故ラクシュマナフ国王の娘
「殿下、話をしたいという者が訪ねて来ておりますが、いかがしましょう?」
起き抜けに告げられた言葉に、ハルはふと沸き上がる苛立ちを軽く噛み殺した。
この国に来てから、来客が本当に多い。
それもこんな早朝からとは礼を欠くにも程がある。
他国に世話になっている身で出せる文句もないのだが、昨夜も遅くまで仕事と格闘していたハルは、まだ眠気の残る頭で、イライラとそれに返事をした。
「誰だ。ラッフェコルタの役人か?今日また会議があるだろう。それまで待っていてもらえ」
「いえ、それが…ラッフェコルタの者でもヴィルシュタットの者でもないと」
「なら誰だ?他国の者がここに来てると?」
その人物が浮かばなくて、ハルは小さく息を吐く。
こんな場所まで通すことが出来るのは、それ相応の身分を持ちえる者だけだ。
ヴィルシュタット以外に他国の訪問の予定など聞いていないし、もし来ていたとしても普通訪ねるのはラッフェコルタの要人だろう。
それを差し置いて、ハルの所へ訪ねてくるなど一体どういうことだろうか。
「はい。チャルチシュヴァラ卿がお連れになられたご様子で、聞けば亡国の姫君だとか」
「亡国だと?」
「はい、我々では判断しかねましたので、部屋の前に待たせています。いかがいたしましょうか?」
クレアが絡んでいるとすれば、確かにかなりの爵位がなければ無碍に面会を断れない。
ハルならば断ることは可能だろうが、亡国の姫君には心当たりがあった。
けれどどうして正面から来た?
思い浮かぶたった一人の人物は、昨日まではその存在を隠すことを望んでいたはずだった。
人目も憚らず訪ねてくる理由がわからない。
クレアが何か吹き込んだか?
まったく予定外の動きをしてくれる。
ハルはその来訪者を応接室へと通すように声をかけた。
「失礼するよ」
ドアの向こうで待っていたのは、楽しそうな顔をしたクレアと、その横にお手本のような姿勢で腰かける一人の女性だった。
いつものように気軽に手を上げて挨拶してくるクレアの向こうで、華やかなドレスに身を包み、複雑に編み込まれた髪をそっと揺らせる女性の視線が此方へ流される。
軽く化粧も施されたその顔は、それだけで息を飲むような、華やかな印象に変わっていた。
女性はそっと立ち上がって、洗練された動作で礼を取る。
「先駆けもなく早朝の訪問、大変失礼いたしました。一刻も早く貴殿とお会いしたかったため、待ちきれずにチャルチシュヴァラ卿に無理を言いました。礼を欠いた行為、伏してお詫びいたします」
声すらも凛として、耳にずっと残るような気高さを持つものだった。
それが全く違和感もなく、その小さな唇から紡がれる。けれどハルはそれに引っ掛かりを覚えてしまう。
「とんでもない。一日の始まりに、貴方のような美しい女性を拝見できるなど光栄です。どうぞ顔を上げてください」
けれどそれを微塵にも出さずにハルは綻びのない綺麗な笑顔で対応する。
女性はほっとしたように顔を上げた。
正面から見たその顔は、いつかのように美しかった。
「お初にお目にかかります。私、故ラクシュマナフ王家が第一王女、クリスティーナ=ラクシュマナフと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」
「カンターバラ共和国の元第一王女殿下ですね。私の事はご存じだと思いますが、ヴィルシュタット国の使者として滞在させて頂いております、ハロルド=ミクトラントリです。本日はどういったご用件でしょうか?」
女性に座るように促すと、控えていた侍女に紅茶を用意するよう声をかける。
椅子に座る所作も美しいもので、彼女が貴族社会を退いて数年経つとは思わせない、ブランクを感じさせない洗練さがあった。
いつもと違うその姿ひとつひとつが新鮮で、けれど何かが物足りない。
本物の何一つないその姿は、なんだか無機質で味気ないものに感じられた。
「率直に申し上げます。貴殿にお願いがあって参りました」
凛とした声だ。
上に立つ者の声。
それがやはりつまらない。化けの皮を剥がしてやりたくなって仕方がない。
「聞きましょう。けれど見返りがありませんと。私も慈善ばかりの人間ではありません」
「何をお返しすればよいでしょう?」
「そうですね。まずはその、つまらない言葉遣いから改めて頂きましょうか」
「…はい?」
小首を傾げるその姿はいつもの面影を感じさせて、ハルの唇は知らず笑みを型どっていた。
「それで、どうして急に身分を晒す気になったのかね?」
「平民が1人行方不明になったところで誰も気になどしないでしょう?ちょっとお金を握らせれば隠蔽工作だって簡単だろうし。それじゃあ困るってのと、あとは目上の人とお目通りしやすくなるから」
人払いを済ませた後、ティナはハルの要望通り、取り繕うことのないいつもの言葉遣いに戻していた。
ドレスを纏っているため所作こそ貴族令嬢のそれであったが、それでも先ほどまでの一切の隙を見せないような完璧なものとは違う。
「まるで行方不明になる予定でもあるみたいな言い方だね」
ハルもそれに合わせて、いつもの胡散臭い態度に戻っている。
「そうね。もしも私が行方不明になったなら、黒幕はラッフェコルタの宰相だから、なんとしても彼の悪行を止めてね」
「ラッフェコルタの宰相とは、ディオノス公爵のことかね?また嫌な相手に目を付けられものだな。一体何が?」
「勝手に向こうが因縁付けてきただけよ。それより本題の話がしたいんだけど」
「お願いと言っていたね。けれど私もタダでは聞かないと言ったはずだ。ある程度の情報は出してほしいところだね。昨日ティナ嬢の言っていた、悪魔の話に関係が?」
どうにもいつも通り彼のペースだ。うんざりとティナは溜息を吐く。
「…そう。悪魔の召喚には天帝との血縁が必要だわ。本当に悪魔召喚を考えているなら、私の血は囮になる。さすがに準備も整わないままヴィルシュタットに喧嘩を売るような事はしないだろうけど、ハルも注意することね。あと一人、私の知る中で該当するのがラッフェコルタの第二王女殿下」
「アナだね。彼女は先帝の娘が異国の者と禁断の恋の末に産み落とした子どもでね。その出生は隠されているが、宿る魔素が証明している。それで苦労も多いようだね」
「…………禁断の子?」
魔力を宿すということから異国の血が交ざっていることは知っていた。けれどそんな境遇だとは。
どうしてそんな情報を知っているのかという驚きと、そんな極秘情報をスラスラと教えとくれるハルの意図が読めなくて、ティナは彼を凝視する。
ハルはクスリと笑うと
「欲しかった情報だろう?私はティナ嬢の味方だからね」
底知れない目でティナを見る。
思わず蛇に睨まれた蛙のような冷たい緊張に身がすくんだが、瞬き一つで視線を逸らすと、冷静になれと頭を切り替える。
彼の言葉を鵜呑みにしては、掌で踊らされるだけなのだ。
「とにかく、アナシフィア王女殿下の身の安全を確保したいの。彼女はハルの言うことならある程度の無理は聞いてくれるはず。どうにか囲い込む事はできないかしら?」
「お願いというのはそれかな?それで、私のメリットは?」
「悪魔召喚を食い止めることが出来る。つまりは戦争回避につながるわ」
「その話に信憑性は?」
「それは昨日も言った通りよ。根拠も証拠も何もないわ。ただ、そうね。昨日と違うところがあるとすれば、ディオノス宰相が悪魔に興味を持っていた」
「その程度では動けないね。何せ彼女も曲がりなりにも王族だ。下手に介入すると国家間のいざこざを起こしかねない」
「それなら誰か、協力者を貸してくれない?私が裏からなんとかするわ」
「見つかったら同じことだ。首を縦には振れないね」
彼は冷静に淡々とティナの言葉を否定する。
思わず歯噛みしたくなって、だめだと再度目を閉じた。息をゆっくりと吐き出して、ハルを正面から見つめ直した。
「じゃあ、悪魔召喚の証拠を探してくるから、ディオノス宰相と公式に面会できる機会を設けて欲しい」
「単身危険に飛び込む気かい?」
「それしか手がないならね。もともとそのお願いがしたくてここに来たの。ティナとして面会してもそのまま拘束されかねない。ちゃんとそれなりの簡単に消せない存在として、出来るだけ多くの目に触れた状態で面会したい」
「それで平民として過ごせなくなったとしても?」
「平民にしがみつく事は止めたの」
「ほう?王族としての責務を自覚したのかね?」
「……そうね。逃げてるだけでは何も解決できないわ。私にはまだ、国民を守る義務がある」
「もう王もいない国の?それはただの自己満足に過ぎないだろう」
「自己満足上等よ。もう決めた。決めたら迷わないことにしてるの。だからこうしてここに来た。ミクトラントリ王子殿下。私に挽回のチャンスを下さい」
「…その呼び方は好きではなくてね。もう一度改めて聞こう」
「ハル。お願い。私にディオノス宰相の恐ろしい計画を止めさせて」
「彼との公式な場での面会だったね。いいだろう。けれど、その場に私も同行させてもらおう」
交渉が成立したことにほっとしかけた瞬間に、続く言葉を耳が拾う。けれどストンと頭に入らない。
だって危険な場所だと言った。言わなくても聡明な彼ならそれが捨て身な作戦だと理解しているはずだろう。そこに彼自らも同行すると言わなかったか?
何度も何度も咀嚼して、間違いなくそう言ったかどうかと確認した。
「…え?」
そんなティナの困惑をハルは面白そうに眺めていた。
胡散臭いいつもの顔ではなく、それが素の彼の心情を現したかのような少年の顔。
「先走った情報で、国を巻き込むわけにもいかない。けれどティナ嬢をひとりで戦わせるような不甲斐ない男でもなくてね。今はセリウスも他に動いてくれている。私の仕事もそろそろ一段落着くところだ。そろそろ視察の期限も終わる。ずっと机に向かっているのにもちょうど飽きてきていたところだしね」
「でもそれじゃあ」
ティナは勝算の少ない、この計画にハルを巻き込むつもりはない。けれどハルは焦るティナに、優しい笑顔を向けるのだ。
「では聞くが。相手がティナ嬢の敵わない、権力や暴力で攻めてきた時はどうするかね?」
「え?」
「逃げるの一手しかないだろうが、果たして逃げ切れると思うかね?相手は一国の宰相だ。馬鹿をするのを期待するのも軽率だろう。ならばどうする?」
「どうって…それでも逃げるしか」
「より強い権力や力を得ればいい。私はお買い得だと思うがね。少々の無理は努力しよう。連れて行って損はないだろう?」
「でも、それじゃあ…それこそハルにメリットは?」
「そうだね。ティナ嬢の、信頼が得られるといったところかな?」
「そんなの、それこそなんの利益も得られない…」
「私にとってはとても大きな利益だよ。乗るかい?乗らないのかい?」
「え?え?ちょっと待って。ちょっと理解が追い付かない」
「ならば勝手にこちらで決めてしまおう。今日中に面会の機会は手配しよう。詳細は追って遣いを出す。ティナ嬢にはそれ相応の部屋を準備させるから、そこでしばらく待つと良い」
「待って待って。待ってって言ってるのにどんどん話を進めないで」
「ビアンカ、居るかね?部屋を一室お借りしたい。あちらの執事と話をしてきてくれないか?」
ひとり困惑するティナを置き去りにハルはさっさと準備を始める。
こうしてティナは、本人の思惑とは違う形で、ディオノス宰相との面会の場を無事得ることに成功した。




