初戦
学校というものは僕にとって忌まわしさの象徴のようなものだった。やりたくもないことをやらされ時間が無駄に過ぎ去っていく。僕がこれまでの九年間と十一カ月の学校生活において学んだことは如何にばれないようにやりたいことをするかと如何に嫌いなことを我慢するかだった。
学校なんて無くなればいいのにと思うことはあったが、大切なものはなくなってから気づくということを僕は知っている。学校が大切なものかどうかはわからないが無くなったら困るということくらいはわかる。その無くなっては困る物が侵されそうになっていてそれを守る力があるのは自分しかいない。
僕はそうやって誤魔化さなければ今にも恐怖で支配されそうな小さい男なのである。
彼が高校にいない可能性もあったがやはり操られてる人は高校から出られないようで校庭の真ん中に立っていた。
既に見慣れた高校はそこにはなく異質は雰囲気を放っている。
みんなを解放できそうな方法を考えたがそんなものが浮かぶはずもなく倒すしかないという結論に至る。僕は殺さずとも花弁を使い切らせればいいと知り、心に多少の余裕ができていた。
僕は堂々と校庭側の門に足を踏み入れた。
「やぁ、さっきぶりだね」
男は僕が戻ってくるのがわかっているような口ぶりだった。
「ああ、そうだな。だけど僕は話をしに来たんじゃない。みんなを解放しろ」
ここには戦いに来た。だが争わなくていいならその方がいいという一縷の望みは即座に断ち切られた。
「それは聞き入れられないな。彼らは僕の重要な戦力だから。一応確認するけど君はフロースだよね? 僕でも関係ない一般人を殺すのは胸が痛む。まぁ一般人を操ることができている現状、操られてなかった君ともう一人はフロースってことで確定してるけど」
どうやら佐藤と同じように操るのにも容量があるらしい。おそらく戦いの中で操られる心配はない。
「ああ、僕はフロースだ」
「そうか。それはよかった……ところで君の名前と花の色を教えてくれないかい? 僕は久遠明人で花弁の色が白色だ」
久遠明人と名乗った男は実際にポケットから半透明の白い花弁をだしてひらひらと見せてきた。
それはどう見てもフロースに与えられた花弁に見えた。しかしメリットがわからない。花の色がわかれば花弁を使ったときの能力もおおよそ予想することができる。
相手が情報を出したからこっちも出さなければいけないというルールがあるわけでもない。
「言うわけないだろ。それに色を僕に教えていいのか」
「僕は花弁の力が弱くてね、どうせ使わないから君のを探ってみただけさ」
「そうかよ、まぁ名前くらいは教えてやる。僕は栄一佐だ」
「へぇ、栄か……」
明人は顎を触り興味深そうな顔をした。その視線を受け、僕の背中に冷や汗が流れる。
歳も少ししか変わらないように見えるのにあの余裕はどこから来るのだろうか。
明人は少しの間じっくりと観察するように僕を見てから、
「おい、いけ」
ただ一言だけ、僕の命の灯を消し去るための命令を下した。
明人の後ろに控えていたみんなが一斉に小走りで僕に向かってくる。僕はそれから逃れるために禍々しい雰囲気になってしまっている校舎に走った。
先ほどの逃げたときに佐藤が投げ飛ばしていたから操られると身体能力は多少なりとも下がってる。いや、下がっていなかったら佐藤の方が恐ろしくなってしまう。走るスピードがこれだからまず間違いないだろう。
僕が明人に勝つにはまず一対一にする必要がある。操られてる人たちをどうにかして身動きを封じなければいけない。やはり校舎に閉じ込めるのが一番単純で簡単だ。
僕は一階の職員室で大繩用のロープを借りてから最上階である四階までこれまでの人生で最速で駆け上がる。
明かりが少なく時々躓きながらも四階にたどり着く。操られてる人たちはまだ来ない。
その隙に僕はは防火扉を半分閉め、閉めてない方の防火扉に先ほどくすねたロープを結びつけた。丁度結び終わったころに操られてる人たちが上ってくる。僕は結び付けたロープをしっかりと握り、校舎の両端にしかない階段の反対の方へと走る。
夜の学校というものはなかなかに怖い。それに背後に迫っている操られている人たちは呻き声をあげていてまるでゾンビだ。この学校はすで肝試しの名スポットだ。なんて普段の僕は考えるのかもしれないが今の僕にそんなことを考える余裕はもちろんない。
反対の階段に着いてからはぎりぎりまで操られてる人を引き付けてからロープを引っ張り上ってきた方の階段の防火扉を閉める。防火扉を開けることが操られてる人たちに可能なのかはわからないが一応、長さを調節してから防火扉にロープと結んでおく。
「明人を倒すまでちょっとここで待っててくれ」
僕は持ち手のないただのロープを大繩で使うこの学校に初めて感謝しつつ、防火扉を完全に閉めた。
三階に降りると大部分を閉じ込めたはずなのに数十人ほどうろついていた。
二階にはもう操られてる人はいないだろう。しかしさっきは追われていたから反対の階段に走るだけでよかったが三階には操られてる人たちが散らばっている。一度自分に気づかせてから入れ替わって反対の階段に行かなければならない。
認知能力もそこまで高くないようでまだ僕には気づいていない。
明人と戦う前に自分の能力を知っておいた方がいい。ここで能力を試すのもありだな。
僕は深呼吸をしてから静かにもったいぶるように、
「sapiens」
言ったことも聞いたこともない単語、しかしなんだか心地がいいような単語を唱えた。その瞬間、全身が入れ替わるような錯覚を得た。いや、実際に入れ替わっているのかもしれない。体がだんだんと熱くなっていき、脳にはこの世すべてと言っていい知識と演算能力が流れ込んくる。
この世すべての知識というのは文字通りだ。原子レベルのエネルギ―を知ることもできるしそれを使って未来を視ることもできるだろう。
「なるほどな。戦うときは未来を視つつって感じになるな」
体の熱にも慣れてきて能力を使っている状態にも馴染んできた。それと同時にこの賢者を使っていられる時間も十分くらいだということを悟る。
「佐藤と明人にも能力の限界があるからしょうがないか」
体を動かすことに支障はないかを軽くジャンプをして確認してから思考を巡らせる。
上と同じように防火扉で閉じ込めてしまえばいい。問題はどうやってこの操られてる人が数十人いる廊下を反対まで渡るかだが、まぁ、全部避ければいいか。
自分でも驚くような強引な突破方法だがそれが一番確立が高いとわかってしまうのだからしょうがない。ましてや操られてるから動きを読むのはさらに簡単だ。
いらないロープを置き、防火扉を完全に閉めてから、
「おい! お前らの殺す相手はここだぞ!」
と声高らかに自分の存在をアピールする。
操られてる人たちが一斉に僕に気づき、廊下一杯に広がって向かってくる。
一見、廊下は完全に埋め尽くされてるが僕の目には道が見えている。
幅三メートルの人の波に向かって足を踏み出す。徐々にスピードを上げ、集団が目の前まで迫る。僕はわずかな隙間をめがけて体をねじる。伸びてくる腕や足をすべて躱し、第一陣を突破する。すぐに次が来るが同様に躱し続け、反対の階段を目指し走り続ける。
フロースになったおかげで身体能力も上がり躱し続ける体力の心配もない。
針の穴を通すかの如くを繰り返し反対側までの距離がどんどんと小さくなり、とうとう反対の階段に到着する。そのままの勢いで防火扉を完全に閉め、操られた人たちを全員隔離することに成功した。
「あとは明人を倒せば終わりか」
『賢者』の使い方もわかってきた。『賢者』を使えば攻撃を避けるだけではなく当てることもできる。
これは想像の域を出ないが明人は戦闘能力に関しては特別秀でているようなことはないだろう。
勝てる。明人の能力は無力化し、攻撃を当てることもできる。自分の攻撃が効くかどうかはわからないが誰でも殴られれば痛いだろう。
僕にしては珍しく自分に自信を持って階段を下り校庭へと出た。
校庭の真ん中には変わらず明人が立っていた。しかし明らかに前とは違って表情に怒りが染み出ていた。
「忠告してやる。そこから動くな。そしてみんなを解放しろ。僕の花弁を使えば、お前は一瞬で死ぬ」
明人は怒りを感じつつも頬の隅に皮肉な笑いを漂わせている。
「みんなを解放したいなら忠告しないで僕を殺せばいい。それをしていないということは君は僕を殺せないよ。自分でもわかってるだろう? そして僕は君をもう侮らない。戦いにおいて卑怯というのは敗者の言い訳にしかなりえない」
どうやら僕に殺す覚悟ができていないことはばれてるらしい。
明人は素手だ。荷物もない。武器と言えるようなものはないように見えるがまだわからない。
僕がどうやって倒すかを考えていると、
「──おい、窓から飛び降りてあいつを殺せ」
明人は世界一残酷と言っていい命令を口にした。
明人の声は操られている人たちには聞こえてないはずだがそういうものではないのだろう。校舎の窓から僕が閉じ込めた人たちが躊躇いもなく飛び降り始めた。僕が閉じ込めたのは四階と三階だ。そんな高さから落ちたら、死ぬ人がいても何もおかしくない。むごい音がして、窓の下には人、否、人だったものと血が積み重なっていく。そして死ななかった人達も当たり前のようにそれを踏みつけ、僕の方へと歩いてくる。
ありえない。これだけの人が死んでいるのに全く気にせずそれを侮辱するかのように気にも留めず向かってくる。しかも操られて無理やりやらされている。
僕の体は能力でただでさえ熱くなっているのにさらに全身の血が沸騰したように熱くなっていた。
「お前!」
咄嗟に足が地面を蹴る。十数メートルあった距離を数秒で詰め、僕は明人の未来を視て、動く先に怒りのままに思いきり拳を振る。
僕の手には血が付き、明人は驚いた顔をしながら数歩後ろによろめく。
驚くのも当然だ。避けた先に拳が飛んでくるのは本来ありえない。
続いて無防備になった明人に二発目をたたき込もうともう一度距離を詰めた。勢いのまま同じように拳をふるう。が僕の拳は空を切った。
「はは、なるほどな。君の能力は未来を見るか、物質のエネルギーを知り演算能力が上がるようなものか。おもしろい。動くなよ。もし動いたらあいつら全員自害させるからな」
口を拭いながら未だ余裕の顔を崩さずに言い放った。やはり喧嘩もしたことのない高校生のパンチなどたかが知れている。
「お前……」
「俄然、君に興味がわいた。能力もだいたいわかったことだし今回は逃がしてやるよ。もうこの戦争は始まっている。精々また会う時まで死なないようにな。そこらの奴は解放してやるから安心しろ。どうせ僕がこの戦いに勝利して全員丸ごと殺してやる。それと一つ忠告してやる。敵が自分の仲間、家族、知り合いなんかの大切の人を害するときに敵を即座に殺す判断ができないと後悔するぞ」
明人は堂々と僕に背中を向けて歩いて行く。僕に許されている行動はそれを見守ることだけだった。
僕は明人が見えなくなるとすぐに救急車を呼んだ。
戦いの疲れと救急車を呼べた安堵感と絶望感で僕の意識はどんどんと沈んでいった。
気温が下がり、降り始めた真っ白な雪だけがこの惨劇を埋め尽くそうとするがそれも虚しくただ赤く染まるだけだった。