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ディーレクトゥス  作者: えのきだけ
15/17

母さんの手紙

 なんだか佐藤の家に戻ってきたのがすごく久しぶりな気がする。未だに佐藤の家にいるときに何をすればいいのかわからずにもじもじしてしまう。どうにも洋風な雰囲気が落ち着かない。結局、僕は何をするでもなく時計を眺めている。


 気づくと、佐藤の顔が目の前にあった。


「あれ?」


「ご飯できたよ」


「あ、ああ」


 時計を見ると時計は八時を指している。帰ってきたころは七時頃だったから一時間近く寝てしまっていたらしい。

 また同じ夢を見ていた。母さんと一緒に銀行に行って手紙をもらい、母さんが殺され、父さんがその強盗犯を殺す夢。この強盗犯は思えば、仕事だと言っていた。おそらく父さんに雇われ、騙され、殺されたんだろう。


「手紙……」


「手紙がどうしたの?」


「母さんが殺される前に僕は手紙と小さい何かが入った便箋をもらったんだ。それをもらったときに困ったら開けてって言ってた。明日、帰ってもいいか?」


「ええ、いいわよ。私も着いて行っていいよね?」


「ああ、来てくれ」


 そうだ。困ったときというのはまさにこの状況だろう。それに母さんは死ぬ直前に僕に手紙を渡した。もしかしたら……


「明日手紙を読めば大体わかるか……」


「そうね。じゃあ、ご飯食べましょうか」


 佐藤がパチンと手を鳴らし、食事の準備を始める。


 夕食はハンバーグだった。美味しい。瑞樹がいない食卓は久しぶりだったが、食事中でも二人で話すようになっていた。


「明日からどうする?」


「黒は最後に倒したい。だから明日は一旦家に帰った後、青を探そうと思ってる」


「青は普通に倒せるとして、黒とお父さんにはあの剣が必要でしょ? 栄君の花弁一枚しかないけどどうするの?」


「それなんだ。多分だけど、母さんが手紙と一緒に入れたのはポテンティアの葉だと思うんだ。それを使えばあの剣は作り出せる。それと佐藤の催眠は僕と佐藤、両方にもかけられるか?」


「ええ、できると思うわ」


「そうか。助かる──勝たなきゃな」


 僕は今までのことを思い出す。戦うと決めた以上、佐藤、母さん、瑞樹、のため、父さんに人間を消させないために勝たなければならない。その分のプレッシャーは感じていたがそれ以上に佐藤が頼もしくて、佐藤がいれば何でもできる気がしていた。


 しかし、勝てるかどうかは母さんの手紙次第と言っても過言ではない。父さんにはあの剣がなきゃ勝ち目はない。それは黒も同じだ。不安は尽きないが、どうにか一つずつ乗り越えなくてはいけない。


翌日。


「佐藤、準備できたかー?」


「ええ、今行くわ」 


 僕はポケットに入れた拳銃と最後の花弁を確認してから、二人で佐藤の家を後にし、僕の家へと向かう。空はどんよりとした雲に覆われ、小雨が降っている。街には時間が早いのと雨のせいで人はほとんどいない。


「佐藤、青って言ったら何を思い浮かべる?」


「うーん、水かな?」


「水以外だったら?」


「水以外だと……空かな? どうして?」


「青のフロースの花弁の操れるものは何だろうと思って。やっぱり操れそうな青いものは水だけど、それは瑞樹が操ってたから違う。そうなると、僕も空だと思うんだ」


「空を操れるってなると天気?」


「仮に空を操れるとしたら、天気か時間帯だと思う」


「時間帯?」


「そう。例えば──いつでも花弁を使えば夜にできるとか」


 あくまでこれは推測に過ぎない。だが、青の花弁で他にできることが思いつかない。


「そしたら、黒と戦うときに……」


「うん。夜にできたらかなり有利に戦える。だから青はできれば戦わないで味方にしたい」


「そうね。家はわかってるし、私の能力を使えば捕まえられるしね」


「だけど油断はしないでほしい。わからないってことは一番怖い」


 青のフロースは襲われても逃げてばかりだった。以前、青を追ったときに僕たちの運が悪かったのが青の能力かどうかにもよるが、何にせよ用心することに越したことはない。


「あ、着いたわね」


 五日ぶりの自宅はすごく寂しそうに見えた。もちろん、家に感情なんてないのだろうが。

 一応、父さんがいる可能性もなくはないので注意して入ったが、杞憂だった。

 僕は一直線に母さんの遺影の裏を見た。今まで忘れていたことが信じられないくらいはっきりと、しまった場所もどんな柄の便箋だったかもわかる。ちゃんと四年前にしまった場所に便箋はあった。便箋を振ると中からは手紙と一枚の葉が出てきた。


「やっぱりか……」


「それがあの花の葉なの?」


「ああ、父さんが持ってたやつと一緒だ」


「じゃあ、私、リビングで待ってるわね。一人の方がいいでしょ?」


「ありがとう」


 佐藤は気を利かせて、部屋の外に出てくれた。これを読んだら確実に泣いてしまうから、その心遣いは嬉しかった。


 葉に触れると再び父さんの過去の記憶が流れ込んできた。生々しすぎる。水を飲んで何とかこみ上げる吐き気を必死にこらえた。


 手紙にはこう書いてあった。


「一佐へ

 私は文がうまく書けないから、単刀直入に書くわね。もしかしたら一佐は頭がいいからわかってるのかもしれないけど。まずは謝らせて。ごめんなさい。一佐を残しちゃって。こんなことに巻き込んじゃって。

 これを読んでるってことは葉にも触ってると思うから、そこはいいよね。葉を触ったとき、私は驚いたけど、少しだけわかっていたのかもしれない。私が父さんと出会ってから十数年経ってるけど、父さん、見た目が全く変わらないんだもん。まさかこんなことが起きてるとは思わなかったけど、なんとなく何かあるんだろうなって思ってた。女の勘ってやつね。そして、私は父さんに利用されてたって気づいちゃった。でも、私はそれで父さんを嫌いになることはできなかった。私が父さんを好きになって、私がこの人と一緒になるって決めたの。だから私の責任で後悔はしてない。それに楽しかったしね。だからこそ一佐には謝らなくちゃいけない。私が責任を取らなくちゃいけないけど、それが多分、できない。だから、葉を盗んで、これを一佐に渡したの。父さんが葉を盗んだことに気づかないはずがない。これを読んでるってことは一佐は困ってるんだよね。きっと父さんのことで。父さんはもしかしたら、いろんなものを巻き込んでるのかもしれない。一佐が父さんのことを嫌いになってもしょうがない。だから一佐のやりたいようにしなさい。父さんに利用されたのが許せないなら、父さんに歯向かいなさい。私にできるのは父さんと戦うときに力を授けることしかできない。私は父さんを愛してるけど、それ以上に一佐を愛してる。一佐には幸せになってほしい。もし、父さんが一佐が幸せになるうえで邪魔ならどかしなさい。人間には誰しも幸せになる権利はある。

 最後に、きっと今までもこれからも苦しいことはあると思うけど、そのたびに悩みつくして、自分が納得する行動をしなさい。どんな選択をしても後悔する人はするし、しない人はしない。一佐はしちゃう方の人間だから、せめてその時の自分が納得できる方を選び続けなさい。今までありがとう。頑張ってね」


 手紙を読んでいる途中から母さんの声が聴こえる気がして、文字が霞み、読み終わるのにかなりの時間がかかってしまっていた。時計を見ると三十分が経とうとしている。


 自分で選んだ道だから後悔してない。僕は今更ながら母さんの偉大さを知った。普段あんなにお茶らけていたのに、芯の部分が強い。そういう面では佐藤と母さんは似ているのかもしれない。


 自分が納得できる方。それは今この状況において、父さんと戦うことなのか今一度考えてみる。世界とか関係なく、自分の心に正直に。

 僕は世界を言い訳にこのまま父さんの言いなりになることは我慢できない。母さんの復讐のためじゃない。ただ母さんを殺した人には協力したくない。僕の大切な人を殺した落とし前をつけなければいけない。


 僕は両手で頬を叩き、決意を固めてから、佐藤の方へ戻った。


「お帰り。用は済んだ?」


「ああ、行こう。この戦いを終わらせる」


 僕と佐藤は再び青のフロースの家に向かった。


 青のフロースの家は以前と何も変わらず、小雨のなかフロースの気配を放ち、佇んでいる。


「中にいるわね」


「いや、裏口から出ようとしてる。佐藤、周りに気を付けて追ってくれ」


 僕がそう言ったのと同時に青が裏口から逃げようとする。僕は『賢者』を発動し、佐藤は催眠をかけ、青を追う。


 僕は今一度、青の能力を考えた。前に追ったときは信号に引っかかる、道路工事、人が困っている、で足止めされた。それ以外は逃げることしかしなかったことから、青の能力は運を操るでほぼ確定だろう。次に運を操る能力でどこまで操ることができるのか。仮に運が悪くて転んで頭を打って死ぬなんてあったらたまったもんじゃない。そうした中、この住宅街で起こりえる最大の不運だと……車。


 青と佐藤の間にはちょうど、大型のトレーラーが走っている。


「佐藤! 避けろ!」


 だめだ。あのままじゃ佐藤は避けられない。


 トレーラーが蛇行をはじめ、佐藤に一直線に突っ込もうとする。僕はすぐに計算をし、拳銃を取り出してトレーラーの右前方のタイヤを撃ってパンクさせた。

 パンクしたトレーラーは僕の計算通りにスリップし、佐藤をよけ、荷台の方から壁に突っ込んだ。エアバッグもしっかり作動し、運転手は無事のようだった。


 僕は立ち止まって心配そうにトレーラーを見つめる佐藤の手を取り、青を追う。トレーラーの周りには人だかりができ始めていた。


「佐藤、運転手の人は無事だ。だから早く青を捕まえよう。と言っても今みたいにスピードは出せない。だから僕にも催眠をかけてくれ」


「え、ええ、わかったわ。迷える子羊に幸福の夢を」


 佐藤の催眠のおかげで体がかなり軽くなった。


「さっきほどスピードは出せなくても、普通に走って追いつくのは地理の差があるから無理だ。だから無理を言うぞ。今みたいなのが起きる直前に僕が知らせるから、全部避けてくれ。行くぞ」


 青はくねくねと曲がり、細い路地や裏道を使ってどんどん逃げていく。僕と佐藤は訪れるトラブルをかいくぐり、少しずつ距離を詰める。


「曲がり角、車十台!」


「ええ!」


 僕と佐藤は地面と強く踏み、突っこんでくる十台の車を飛び越える。躱すのにも慣れてきて、追いかけるスピードも上がる。


 もう十分程経っており、青の逃げるスピードも落ちてきていて、端を渡って、隣の区へ逃げようとしている。


 青を追って僕たちも橋を渡り始めると、いやな予感がした。青はこちらを振り返って、ほくそ笑んでいる。まだ僕たちと青の間には五十メートルほど距離がある。

 この橋は荒川をまたいで、区と区をつなぐ大きな橋だ。長さは五百メートル近くある。その橋が揺れている。


「嘘でしょ!?」


「崩れる! 跳ぶしかない!」


 橋にひびが入り、僕たちと青の間から崩れ始める。僕と佐藤は走るスピードを上げ、渾身の力で地面を蹴る。その衝撃でさらに橋の崩壊が進む。

 体が宙を舞い、青との距離が縮む。が、このままだと向こう岸の橋を掴むことすら叶わず、荒川にたたきつけられてしまう。どうにか懸命に体を動かしてみるも僕の体が描く放物線は変わらない。


 ジェットコースターに乗ったときのような不快感と共に体が落ちていき、とうとう僕の手は青がいる方の橋の一メートル手前を通り過ぎたと思った瞬間、対岸にたどり着いた佐藤が僕の腕をつかんだ。


「待ってて、今引き上げるから!」


「悪い、助かった」


 佐藤は楽々僕を引き上げ、なんとか二人で青に追いつく。が、そこにいる青は腹から何本もの黒い影を伸ばしていて、口からは血を流し目を見開いている。そして青の背後には、僕の右腕を切断した黒のフロースが立っていた。


 黒い影が青から離れると、青は力なく崩れ落ち、影が抜けたところから血がどんどん流れ出ていく。青はもう完全に死んでいる。


「お前……」


 男は崩れかける橋の真ん中で獰猛な笑みを浮かべている。


「すっかり死んだもんだと思ったんだがなぁ、まぁいい。この前の続きといこうか!」


「この橋はもう崩れるぞ」


「ああん? そうなのか。じゃあ、場所を移すか?」


 その反応が今、人を殺した人の反応に見えなくて僕は驚いた。もしかしたら普段は素直な青年なんのかもしれない。


「あ、ああ。じゃあ、土手に行こう」


 僕たちが離れた直後に橋は完全に崩落した。幸い、一般人は巻き込まれていないみたいだった。


「さぁ、始めるか」


「一ついいか」


「またかよ、なんだ?」


「君はどうして戦うんだ? 何のために戦ってる?」


「そんなの、楽しそうだからに決まってるだろ。他に何があるってんだ」


 戦うのが楽しいから人をも殺すのか。いや、それは僕が思うべきことじゃない。僕も一つは怒りのまま、もう一つは自分の勝手な正義感で人の命を奪ったんだ。


 僕は大きく深呼吸をする。目の前のことだけに集中しよう。


「じゃあ、行くぞ……」


「おうよ」


 男は影を伸ばし始めると、明らかに雰囲気が変わった。まるで野生の獣のような圧倒的な威圧感。気のせいか肌がチクチクする。


 僕は右手にある最後の花弁を発動する。


「|Sanctus gladio《サンクトゥス、グラーディオ》」


 目が焼けるような光と共に白い剣が僕の手に収まる。少し振って感触を確かめてから、男に向かって剣を構える。

 僕はひとまず、伸びてくる影を避け、男に近づき、肩口から腰へと斜めに切る。が、僕の剣が男の体を裂くことは叶わず、刃は肩で止まっている。


「だから、希望がある限り負けねぇって言っただろうが!」


 伸びていた影が縮んで、僕を襲ってくる。僕はそれを避けつつ、佐藤と合流する。


「攻撃が効かないんじゃ……どうするの?」


「簡単だ。彼は希望があるから負けないって言った。なら、希望を全て叩き潰す」


「……そうね。それしかないわね」


 佐藤はすぐに賛同してくれた。事実、それしか手はない。問題はどうやって希望をなくすかだ。

 彼が少しでも勝てると思っていたらまず無理だろう。それなら彼が起こす行動の悉くを潰しつくすしかない。しかし、それを成し遂げたら──僕はまた人を殺すことになる。


「君の希望があったら負けないという能力を打ち破るうえで僕は本気を出す。そして、僕が勝ったら君の命を奪ってしまうことになる。それでも降伏しないか?」


「そんなことは俺に勝ってから言いやがれ!」


「そうか……佐藤、行くぞ」


 自分を正当化するわけではない。人殺しは悪いことだ。だが、この男はフロースなら容赦なく殺すだろう。僕が死ぬのならまだいい。佐藤だけは絶対に死なせてはいけない。そのために僕は──この男を殺すことを選択した。


 感覚を最大限まで研ぎ澄ませる。世界の色が濃くなり、佐藤、黒のフロース、黒のフロースが使役する影の動く先がすべて視えるようになる。


 先に佐藤が地面を爆ぜさせ、そのままの勢いで黒を空中へと蹴り上げる。僕もそれに続き、打ち上げられた黒を剣で力いっぱい地面にたたきつける。が、男は意にも介さずに起き上がった。


「次は俺の番だぜぇ!」


 黒は影で自分を弾き、一気に僕との距離を詰める。影で攻撃してくると思っていた僕は反応が一瞬だけ遅れた。そしてその一瞬で距離はゼロになり、黒は圧倒的な膂力で僕を薙ぎ払う。どうにか剣で受け止めたが、僕は吹っ飛び、植え込みに突っ込んだ。


「素であの威力かよ……」


 だが一度わかれば、対処はできる。


 黒は僕を吹き飛ばし、佐藤へと標的を変えている。佐藤は催眠をかけているが、黒の膂力にはかなわない。


 僕は剣を黒と佐藤の間に向かって全力で投げる。それを追って僕も黒にとびかかる。黒は咄嗟に剣と僕に気づき、佐藤から離れた。


「面白れぇがもう終わらせてもらうぜ」


 黒はそう言って、腕を高く掲げる。そこには三枚の花弁がある。


「残り全部使ってやる! 俺に力をよこしやがれぇ!!」


 黒の足元の影からどんどんと影が吸い上げられ、黒の掲げた手の先に直径十メートルほどの大きな球ができる。それはすべてを飲み込めそうなほど深い影でできていた。あれに触れれば間違いなく消え去るだろう。


「佐藤、ちょっと下がってくれ」


 こんなところで負けるわけにはいかない。僕は右足を少し引いて半身になり、剣を両手で持って肩に乗せるように構えた。意識を剣に集中させて、影の玉の弱い角度を計算する。


「死ねぇぇぇぇぇ!」


「はぁああぁぁぁ!」


 黒の掲げた手の先から影の玉が撃たれ、同時に僕の剣からは白い光が放たれる。二つは空中で一切交わることなくぶつかる。僕の剣から放たれた光は大きな影の塊を飲み込み、そのまま跡形もなく消滅した。


「は?」


 残りのすべての花弁を使った攻撃を消された黒は間抜けな声を漏らした。それもそうだ。黒は三枚使ったのに対して僕は一枚しか使っていないのだから。僕の花弁で聖剣が作れなかったら、僕も佐藤も影に飲み込まれていただろう。


 僕はすぐに黒との距離を詰めた。黒は圧倒的な膂力で殴ろうとしてくるが、先ほどまでの威圧感はまるでない。僕は体を沈ませて、それを躱した。

 ここで剣を振れば間違いなく黒は死ぬ。僕は絶望すると人間はこんな顔をするのかと思っていた。


「待って、栄君!!」


 僕の剣が黒の首をはねようとした瞬間、佐藤の声が僕の頭蓋に響いた。振りかけていた腕が咄嗟に止まる。僕の動きが止まったことにより、黒のパンチが僕の顔面に入り、佐藤の方まで転がった。


 それで少し頭が冷えた。僕はこの戦いに勝たなければいけないが、何も必ず殺さなければいけないわけではない。黒は残りの花弁を使うと言ってあの影の球を作り出した。黒はそこでハッタリを利かせられるような人間には見えない。そうなるとこの戦いは終わったも同然だ。


「ごめん佐藤。頭に血が上ってた」


「いえ、いいわ。私も危ないとこで呼び止めてごめん」


 僕は剣を地面に置いたまま立ち上がり、肩で息をしている黒に話しかける。


「もう終わりにしないか。僕は人殺しがしたいわけじゃない。この戦いには勝てればいいんだ。わざわざ命を奪うようなことはしたくない。君だってもうわかってるだろ?」


「はぁ、はぁ、うるせぇよ! いまさら俺に尻尾巻いて逃げろって言うのか!?」


「そうだよ。尻尾巻いて逃げろよ。こんなことに命を懸ける必要はないんだから。もうこれ以上、僕に奪わせないでくれ……」


 危なかった。佐藤の声がなかったら僕はまた確実に人を殺していた。そう思うと体と声が震えた。

 よっぽど僕はひどい顔をしていたのだろう。黒は降りしきる雨の中、同情したような目をしてから何も言わずに立ち去った。


 これでひとまずこの戦いには勝ったわけだが、喜びや達成感は全くなかった。

 戦いが終わったと判断され、僕の手の中にある剣が光の粒子になって霧散していく。


 緊張が解け、どっと体の力が抜けた。青を追いかけまわし、橋を飛び越え、黒と戦ったのだから仕方ない。しかし雨が降っている外で休むわけにもいかない。春になりかけとはいえ、雨に濡れればそれなりに寒い。


 振り返った瞬間、くしゃみが聞こえた。佐藤が体を震わせている。


「悪い。寒いな。早く帰ろう」


 僕は着ていた上着を脱いで佐藤にかける。


「え? い、いいの?」


「大丈夫だよ」


 もちろん寒くないわけはないのだが、男ならば好きな女の子が寒がっていたら服を貸してあげなければいけないと相場が決まっている。こんなことをしたことはもちろんないが、はじめてにしてはそれなりに自然にできたのではないだろうかと思った。

 上着一枚じゃ大して変わらないだろうに佐藤はぎゅっと強く袖を握りしめた。


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