花弁の力
一応、家の中を探してみたが佐藤の姿はやはりなかったので、先ほど交換した佐藤の携帯に電話してみると佐藤は出た。ひとまず僕は安心した。
「どこいるんだ?」
「ごめん、高校の近くの広い公園にいる。フロースがいる」
状況はいまいちつかめないが行った方がいいのだろう。
「わかった。今から向かう」
電話が使えるということは佐藤が絶体絶命と言うわけではなさそうだ。
「竹刀は……一応持っていくか」
息が上がりながらも佐藤が言った公園に着く。僕をここに呼びつけた張本人である佐藤は叢に隠れていた。
「佐藤、悪い、待たせた」
「もう、遅いわよ。まぁいいわ。それよりあそこ見て。あそこに男が立ってるでしょ。あれはフロースで黄色い百合の花の花弁を持ってた。花言葉は複数あるから能力はわからないけど、花弁を使って
操れるのは大方電気あたりだと思う」
佐藤が指をさした先にはぼさぼさの髪にお世辞にも綺麗とは言えない服を着た若い男がいた。
「なんであいつが百合の花弁を持ってるってわかってるんだ?」
「栄君を家で待ってるときにフロースが近くにいる気配がして探してみたら堂々と万引きしてるあい
つを見つけたのよ。多分私と同じようにフロースが近くにいるってわかってたんでしょうね。今度は私よりも若い女の子が来て、あいつに宣戦布告していったわ」
「なるほどな。それがここなのか」
「ええ、もうすぐで女の子が言ってた時間になるわ」
時間はちょうど十二時になろうとしていた。
「あ、あの子よ」
佐藤の視線の先には雨も降っていないのに水玉模様の傘を持った小学生くらいの可愛らしい女の子がいた。
服も綺麗で穢れを一切知らないお嬢様のような印象を僕は受けていた。それと同時にあんなに小さな子まで戦いに巻き込まれているという事実に戦慄した。
少女は傘をくるくるとまわしながら上目遣いでぼさぼさの男を見据えている。
「お兄さん、ちゃんと来てくれて私はうれしいわぁ。さぁ、殺しあいましょ」
「な、ちょ、ちょっと待てよ。俺は別にお前に危害を加えたりしたわけじゃないだろ。それなのになんで俺を狙うんだ!」
妙に間の伸びた声に男が必死に食い下がる。その声は閑静な公園の木々に虚しく吸い込まれた。
「あはは、そんなの私とお兄さんがフロースだから以外にないじゃない。まぁ、もらった能力で万引きなんて狡いことしてるお兄さんにはむかついたけれどぉ」
少女はその可愛らしい顔に似つかない獰猛な笑みを浮かべていた。
「そ、そうだ。じゃあ、共闘しないか? お前も別のフロースが近くにいるのはわかってるだろ?」
男が僕たちが隠れてる叢の方を指さしながら、少女に命乞いともいえる提案をした。
フロース同士は認知できると共に、フロースでも若干違う雰囲気のようなものがあり、別のフロースがいることはわかるはずだ。つまりぼさぼさの男と少女に僕と佐藤がこの場にいることもばれている。
「や、やばい、佐藤。僕たちのことばれてる」
「そうね。でも多分だけどこっちには攻撃してこないわ。もし攻撃してきたら戦うしかないけど」
理由はわからないが佐藤の予想通り、少女がこちらに興味を示すことはなかった。
「あはは、さっきからお兄ちゃんは面白いわねぇ。そんなのどうでもいいわぁ。さ、お話は終わりよぉ」
「ま、まて! 他の奴に能力がばれてもいいのか!?」
「別に大丈夫よぉ。私の能力は見ただけじゃわからないもの」
「──ああ、そうかよ。じゃあ……ぐちゃぐちゃにしてやるよ。覚悟しろ」
突然雰囲気の変わった男の言葉で戦いの火蓋が切られた。男の能力は戦闘向きではないのか、いきなり花弁を使った。
「花弁よ、超常の力を我に授けよ」
男が呪文を口にし、腕を少女の方へと向ける。その直後、少女も同じ呪文を唱えた。少女の方へと向けた男の掌からはけたたましい音とともに閃光が走り、視覚と聴覚が奪われる。少しずつ感覚が戻り、走った閃光が少女に直撃したかと思われたが、無傷だった。
「さ、佐藤、何が起きたんだ?」
「多分、男の花弁の能力は私が言った通り電気を操るといったもので、少女の能力は水を操る能力だと思うわ。水を生成して電気を受け流したんだと思う。それくらいしないとあの雷は消えないと思う。ニュースになってた断水もこの子が原因かもね」
「花弁を使うとこんなことになるのか……」
通常の能力でさえも人を操ったり、多くの知識を得たりとあり得ないことを可能にさせるが、これは別格だ。男の手からは雷が飛び出し、少女の手から出た水がそれを霧散させた。その現象は完全に魔法と言えるものだった。
以前、花弁が新宿にある花──ポテンティアはエネルギーの塊と言っていたことを思い出す。
僕たちが持ってる花弁はエネルギーの塊みたいなもので、それを消費してこのような現象を起こせるようになるのだろうか。
「へぇ、あなたは雷を操るのねぇ。とてもかっこいいわぁ。前のお兄ちゃんは草木を操るなんてダサいものだったのよ。まぁ、もうこの世にはいないけれど。あいつは私のお洋服を汚したんだもの。当たり前よねぇ」
どうやらこの子は既に花弁で草木を操れる人物と戦い、あろうことか殺しているらしい。信じられないがあの相殺の仕方はそれを信じさせるに十分すぎるほどの芸だった。
「早いけど、もう飽きちゃったわぁ。バイバイ。雷のお兄ちゃん♪」
「な、なんだと、このくそが……」
少女は何もしていないように見えた。だが僕の瞳にはそう見えただけで何かをしたのだろう。男はその場に膝をつき崩れるように倒れて動かなくなってしまった。
「あの子、とんでもない能力ね。目を合わせただけにしか見えなかった。精神系の能力だろうけど完全に私の上位互換ね」
「……救急車を呼ばないと」
「それはいいけど、もう少し待ちなさい。まだあの子にばれたくないから。それにあなたもわかってると思うけどあの男は死んでるわ。間違いなく」
「……」
佐藤の言っていることは僕も知っている。知っているが放っておくわけにはいかない。
僕は少女が公園を後にするのを確認してから携帯電話を取り出し、救急車を呼んだ。
すぐに駆け付けてきて、倒れた男を乗せて病院へ向かった。
「さ、私たちも帰りましょ。こんなとこいても仕方ないし」
「あ、ああ、そうだな」
僕はこの戦争において人を殺さずに勝つのは難しいのかもしれないと思う気持ちを必死に無視した。
まさしく超常の戦いを目の当たりにし、この戦いの本来の戦い方を改めて認識させられ、僕と佐藤
の間には緊張が走っていた。
数分前まで殺し合いがあったというのに、この町は日曜日ということもあり賑わっている。家族で買い物に行っていたり、子供たちが公園で遊んでいたりする。
そんな光景を見て、僕はつくづく思う。目の前で人が死んだのを見るのは二度目だがやはり死は慣れない。死を前にすると鼓動が加速し、全身が熱くなるが、体の奥の方は凍える。これからも一生慣れないだろうし、慣れてはいけないものだと思う。
「……佐藤は死を目の前にしても怖くないか?」
相変わらず優雅に僕の半歩ほど前を歩く佐藤に声をかける。
「何言ってるのよ。怖いに決まってるじゃない。怖くないなんて言ってるやつは強がってるか、本当に頭がおかしい奴だけよ」
半歩分の距離を開けて見えるその背中は強く、そして同時にか弱くも見えた。僕は弱気になっている自分を恥じてから佐藤に追いついて歩幅を合わせる。
刹那、背後の空気が揺れた。能力を使っていたわけじゃない。だから直感ということになる。が確信があった。
「佐藤危ない!」
僕は佐藤を突き飛ばす。と、佐藤が一秒前までいた場所に拳が振るわれ、その先には炎があった。
「誰だ!」
背後には赤いジャージを着た青年が立っていた。
あまりテレビを見ない僕でも知っているほどの人物。同い年にしてボクシングの世界チャンピオン──田中輝石がいる。伸びきっている手の中には半透明の赤いハイビスカスの花弁がある。
「ほう、今のを躱すか。やるな。一応聞くが降参して花弁を捨てる気はないか?」
視線が交わる。田中輝石は伸ばしていた腕をもとに戻しながら口角を上げる。
「悪いがそんな予定はないな」
「残念だ……一つ聞いていいか?」
「なんだ」
「君たちは世界に不満があってフロースになっているはずだ。君たちは一体何を変えたくて戦う?」
田中輝石はこれから戦いが起こるはずなのに随分と余裕のある喋り方だった。
「僕は……世界平和だ」
田中輝石の深みのある目を睨み返す。
「世界平和? あはは、笑わせてくれるな! そんなものがこの世界にあり得ると思うのか。人間というのはな、自分より下にいる人間がいなければ自分を確立することすらできない獣だぞ。そんな動物が世界平和なんて成せるわけがないだろう」
田中輝石は豪快に笑い飛ばしている。
「……そういうお前はどうなんだ」
「俺か? 俺はな、兄弟が幸せになるため、ただそれだけだ」
僕は拍子抜けした。フロースの世界への不満はすべて利己的で自己完結的なものだと勝手に考えていた。確かに利己的ではあるかもしれない。しかしこのように自分の家族のために戦うフロースがいることに衝撃を受けた。
「じゃあ、悪いが……全力で行かせてもらうぞ」
声が低くなり田中輝石の雰囲気が一瞬にして変わった。
「sapiens」
僕も『賢者』を発動し、竹刀を両手で構えつつ田中輝石を見据える。
大丈夫だ。避けることも竹刀を当てることもできるはず。落ち着いて感覚を研ぎ澄まし、周囲の物質の状態を確認し、予測しろ。
「佐藤は下がっててくれ」
輝石は先ほどのように炎を拳にまとい殴りかかってきた。予測した軌道で拳が飛んできて僕の髪を焦がす。
軌道が分かっていればいくら世界チャンピオンといえど避けることはできる。しかし僕は一般人だ。それに加え、運動はほとんどしていない。フロースになり体力が強化されているとはいえ、輝石と僕の間には天と地に等しい差がある。いくら予測ができても、避けることができなくなったら意味がない。
僕の竹刀も当たりはするが非力な僕の力じゃ輝石をひるませることすらかなわない。それどころか竹刀は弾き飛ばされてしまった。
段々と僕の足がもつれ始め、体をかすめる拳が増えていく。輝石の圧力は世界チャンピオンにふさわしいものだった。
この状況を打破することを考える暇さえ与えず、輝石の拳が僕を襲う。躱し、往なし続けてもいずれ限界が来る。
とうとう、勝利への未来を視続けていた僕の目に、輝石の拳が自分の腹に伸びているのが視えてしまった。そしてそのまま目に映った未来を変えることもできずに輝石の拳が僕の腹を焼きながらえぐった。
僕は後方へと血をばらまきながら吹き飛んだ。勢いを止めることもできずに壁に打ち付けられ、意識が遠のく。
必死に意識を捕まえようとしても、瞼がどんどんと重くなっていく。えぐられた腹は痛みを感じることすらできない。
視覚が完全に奪われ、皮膚感覚もなくなり、地面と自分の境目すらわからない。最期に残っていた聴覚がとらえたのは佐藤の悲痛な叫びだった。