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ディーレクトゥス  作者: えのきだけ
14/17

戦う理由

 明るい陽射しで僕は目を覚ました。空は憎たらしいくらいの快晴で、何かの鳥のさえずりが聞こえる。地面がざらざらしていて硬く、腰が痛い。どうやら昨日、あのまま校庭で眠っていたらしい。しかし、僕の体には上着のようなものがかけられている。それに校庭の真ん中で眠ってしまったはずなのに今いる場所は昇降口の近くだ。


 不思議に思いつつ、体を起こすと、その理由が分かった。昨夜、父さんと話したあたりの段差に蹲るように体を小さくして眠っている佐藤がいる。それと同時に佐藤が帰るときに言ったことを思い出した。


「約束破っちゃったのか……」


 思考するのが億劫になるほど体が重い。僕はとりあえず体にかかっている上着を佐藤にかけ、起こさないように隣に座った。


 佐藤は寝づらい環境だろうにとても穏やかな顔で眠っている。僕は思わず佐藤の頬に触れた。ただ何の意味も理由もなく。やわらかい。


 これ以上は起こしてしまうと自重し、ため息を一つ。時間を確認しようとポケットを触るも、昨日、家に置いてきたことを思い出す。校舎に付いている時計はもちろん動いていない。この太陽の位置だとだいたい十一時くらいだろうか。


「僕は何時間寝てたんだ……」


 呆れてしまう。フロースが少なくなっているとはいえ、こんな広いところで堂々と寝るなんて──


 ──いや、そんなことはわかったうえで、そうしたのかもしれない。そのまま誰かに殺されて、起きることがなかったとしてもこれ以上、悲しまなくて済むから。考えることすら、きっとできなくなるから。


「はぁ……やめよう」


 朝の冷たい空気を肺に送り込み、大きく伸びをする。冷たい風が心地いい。


「瑞樹は大丈夫かな?」


 佐藤は相変わらず安らかに眠っていて、死んでしまったのかと心配になってしまう。しかし呼吸のたびに膨らむ背中を見て、安堵するのを何度も繰り返している。


「佐藤、風邪ひいちゃうよなぁ……」


 いくら上着をかけているとはいえ、冬に外で寝ていたら風邪をひいてもおかしくない。家に帰らせてあげたいが、起こすにはもったいないくらい気持ちよさそうに寝ている佐藤。


 背負って帰るのは倫理的に大丈夫なのだろうか……?


 僕は十分ほど考えてから、佐藤が風邪をひくのはよくないということで背負って帰ることにした。

 佐藤はすごく華奢で軽くて、やわらかかった。こんな小さな体で明人と黒のフロースから僕を守ってくれたと思うと、涙がこぼれそうになってしまう。思えば、人を背負うのは初めての経験だ。これまで友達と言える人は小学校以来いない僕にとって、それはとても貴重な体験だった。


「佐藤のおかげで、いろんな初めてを体験してるなぁ、僕……」


 佐藤の家までは歩いて三十分ほどかかる。僕は背中に当たるやわらかいふくらみを意識しないように、静かな町を眺めながらゆっくりと歩いた。が、意識しないようにという考えがすでに意識していることに気づき、だんだんと鼓動が逸る。


「何考えてるんだ……」


「ん……あぁ、あれ?」


 そんなことを考えている自分に嫌気がさしてきたのと同時に佐藤が目を覚ました。


「え? あ、佐藤、おはよう……」


「あ、うん。おはよ。あの……私なんで栄君におんぶされてるの?」


「い、いや、起きたら、佐藤寝てたんだけど、これ以上寝てたら風邪ひいちゃうなって思って、起こすのももったいないから、一緒に家に帰ってるだけだよ」


 照れながら聞かないでほしい。僕は顔を赤らめている佐藤にさらっと経緯を説明した。


「あ、そうなんだ……って起こせばいいじゃない!」


 まぁ、そうなるよな。

 佐藤が僕の背中から降りようと暴れ始める。


「佐藤、疲れてるから、あんなぐっすり寝てたんだろ。それに……約束も破っちゃったし。それの謝罪も込めてだよ。だから暴れないでくれ」


「そ、そうよ。結局帰ってこないんだから。まぁ、そういうことならこのままおんぶされてあげるわ」


「そうしてくれると助かるよ、お姫様」


 ひとまずこの状況の正式な許可を得たところで再び足を進める。どうやら佐藤はまんざらでもないらしく、うとうとしてしまっている。耳にかかる寝息がくすぐったい。


 そんな幸せな散歩も家に着いたら終わってしまう。


「佐藤、着いたぞ」


「ん。あ、ありがと……」


 僕の背中から降りた佐藤が欠伸をしながら、鍵を取り出しドアを開けた。

 瑞樹は特に気にする風でもなく、相変わらずの間延びした声で「お帰りぃ」と言ってきた。 


「ああ、ごめんな。昨日は遅くなっちゃって」


「私寝ちゃってたから覚えてないわぁ」


 そういえば父さんとの話が始まってすぐ、瑞樹はぐっすりと寝てしまっていた。瑞樹のことだからわざと寝ていたのかもしれない。まだ小さいのに随分としっかりしている。


「さ、時間もちょうどいいし、ご飯食べよっか。私作るね」


「ああ、ありがと」


 佐藤は嬉しそうにキッチンへと向かった。どうやらもう眠気は去ったらしい。


 何をするでもなく、時計を眺める。止まることはなく、一秒ごとに針が進んでいく。僕は時計と一緒に時を刻みながら、瑞樹に言った。


「瑞樹、紫はいなくなったわけだけどどうする? 僕や佐藤と居たら、また昨日みたいに戦いに巻き込まれる可能性がある。瑞樹の安全を考えるなら、家に帰るのが賢明だ。皮肉なことにこの戦いで病気が治ったんだろ? 瑞樹は未来がたくさんあるんだし、家に帰って今までできなかったことを楽しくやるのも一つの手だぞ」


「うーん、そうねぇ。確かに病院はつらかったわぁ。退屈で退屈で何にもすることがないんだものぉ。だから外に出たときはすっごく楽しかったわぁ。お兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒にいるときもすっごく楽しかった。ま、お兄ちゃんがそういうなら、そうなんだろうなぁ……一つ聞いていい?」


 瑞樹は不意にすべてを見透かすような眼をすることがある。


「いいぞ」


「私には未来がいっぱいあるって言い方、お兄ちゃんにはないみたいじゃなぁい?」


 どうやら無意識にそんな言い方になっていたらしい。僕は視線を瑞樹に戻す。


「そんなつもりじゃない。言い方が悪かったね」


 瑞樹が不服そうにふぅんと言うと、ちょうど料理が完成したようでいいにおいが漂ってくる。


「さ、ご飯もできそうだし、食べよっか」


「はぁい」


「お姉ちゃん、私、お家に帰るわぁ」


「どうしたのよ、急に」


 佐藤は全く予想していなかったのか驚いた顔をしている。しかし瑞樹はそれを気にせずに続ける。


「昨日のせいとかじゃないけどぉ、お兄ちゃんとお姉ちゃんがこの戦いで勝とうとしたときに私は邪魔でしょぉ? それにせっかく病気も治ったから私も普通の生活を楽しんでみたいからって感じかしら。それにぃ、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、お家に私がいたら邪魔でしょぉ?」


 僕と佐藤は同時にむせた。この子は何を言っているんだ。


 真面目な顔をしていたはずなのに、瑞樹の顔はにやにやしていた。僕は慌てて口元を袖で拭いなが

ら、


「瑞樹、年上を馬鹿にするものじゃないぞ」


「あはは、ごめんなさぁい」


 瑞樹はいつもの年相応の笑顔に戻り、「美味しいわぁ」なんて言いながら三人で食べる最後の食事を楽しみ始めた。

 最初は慣れなくてこぼしていた瑞樹だったが、もうこぼさずに綺麗に食べていて、佐藤が少し退屈そうに見守っているのが微笑ましい。


 楽しい時間が過ぎ去るのは本当に早いとしみじみ思う。食べ終わるころは、まだ三十分と経っていないと思っていたが、時計の短針は既に一周している。


「お姉ちゃんのお料理はとっても美味しかったわぁ!」


「今度、時間があったら教えてあげるわよ?」


「うーん、食べるのは好きだけど、作るのは面倒だから遠慮するわぁ」


 瑞樹は苦笑いしながら、丁重に断った。確かに瑞樹が料理している姿はなかなか想像できない。


 食休みを終え、佐藤が瑞樹の目線に合わせて言った。


「名残惜しいけどそろそろ行こっか」


「そうねぇ、準備も終わったし」


「じゃ、行くか。最後の散歩だな」


 佐藤の家を後にし、一昨日と同じ道をたどる。やはり瑞樹は外の光景の一つ一つを楽しんでいる。空が晴れているだけで、風が吹くだけで、ハトを見つけるだけでいちいち、目を輝かせている。きっと僕や佐藤にとっての当たり前は、瑞樹にとっては当たり前ではないのだろう。病院という小さい世界にいた瑞樹にとってこの世界はあまりに大きくて広い。


「お姉ちゃん、お空ってなんで青いのぉ?」


「それはね、太陽の光がお空でバラバラになって、私たちに見えるのが青だからなんだよ」


「うーん、よくわからないわぁ。じゃあ、雲に乗ったことはある?」


 佐藤が僕に目線で助けを求めてくる。雲には乗れないけど、そのまま言うのはちょっと可哀想だな。


「僕や佐藤は乗ったことはないけど、瑞樹が大人になるころには乗れるようになってるかもしれないな」


「なんだぁ。お兄ちゃんもお姉ちゃんも乗ったことはないなら、一番最初に乗るのは私かもしれないわね!」


 一通りの疑問が解消したのか、瑞樹は別の未知を探しに駆けだす。僕と佐藤は高校生で本来、体力がかなりある時期なのに瑞樹と一緒にいるとすぐに疲れ果ててしまう。

 その小さい体で駆け回る姿を見ていると罪悪感に押しつぶされそうになってしまう。


 瑞樹の家は古めかしい典型的な和風な小さい家だった。玄関は引き戸で、いくらこの辺りが田舎といっても珍しい。そのせいか瑞樹の家は見てるだけで心が温かくなるような気がする。


「瑞樹のおじいさんとおばあさんは家にいるのか?」


「わからないわぁ。だけど鍵は持ってるわぁ」


「そっか。ま、ここでお別れかな」


「えー、中に入ってくれないのぉ?」


 佐藤が膝をついて、瑞樹に目線を合わせる。


「栄君も入りたいのは山々だと思うけど、瑞樹のおじいさんとおばあさんに変な心配をかけちゃうかもしれないからね。それでも会えなくなるわけじゃないから」


「じゃあ、しょうがないわねぇ。お姉ちゃんのお料理また食べたいわぁ」


「ええ、いいわよ。この戦いが終わったら、一緒に作ろうね」


「私は作るんじゃなくて、食べたいわぁ」


 佐藤が瑞樹を優しく抱きしめた。目には涙を湛えている。瑞樹は照れくさそうに「苦しいわぁ」と言っているが、佐藤と同じように少し泣きそうになっている。


「じゃ、バイバイ!」


「ええ、また今度遊びましょぉ」


 瑞樹は一度、僕と佐藤に手を振った後は振り返らずに元気に家の中へと消えていった。


「帰る?」


 佐藤が瑞樹に手を振り終わり、振り返る。僕は瑞樹がいるからと張っていた糸が限界に来ていた。


「ごめん。ちょっと付き合ってくれないか……」


「よかった。言ってくれて」


「……よかった?」


「うん。つらいときに助けを求めてくれてよかった。さ、行きましょ」


 佐藤はまるでこうなることがわかっていたように、笑顔で僕の手を引く。僕が佐藤にされるがままに着いて行っていると、佐藤が唐突に振り返り「そういえばどこ行くの?」なんて言っていて、少し心に余裕ができた。


「ゆっくり話がしたいから、土手でいいか?」


「わかったわ。土手ね」


 佐藤はそのまま僕の手を引き土手へと向かった。


 土手には学校が終わったであろう小学生や、散歩をしている老人が歩いていて、脇にある木にはすでに桜の花が付き始めている。


 人が少ない場所に僕たちは腰を下ろした。心地いい風が佐藤の髪を揺らす。


「さ、話してみなさい」


 佐藤が川を荒川を眺めながら、優しく問いかけてくる。僕は佐藤と同じように川を眺めながら、ゆっくりと音をこぼすように話し始めた。


 昨日のことを思い出すと悔しさと信じてた父さんに裏切られた悲しさで涙がこぼれてくる。


「……昨日、佐藤が帰った後、もし僕が父さんのために花を使わなかったらって聞いたんだ。そしたら、父さんはこの世界を滅ぼすって言ったんだ。そんなことは絶対にあっちゃいけない。それにそのあと、父さんの挑発に乗って戦って負けたんだ」


「そっか……」


「僕が戦うことを決めたのは、明人みたいに人間を殺そうとする人に勝たせないためだったんだ。その明人はもういない。残りのフロースは僕、佐藤、青、そして昨日来た黒だ。青は臆病そうだから勝ったとしても、人間を消すみたいなことは言い出さないと思う。黒だって、僕の腕を吹っ飛ばしたのは、ただこの戦いに勝つためなのかもしれない。僕にはこの戦いに勝つ理由がない。それにこの戦いに勝ったら、父さんに協力しなきゃいけない。しなかったら……みんなが殺されちゃう──それでも僕は父さんに協力できない……」


「それは栄君のお母さんがお父さんのせいで殺されちゃったからだよね……」


「うん。でも僕は復讐のために戦うことはできないんだ。僕は弱いから、目的があって、それのため

っていう免罪符がないと戦えない──それに僕が負けた場合、僕はきっと父さんから佐藤を守れない……僕はもうどうすればいいかわからない」


「そっかぁ」


 佐藤は僕の話を聞いていたはずなのになぜかにやにやしている。


「ど、どうして笑っていられるんだよ」


「ごめんごめん。だってこうやって私に相談してくれるってことは、まだ諦めてないんでしょ? さて、じゃあ迷える栄君にお姉さんが知恵をあげよう!」


 佐藤は僕の正面に座りなおし、小さい子を諭すようににぴんと人差し指を立て、そのまま立てた人差し指を僕の鼻先に突き付けた。


「一つお話をしてあげよう! 私はさ、別にいつ死んでもいいと思うんだ。ただ、その瞬間が楽しければ。後悔がなければ。だってさ、生きる意味なんてものがあったら、学校でも教えてると思うし、探すために生きてるなんてありきたりな考えもただの屁理屈みたいなものだって私は思うの。生きる意味を探すことが生きる意味なんておかしいでしょ? だから私はやりたいことを思う存分やって、生きることを楽しまなきゃいけないと思う。人間の平均寿命がだいたい八十歳くらいだけど私たちがそこまで生きていられる保証なんてどこにもないから、やりたいことをやって、死ぬときに幸せだったって思えたらいいなって。で、私はまだ満足してません! だから私はまだ死ぬわけにはいかない。栄君はさ、やりたいこととか、楽しいこととかないの?」


 このときの佐藤は小学生を優しく叱りつける先生の様だった。僕は原っぱの斜面に体を倒した。後頭部には葉の感触があり、目前には吸い込まれてしまいそうな空が無限に広がっている。


「僕のしたいこと……」


「そ、したいこと」


 僕のやりたいことって何だろう? 今まで心からしたいと思えたものはあったっけ? 僕は自分に問いかける。確認するように、間違えないように。そうしてたどり着く答えは一つだった。


 体を起こし、待ってくれていた佐藤を正面から見据える。


「僕は……佐藤と一緒にいたい」


 その言葉を聞いた佐藤は目を見開き少しだけ髪をいじって照れ隠しをしてから、真夏の太陽のような満面の笑みを浮かべた。


「はい、よく言えました」


 手をパチンと鳴らした佐藤は、真剣な顔になって言った。


「じゃあ、ここからは未来の話。私は話は聞くし、できることなら手伝うけど決めるのは栄君だよ。まずはこの戦いをどうするか。栄君は人間を滅ぼすような人とは戦うんでしょ?」


「あ、ああ」


「栄君がこの戦いで戦ったらどうなるか。戦わなかったらどうなるかを考えましょ。戦わなかった場合、栄君のお父さんはこの世界を滅ぼすかもしれない。それに……自分が動けば防げる犠牲を防がないという選択はあってはいけないって言ったのは栄君だよ?」


 そういえばそんなことを言ったかもしれない。僕は母さんの最後に言葉は自分の発言には責任を持て、だったことを思い出した。


「戦う場合、この戦いに勝つのは絶対条件で、本題はそのあと。栄君がお父さんのためにポテンティアを使うか、それを無視して別のことに使うか。お父さんのためにポテンティアを使ったとしたら、この世界に一人、女性が現れるだけ。だけど栄君はそれが許せない」


「でも、そうするしか……」


 段々と自分が子供らしくて恥ずかしくなってきた。それに父さんに従えば、一番平和なはずだけど、母さんを殺されたからという理由で従わずにこの世界を滅ぼすことになったら。僕がこの悔しさを我慢すれば一番平和に収まるはずということはわかっているが、それができない自分が幼稚でもどかしい。


「話を最後まで聞きなさい。もし、栄君がお父さんのために花を使ったとして、それで栄君が後悔しないならそれでもいいと思うわ。ただ私はやりたいことをしたいし、やりたくないことはしたくない。たとえ世界がかかってたとしてもね。さっきも言ったけど、私にとって生きるっていうのはそういうこと。あえてこう言うけど世界なんかのために自分の意思を曲げちゃいけない。わかった?」


「う、うん」


 佐藤の勢いに気圧されて、頷いてしまった。それを見た佐藤は穏やかに微笑み、こう言った。


「じゃあ、もう一つしかないじゃない」


 佐藤の言い分だと僕は父さんと戦う。


「だけど、僕は昨日、父さんに負けたんだ。剣も折られた……」


「──栄君がさ、この世界を守りたくて、そのために戦わなきゃいけないならそうすればいい。別に戦わなくて世界が滅びたとしてもそれは栄君のせいでも何でもない。でも私は栄君はお父さんとけじめをつけなくちゃいけないと思う。そして、お父さんに勝つ方法を探るのは私じゃなくて栄君じゃない。私も一緒に戦うからさ──それでもまだ勇気が出ないならさ……わ、私を守るために戦ってよ。私と一緒にいたいんでしょ?」


 風が強く吹いた気がした。その風は強く、しかし優しく僕の体を貫いて、まるで体の中身が変わったみたいだった。

 視界に映るすべてがさっきよりも色鮮やかに見える。空も、草も、木も、雲も、人も。そのなかで佐藤だけは変わらない。ずっと佐藤だけは色鮮やかに写っていたのに僕が気づいていなかった。


 そうだ。父さんとけじめをつけるために戦おう。世界を守るために戦おう。自分のやりたいことをしよう。


 佐藤を守るために、一緒にいるために戦おう。


「まいったな。佐藤には助けられてばっかりだ」


 佐藤は僕の横に座り、可愛らしく、僕の顔を覗き込んで笑顔を浮かべた。


「私も栄君に助けられてるからね。これからも困ったことがあったら私を頼りなさい!」


 本当に佐藤には頭が上がらない。何度助けられれば、救われれば僕は気が済むのだろう。このときの佐藤は、本当に輝いてるみたいに眩しかった。佐藤だけは僕の全部をかけても死なせてはいけない。僕は静かに心に誓った。


「せっかくだしちょっとだけ遊んでいこっか」


「そうだな」


 僕は立ち上がって佐藤に手を差し伸べた。佐藤は少し驚いた顔をしてから、照れくさそうに「ありがと」と言って立ち上がった。


「さ、行こ!」


 佐藤に手を引かれ、着いた場所はいつか佐藤と来たショッピングモールだった。平日ということもあり人はそこまで多くない。佐藤は僕の手を離さずに眩暈がするほど多いお店を迷うことなく順番に回っていく。


 僕は以前来たときも佐藤に励ましてもらっていたことを思い出す。あのときも僕の折れた心を佐藤が労って癒してくれた。佐藤がいなかったら今頃、僕は生きていなかっただろう。


 佐藤がもう何店舗目かわからないお店に入り、僕が外で待っているとき、ふと花屋さんが目に入る。この戦いが終わったら、佐藤に花を贈ろう。そんなことを考えていると、お店の中から佐藤の声が聴こえてくる。


「栄君! ちょっときてー」


「あーい」


 お店の中に入ると、試着室の中に佐藤はいた。


「どう? これ」


 佐藤はピンクのワンピースを着て、くるりと回って見せた。普段、佐藤は黒やグレー、白なんかの服とズボンを着ているから、僕はかなり驚いた。


「に、似合ってるよ」


 とても似合っている。まるで花みたいに華やかで可愛い。見たことのない佐藤の姿だからとてもかわいく見える。


「そう? ふふ、ありがと」


 きっと僕は僕が感じているこの衝撃の一割も言葉にできていないだろうに佐藤は嬉しそうにカーテンを閉めて着替え始める。

 数分もしないうちにカーテンは開き、今度は無地のトレーナーにロングスカートのカジュアルな服装だった。可愛い。


「か、可愛いよ」


 慣れてない言葉だから詰まってしまう。このときほど自分の語彙の少なさを呪ったことはない。この後も佐藤のファッションショーは数店舗にわたり続いた。僕は結局ずっと、佐藤の期待するような返答は言えなかったと思う。


 帰るころには時間は六時頃になっていた。本来、僕は買い物には興味はほとんどなく、お店を回る楽しみもわからないが、楽しんでいる佐藤を見ているのは楽しかったから、時間があっという間に過ぎた。一時間ほどかかる佐藤の家までの道のりを僕たちはゆっくりと話しながら歩いた。


「私、こういう空、好きなんだよね」


「僕も好きだな」


 自分でも東の藍色の空と西の夕映えの空が混ざっているようなこの景色を好きと思っていることに驚いたが、これは紛れもなく本心から出たものだった。今思えば、この昼と夜が混ざったような空が気に食わなかったのは、綺麗である存在自体が嫌いだったのかもしれない。それはいつかは壊れて醜くなっていってしまうから。この空もすぐに夜になってしまう。


「学校から帰るときって、この時間が多かったな。僕、この空が嫌いだったんだ。だけど今は素直に好きって思えた。多分、これも佐藤のおかげなんだ」


「ふふ、そっか」


 何でもないようなことのはずなのに佐藤は嬉しそうにしている。それが不思議でどんどん佐藤のことを知りたくなってしまう。昔の僕からは考えられない。佐藤が僕のことを変えていっているんだろう。


 夜がだんだんと更け、少し風が出てきた。街には仕事が終わったであろう大人が行きかっている。その中で公園から佐藤の家に向かっていると、急に佐藤が空を見上げて、


「栄君さ、星って好き?」


「考えたこともなかったな」


「ほら、栄君も見上げてみて!」


 言われた通りに夜空を見上げてみる。真っ暗な空にいくつもの星がちりばめられている。そもそも夜に家以外にいることがほとんどなかったせいで夜空を見上げる機会がなかった。機会があっても見上げることはなかったかもしれないが。

 でも、


「綺麗だな」


「星ってさ、何百光年も何千光年も何万光年も離れていてさ、私たちが視てるのは何年も前の星ってことじゃん? なんか過去を視てるって感じがしてさ、よくない?」


 なるほど。厳密にいえば、目の前にある物質でも、何千億分の一秒前なのだが、何年も前のものは天体くらいしか見られないだろう。この今見えている光も父さんがいた時代のものと考えると、佐藤の言うように神秘的かもしれない。


「ポラリスだけは知ってる」


「へ―、北極星かー。いいね! なんか見守ってるみたい。なんでそれだけは知ってるの?」


「僕の好きなアーティストの曲名の中にポラリスがあったんだ。それで調べたけど見ようとしたことはない」


 佐藤が北にある明るい星を指さす。僕と佐藤は一緒にその指の先を視る。


「ほら、あれがポラリスだよ」


 どうしてかはわからない。ただ佐藤が指をさしてる星を見ただけ。そのはずなのに僕の目からは涙があふれていた。ただこの現状、風景が、好きな曲と似通っていたからかもしれない。これも佐藤から与えられたものの一つになった。


 佐藤はポラリスを見上げていて、僕の涙には気づいていない。今の内と僕は涙をぬぐい、佐藤の手を取った。


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