暴走する王子と迷走したくない王女
「今、なんと?」
「ですから、私の婚約者を紹介させて頂きたいと。宰相殿には散々心配して頂いて、私も心苦しくなりましてね。まだ正式に発表はしていませんが、昔から心に決めていた愛する女性です。呼んでも?」
恐ろしい会話が為されるのをティナはそのドアの向こうで為す術もなくただ聞き耳を立てることしか出来なかった。
「いやはや、驚きました。どんな才女や美女をあてがっても断られてばかりでしたので、もしや幼女趣味や男色やの気があるのかとまで勘繰っておりましたが、そうでしたか。既に婚約者がおられましたか」
「今までお伝えできずに申し訳ない。国でも上層部しか知らぬ情報でしてね。貴殿には話させて頂きましたが内密にして頂きたい」
「了解しました。しかし気になりますね。どんな女性をも虜にすると噂された殿下の心を射止めたのは一体どんの女性なのか」
「私にとっては誰よりも美しく誰よりも聡明な女性です。本当は誰にも見せずに隠しておきたいくらいにね」
「これはこれは、本当に大切にされていらっしゃるようだ」
「もちろんです。さぁ、入っておいで」
は い れ る か!!!
ティナは全力で悪態を吐いた。
打ち合わせもなくハルに流れをまかせっきりにしてしまった愚かな自分を全力で猛省していたティナは、一生懸命血眼になって必死に逃げ道を探していた。
婚約者って一体何の話だ。
あれか。どうあってもこの世界はゲームのシナリオ通りになぞらえるため歯車を回しているとでもいうのか。
何が公式発表してなくて何が上層部しか知らないだ。
誰一人として、当事者すらそんなこと知る訳がない。
嘘八百並べたてて折角決心のついた私を境地に追い詰めるハルは、一体何がしたいというのだろうか。
「聞こえないのかね。入っておいで」
聞きたくないんです入りたくないんです。
今すぐここから逃げ出したいんですけど、逃げて何か不都合はありますか?
「何をしている。早く入りなさい」
一人頭を抱えて唸っていたら、ドアが大きく開けられて、そこから手を差し出したハルが覗いていた。
思わず本能のまま睨み付けると、ハルは綺麗な顔でにっこりと笑う。そうしてアルバートへと振り替えると
「すまない。少し恥ずかしがりやでね。おいで、可愛いクリスティーナ」
溺愛する婚約者を演じるのだ。
本当の本当にやめてくれ。
もっといい紹介の仕方があったはずだ。
友人とか知人とか仕事仲間とか。
本当彼とは一回腹を引き裂いて話し合いをしなきゃいけないとティナは心の底から痛感する。もちろん引き裂くのは彼の真っ黒い腹だけだ。
「ごきげんようディオノス公爵閣下。クリスティーナ=ラクシュマナフと申します。お会いできて光栄です。あまり人前に出る機会もなく緊張してしまいました。先程のご無礼、お許しくださいませ」
ティナの知るところではないが、優雅に微笑むその姿は、本物の王女と遜色なく美しく、本当に昨夜時間を共にしたティナ本人かとアルバートは混乱した。
けれど動揺を口には出さず、少し目を見開くだけで外見を取り繕うと、アルバートは一礼する。
「貴方の素晴らしい武勇伝は伺っている。しかしその後は行方知れずともっぱらの噂。五年もの間一体どうして過ごされていたのですかな?」
ティナへと向けられた質問をけれどハルが素早く拾う。どうやら彼は、主導権を渡してはくれないらしい。
「彼女は国が破れた後はずっとヴィルシュタットに捕虜として滞在していましたよ。けれど敗戦国の王族は例外なく罪に処されている。彼女だけを堂々と匿うわけにもいかなくて、ほとぼりが冷めるまで秘密裏に隠しておりました」
アルバートは驚きと疑問の混ざった表情を浮かべる。
「どうして彼女だけを例外に?それも婚約者にするなど、反発者も出るでしょう」
「それは…恥ずかしくも、私がずっと彼女に恋い焦がれていたからです。幼い日に父の視察でカンターバラへ連れられた事がありましてね。その時に偶然拝見し、愚かにも一目惚れでした」
ペラペラと適当なことを話すハルの言葉にアルバートは視線を流す。
「………カンターバラが厄災で食糧難となった時ですかね?確か貴国は食料品の貿易を持ちかけて、それから国交が盛んとなったはずでしたな」
「さすがは宰相よくご存知ですね。彼女はその歴史から非常にデリケートな存在でしてね。なかなかお披露目には至らないということです」
適当な中にもちゃんと事実を紛れ込ませているようだと、ティナは内心で舌を巻く。
けれどその内容がいけない。
勝手に話が進んでいく中、ティナはヤバいと焦りながらも、殿方の会話に入っていくような不作法も行えず一人汗をかき続ける。
二人は貼り付いたような笑顔を互いに向け、さながら狸と狐の化かし合いが背後に見えた。可愛いななんだこれ。
「それで、少し困ったことがありましてね。少し耳をお借りしても?」
ハルは手で口許を隠して、アルバートに何事かを囁いた。
その聞こえない声に、ティナは嫌な予感しかしない。
「………ほう?では、私が貰い受けても構わないと?」
アルバートは本性が漏れ出たような陰険な顔でにやりと笑う。
ハルは相変わらず胡散臭いいつもの笑顔を貼り付けたままそれを肯定した。
何故だかとにかく王手を指されたような底知れない不安感に襲われながら、ティナはどうしようもないまま毅然と王族を演じ続けた。
「そういえば、興味深い話がありましてね。貴殿は長い歴史の中で、秘された存在がいるのをご存知でしょうか?」
突然、話が方向を変えた。
今度は何を言い出すのか。ティナは不安で仕方なかったが、それはアルバートも同じのなのか、警戒しているのが見てとれた。
「は?何を急に…」
「それは、世が世ならこの世界を牛耳ていたかもしれないほどに禍々しく凶悪な存在でね。古い書にしか記されて居ない、古の存在なのだとか」
アルバートの眉がピクリと動いたのをティナは静かに確認する。
「クリスティーナが貴殿に話してみてはと言いましてね。きっと貴殿は興味があるだろうからと」
けれど次の瞬間にはティナの肩が大きく揺れた。
なななななな何を言ってくれてるのこの狸!
「どうしてでしょうね?けれどそれほど強大な力があるとすれば、手中に納めてみたいものですね」
アルバートは考え込むように口許に手を当てる。
「………果たして何の事やら。私には想像も着きませんが、詳しくお聞かせ頂きたいですね。どうして私が興味を持つと思ったのかも含めて」
声が、少しトーンを変えた。
誰だハルを利用してアルバートと面会しようとか考えたやつ!最悪な流れになってないか!?
滝のような汗で背中をべったりと濡らしつつ、ティナはしかし笑顔を取り繕うことしかやはり出来ない。
けれどもはや憎悪の対象とまで急成長を遂げた相手は涼しい顔を崩しもしなかった。
あいつ殺して私も死ぬ!
その眉間に拳を叩き込みたい衝動が、身を裂かんばかりの勢いでティナの中を暴れまわる。
「私も色々調べてはおりますが、中々真実には近づけませんでね。もしも貴国にそういった資料をお持ちならと思ったのですが、心当たりもないようですね。残念です」
「心当たりもなにも、もう少し詳しい説明をして頂かないと。もしかしたら何かご協力出来ることがあるかもしれません」
「いえいえ。下らぬ話を失礼しました」
ハルはにこりと笑顔を向けるとそれで話を終わらせた。
アルバートは短い沈黙の後に、お気になさらずと声をかけたがその目は笑っていなかった。
恐怖に一人震えるティナは、部屋の温度が下がっていくのを実感する。タスケテ。
「さて。私はこれから急ぎの仕事がありましてね。そろそろ失礼させて頂きます。クリスティーナ、君はラッフェコルタを勉強したいと言っていたね」
突然、話の矛先がティナに向けられ、この冷えきった空気の中に置いていく気かと滝汗をかく。
けれど微笑みを絶やさないまま
「いえ、ご迷惑となってはいけませんので」
「お気遣い感謝しますラクシュマナフ殿。けれどご心配には及びません。今はちょうど手も空いておりました。是非ゆっくりしていって下さい」
「ですが、私の個人的なつまらない我が儘にお付き合い頂くなど恐縮です」
「流石はディオノス公爵、懐の大きさが違いますね。ご厚意感謝します。それではクリスティーナ。ご迷惑にならないようにね。私は先に戻っているよ」
「っ!お待ち下さい、殿下」
アルバートとも挨拶を交わし、さっさと踵を返すハルを追いかけ、ティナはその背中に両手を広げて飛び付いた。
ぎゅっと締め付ける勢いでその腰を抱き締めると、ハルの体が微かに震えたのが伝わった。
「ディオノス公爵の前ではしたない。一体なんだね?」
声もどこか固く感じた。
怒っているのか。けれどこちらの方こそ激怒している。
「いつでも別れの挨拶に、優しいキスを下さるではありませんか」
果たして声は切なく響いているだろうか。
「アルバート公爵の前だ。我儘は止めたまえ」
「ならばせめて、そのご尊顔だけでも、どうか私にお向け下さい」
少しの沈黙の後溜め息を吐く音がして、ようやくハルが振り替える。
にっこりと笑うとふんわりと膨らんだスカートで死角を作り、その足に高いヒールを叩きつける。
手だけはそっと愛おしそうにハルの頬へと添えて、首筋へと添わせたもう片方の手に忍ばせた痺れ針を刺そうとして、けれど優雅に微笑んだハルが、両手を拘束するので叶わない。そのまま耳元にそっと唇を寄せられる。
「お仕置きが足りなかったかね?」
囁かれるのは昨日の口付けを匂わせるような一言で。
「甘えん坊でお恥ずかしい。礼儀作法は身に付けているのですが、どうも幼い頃に酷烈な体験をしたからか離れるのに酷く臆病でね。お許し下さい」
アルバートへと視線を向ける時には、その目はいつもの胡散臭いものへと戻っていた。
「ではね、クリスティーナ。失礼するよ」
忍ばせていたはずの痺れ針は、いつの間にか手中になかった。
握りしめた拳の中で、磨きあげられたその爪が、柔らかな手のひらにぐっと痛みを残した。




