戦いの真相
久遠明人と黒い光は跡形もなく消えていた。
「栄君! 大丈夫?」
「ああ、まぁ、なんとかな。佐藤も瑞樹も無事か?」
「ええ、無事よ。瑞樹は昇降口の所にいるわ」
「そうか。よかった──佐藤、ありがとな、助けてくれて」
僕は改めて佐藤の方へ向き直る。佐藤の顔はどこか誇らしそうだった。
僕の手にあった黒い剣は役目を終えたからか消えていた。それと同時に『賢者』の反動が押し寄せてきて僕はよろつく。
「ちょ、ちょっと大丈夫じゃないじゃない!」
佐藤と瑞樹が急いで僕に駆け寄ってくる。
──それは僕に駆け寄る二人には見えていない。
「だめだ! 僕から離れろ!」
「「え?」」
校門の方から伸びる黒い影のようなものが、僕が顔だけは守ろうと出した右腕を貫いて、校門の方へと戻っていく。
目の前には誰かの肘から先の右腕が宙を舞っている。そのあとに自分の右腕を見ると肘から先がついていなかった。
「は?」
駄目だとは思っても頭がこの状況を理解してしまう。
謎の黒い影が自分の右腕を切断した。
「ッああああああああああああああああああああああああああ!!」
理解してしまったことで全身に激痛が走り、頭が混乱する。僕は蹲って、血が出ないように腕を抑えることしかできない。
「あ、さ、佐藤……影には……触るな」
「ええ、栄君、ちょっと待ってて。すぐにあいつ殺して栄君を助けるから」
佐藤の声には純粋な憤怒しか含まれていない。佐藤は純粋な敵意を醸し出しながら、校門に立っている圧倒的な威圧感を持つ男に臆することなく近づく。
今までのフロースと明らかに違う雰囲気。顔は見るだけで嫌悪感を抱かせ、体躯は筋肉質で紫のフロースが変身した恐竜よりも恐怖感を与える。まるで獰猛という単語を人間にしたような男だった。
その男から佐藤に向かって数多の影が伸びた。が、佐藤はその悉くを躱しきった。
佐藤のスピードは明人と戦っているときより数段速かった。しかし、その分、佐藤の動きは狂人になってしまった明人に似通う部分が多い。
そこからはあまりに壮絶だった。佐藤へと情け容赦ない影が伸びるがそのすべてを躱しきって男に近づこうとしてもまた別の影に阻まれてしまう。まさしく実力伯仲の戦いだった。
影を躱し、近づこうとしては別の影に阻まれる。それをもう十数回も繰り返している。そんな状況で遂に影に綻びができた。佐藤は小さな影の隙間を縫って怪獣のような男に接近して、佐藤の手が男に触れる。
「ブバルディアの花弁よ、汝の力、今こそ我に授けよ」
佐藤は男に振れた状態で、心臓を操れるようになる花弁を発動した。触っている状態ならば、恐竜だって虎だって、もちろんどんなに屈強な人間だって心臓を止めて殺すことができる──はず。
しかし、男が倒れることはなかった。動揺で生じたわずかな隙に男の蹴りで佐藤の華奢な体が僕と瑞樹の方まで飛ばされる。
「ははは、残念だったな。筋はいいがそれじゃあ、俺を倒すことはできねぇよ」
「どういう仕組みよ。あなたの心臓は止まってるはずなのに」
「なぁに、簡単な話だ。俺は能力で希望がある限り負けねぇんだよ。つまり誰も俺に勝つことはできねぇってこったな」
男は不愉快極まりない笑い声をあげている。
「さぁ、あそこで寝っ転がってる男ももうじき死ぬだろ。嬢ちゃんも死んじまいな」
耳障りな笑い声をあげている男が手を広げ、影が伸びてくる。と思ったが影が佐藤を襲うことはなかった。それもそのはず日が沈み影がないのだから。
「いつの間に……」
「チィ、しらけちまった。どんだけ田舎なんだよ。今どき夜になっても影は消えねぇぞ? くそ、もういいや。俺は帰る。お前らは勝手に野垂れ死んどけ」
「待て。お前は私に殺されるんだよ」
佐藤は今にもとびかかりそうな気配を発している。
「ほう、別に追いかけてもいいがその時は決死の覚悟をして来い。それに放っておいたらそこの男が死ぬぞ。まぁ、もう手遅れかもしれねぇがな」
そう言い残し男は笑い声をあげながら堂々と背を向けてどこかへ行ってしまった。
心配そうに佐藤が僕に駆け寄ってくる。
「栄君、大丈夫?」
「な、泣くなよ……大丈夫だから……」
僕はなけなしの力を振り絞って、佐藤の頬を伝う涙を左手でぬぐった。しかし、佐藤はますます泣いてしまう。
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 待ってて! すぐに救急車呼んでくるから!」
「いや、それは不要だ」
佐藤の後ろにはいつからか黒のロングコートを着た男がいた。男の声は何かの細工でとても機械的だった。僕はその姿にどこか既視感を覚えていた。
「あ、あなたは前の……」
どうやら僕が以前に腹に穴をあけられたときに助けてくれた人と同じ人のようだった。あんな傷を一体どうやって直したんだろうと僕はぼんやりと思っていた。
コートの男は僕の腕を一目見た後、唐突にただ僕の右腕に触れた。すると驚くことに一瞬で腕が元通りになった。
「え?」
さっきまでの激痛はなくなっていて、傷口すらもなくなっている。少し遠くに落ちていた僕の右腕は消えていた。
「もう大丈夫だろう。はやく帰れ」
そのまま何の説明もせずに立ち去ろうとする男を僕は呼び止めた。
「ま、待ってくれ。この前も僕を助けてくれただろ。あなたは一体誰なんだ? どうして僕を助けてくれるんだ?」
「……知らない方がいいこともあることを知った方がいい」
そう吐き捨てて、男は再び足を進める。
僕は心の奥ではわかっているけど、あえてそれを気づかないふりをしている自分が嫌になった。違っていたらその時はその時だ。
「……もしかして、父さんか?」
「違う」
男は即答し、フードの奥の目を光らせて、僕を睨んだ。それが逆に僕に確信を持たせる。
「久遠明人が校門の方を見て狂人になったんだ。明人は父さんを恨んでいた。それに声と顔は隠せても背格好は隠せない。なんで父さんがこの戦いのことを知っているんだ?」
「はぁ、あいつにここまで迷惑をかけられるとはな……」
男は観念したのかコートを脱いで声を戻した。その顔は正真正銘、僕が四年前に殺そうとして、逆に僕を救ってくれた父さんだった。
「なんで……」
「それは俺がお前の傷を癒したことか、それともこの戦い自体を知っていることか?」
父さんは昇降口の段差に腰を下ろした。僕と佐藤と瑞樹も同じように座る。
「どっちもだ。本来、フロースじゃない人間はこの戦いを知らないはずだし、能力も使えないはずだ。なのになんで父さんが能力を使えるんだ?」
知りたくない。だけど聞かないわけにもいかない。受け入れなきゃいけない現実があることを教えてくれたのは紛れもない賢一なのだから。
「まぁいいか……」
父さんは一度、深いため息をついてから話し始めた。
「まず、俺がこの戦いを知ったのは文献があったからだ。この戦いは以前にも行われていたんだ。俺が一佐の傷を治したのは、ポテンティアが開花する前の蕾の状態の葉をちぎって使った。それだけだ」
僕は胸を締め付けられるような痛みを感じていた。
父さんは嘘をついている。そしてこの質問をしたら今までの普通の父子の関係でいられなくなることを僕は確信していた。
「嘘をつかないでくれ。なんで母さんが殺されたときに、父さんは花弁を使わなきゃ出せない黒い剣を出してたの? そしてその剣が僕の手の中にできた後に父さんが現れた。これはたまたまなの?」
父さんは再び長いため息をついた。それから手を組み、ゆっくりと話し始める。
「そこまで思い出してるとはな。まぁ、いい。すべてを話してやる──だが、それなりの覚悟はしておけ」
こんな質問をしたが、僕はどんな話が飛び出すのか全く見当がついていなかった。ただ間違いなく聞いたら何かが変わるのだろう。それだけはわかる。
「わかった。話してくれ」
「まず、俺は現代の人間じゃない」
「……は?」
思っていた話と全く違う角度の話で理解が追いつかない。ふざけているのか、本当のことなのかもわからない。
「な、何言ってるの?」
「言葉の通りだ。この戦いは以前にもあったと言っただろう。あれは本当だ。俺がいて、文明が栄えていたのは紀元前七世紀ごろだ。ポテンティアやフロースといったラテン語がつかわれてるのは当時ラテン語が話されていたからだ。その文明はとても発展していた。現代のどの国も比べ物にならないくらいな。俺はその時代の人間だ。あの時代では寿命というものは存在しなかった。つまり不老不死だ。俺が二千年以上、生きてる理由はそれだ。その時代で馬鹿な科学者がこの戦いの火種、ポテンティアをエネルギーを加工して、作り出しやがった。あの時代でもこのエネルギーの塊は普通ありえない。大きな資源なんかに戦いはつきものだ。そこで科学者たちは優秀な奴に責任を押し付けるために、この花を争うゲームを作り上げた」
「それが……」
「この戦いってわけだ。一佐たちも戦いのルールくらいは知ってるだろ。それは全部科学者どもが考えたものだ。花言葉の能力、花弁はその花の色の物を操れる、花弁の数はその花の花弁の数、とかな」
さっきの文献を見つけたという明らかな嘘よりは信じられる。辻褄もあう。しかしまだ腑に落ちない点がいくつかある。
ちらと僕は佐藤と瑞樹に目を向けた。この話を聞いてどんな反応なのかが気になった。佐藤は僕と同じように驚いている。瑞樹はもう話を聞くことを放棄してしまっている。それで心を少し落ち着けてから気になる点を父さんに聞いて行く。
「フロースになる条件は?」
「世界を変えたいかどうか。ではない。花弁が喋るやつ、あれは人工知能だが、あれには嘘が教えられている。本当の条件は二つある」
段々と話の核心に近づくにつれ、心が警鐘を打ち鳴らし、冷や汗が背中を流れる。
「身近に花があること、親がいないこと、か?」
「そうだ。花の条件が設定されるのは当たり前だが、親の奴は優秀だからという理由だ。哺乳類ってのは親がいて、子が育つ。そいつが成長し、子を産む。そうやって繁殖、進化していく。それは俺の時代も変わらない。だが、科学は時として生命の神秘すらも超越する。つまり、人造人間だ。デオキシリボ核酸を加工し、それをもとにたんぱく質を組み立てる。DNAを加工してるわけだから、もちろん、優秀な人間が生まれるってわけだ。今回でもそうなったのは前回の名残みたいなもんだな」
「どうして嘘なんか教えてるんだ?」
「推測でしかないが、次回以降にこの戦いを行うときに故意に参加者を作らせないためだろうな」
その答えは僕の中で絶対に信じたくない一つの仮説を革新へと変えてしまった。呼吸がうまくできなくてむせてしまう。佐藤が心配そうな目で見てくるが何とか作り笑顔で返す。どんな事実も受け入れなくちゃいけない。
「それで?」
なんとか話の続きを促す。父さんは途端に険しい表情になった後、続きを話し始めた。
「まず、俺は前回の戦いの勝者だ。ポテンティアの所持者と言ってもいい。俺はその手に入れた花を使って、文明を滅ぼした。自分以外の日本の人間を全員殺した。建物から、技術から、文献さえ、すべて消した。植物は強いな。植物さえ、一旦は全部、日本から消えたのに今では、ほとんど同じ種類がそろっている」
「なんで文明を滅ぼしたんだ」
「俺には恋人がいた。彼女は俺にとってすべてと言ってよかった。だが、彼女は俺の戦いに巻き込まれて死んだ。この戦いから逃げるわけにもいかず、俺は無我夢中で戦って、ついに勝ち抜いちまった。するとどうだ。面識もない金持ちどもが何百人と俺にすり寄ってきやがる。人間って生物の醜悪さを垣間見たよ。その瞬間に俺は決めたんだ。こいつらを消さないとって」
「それだけで全員を殺したのか」
信じられなかった。父さんが何千年も生きているということも、文明を丸ごと滅ぼしたと言っていることも。ただ、もしかしたらずっと昔から気づいていたのかもしれないとも思った。ただ忘れていただけで。
「それだけ? お前は見ていないからわからないだけだ。それにあの時代でも死というものはあった。それはなぜか。人が人を殺すからだ。不老不死と言っても老衰しないだけで、殺されれば死ぬ。欲にまみれ、自分のためだけに人を殺す。それが存在していた。それが許せなかった。ただ、そこから、俺が文明を消すまではおよそ、数年かかった」
「数年?」
「俺は強欲だった。傲慢だった。俺は彼女を蘇らせることを最初に選んだ。だけどごみどもはあのざまだ。だから、俺は彼女を蘇らせ、ごみどもを消すことにした。だが、ポテンティアはそんな器用なことは許さなかった。どちらかを選べってな。俺は選ぶことができなかった。彼女を助けても、ごみどもがいたら再び危険にさらされるかもしれない。ごみどもを消しても彼女がいなかったら意味がない。考えた結果、俺はこの戦いをやり直すことにした。それで彼女を守り切って勝ち、ごみどもを消せばいいって。他のフロースの能力もわかっている状態だから負けるはずがなかった。すぐに俺はポテンティアに願って、過去に戻った。が、結局、俺は彼女を救うことはできなかった」
父さんの考えがわかってしまう。僕も一度は全人類を恨み、殺そうとしたのだから。それに、もし、佐藤が誰かに殺され、自分の手元にポテンティアがあったら……
「どうして……」
「簡単だ。運命は彼女を離さなかった。何度繰り返しても彼女は俺の小さい掌から零れ落ちちまう。それでも、三五八回目に彼女を守り切ることができた。運命を変えることはできると思えた。奇跡を信じることができた。だけどそれでも運命からは逃げられなかった。今度はポテンティアを使って文明を滅ぼすなら彼女も死ぬなんて言いやがる。特定の人に使うことはできるが、特定の人以外はできない。そう言いやがった」
「ポテンティアはなんでも願いが叶うって言ってたのに」
「俺は花に頼らずに自分の力で人間を殺そうとした。もう回数的には千回以上、フロースを殺したからできないはずがない。そうしたら花が脅して来やがった。君が博士たちを殺すなら君の恋人も僕の力で消すよ。ってな」
話を聞いているだけなのに苦しくなってしまう。想像できてしまう。それは僕が父さんの息子だからなのだろうか。それでも同情はできない。だって父さんは……
「俺の心は遂に折れた。どうしても彼女を救うことはできない、今回は。俺は気づいた。花が一つしかないから救えない。だったら二つ目を作ればいい。だが俺にそんなことはできない。だから待つことにした。花が再び咲くのを。エネルギーは使えばなくなるが使わなければなくならない。そして花に込められたエネルギーは日本の人間、文明を消してもなくなることはなかった。俺は残った種子をちょうど今の新宿の位置に埋めた。そうすれば地球が生み出すエネルギーを吸い上げ、いつか花開く日が来る。それが今ってわけだ」
「父さんはポテンティアを使って、その彼女を蘇らせるのか?」
「ああ、だが、俺は今回のフロースじゃない。フロースじゃない者がポテンティアを使うことはできない」
「じゃあ、僕が父さんの代わりに彼女を蘇らせるってことか……」
「そうなるな」
体が勝手に震えてしまう。恐ろしい。逃げ出したい。聞きたくない。それでも僕の口は音を発した。
「父さんは僕を意図的にフロースにしたのか?」
「──そうだ」
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。心が波のように荒れ狂う。
──僕は父さんのせいで、高校のみんなを殺され、腹に穴をあけられ、佐藤をさらわれ、腕が飛んだのか。それでも僕は四年前のことをきっかけに父さんを絶対的に信頼し、尊敬してきた。憎めばいいのか、助けてもらったことに感謝すればいいのかわからなかった。
「僕が物心ついたときには家には鬼百合が飾られてた。それはいい。二つ目の条件、母さんが死んだのは偶然だよな……?」
信じたかった。嘘でも否定してほしかった。そうじゃなければ、自分が、人生が、今までの行いのすべてが馬鹿らしくなってしまう。
──しかし、そんな僕の望みは粉々に砕かれた。
「もちろん、母さんを、佐知子を殺させたのは俺だ」
やっぱり。
必死にこらえていた涙が頬を伝う。隣では佐藤が口を押えて、目を見開いていた。
「無くなってしまったものは取り戻せない。って言ったのも、過去の経験を次の選択に生かすことができる。って言ったのも父さんだろ! なんだよ、母さんは取り戻せんのかよ! 大切な人を失う悲しみを知ったんじゃないのかよ……」
怒りと悲しみでとにかく怒鳴った。これが正しい行動なのかも、どうすればいいかもわからない。
そんな僕を父さんは四年前と同じように穏やかな顔で僕を見守っている。今はそれが余計に僕を腹立たせる。
怒鳴り散らかし、漸く少し心が落ち着いた。佐藤は見ていられなかったのか顔を覆ってしまっている。瑞樹はすでに眠ってしまっていて、こんな姿を見せなくてよかったと安堵できるほどの余裕はできていた。
「……ごめん、佐藤。こんなみっともないとこ見せちゃって」
「いいわ、気にすることない。あなたは何も悪くないもの」
上がった熱が冬の雪で段々と冷やされていく。深呼吸してから、敵として父さんに視線を向ける。
「その話を僕にして、ポテンティアを父さんのために使うと思うのか?」
「お前は何に対して怒ってるんだ? もし、それが母さんを殺したことならお前はそれを俺に言えるのか? 数分前に白のフロースを殺した張本人のお前が」
僕の脳裏に死ぬ前の明人の顔が浮かぶ。狂人へとなり果てていた彼だったが、あの瞬間だけは久遠明人に戻っていた気がしていた。その顔は恐怖と安堵が混ざったような複雑な顔だった。目的のために僕は明人を殺した。それを勝手に正当化していたのかもしれない。戦いだからしょうがないのだと。僕が母さんの息子だから父さんが悪いと思っているだけで、第三者から見たら、僕も父さんも変わらないのかもしれない。
「そ、それは……」
「目的のために必要な人間を殺す。やってることは同じだろ? まぁ、彼はあの銀行強盗で両親を亡くして、フロースになったらしいが」
「じゃあ、あなたのせいじゃない!」
我慢ならなかったのか突然、佐藤が割って入った。が、そんな佐藤を父さんは冷ややかな目で一瞥してから、
「話をすり替えるな。俺が原因だろうが、武器を貸そうが、殺したのは一佐だ。その事実は揺るがない」
これ以上は佐藤に負担はかけられない。それに本来、この話は佐藤に関係がない。
「父さん、悪いが、佐藤と瑞樹を帰らせてもいいか。瑞樹なんか寝ちゃってるし、佐藤も疲れてる」
「……まぁいいだろう。話があるのはお前だけだ」
「助かる──ごめん、佐藤。疲れてるだろうけど、瑞樹を連れて帰れるか?」
「待って、瑞樹には悪いけど帰れないわ。栄君が心配だわ」
「佐藤、頼む……」
父さんの話を聞いてから涙もろくなってしまった。佐藤に頼みをするだけなのに佐藤の優しさに涙があふれそうになってしまう。
「……はぁ、わかったわよ。でもこれだけは絶対。ちゃんと帰ってきなさいよ。それだけは絶対に守って。約束よ」
「ああ、わかってる。ごめんな、佐藤」
寝ている瑞樹を起こさないように抱きかかえ、ときおりこちらを振り返りながら帰っていくのを見送る。父さんも佐藤がいるから話しづらいこともあっただろう。気合を入れなければ。
深呼吸をし、頭の中を整理する。改めて、タバコに火をつけようとしている父さんを向き合う。
「僕が父さんのためにはポテンティアは使わないと言ったらどうするんだ。父さんは使えないんだろ」
「ああ、俺はポテンティアを使うことはできない。もしお前がそう言うなら、俺は──この世界を滅ぼしてやるよ」
「そんなことできるのか」
「言っただろ? ポテンティアが開花する前の蕾の状態の葉をちぎって使った。って。お前らが持ってる花弁はあの花のかけらみたいなもんだ。花弁のエネルギーはある程度、形が決まってるから、一つのものしか操れない。だが、おおもとのポテンティアの蕾にくっついてた葉は別だ。形なんかない。だからどんなものでも操れる。傷を治したり、剣を作り出したりな。あの剣は前回の戦いで俺が使ってたやつだが。それに鬼百合の『賢者』は今も俺の中に残ってる」
「僕が戦いに勝てなかったら……」
「そうなったら──この世界に価値はない」
僕は絶句した。実際にこの男は文明を一度滅ぼしている。あの黒い剣は僕が作った剣よりも強かった。それに加え、鈴木明人のように雪も操れ、佐藤のように触れれば心臓を止めることもでき、さらに『賢者』まで持ってる。父さんはこの世界を滅ぼすだけの覚悟と力を持っている。
今後、父さんと話すことはない。わからないところは聞いておいた方がいいだろう。
「いくつか質問をさせてくれ。拳銃を売ってくれたのも父さんだろ」
「ああ。どうやら、取引する奴らは渡す気がなさそうだったんでな。『賢者』があれば大丈夫だと思ったが、万が一がなくもないからな。一応、拳銃だけもらっておいたよ」
「なるほどな。次だ。花弁は本来一つのものしか操ることができない。どうして僕は土も剣も操ることができるんだ?」
「そうだな。人間ってものは不思議なことに大体同じ道をたどっているんだ。ゲームや文学作品、音楽や絵画の芸術は多少の違いはあれどおおよそ内容が同じものは存在する。その文明の進むスピードが俺が滅ぼした方は少し早かっただけのこと。ドン・キホーテっていう文学作品にはこんな言葉がある。『騎士はいずれも、一人または二人の賢人を判で押したように持っていたもので』こんな風に賢者と騎士ってものは切っても切れない関係にあるっていうのが一つ。もう一つは俺の時代に土は畑にしかなかった。だからおなじ鬼百合でも俺が操れたものは胴だった。それが遺伝したのかもな」
つまりは鬼百合だからこんな風に二つを操ることができるらしい。そうなると父さんが鬼百合を用意したのも頷ける。
「じゃあ、この話はフロースの中で僕にしかしてないのか」
「当たり前だろう。他の奴に頼むのなら、お前なんか必要ないからな」
頭に血が上るのを深呼吸で何とか抑える。落ち着け。落ち着け。これも挑発だ。
「残りのフロースは一佐を含めて、四人だ。青は論外。黒が少々厄介だが、まぁ何とかなる。あとはピンクを殺せば終わりだ」
「お前ぇ!」
抑えられなかった。挑発だろうが何だろうが、許せなかった。そんなにも軽々しく、殺すと言えることが。
僕は父さんが飛ばしてきたタバコを避けつつ、殴りかかる。が、やすやすと躱されてしまった。
「お? やる気か? ならちゃんとやろうぜ」
距離をとった父さんがにやけながら葉らしきものを手で弄んでいる。
「ちゃんと?」
「一佐の花弁はもう一枚しかないだろ。そんなものをここで使われちゃ、俺も一佐も困る。だから葉を一枚ずつで勝負ってわけだ」
「僕は父さんを殺すぞ」
「そうなったらそれまでだな。しょうがない」
そう言って、父さんは僕に葉を一枚投げた。ひらひらと舞い、僕の足元に葉が落ちる。それを拾った瞬間、頭に父さんの記憶と思われるものが流れ込んできた。母さんや僕はその中にない。どうやら前回の戦いまでの記憶らしい。それは父さんの記憶であって、ありのままの現実ではなかった。つまり、過去に戻ったら、本来、戻る前のことは消える。だがこの流れ込んできた記憶には戻る前、戻った後のすべてが含まれていた。その中で父さんは苦しそうな顔をしながら何回もフロースを殺していた。
「おい、早くしろ」
吐き気と共に現実へと戻る。父さんには僕が少しボーっとしていただけに見えたようだ。
しかし今はそんなことを気にする時ではない。僕は頭を振って意識を切り替え、イメージする。光の剣。すべてを塗りつぶすような白い剣。
「さ、真ん中に行こうか」
二人で広い校庭の真ん中に移動する。空は完全に闇に包まれていて、雪は昼に比べると随分と強くなっていた。
ここで父さんを殺せば、少しでもこの心は軽くなるのだろうか。それを知るには実際に殺すしかない。それに父さんは佐藤が邪魔になったら何の躊躇もなく殺す。それだけは何があっても阻止しなければならない。
「準備はいいか?」
父さんの言葉に敵意だけで応える。
「|Sanctus gladio《サンクトゥス、グラーディオ》」」
僕と父さんの声が重なり、白と黒の聖剣が現れる。
両者同時に地面を蹴った。
僕は父さんの剣が通るであろう線を体をひねって躱しながら、剣を振るが、父さんも同じように躱しながら剣を振る。
今日三度目の『賢者』で頭を鈍器で殴られているような痛みが襲うが、そんなことはどうでもいい。父さんに当てるには明人のときの様に先の先を視なければならない。
静かな校庭に剣戟の音が鳴り響き、黒と白の光が飛び散る。
勝負はすぐに着いた。僕は倒れていて、剣は半ばで折れてしまい、喉元には黒い剣が突き付けられている。
「さ、終わりだ。俺はもう帰る。考えとけ。まぁ選択肢は一つだが。戦いが終わったらポテンティアの所に来い」
そう言い残し、父さんは歩いて行く。
僕は起き上がる気力すらなく、現実から目をそらすように涙があふれる目を閉じた。