再会
僕が着替えて外に行く準備をしていると佐藤が声をかけてきた。
「どこ行くの?」
「武器を取りに行くんだ」
「武器?」
「ああ、拳銃をな。僕の能力的に武器があった方がいい。それを取りに行くんだ。今から会いに行く人たちは物騒な人たちだけど今の僕なら大丈夫だ」
「わかったわ。でも私も行くわよ」
「家で待ってろよ」
「なんでよ。あなたが守ってくれるんでしょ?」
佐藤は僕がさっき言ったことを繰り返し、意地の悪い顔で笑っている。それを言われると僕は連れていくしかなくなってしまう。
「わかった。だけどせめて取引のときは隠れていてくれ」
「ええ、わかってるわ。それじゃあ瑞樹は家で待っててちょうだい」
「わかったわぁ」
外は雪で白く彩られていた。道路に降り積もった雪に多くの足跡がついている。
二人で最寄りの駅から待ち合わせ場所である新宿まで電車で移動する。電車の小さい窓から見える景色が一瞬で流れていく。田んぼが見えるほどの田舎であるこの町から、都心に近づくにつれ、建物が増え、町が堅く、荘厳になっていく。建物の数と比例して人の数も増えていく。
六日前は新宿に急に花ができて大騒ぎだったのに今ではまるで、もとからあったのだといわんばかりに新宿駅前にあるポテンティアには目もくれない。
「なんだか拍子抜けね。いきなり正体不明の大きい花が駅前にできたっていうのにここの人たちはもう慣れてるみたい」
「そうだな。特に関係ないからもう興味がないんだろうな」
「なんか……知らないって怖いなって急に思ったわ」
「確かにな」
一般人が知らないところで戦いが起きているこの状況において、その言葉はひどく核心を突いてる気がした。
「じゃあ、行ってくる。佐藤はここで待っててくれ」
「わかったわ。気を付けてね」
佐藤に竹刀を預けて駅前に待たせ、いかにも怪しい路地裏に入る。数分待つと黒ずくめの百八〇センチ近くある男がやってきた。僕は言葉を交わすこともなく、今まで使ったことのない額のお金を渡し、拳銃を受け取る。それは物質的な重さとは別の重さを伴っていた。僕はすぐに路地裏から出た。
駅前に戻ると、佐藤は背を向けて、街行く人を眺めていた。
「悪い、待たせたな。帰ろっか」
「あ、栄君、お帰り」
行きとは逆の電車に乗って家に帰り、佐藤が鍵を刺して回した。
「あれ? 開いてる?」
「? 瑞樹、ただいまー」
「──」
家全体に聞こえるように言ったが返事は返ってこない。探してみても瑞樹は家の中にいなかった。その代わりにリビングのテーブルの上に一枚の紙きれがある。そこには、瑞樹を連れ去ったから指定した場所に来い、といった旨が書かれていた。
書かれているのはそれだけで差出人や時間の指定はない。まず間違いなくフロースの仕業だろう。
僕その紙の握り潰し、玄関に向かう。佐藤は今にも泣きだしそうな目で肩を震わせている。
「佐藤、行くぞ」
「ええ」
僕は拳銃と竹刀を持ち、二人で未だ止まない雪の中へ飛び出した。
指定された場所は廃校だった。校庭は雑草で埋め尽くされ、校舎の窓はひび割れ蔦が全体に巻き付いている。
「sapiens」
僕が先んじて賢者を発動すると、
「あはは、よく来たな」
「やっぱりお前か」
校舎の中からは僕がフロースとして初めて戦ったフロース──久遠明人が出てきた。僕の視界の端に、怒りでさらに体を震わせる佐藤が映る。
「瑞樹をさらったのはお前だな」
「もちろんだ。ちゃんと来てくれてうれしいよ」
人質を取るような時点でろくな奴じゃないと思っていたがこいつは別格だ。こいつはなんの罪も関係もない人を何の躊躇もなく殺した。あのとき、僕はこいつだけは死を以て償わせなければいけないと誓った。
怒りが体を満たすのを感じながら、それを押しとどめる。
「瑞樹は無事なのか」
明人の後ろにある校舎の中には、同じ部屋の中に二つの空気の乱れがあり、どちらが瑞樹のものかまでは判断がつかない。
「その点は安心してくれていい。僕は君と戦うがその前に話がしたくてこうやってわざわざ人質なんかととったんだから」
僕は明人と話す気はさらさらないが瑞樹が人質に取られてる以上従うしかない。
「話は聞いてやる」
「はは、こわいこわい。そう睨むな。そうだな。まずは、あのときの問いの答えは出たか? まぁ、聞かなくてももう顔を見ればわかるがな」
「……ああ、とっくに出したよ。僕はお前を殺す」
僕は明人の奥が見えない瞳を正面から見据える。が、明人はそれを意にも介さずに相変わらず嘲笑を浮かべている。
「そうかそうか、それは結構。では、ここでひとつ面白い話をしてやろう」
明人は思い出すかのように目を瞑り、ゆっくりと話し始めた。
「昔、一人の子供がいた。その子供は両親からも愛されて何不自由なく育っていた。休日には家族で出かけたり友達と遊んだりと普通に幸せに暮らしていた。しかし人間の命というものは儚いものだ。その子の両親は銀行強盗に人質に取られ殺された。その子はもちろん絶望と共に強盗犯に憎しみを覚えた。少年は最愛の両親を殺した強盗犯に復讐をしようとしたがその強盗犯はその場で殺されていたらしい。少年はこの憎しみのやり場に困ってしまった。少年はなにを恨めばいいのか考えた。少年の小さい脳で考え抜いた結果、人間を恨んだ。人間がいるから殺人が起きる。人間がいるから大切な人を失う。人間がいるから悲しむ人々がいる。異常だと思うだろう? だけど少年に異常だと教えてくれる人はもうこの世にはいなかった。そう気づいた少年の行動は早かった。少年は何になったか。暗殺者になった。まずは銀行内で彼の親を見殺しにした奴らは一人を残し全員殺した。戦争の火種になる人物や税金をごまかしている政治家、指名手配犯を片っ端から殺していった。最初は拳銃の引き金を引くのも難しかったがすぐに慣れた。少年が処されるべき人間を何人殺しても殺さなければいけない人間がいなくなることはなかった。そうして少年が人間の命の価値を忘れるのに時間はいらなかった」
明人は僕に口をはさむ余裕すら与えず一機に喋り切った。
「そ、それって……」
すぐに理解した。明人が言っている少年というのは間違いなく彼自身のことだろう。そして……数年前に二つの銀行強盗があり、そこで両方とも人質に取られた人が殺され、強盗犯も殺された事件がないとは言い切れない。しかしそれに関係がある二人がこの戦いで偶然戦うようなことが本当にあるのだろうか。
「お前ならもうわかってるだろ。四年前の銀行強盗の被害者は四人。一人が銀行職員、もう一人が子連れの母親、もう二人が彼の両親だった」
明人の雰囲気が変わる。心なしか雪が強くなってきた気がする。
僕は強盗があった後のニュースで被害者の名前に久遠という苗字の夫婦がいたことを思い出していた。
明人は僕と佐藤の学校の人を殺した。そして瑞樹まで攫っている。だけど心のどこかでこいつに同情してしまう。こいつはあまりにも虚しすぎる。両親を殺され、その恨みも晴らせず全く見当違いなものを恨んでも、教えてくれる人がもうこの世にいなかった。挙句の果てに人間の命の価値、尊さまでも忘れてしまった。
「……俺は、銀行内にいた人間を全員殺そうとしたが、一人だけ探しても探しても行方が分からない子供がいた。それがお前だ。俺から復讐の機会を奪ったお前の父親が完全に情報を遮断してたせいだ。その子供と強盗犯を殺した男が父子だったことに気づいたのも、あの夜にお前と会った後だった」
「お前、もしかして、父さんを……」
「もちろん、ここ三日はフロースに目もくれず、お前の父親を何度も殺しに行った。だがあの男はまるですべて知っているかのようにすべてを躱し続けた。胸糞悪いことにお前の父親は生きてるよ。まだな」
僕は母さんが死んだ後のことを思い出していた。
なんど試行錯誤しても工夫しても全く歯が立たなかった。歳をとってもかなり運動ができて、知識は豊富。頭がよく、勉強を教えるのも上手かった。そんな父三が誇らしかった。
「お前なんかに父さんは殺させないし、僕はお前を殺す」
「まぁ、それは構わないがお前はあの男が普通の人間だと思ってるのか?」
「……どういう意味だ」
首を傾げ、挑発などではなく、本当に疑問を持っているような聞き方をしてくる明人。
「そのままだ。あの男が本当に普通の凡庸で平々凡々たる人間だと思っているのか?」
「父さんがただの人間じゃなかったら何になるんだ」
「まぁ、そこまではわからないがあれは確実に現代の人間を超越している。それだけは確実だな。僕は殺すけど」
明人の言葉には理解できない薄気味悪さがあった。なぜかはわからないが僕はすぐにこの話題を変えたかった。
「お前の話は終わりか」
自然と怒りはなかった。ただ同情と憐憫だけがあった。それと同時に最も自分が明人の暴走を止めなければいけない気がした。
昨日は僕は正気ではなかった。ただ怒りのままに緑のフロースを殺した。だけど今は明確な殺意を持って明人と戦わなければならない。
「僕はお前を殺すぞ」
「そうかそうか。じゃあ、僕はお前を叩き潰した後に人質にして父親と一緒に殺してやるよ」
明人が両手を広げてから指を鳴らすと、校舎の中から体のあちこちが爛れている男が出てきた。校舎の中にあった瑞樹以外の呼吸はこのフロースだろう。
出てきた男はその場に倒れた後、輪郭が歪み、変形していく。足は太く長く、腕は短く、胴体は巨大に、牙は鋭く、腰のあたりからは丸太ほどある尻尾が生える。その姿はあまりに強大で獰猛で狂暴だった。
「まぁ、猫に変身できるなら恐竜に変身できてもおかしくはないわね」
佐藤はかなり落ち着いていた。だが佐藤は明人と戦えない。
「佐藤、瑞樹は二階の左から三番目の教室にいる。そこに行ってやってくれないか?」
「わかったわ」
明人は校舎に走る佐藤に目もくれない。
人を殺してはいけない。それは誰もが知っている。誰もがそれを悪だという。そうだ。人を殺してはいけない。だけど、父さんも強盗犯に殺されていたら僕も明人みたいになっていたかもしれない。それに僕があのときに体が動けば明人は普通に過ごせたかもしれない。だから、僕は明人を殺す。明人の行為は誰も幸せにならない。もちろん、明人自身も。
僕は深呼吸をして集中する。
「行くぞ」
二度目の久遠明人との戦いの火蓋が切られた。