けられた彼の視界は、まるでそっぽを向くかのように……不自然に彼女の表情を確認しようとする度、首だけが寝返りを打っていたのだ……!?
「……ハァ……よい……しょっとッ! ホラッ!」
「……ッ!?」
――と、彼は何とか”うつ伏せ”の状態から彼女を起こさないように浮かせ……”仰向け”になった。
そしてそこから、彼女の両膝裏と背中の肩甲骨部分に手を滑り込ませ……一気に持ち上げたのだ。
”横抱き”……俗に”お姫様抱っこ”と、呼ばれる運び方である。
そうして、同時に立ち上がった彼は――彼女が寝ていたマットレスや掛け布団もない、木製の寝台の上に敷き詰められた藁に布が掛けられた……いかにも急拵えそうなベッドに、彼女をそっと寝かせるのであった……。
「……ほらな? 乱暴も、如何わしい事も……何もしなかっただろ?」
――明らかな呆れは混じってながらも、チョッピリ自慢げに語る彼。
「……」
――一方、寝かされた瞬間寝返りを打ち……あからさまそうに、彼に表情を見せまいとする彼女。
「……なぁ?
じゃあ聞くが、ヒドイことした奴ら……”野盗”だって基準は……君の中ではどうなってんだ?」
「……ス〜ピ〜……ス〜ピ〜……ス〜ピ〜」
……なんとまぁ、可愛らしく珍しそうな寝息を立てる彼女……。
しかし、彼は何を思ったのか……そっぽをむく彼女の左肩に手を掛け、一気に引くと……!?
「……ス〜ピ〜……ス〜ピ〜……ス〜ピ〜」
――そこには、変な横目におちょぼ口で「……ス〜ピ〜」と、繰り返す彼女が……ッ!?
「……変な顔してんなぁ……おい?」
「みっ、見ないでよ!」
――肩に掛けられた彼の手を払い除けながら、再び寝返りを打つ彼女。
「……なぁ? 答えてくれよ? 二つも質問が詰まってんだぞ?
オレは、天井から落ちた君を親切丁寧に寝かせた事で……”自分は野盗じゃあない”……って答えたつもりなんだけど……?」
「……」
「……オレじゃなくて、誰に”ありがとう”って言ったんだ?
そして、”野盗じゃあない”……って、説明しても――まだその下手クソな”狸寝入り”を続けるのか?」
――顎に右手を当て、それを支えるように左手を組みながら……訝しげな口調で、彼女に問いかける彼……。
「……覚えてない……」
「ん?」
「……覚えてない……のよ……。誰だったのか……」
――ポツリポツリと喋る彼女。
「……意識が朦朧としていたのか? 殴られて……?」
「……モウロウ?」
――まるで”初めて聞いた”……と言わんばかりな口調で、首を傾げながら返す彼女。それに対し、彼はまさかと思うが……
「……じゃあ、記憶喪失でもしてるのか?」
「……キオクソウシツ?」
「……」
――呆れ顔で固まる彼の胸中を代弁しよう。
「……あっ、もしかして……コレって”アホの子”って、奴か……!?」
……現実では、滅多にお目に掛かれないであろう”萌え属性”を前に胸キュン……もとい、呆れて果ててしまう彼だったが、唐突に頭を振る……!
「……いや、ここはファンタジー世界だ……! 中世ヨーロッパ的な時代なら、あんまり”学”がなくても当然だから、仕方ないハズだろ……ッ!」
……と、再び自身が怒った性で、縦横無尽に走り回られても困ると思ったのか……無理矢理にでも自身を納得させる彼……!
そして、落ち着いて聞き出すためにも……彼はベッド近くに置かれていた、椅子に腰掛ける。
「……すまない、ちょっと難しい言葉だったか?
一応、言っておくと……”朦朧”は、「ぼんやり」って感じの意味で、”記憶喪失”は「記憶を失くした」って事だ。……分かる…よな?」
「……そう……」
――そして、彼はほぼ確信した。
「……次からは、彼女の前では”難しい事”は言わないようにするか……」……と。
「あぁ……じゃあ、話題を変えようか。さっきまでのオレの質問はもういいよ」
「……」
――言葉では、無反応の彼女であったが……彼は彼女の頭が一瞬、自身の方を向こうとしたのを見逃さなかった。「……とりあえず、話は聞いてくれる気にはなったか……?」
未だ好感触には至らないが、”掴みはOK”という奴を彼は握れた気がしていたのだ。
「まずは……自己紹介でもしようか?
ほら、いつまでも”君”や”オレ”……って、感じで続けるのも……何か……煩わしいしな?」
「……ワズワラシイ?」
「……「面倒くさくない?」……って事な?」
――一瞬、イラッとしてしまう彼だが、「落ち着け落ち着け……反省したばっかりだろ……!?」……と、何とか心を落ち着かせる。
「あぁ……じゃあ、まずは君からお願いできない……かな?」
「……」
「……アハハ〜? おかしいなぁ……?
こういう時は……「名前を聞く時は、聞く方から名乗るのが礼儀でしょ!?」……って感じに怒るモンなんだけどな〜?」
「……そう……」
――予想以上に乏しい彼女のコミニケーションスキルに、苦虫を噛み潰したような表情になりかける彼……。なんせ、こういう場合になった後は……?
「そ…そっか……じゃあ、オレからしないといけないよなぁ……ハハハ……」
「……」
「えぇっと……じゃあ……言わせてもらうな?」
「……」
「……名前、やっぱり……言ってくれる気には……?」
「……勝手に言ってれば……?」
「……ですよね〜? 言い出しっぺはオレだしなぁ〜ア〜ハッハッハッ!」
「……」
「……ハァ……。
じゃあ……言うけど……スゥゥ……オレの名前は、坊じ……」
〜 ズッキィィィン!!! 〜
「あ゛……ッ? か……ッ!?」
――再び、彼の後頭部辺りに走る……鋭い痛み……ッ!
余りの痛みに、彼女の頭に倒れ込む勢いによって、今度は彼が「頭突き」を咬ましそうになるが……根性によって素早く右手を額に当てて頭を押し上げる事で、何とか「頭突き」を未然に防ぐのであった……ッ!
「……ッ!? どっ、どうしたのよッ!?」
――流石に、頭上の違和感とこの異常に気づいたのか……上半身を起こして少し後退るも、彼の方に全身を向ける彼女。
「や、やっぱ…来たか……ッ!?」
「えっ? な、何が来たって言うの……!?」
「いっ、イヤ……大丈夫だ。
ちゃ、チャンと言うからな……? オレは、ぼ……」
〜 ズズッキィィィン!!! 〜
――先程の痛みが、二度連続で叩き込まれたような激痛に……彼は言葉が詰まってしまう……!
「ボォ……ボォ……ッ」
「ほ、本当に大丈夫? すっ……すごい汗が流れてるよ……?」
「だ……大丈夫だから……! ホラッ! オレは、ぼ……」
〜 ズドッキィィィン!!! 〜
「……ッ!?」
……言葉も出せない程の”壊滅的な痛み”に、彼は両手で頭を抱えながら激しく頭を前後左右に揺さぶってしまう……!
「も……もういいよ……。
病気……か何かなら、それ以上はぼ……私のために言わなくても……!」
――その姿を見てられなかったのか……彼女は思わず、恐る恐るながらも彼に右手を伸ばし彼を止めようとしたが……。それよりも早く、彼の動きは止まり――数回の荒い息の後、絞り出すかのように声を出した……!
「ハァ、ハァ、ハァ……ボォ……スゥ……ッ!」
「……えっ?」
「オレの名前は……ボス……ッ! それで良い……ッ!」
――彼は激痛に蝕まれる中……自身のフルネームをあらゆる手段を用いてでも、何とか口から紡ぎ出そうと試みていたのだが……どれも失敗に終わっていた。
何せ、”ぼ”と”す”……自身の「名字」と「名前」の頭文字以外を、頭に浮かべるだけで頭に爆撃されたかの如き、激痛が走るのだ。
何度も抵抗を試みた彼が、白旗を振って降伏するのも無理はないだろう……。
「ハァ……クソウザッてぇけど……良いぜ? やってやるよッ! この世界じゃあ、”ボス”って名前で生きてやんよッ!」……それが、言葉を絞り出した彼の胸中なのであった……!
「ボスゥ……? それが……君の名前……?」
「……あぁ、そうだ……。
オレでさえ訳分かんねェ、この”病気か何か”に必死で抗って……やっとこさ絞り出した名前なんだ……。これを間近で見たんだ……。
そっちだって……このオレの苦労に見合った名前を、言ってくれるよなぁ?」
――いまだ流れる汗を拳で拭いつつ……俯きながら、少し首を彼女に向けて問う……彼、もとい……ボス。
「そっ、そうなんだ……」
――しかし、彼女は両手の指同士を合わせたまま……何故か目を逸らして、押し黙ってしまう。
「……どうした? 名前が言えない事情があるのか?」
「えぇっと……その……」
「おいおいおいおいおいおいおい……。
オレだけに言わせるとか……そりゃあ、ないだろ……?」
「……」
「……じゃあ、なんだ?
君の名前は”獣人さん”……だとか、”猫耳ちゃん”……とでも呼べばいいのか?」
「やっ、やめてよッ! そんな変な名前ッ!」
「仕方ないだろ? そっちが名乗らないんだから……。
そうなると必然的に、オレが君の名前を考えなくちゃならなくなる」
「ウゥゥ……」
――彼の方へ向き直り、少し怒鳴るように否定していた彼女だったが……今現在は彼の真っ直ぐな視線に対して直角に体の向きを変えていた。そして……両太股を抱き抱え、その両膝の上に顔を埋めてしまっていたのだ……。
「……なんだよ?
変な名前で呼ばれても、まだオレに言いたくないってのか……?」
――ボスは少し呆れたかのように、組んでいた両腕の内、右腕の方で頬杖を着く……。しかしその言葉に彼女は、全く罪悪感を感じていない訳ではない様であった……!
その証拠に、僅かばかり……彼の表情を窺えるぐらいに顔を動かすと、目だけは彼の方をチラチラと何度も見ていたのだ。
恐らくだが、先程の彼が激痛に苦しむ姿を見た事も含め……少なからず”申し訳ない”的な事を思い始めたのだろう……。そして、何度目か彼の方を見た後……再び彼女は顔を膝へと埋めるとポツリ、ポツリと、呟きだしたのだ。
「……だって……覚えてないもん……」
「……はっ?」
「……何でここに居るのかも……。
ボクの名前が何だったかも……覚えてないもん……」
「……マジか……。
て言うか……それなら、最初から自分は”記憶喪失してた”……って、言ってくれれば……」
「……だって、無理だもん。
……キオクソウシツも……ボスみたいな……優しいニンゲンも……知らなかったんだもん……」
――「……優しい人間? ……知らなかった?」……ボスは思わず言い澱んでしまう。
それもその筈、自身も「記憶喪失」な身の上で、更に助けた相手も「記憶喪失」だという……予想だにしない、ヘビーな状況に陥れば少なからず動揺せずにはいられないだろう……!
だが、ボス君よ。ここで忘れてはいけないのは……そんな”重い話”を、彼女が唐突に切り出して来た事である。
ほら、彼女が膝に埋めていた顔を”チョッピリ”こちらに向けた事も、見逃してはならないぞ……!?
……暇な間、変な物でも喰ったか? 急に饒舌になって?
彼女が警戒心を解いてきたぐらいは、何となく分かってるからな……?
「今更だけど……あの時、「ありがとう」……って、今だったらそう思ってた気もするよ……。けど……どう言えばいいのさ……?
君みたいな……”優しい……ニンゲン?”には……初めて……会ったばかりだし……。
ぼ……いや……わ、私が話せていたのは……私と同じ男や女だけだったと思うし……」
「”私と同じ男や女”……? ……”種族”って事か?」
「あっ、多分……それ……」
――彼女の余りの学の無さに、再びタメ息が漏れ出そうになるが何とか押し止める……!
しかし、ボスは彼女から「信頼」を勝ち経始めている確信と共に……困ってもいた。何故なら、今の彼女の発言に対し、慰めの一言を掛けてやりたいと思うにも……余りにも彼女の事を知らなすぎてるのである。
彼としては、「余計なお世話」と言う”地雷”は踏み抜きたくないのである……! 今の発言でもそうだ。彼は、彼女が”獣人”と言う事以外……ほぼ何も知らないに等しい。
「あぁん……じゃあさ、何か話が暗くなって来ちゃったし……。
また、話題を変えようか!」
「……また……?」
――だからこそなのか、ボスは一旦別の方向から”情報収集”をする事にしたのだ……!
「ほら! お互い……本当の名前が分からないわけだし……。
それなら、まだ覚えている情報でした方が、面白い……かもしれないだろう?」
……何が面白いのだ?
うるせェッ! 黙れッ!
元の世界でも”獣人”どころか、不特定多数の”女子”や”女性”と話した事なんて無いオレだぞッ!? 手探りに必死なんだよッ! 茶々入れんなッ!?
「……面白い?」
「そう! 例えば……何処出身だとか! 好きな食べ物は何か……だとか!」
「……ゴメン」
「……えぇ?
それなら……趣味とか! ほら! 好きな人や憧れている人とか!」
「……ゴメン」
「……ほら……なら、オレは異世界人なんだぞ〜! ……って!」
「……ゴメンね、ボス……どれも……覚えてないや……」
……見事な”ゲームオーバー”である。
無論、私に向け濃厚な殺気的”何か”を発しながら……彼は押し黙ってしまう。
しかし、それと同時に……彼は、自身の”記憶喪失”と言う物が、どれだけ「ちっぽけな物」かと思い知らされる事になったのだ……!
なんせ、目の前の彼女は……名前も、出身も、趣味も、好きな食べ物も、好きな人や憧れていた人でさえも……彼以上に、何もかも失っているようなのである……!
彼自身、もう「学がない」……と言う事に、タメ息した事を無意識に”後悔の念”を抱き始めている程に……!
「……じゃあさ、付けても……良いかな……? 君の……名前を……!」
「……えっ!?」
――だからこそだろう、再び膝に顔を埋めてしまっていた彼女が、思わず顔を上げてしまう事を……彼は口走っていた。「……どうしても与えたい……!」彼の中に浮かぶ、”とある一つの信念”が彼を突き動かしていたのだ……!
「……公平じゃあないじゃん。
オレだけ、「ボス」……って、仮でも名前があるのは……?
だからこそなんだけど……」
「……」
「……イヤ……かなぁ……?」
――真っ直ぐに、ボスを見続ける彼女。
言い澱みながらも、確認を取る彼に対し……彼女は静かに、「うん……いいよ」と言うのであった……!
「……ッ! フゥ……あ、ありがとうな? じゃあ……!」
――彼女から了承を得た彼は、改めて彼女の容姿をマジマジと観察するのであった……!
クリッと丸く大きくも、”我”を感じさせるような……「切れ長の目」。
一見ボサボサとした寝癖に見えつつも、実は整っているかのように錯覚しそうな……”ライトブラウン”の「セミショートヘア」。
そして一番特徴的なのが、”額”と”アイライン”、そして”頰”に、「波」や「角」とも言えるような……地球の”先住民族”を彷彿とさせるような……「波状のフェイスペイントらしき模様」。
そしてそして、彼女を「獣人」とたらしめる……「猫な耳」に、「手の肉球」ッ!
……この間彼の様子に対し、文句は言わなかったが少し”モジモジ”と気恥ずかしそうにする彼女であったが……どうやら、彼のネーミングは決まったようである……!
「……オセロット……」
「……えっ?」
「……いや、それじゃあ男っぽい名前だし……今は、リボルバーは使ってないからな……」
「……お、男っぽい? り、リボルバー?」
――彼の脳裏に浮かんでいたとある人物……それは彼が大好きなゲームの登場人物であった。彼がまだ元の世界に居た頃……その人物の名前の元ネタが気になり、たまたま調べた画像に載っていた動物……。
その姿に、彼女のフェイスペイントらしき模様が、よく似ている気がしたのだ……!
「……うん、オルセット」
「……オル…セット?」
「そう、愛称は”オルガ”な?
……あぁ、仲良しな人を呼ぶ際の短い呼び方で、その呼び名が”オルガ”な? どうだ?」
――因みにこの「オルガ」も、同じ大好きなゲームから取った登場人物の名前である。
違いがあるとすれば……この名前の人物は身重な女性で、その身にも関わらず戦場に赴き……自動拳銃が得意な獲物であった事が、今言える違いであろう。
まぁ……「オルセット」の響きに近く、呼びやすいから取っただけかもしれないが……。
……うるせェッ!
「……”オルセット”に……”オルガ”……」
「そう、どうだ? 気に入ったか?」
「……うん、しっくり来る気がする……。
それに……チョッピリ、カッコいいかも……!」
「へぇ〜可愛い……って言わないんだな? オレも同意だけど」
「……何ソレ? カッコイイ物には、カッコイイって言うものでしょ?」
「そ、そうなのか? まぁ、でも……二人とも立派な兵士…いや、戦士?
……とにかく、メチャクチャ強い人達だったから……強ち、間違ってもないな!」
「メチャクチャ強い人……フフッ、そっかぁ……!
だからかな……気に入ったの!」
――「……彼女は戦闘民族だったのか?」……と、”強い人”のワードに反応した彼女、もとい「オルセット」改め、「オルガ」を、名前が野菜な宇宙人達と結び付けてしまいそうになるが……軽く被りを振り、頭から払った。
「……オレが良く誤解されたように、勝手に決めつけるのは……良くないよな……」……先程の”目にも止まらぬ走り”と”彼自身の経験則”から、彼はこのような胸中を抱いていたのである……。
「へぇ……じゃあ、何か強い魔物を倒した事とか、覚えていたりするのか?」
「えぇっと……それは……」
〜 バンッ! 〜
「お前さん達ッ! いつまでお喋りしている気なんだいッ!?」
――しかし、この和やかになり始めた談話を遮る者がいた……!
「べっ、ベルガの婆さんッ!? 薪割りしてたんじゃあ……ッ!?」
「壁の隙間風からお前さん達の甘ったるい話が、嫌でも聞こえて来たら……日課の薪割りも落ち落ちやってられないワサッ!
それと……いつになったら、お前さんの痛みは消えるワサッ!?」
――ドカドカと彼らに迫りつつ、右手で彼を指差しながら抗議するベルガ。
「あ、甘ったるい? おいおい、誤解だぜ……今まで寝込んでいて正体不明だった彼女が、何者だったのか「事情聴取」してったのに、何処が”甘ったるい話”になったんてんだ?
それに、お互いが”記憶喪失”してるって言う……ヘビーな状況だってのに?」
「……ジジョウチョウシュウ……が何かは分からないワサけど……。
そうも言いたくなるワサッ! お前さん達がこのまま話を続けていたら……明日以降の生活がどうなるか、分かってるワサかッ!?」
――呆れるように宥めるボスに対し、深刻な表情で彼に詰め寄るベルガ……。
一方のオルセットは、彼らの話に付いて行けず――再び首を右往左往させていたが……彼らの話に入る勇気は持ち合わせてなかったようだ。
「……明日以降の生活? ……アレじゃあダメなのか?」
――と、彼が一瞬顔を向けた先には……。
入り口近くの長方形のテーブルに投げ捨てられた”彼女の戦果”であった。
「あぁ、そうだとも。獲って来れたワサ。
確かにアレなら、今日の分は大丈夫だワサ」
「……今日の分?」
「けどね……? 今までアタしゃがコツコツ貯めてきた……明日以降の分は、お前さん達の性で全部が”パァー”になっちまってんワサよッ!?」
「……」
――ボスの額から、一雫の汗が流れ落ちる……。
……黙れよッ!?
「何だい、その嫌そうな顔は?
まさか……こうなった責任も取らずに今後、アタしゃにそこら辺の木でも齧って生きていけって、言うワサかァッ!?」
――この時、彼の脳裏には……詳しい年代はド忘れしたものの、ドイツ軍が食糧難に陥った際に、木屑を材料に混ぜた「おがくずパン」が食べられていた……なんて話を思い出していた。
しかしながら、ボスはそんな事を微塵にもベルガにさせる気はなかった。
「めっ、滅相もねェよッ!?」
「ほぉ……? じゃあさっきの嫌そうな表情で、目を逸らしていたのも気の所為ワサね? だったら……さっさとココを片付けて、そこの獣人の嬢ちゃんと一緒に、森で食料を見つけてくるワサよッ!」
「お、オルセットも一緒にッ!?
おいおい、オレだけならまだしも、彼女は病み上がり……!」
「今すぐ、彼女に使った「ミドルポーション」の代金……払ってもらってもイイワサよ?」
「うッ!?」
「昔、王都で買って……何かあった時のために残しておいた……秘蔵の一本……!
買いに行った手間賃含めて、金貨10枚ッ!
……耳を揃えて今すぐ払えるなら、別に食糧調達に行かなくてイイワサよ?」
――この一言に、ボスは黙らざるを得なかった……。
オルセットをベルガの家に運び込んだ初日、ベルガの家に備蓄していた”薬草”だけでは、オルセットの怪我が治る見込みがほとんどなかったのだ……。
「頼む助けてくれ! 礼ならなんでもする! だから頼むよ!」
……と、泣き叫びながら彼に頼み込まれたベルガが渋々、床下の”隠し貯蔵庫”らしきところから「ポーション」を取り出し、先程の文句に似た事を言いながら、オルセットに飲ませたのだ。
……その恩もあり、彼はこの地味に脅迫めいた脅しに、逆らう事が出来なかったのだ……。
「ハァ……分かったよ。
そんな”ボッタクリ価格”を払える手持ちなんか、今持ってるワケないしな……」
――ちなみに、この時のボスは彼女に”異世界人”である事を話しておらず……もう少し信頼関係を結んでから”この世界の常識”を聞こうと考えていたため、”金貨10枚”の正確な値段を知らなかった。
ただ、よくある設定から「金貨一枚=1万円」ぐらいには思っていた。
「……”ボッタクリ”なんて、失礼だワサねぇ……手間賃含めて、だよ?」
「それでも、銅貨10枚じゃあなくて、金貨10枚だろ?
手間賃が高すぎるんじゃあないか?」
「そりゃあ、王都なんて……。
ここから歩いて”10日以上”掛かるワサからねェ……」
――「10日以上? 確か……人が1日に歩ける距離が”30km”ぐらいだったハズだから……王都まで約300km……東京から近畿地方ぐらいだったか……? 車や電車はともかく、歩いてなら……」
……と、彼はいつの間にか頭の中で計算をしていた。
因みに、彼はラノベ内のチート知識などが本当かどうか、いつも懐疑的であったため……このように、よくそのような文を見る度にネットや本を使ってよく調べていたため、余計な事には地味に博識だったりするのだ。
……現代における、具体的な運送料は知らなかったが……。
「……そうか。運搬料を考えれば……妥当……か?
まぁ、それはともかく、オレは構わないけど……彼女……オルセットはマジで勘弁してくれないか?
ホラ……さっきも言ったけど……オルセットは病み上がりだし、記憶を失くしてて……」
「イイワサよ? ……金貨10枚、今すぐ払えるなら?」
「あのなぁ……何でそんなガメついか知らないが、さっき言った事を……」
「お黙りワサッ!
強欲も何も、この騒ぎを起こした原因は、そこでボケっとしている嬢ちゃんだワサッ! それに、これだけの荒れ様になったのは嬢ちゃんが何をしたか……お前さんは、知ってるワサねェッ!?」
「えっ!? ぼ……わ、私ッ!?」
――唐突に指されたオルセットに対し、ボスは忙しなく目を泳がせるしかなかった……!
彼女が直接、”オルセットが走っていた部分”を見れてなかったにしても、彼女が”天井から落ちてきた部分”……つまりは、彼女は”動ける事”をしっかりと見られてのだから……ッ!
もう、言おうが言わまいが……彼女が責任を取らされるのは”時間の問題”であったと、彼は痛感するのであった……!
「……OK、OK……降参だ。
……と言うワケだ、オルセット。今すぐこの部屋を片付けて、食糧調達に行くぞ?」
「……えッ!? ぼ……わ、私も片付けるの!?」
「……まさか、今さっき”走り回ってた事”も……忘れたりしてないよな?」
――ボスの睨みに、彼女の視線が部屋を見渡すように泳ぐ……。
「あぁ……まぁ……そうだよね……。
ぼ……わ、私が……やっちゃてたんだよね……?」
――ボスとベルガ、この発言に思わずタメ息を漏らす。
「……まぁ、嬢ちゃんも分かったみたいワサから……今すぐにでもやってもらおうワサかねェ……?」
「おい、ベルガの婆さん……一応、彼女には”オルセット”って名前が……!」
「でも、仮の名前ワサよねェ?
オマケに……そんな尊重出来る程の事をやってくれたどころか、ヤらかしてくれてるワサからねェ……?」
――オルセットを横目で睨むベルガに対し、ぐうの音も出ないボス。
しかしながら、オルセットは彼の顔を見て”良くない状況”だとは理解したらしく……?
「あの……ベルガ……さん?」
「んっ?」
「その……ゴメンナサイ。部屋を……荒らしちゃって……」
――目を細め、渋い表情をしたまま黙りこくるベルガ。
「も、もう……体の痛みも……ほとんどないですし……。
ぼ……わ、私もボスと一緒にこの部屋を片付けるので……それ以上……ボスに言うのは……」
――そう言われたボスは、何故かじんわりと……目頭が熱くなるのを感じていた……。
一方でベルガは、オルセットに言われた後……開けっ放しにしていた扉の外に一瞬視線を向け、彼女に視線を戻すと……?
「……フン、こうも長々と喋ってたからか、もう日も沈んできたワサし……。
今日の所は、サッサとこの部屋だけでも片付けなッ!」
――そう言うと、彼女は入り口の扉へと歩いて行き……手を掛けた後、彼らに向けて体を振り向かせると……?
「いいかいッ!?
明日になったら、とっとと二人で食糧を探してくるワサよ!? イイワサねェッ!?」
〜 バタンッ! 〜
――と、勢い良く扉を締めながら去って行くのであった……。
一方の取り残された二人は、再び壁の向こうから”パカンッ! パコンッ!”……と、小気味良いリズムが聞こえてくるのを確認すると……?
何故か、二人して目を合わせ……声を抑えて、お互い笑い出すのであった……。
「なんか……怖かったねェ、ボスゥ……」
「あぁ、あんだけ怒られたのは……久しぶりな気がする……」
「……意外。ボクもそう思ったよ」
――これまた意外にも、ボスに向けて”ニッと”歯を出す……気持ちの良い笑顔を見せるオルセット。
「……ボク?」
「……あッ! わ……私も思ったよ!」
――目をパチクリさせ、何故か急に言い直すオルセット。
「……なぁ、さっきから思ってたんだが……。
何で”ボク”って、一人称を使いたがらないんだ……?」
「……イチニンショウ……?」
――再び、首を傾げながら返す彼女。
「あぁ、悪い……えぇと……ホラ、”オレ”とか……”私”とか……それと、”ボク”!
そう言った”自分の事”を話す時に言うのが”一人称”って、言うんだよ? 分かったか?」
「……へぇ〜そうなんだ……知らなかった……」
――そう言った境に、何故か二人は黙り込んでしまう……。
「……なぁ、そんな”ボク”……って、一人称を言うのが……その……恥ずかしかったりするのか?
あるいは……誰かに「言っちゃダメ」なんて……言われたりしたとか……」
――流石、女の扱い方検定”10級”だと豪語した彼ッ!
しどろもどろながらもここは手堅く、恐る恐る質問して行く……ッ!
……黙れよッ! クソがッ!
「イヤ……だからかなぁ……」
――と、再び両太股を抱き抱え、その両膝の上に顔を埋めてしまいながら言うオルセット……。
「……何が嫌何だ?」
「……よく覚えてないけど……ぼ……私が、この”イチニンショウ”を言う度に……周りにいた人が、イヤな目で見ていた……そんな気がするからかな……?」
「……」
「ねぇ……ボスゥ?
ボスも……この”イチニンショウ”……嫌いだったりする?」
――大好物である! ……なんて、彼は言う筈もなく……?
黙れってのッ!
……まぁ、”ボクっ子”は可愛いし、好きなのは認めるケド……ッ!
「……気にしねェよ。
むしろ、オレが居たところじゃあ……「オレ」なんて一人称を使う女性がいたらしいぞ?」
「……ホント?」
――目の部分まで顔を上げつつ、そう聞く彼女。
因みにだが、江戸時代では老若男女問わず「俺」と言っても、別に問題なかったらしい。
「あぁ、ホントさ。
というか……そんな目をした気の小さい奴なんて、ほっとけ。
一人称の言い方なんて、その人の自由だし……気にするだけ時間の無駄なんだぞ? オルガ?」
「……ホントに?」
――鼻の部分まで顔を上げつつ、そう聞く彼女。
「あぁ。
むしろオレは、オルセットが”ボク”って……自然に振る舞ってくれる方が、”可愛い”と思うけどな?」
――首の後ろに右手を当てつつ、少しはにかみながら言うボス。
それに対し、彼女は……?
「……ッ!?」
――一瞬、 キョトンとした後……急に顔が赤面し、慌てて顔を両膝に埋めてしまうのであった……ッ!?
「ど、どうしたッ!? オレ……何か……変な事言っちまってたかッ!?」
「……ン〜ン……違う……」
「……えっ?」
「けど……ありがとう……ボスゥ……!」
――聞き取るのがやっとという声で、ボソボソとお礼を言うオルセット。
「……?」
――「……そんなお礼を言う事か? 一人称の事ぐらいで……?」
それぐらいに、彼は思っていた……彼女の胸中は知らずに……。
……お前もかよ……?
「ところで……ボスゥ?」
――いつの間にか、顔を上げていたオルセットがボスに問いかける。
「……んっ? どうした?」
「さっき言ってた……”イセカイジン”……って、何?」
「……あっ」
――焦りと緊張の余り、ボス自身の最大であろう”秘密”を……早々に「自己紹介」でバラしてしまった事に、今更ながら頭を抱える彼なのであった……。
<異傭なるTips> ベルガ
野盗達が言っていた「トルガ村」に住む、老婆。
作中での容姿は、未だ明確な描写はされていなかったが、ここで明記しておくと……。
髪の色は”ダークブラウン”。
だが、歳の性か根元辺りは”白髪”に、毛先に迫る程に”元の髪色”になって行く……と言った癖っ毛のある”セミロング”程の髪を、”ローポニーテール”でまとめている。
一言で顔のイメージで伝えるのなら、「マギー・スミス」に近い顔つきをしている。
しかし、心に何かを抱えているのか……本来はその優しそうな顔つきは常に眉間にシワを寄せ、「イジワル婆さん」という言葉が似合いそうな――近寄りがたい雰囲気を醸し出している……。
「獣人は違法(意訳)」と知りながらも、村での受け入れを全て断られた”オルセット”と共に、彼女を連れてきた”ボス”の二人を受け入れ、治療までも施した”変わり者”。
”薪割り”や”狩猟”などを、毎日率先して行うためか――見た目の割には年相応の”猫背”などにはなっておらず、どこか”普通の老婆”とは言えない……「年老いた美しさ」も、近寄りがたい雰囲気の中に秘めている……。